「……私、今日中に答えを見せるから!」
日曜日、午前8時。
音無家のリビングには、朝の柔らかな日差しが差し込んでいた。
テーブルには朝食が並び、乙羽、琴、柳、そして梓の4人が席についている。
梓は昨夜の配信が終わったあと、そのまま乙羽の家に泊まっていた。
本来なら、昨日は梓とティンカーベルのコラボ配信を行う予定だった。
しかし、鈴木太郎が起こした騒ぎによって、配信は当初の予定とはまったく違う方向へ進んでしまった。結局、梓とのコラボを十分に楽しんでもらうことはできず、視聴者にとっても不完全燃焼のまま終わった形になっている。
朝食を食べ終えたところで、乙羽がふと思い出したように口を開いた。
「そうそう、梓ちゃんとコラボやり直ししないとだねぇ」
「ああ。あの変な騒ぎで丸つぶれだしな」
柳も頷く。
「せっかく梓が来てくれたのに、あれじゃあ全然話せなかったもんね」
琴も残念そうに言った。
「そうだね。梓のファンもがっかりだったはずだよね」
「……そうね」
梓は小さく頷いた。
自分としても、昨日の配信があのような形で終わったことには不満がある。
ティンカーベルのメンバーと一緒に配信をする。それは、梓にとっても楽しみにしていたことだった。
ところが、鈴木の登場によって話題は一変。乙羽との模擬戦まで行われ、最後には鈴木が敗北するという、当初の予定にはなかった展開になってしまった。
配信としては盛り上がったのかもしれない。
けれど、梓が望んでいた時間とは違っていた。
「もう一度、ちゃんとやり直したいわね」
「うん。今度はゆっくりお話ししようねぇ」
乙羽はいつもの調子で笑った。
その言葉を聞きながら、梓は少し考え込んだ。
ティンカーベルの3人は、自分を仲間として迎えることに抵抗があるわけではないのだろう。
少なくとも、昨日のやり取りを見る限り、嫌われているわけではなさそうだった。
けれど、梓自身には引っかかっていることがあった。
今の自分は、本当に彼女たちの隣に立てるのだろうか。
Sランク冒険者としての実力はある。これまで積み重ねてきた経験にも自信はある。
それでも、乙羽たちがダンジョンで見せる戦いは、梓が知っている冒険者の常識から大きく外れていた。
同じSランクという肩書きだけで、彼女たちと肩を並べられるとは思えない。
「少し時間をくれない?」
梓は顔を上げ、3人を見渡した。
「んぅ?」
乙羽が首を傾げる。
「どうしたの?」
「……私、今日中に答えを見せるから!」
梓ははっきりと言い切った。
琴と柳が顔を見合わせる。
「答えって、何の?」
柳が尋ねた。
「それは……あとでわかるわ」
梓はそう答えると、スマートフォンを手に取った。
「ごちそうさま。少し連絡してくるわね」
「あ、うん。いってらっしゃい?」
乙羽は不思議そうに見送った。
梓はリビングを出ると、廊下の静かな場所へ移動した。
そして、連絡先から小さな妖精の名前を探し出す。
リーゼロッテ。
乙羽たちが先生と呼ぶ存在であり、異世界での修行を可能にする人物だ。
梓は迷わず通話を発信した。
◇
「はい。どうしましたか、梓?」
ほどなくして、聞き慣れた声が返ってきた。
「先生。今、少し時間はあるかしら?」
「ええ、問題ありませんよ。……もしかして、タイムジェイルですか?」
リーゼロッテは、梓の意図を察したようだった。
「ええ」
梓は即答した。
「私はティンカーベルの隣に立つには弱すぎるから。早く力が欲しいの」
その声には、普段の余裕を感じさせる響きがなかった。
昨日の配信で、梓は乙羽たちの実力を改めて目の当たりにした。
乙羽は圧倒的な魔法と戦闘能力で鈴木を退けた。琴と柳も、以前よりはるかに洗練された技術を身につけている。
彼女たちは、ただ強いだけではない。
すでに自分たちの戦い方を確立し、互いの力を理解したうえで連携している。
そこへ自分が加わるなら、相応の力を身につけておきたかった。
リーゼロッテは、しばらく黙って梓の言葉を聞いていた。
やがて、楽しそうな声が返ってくる。
「ふふ。いいでしょう。それで、何時間ですか?」
「その前に、確認したいことがあるわ」
「何でしょう?」
「今の乙羽、琴、柳のレベルを教えてもらえる?」
「乙羽がレベル125。琴と柳は、どちらもレベル75ですね」
「……125」
梓は思わず言葉を繰り返した。
乙羽が強いことは知っていた。
しかし、数字として聞かされると、改めてその差を突きつけられたような気がした。
「そう……。琴たちでさえ75なのね」
琴と柳も、すでに十分すぎるほど強い。
それでも乙羽との差は大きい。そして、その琴たちでさえ、自分がこれまで積み重ねてきた経験だけでは簡単に追いつけない領域へ進んでいる。
梓はスマートフォンを握り直した。
「いいわ。75まで私を帰さないようにできるんでしょ!」
「まあ、その分、修行メニューは厳しくなりますが」
「構わないわ!」
梓は一切ためらわなかった。
レベル75。
少なくとも、琴と柳と同じところまで到達する。
それが、今の自分にとって必要な目標だと思った。
リーゼロッテは、少しだけ声の調子を落とした。
「ただ、先に伝えておきますね。琴と柳がレベル60から75まで上げたとき、タイムジェイルの中で3か月かかりました」
「……3か月?」
「ええ。もちろん、同じ時間で同じだけ成長できるとは限りません。個人差もありますし、訓練の内容によっても変わります」
リーゼロッテは淡々と説明した。
「レベルが上がるほど、必要な経験値も増えていきます。梓はもともとSランク冒険者ですから、戦闘経験そのものは豊富でしょう。しかし、短期間でレベル75まで到達できると保証することはできません」
「それでもいいわ」
梓はすぐに答えた。
「やりたいの! 今日中に答えを出すって言った!」
リビングで乙羽たちに告げた言葉を、梓は覚えている。
時間をくれと言ったのは、自分の気持ちを整理するためだけではない。
ティンカーベルの隣に立つために、今の自分に何が足りないのか。その答えを、自分自身の行動で示したかったのだ。
できるかどうかを考えているだけでは、何も変わらない。
まずは挑戦する。
その覚悟は、すでに決まっていた。
リーゼロッテは小さく息をついた。
「ふむ……。あなたも本気なんですね」
「当然よ。中途半端な気持ちで頼んでいるわけじゃないわ」
「わかりました。では、タイムジェイルの準備を進めましょう。地球側での予定時間については、これから調整が必要ですが、内部で修行に集中できる環境は用意できます」
「お願いするわ」
梓は少しだけ表情を和らげた。
これで、ようやく一歩を踏み出せる。
けれど、彼女にはもう一つ、先生に頼みたいことがあった。
「そして先生。タイムジェイルが終わったら、ダンジョンに行きましょう」
「ダンジョン、ですか?」
「ええ。修行して終わりじゃ意味がないもの。身につけた力を実戦で確かめたいわ」
梓は、迷いのない声で告げた。
レベルを上げることだけが目的ではない。
実際のダンジョンで戦い、自分がどこまで通用するのかを確かめる。
それができて初めて、ティンカーベルの隣に立つための答えを示せるはずだった。
「……なるほど」
リーゼロッテの声に、少しだけ面白がるような響きが混じった。
「いいでしょう。タイムジェイルでの修行が終わったら、ダンジョンへ向かいましょうか」
「ありがとう、先生」
「ただし、修行も実戦も、無理をすればいいというものではありませんよ。目標を達成するためにも、状況を見極めて行動してくださいね」
「わかっているわ」
梓は短く答えた。
通話を終えると、スマートフォンを胸元へ引き寄せる。
今日中に答えを出す。
その言葉に嘘はない。
まずはタイムジェイルで、自分の限界まで力を伸ばす。そして、ダンジョンで実力を確かめる。
そうして得たものを、乙羽たちに見せるつもりだった。
梓は顔を上げ、リビングへ戻るために歩き出した。
ティンカーベルの隣に立つための挑戦は、もう始まっている。




