「うん。最後まで見ようねぇ」
土曜日、午後6時。
霧ヶ峰梓の公式配信チャンネルに、突然ライブ配信が開始された。
事前告知はない。
配信予定の通知もなく、SNSでの宣伝もない。
ただ、配信画面が切り替わり、そこにはダンジョンの入り口に立つ梓の姿が映し出されていた。
『えっ?』
『梓様!?』
『急に始まったんだが!?』
『待って、これダンジョン?』
『隣にいるの先生じゃない?』
『フェンちゃんまでいるぞ!』
開始直後から、コメント欄が騒がしくなる。
画面に映っている梓は、いつもと変わらない格好だった。表情にも特別な気負いは見られない。
しかし、その目は真剣だった。
隣には小さな妖精のリーゼロッテ。そして、堂々とした体格の大狼、フェンちゃんが控えている。
梓は配信画面を確認することもなく、ダンジョンの入り口へと歩き出した。
その姿を見て、視聴者たちはようやく理解し始める。
『これ、攻略配信か?』
『告知なしでいきなりダンジョンに潜るのかよ』
『Sランクのソロ攻略が見られるってこと?』
『いや、先生とフェンちゃんがいるから完全なソロじゃないだろ』
『でも、戦うのは梓様なんじゃないか?』
梓はコメントを一切見ていなかった。
リーゼロッテも同じだ。
彼女は梓の少し前を飛び、周囲の魔力反応を探っている。フェンちゃんは梓の横を歩きながら、時折、鼻先を動かして周囲の気配を確かめていた。
道案内と索敵。
それが2人の役割だった。
梓は自分の足で進み、自分の拳で敵を倒す。
それだけだった。
◇
配信開始から、しばらく。
画面は、ダンジョンの中を進む梓の姿を映し続けていた。
最初に現れたモンスターの群れを前にしても、梓は足を止めなかった。
先頭の一体が牙をむき、地面を蹴って飛びかかる。
梓は半歩だけ横へずれた。
相手の突進を紙一重でかわし、すれ違いざまに拳を打ち込む。
鈍い音が響いた。
モンスターの巨体が、そのまま地面へ崩れ落ちる。
続いて左右から迫る敵。
梓は片方の腕で攻撃を受け流し、もう片方の拳を相手の胴へ突き入れた。さらに、背後へ回ろうとした個体には、振り返りざまの一撃を叩き込む。
無駄な動きはなかった。
大きく振りかぶることも、必要以上に力を込めることもない。
ただ、敵の動きを読み、最も効果的な位置へ拳を置く。
それだけで、モンスターたちは次々と倒れていった。
『……え?』
『今の一撃で終わり?』
『剣も魔法も使ってないぞ』
『いや、拳だけであの威力なのかよ』
『動きが綺麗すぎる』
『無駄がなさすぎて逆に怖い』
梓はコメントに反応しない。
倒れたモンスターを一瞥すると、すぐに次の敵へと向き直った。
敵が複数いるなら、数が少なくなる位置へ誘導する。
硬い外殻を持つ相手なら、関節や防御の薄い部分を狙う。
速度で翻弄してくる相手には、無理に追いかけず、進路を読んで迎え撃つ。
梓の戦い方は、派手さよりも確実性を重視していた。
そして、その一撃一撃には、明確な意図がある。
彼女は拳を振るうたびに、相手の動きが止まる場所を正確に狙っていた。
あるモンスターが、硬い甲殻で全身を覆いながら突進してきた。
普通なら、装甲を破壊するか、弱点を探す必要がある相手だろう。
梓は正面から迎え撃った。
相手の攻撃を紙一重でかわし、指先を揃えた拳を、甲殻の隙間へと滑り込ませる。
次の瞬間、モンスターの動きが止まった。
巨体がぐらりと揺れ、そのまま地面へ倒れ込む。
外側の装甲には、ほとんど傷がない。
『は?』
『今ので倒したの!?』
『外殻、無傷じゃないか?』
『どこに攻撃が通ったんだ……』
『内部に直接作用させたのか?』
コメント欄の勢いが増した。
だが、梓は何も答えない。
倒した相手を確認し、再び前へ進む。
その姿には、配信を盛り上げようという意識すら感じられなかった。
彼女はただ、攻略している。
目の前に敵がいるから倒す。
進むべき道があるから進む。
それだけのことを、恐ろしいほどの精度で繰り返していた。
◇
午後7時を過ぎたころ。
乙羽のスマートフォンに、配信開始の通知が届いた。
「んぅ?」
リビングでくつろいでいた乙羽は、画面を見て首を傾げた。
「あれぇ? 梓ちゃん、配信してるねぇ」
「えっ?」
琴が顔を上げる。
「本当? 告知なんてあったっけ?」
「いや、見てねえぞ」
柳もスマートフォンを取り出した。
3人はすぐに梓のチャンネルを開いた。
画面に映っていたのは、ダンジョンを進む梓の姿だった。
その隣にはリーゼロッテとフェンちゃんがいる。
乙羽は画面を見つめたまま、ゆっくりとソファーへ座り直した。
「……そっかぁ」
それ以上、何も言わなかった。
琴も柳も、コメント欄には書き込まない。
3人とも、梓が何をしようとしているのか、なんとなく察していたからだ。
今朝、梓は言った。
今日中に答えを見せる、と。
あの言葉の意味が、ようやく形になり始めていた。
梓は、自分の実力を見せようとしている。
ただし、言葉で説明するのではない。
自分がどこまでやれるのか。
どこまで強くなったのか。
それを、実際の戦いで示そうとしているのだ。
「……見ようか」
琴が静かに言った。
「おう」
柳は短く返した。
「うん。最後まで見ようねぇ」
乙羽も頷いた。
それから3人は、誰一人としてコメント欄に書き込まなかった。
スーパーチャットも送らない。
ただ、画面の向こうで戦う梓を見守り続けた。
◇
時間が経つにつれて、梓の配信は少しずつ注目を集めていった。
最初は、突然始まった配信に驚いていた視聴者たちも、次第に彼女の戦い方へ意識を向けるようになっていた。
梓はモンスターの群れを見つけても、立ち止まって作戦を説明したりはしない。
リーゼロッテが示した道へ進み、フェンちゃんが周囲の気配を探る。
そして、敵が現れれば戦う。
ただそれだけだった。
しかし、攻略の速度は異常だった。
敵を倒すのに時間をかけない。
必要以上に素材を集めることもない。
進路を塞ぐ相手を片づけ、通れる道を確保し、次へ進む。
戦闘に入ってから終わるまでの時間が短い。
それでいて、危険な場面がほとんどなかった。
『ちょっと待って、進むの速くない?』
『このペースで攻略してるのかよ』
『探索も戦闘も無駄がなさすぎる』
『先生の案内があるとはいえ、梓様の処理速度がおかしい』
『フェンちゃんも索敵してるんだろうけど、それだけでこの速度にはならんだろ』
『Sランクってこういうことなのか……』
コメント欄では、梓の攻略速度に驚く声が増えていった。
それでも、梓は一度もコメントを拾わなかった。
リーゼロッテも、配信を盛り上げるための説明はしない。
必要なときに進路を示し、危険な反応があれば短く知らせる。
フェンちゃんもまた、敵の位置を知らせるように吠えたり、梓が戦いやすいように周囲を警戒したりしていた。
3人の支援は確かに大きい。
だが、実際に敵を倒しているのは梓自身だった。
その拳には、迷いがない。
攻撃を受け流し、懐へ入り込み、急所へ一撃を叩き込む。
時には指先へ魔力を集中させ、外側の防御を無視するように相手の内部へ作用させる。
硬い敵も、素早い敵も、力任せに押してくる敵も、梓はそれぞれに適した方法で対処していた。
新しい魔法は使わない。
派手な範囲攻撃もない。
それでも、彼女の戦闘は十分すぎるほど圧倒的だった。
◇
午後9時。
乙羽たちは、まだ配信を見続けていた。
食事の時間になっても、3人は交代で画面を確認しながら、梓の攻略を追っていた。
「……本当に、すごいね」
琴がぽつりと呟いた。
「だろ?」
柳は画面から目を離さずに答える。
「んぅー……」
乙羽は、梓が拳を打ち込む瞬間をじっと見つめていた。
梓の動きには、以前から身につけていた技術がある。
無駄のない足運び。
相手の動きを読む目。
攻撃を受け流し、最短距離で反撃する判断。
そこに、さらに磨きがかかっていた。
ただ強くなっただけではない。
自分の持っている技術を、より確実に使いこなせるようになっている。
乙羽は、それを感じ取っていた。
梓は今、自分の持っているものをすべて使って戦っている。
そして、その戦い方を見せることで、何かを伝えようとしているのだ。
乙羽は小さく笑った。
「……がんばってるんだねぇ」
その声は、誰に聞かせるためのものでもなかった。
琴も柳も、返事をしなかった。
3人とも、まだコメント欄には何も書き込まない。
今は、梓の戦いを見届けることが大切だった。
◇
午後10時。
配信開始から4時間が経過していた。
梓の攻略は、止まらない。
モンスターの群れが現れれば、短時間で片づける。
複数の敵に囲まれても、慌てることなく動きを見極め、包囲が完成する前に一体ずつ数を減らしていく。
大型の敵が道を塞いでいれば、真正面から力比べをするのではなく、攻撃の軌道を外して懐へ入る。
そして、拳を打ち込む。
その一撃で、相手の動きが止まった。
『まだ進んでるのか……』
『何時間も戦ってるのに、動きが鈍らないな』
『休憩してる様子もほとんどないぞ』
『先生がサポートしてるとはいえ、これはすごい』
『梓様、何を目指してるんだろう』
視聴者たちの疑問は増えていった。
しかし、答えを知る者は、画面の向こうにもこちら側にもいなかった。
梓は何も語らない。
リーゼロッテも説明しない。
乙羽たちも、黙って見守っている。
配信には、戦闘音と足音、時折聞こえるフェンちゃんの吠え声だけが響いていた。
梓の表情は、最初からほとんど変わっていない。
疲労がないわけではないだろう。
それでも、彼女は足を止めなかった。
目の前の敵を倒し、先へ進む。
その繰り返しが、彼女の覚悟を何よりも雄弁に語っていた。
◇
午後11時。
配信開始から5時間。
視聴者数は、配信開始直後とは比べものにならないほど増えていた。
告知もなく始まった配信は、いつの間にか多くの冒険者たちの目に留まっていた。
『これ、リアルタイムなんだよな?』
『編集なしでこの速度なのか』
『梓様って、こんな戦い方する人だったんだ』
『派手な技がないのに、ずっと見ていられる』
『一撃一撃に無駄がないんだよな』
『強いって、こういうことなのかもしれない』
梓は相変わらず、コメントを見ていない。
リーゼロッテもフェンちゃんも、視聴者へ意識を向けることはなかった。
3人は攻略だけに集中している。
そして、画面の中で梓は、また一体の大型モンスターを倒した。
最後の一撃を打ち込んだあと、梓は拳をゆっくりと下ろす。
モンスターが地面へ倒れ、周囲が静かになった。
リーゼロッテが進行方向を示す。
フェンちゃんが先に歩き出す。
梓は、その後を追った。
彼女の足取りに、迷いはない。
その先に何が待っていようとも、進むつもりなのだろう。
乙羽たちは、画面を見つめ続けていた。
誰も、コメントを打たない。
誰も、スーパーチャットを送らない。
ただ、最後まで見届ける。
それだけを決めていた。
◇
午後11時50分。
配信画面の隅に表示された時刻を見て、視聴者たちがざわめき始めた。
『もうすぐ日付変わるぞ』
『いや、配信開始から6時間近いんだが』
『このまま続けるのか?』
『まだ先へ進むつもりなのか……?』
梓は足を止め、リーゼロッテの案内に従って進路を確認した。
その先には、さらに強い魔力反応がある。
フェンちゃんが低く唸り、周囲を警戒した。
「この先ですね」
リーゼロッテが短く告げる。
「ええ」
梓は頷いた。
それだけだった。
説明もない。
決意表明もない。
ただ、進む。
最後の数時間、彼女はずっとそうしてきた。
誰かに認めてもらうために、言葉を重ねるのではない。
自分の実力を示すために、派手な技を披露するのでもない。
戦い、進み、結果を残す。
それが梓の選んだ答えだった。
そして、午後11時58分。
リーゼロッテの案内に従って進んだ先に、広大な空間が姿を現した。
これまでの通路とは明らかに違う。
視界が一気に開け、巨大な空間の中央には、次の階層へ続く大きな転移陣が浮かび上がっていた。
その光景を見たリーゼロッテが、静かに告げる。
「第15層に到着しましたね」
『第15層!?』
『マジかよ、もうそこまで来たのか!』
『18時開始で、23時58分に15層到着ってこと!?』
『6時間でここまで攻略したのかよ……』
『先生の案内とフェンちゃんの索敵があるとはいえ、速すぎるだろ!』
『しかも、ほとんど拳だけで戦ってたぞ……』
コメント欄が一気に沸き立った。
だが、梓は画面を確認しなかった。
リーゼロッテが周囲の魔力反応を調べ、フェンちゃんも警戒を解くように一度だけ鳴く。
問題はない。
梓はそう判断すると、ようやく足を止めた。
午後11時58分。
配信開始から、もうすぐ6時間。
彼女は、たった一度も視聴者に向けて説明することなく、第15層までたどり着いたのだ。
梓は静かに息を吐き、カメラへと顔を向けた。
ここまで、ほとんど言葉を発していなかった彼女が、初めて口を開く。
「……乙羽、琴、柳」
その名前が聞こえた瞬間、乙羽たちは顔を上げた。
梓は画面をまっすぐに見つめていた。
「私は、あなたたちと釣り合うために力を手に入れたわ」
声に、迷いはなかった。
「だから――私をティンカーベルに入れてほしい!」
その言葉が配信に流れた瞬間、コメント欄が爆発した。
『えええええええ!?』
『加入宣言!?』
『ここで言うのかよ!!』
『梓様、本気だったんだ……!』
『6時間近く攻略して、最後にそれを言うのか!』
『かっこよすぎるだろ……』
乙羽は画面を見つめたまま、ゆっくりと笑った。
「……ふふっ」
そして、スマートフォンを操作する。
最初に届いたのは、乙羽からのスーパーチャットだった。
『音無乙羽:がんばったんだねぇ。おかえり、梓ちゃん!(10,000円)』
続いて、琴からも通知が流れる。
『柳生琴:最後まで見届けたよ。梓、よく頑張ったね。(10,000円)』
最後に、柳からのスーパーチャットが表示された。
『桜庭柳:やっと言ったな、バカ! 直接会ったときにもっかい言えよ!(10,000円)』
3人が送った金額は、それぞれ1万円。
合計3万円のスーパーチャットが、梓の配信画面に並んだ。
『ティンカーベルから1万円ずつ!?』
『3人ともずっと見てたのか!』
『乙羽ちゃんの「おかえり」が優しい……』
『琴ちゃんも柳ちゃんも、ちゃんと認めてるんだな』
『柳ちゃんのコメントだけいつも通りで安心したw』
梓は画面に表示された3つの通知を見つめていた。
そして、少しだけ目を細める。
「……本当に、あなたたちは」
言いかけて、梓は小さく笑った。
6時間近く、言葉を交わすことはなかった。
けれど、3人は最初から最後まで見ていてくれた。
その事実が、何よりも嬉しかった。
梓は改めてカメラへ向き直る。
「ありがとう。返事は、直接聞かせてもらうわ」
そう言って、彼女は配信を締めくくった。
午後11時59分。
配信終了の表示が画面に出る。
梓は、宣言を終えた。
そしてティンカーベルの3人は、その言葉を受け取った。
彼女がどれだけの覚悟でここまで来たのか。
それを、6時間の戦いが証明していた。
霧ヶ峰梓の挑戦は、ここで一つの区切りを迎える。
けれど、彼女が本当に望んでいる場所へたどり着くのは、まだこれからだった。




