霧ヶ峰家
霧ヶ峰家の屋敷。
広々とした執務室で、霧ヶ峰家の当主は秘書から渡された資料に目を通していた。
資料に記されているのは、娘である梓の近況についてだ。
冒険者としての活動状況、転校先での生活、そして最近加入したパーティーについて。
その報告を読み進めていた彼は、ある項目で手を止めた。
「……ティンカーベルに加入した、だと?」
思わず声が漏れた。
梓が転校した理由は知っている。全国大会で結果を残すため、より高いレベルで活動できる環境を求めたのだ。
そのために学園を移り、実力のある生徒たちと競い合うことになったのも理解していた。
だが、特定のパーティーに加入するという話は聞いていなかった。
「お嬢様は、以前からティンカーベルの活動に関心を持たれていたようです。転校後、同じクラスになったこともあり、交流を深めているとのことです」
秘書が補足する。
「なるほど……。まあ、あの子が興味を持つのもわからなくはないな」
彼は資料に目を落とした。
ティンカーベル。
音無乙羽、柳生琴、桜庭柳を中心とした、若い冒険者たちによるパーティーだ。配信活動でも注目を集めており、ダンジョン攻略の実績も目立っている。
そして、今回の資料には、梓がその正式なメンバーとして活動していることも記されていた。
「しかし、梓が自分からパーティーに加わるとはな……」
娘の性格を考えれば、実力のある相手に興味を持つこと自体は不思議ではない。
むしろ、自分より強い相手がいると知れば、喜んで近づいていくようなところがある。
父親としては、そんな娘の行動力を頼もしく思う一方、少しばかり心配でもあった。
「まあ、本人が選んだのなら、まずは見守るとしよう」
「はい」
秘書が一礼する。
彼は資料を机に置き、窓の外へ目を向けた。
霧ヶ峰家は、国内でも有数の規模を持つ財閥だ。
古くから複数の産業に関わり、製造業や物流、研究開発など、幅広い分野で事業を展開してきた。関連企業も多く、国内外にさまざまな取引先を持っている。
そして、約二年前にダンジョンが出現してからは、その事業領域をさらに広げていた。
ダンジョンから得られる素材は、地球上の既存の資源とは性質が大きく異なる。
加工方法ひとつを取っても、従来の技術がそのまま通用するとは限らない。素材によっては、これまでの常識では説明できない特性を示すものもあった。
それらを研究し、実用化できれば、装備品の性能向上だけでなく、エネルギー利用や新たな技術開発にもつながる可能性がある。
場合によっては、産業構造や国の経済にまで影響を与えかねない。
霧ヶ峰家がダンジョン関連事業へ積極的に投資しているのも、そうした将来性を見込んでのことだった。
素材の調達から輸送、装備品の製造、研究施設の運営まで、関連する事業は少しずつ広がっている。
もちろん、投資すれば必ず成功するわけではない。
ダンジョン産素材は入手そのものが難しく、安定した供給を確保するだけでも苦労する。危険な場所で活動する冒険者の協力も欠かせず、研究開発には時間も費用もかかる。
それでも、今のうちに技術と実績を積み重ねておくことには大きな意味があった。
「……冒険者向けの装備品も、今後ますます重要になるだろうな」
彼は、机の端に置かれた別の資料を手に取った。
そこには、現在進めている装備品関連事業の概要がまとめられている。
冒険者の能力を引き出す装備は、単に頑丈であればいいというものではない。使用者の戦闘スタイルや魔法との相性、動きやすさなど、考慮すべき点は多い。
とりわけ、高ランク冒険者が使用する装備ともなれば、要求される性能も高くなる。
そして、優れた装備を開発しても、それを必要とする人々に知ってもらえなければ、事業としての広がりには限界がある。
そこで重要になるのが、広告や広報活動だった。
実際に冒険者が使用している姿を見せることができれば、製品の特徴を伝えやすい。さらに、その冒険者自身に知名度があれば、より多くの人々に関心を持ってもらえる可能性がある。
彼は資料を眺めながら、ふと考え込んだ。
「……そういえば、ティンカーベルは配信でもかなり人気があるのだったな」
「はい。ダンジョン攻略の配信は視聴者も多く、若い冒険者を中心に知名度が上がっているようです」
「実力も申し分ない。しかも、梓がそのメンバーになったのなら、話を持ちかけるきっかけもある」
彼の頭の中で、いくつかの考えがつながっていく。
ティンカーベルは、すでに多くの視聴者に知られている。
若い冒険者たちが実際にダンジョンで活動している姿を見せれば、装備品の広告としても説得力があるだろう。
単に製品を並べて紹介するだけではなく、それぞれの戦闘スタイルに合わせた装備を用意し、実際に身につけてもらう。
それならば、製品の宣伝と冒険者への支援を両立できるかもしれない。
もちろん、霧ヶ峰家の都合だけで話を進めるつもりはない。
相手は学園に所属する生徒たちであり、パーティーとしての活動方針もある。本人たちの希望を聞かずに、勝手に契約を決めるわけにはいかなかった。
「まずは、先方の意向を確認する必要があるな」
「学園を通じて正式に打診いたしましょうか?」
「そうだな。契約や活動に関する話なのだから、窓口は学園にしたほうがいい。本人たちが興味を持ってくれたなら、具体的な条件を相談すればいいだろう」
「承知いたしました」
秘書が手帳に内容を書き留める。
だが、彼はすぐに話を終わらせず、少し考えてから口を開いた。
「……いや、待て」
「はい?」
「梓に、一度話をしてみよう」
彼は娘の資料を手元へ引き寄せた。
「もちろん、梓に契約をまとめさせるつもりはない。あくまで、ティンカーベルの皆さんがこうした企画に興味を持つか、本人の感触を聞きたいだけだ」
梓はティンカーベルのメンバーだ。
彼女たちが普段どのような活動をしているのか、どんな装備を必要としているのか、父親よりも身近なところで知っているはずだった。
その情報を参考にできれば、相手にとっても意味のある企画を考えやすい。
「お嬢様に、直接お尋ねになるのですね」
「ああ。だが、あくまで打診だ。本人たちが望まないなら、無理に進める必要はない」
彼はそう念を押した。
霧ヶ峰家には、事業を進めるための人材も資金もある。
しかし、それだけで相手の希望を無視していいわけではない。長く付き合える関係を築くためにも、最初の段階で互いの意向を確認しておくべきだろう。
彼は娘の連絡先を開き、短いメッセージを打ち込んだ。
『梓、今度少し相談したいことがある。ティンカーベルの皆さんにも関係する話だ。時間のあるときに連絡をくれないか』
送信を確認すると、彼はスマートフォンを机に置いた。
広告企画は、まだ思いついたばかりの段階だ。
契約内容も、報酬も、具体的な撮影方法も決まっていない。
それでも、ティンカーベルにとっても霧ヶ峰家にとっても、双方に利点のある話にできる可能性はある。
まずは、彼女たちが何を望んでいるのかを知るところから始めよう。
「さて……梓は、どんな反応をするだろうな」
彼は小さく笑った。
そして、娘からの返事を待つことにした。




