「んぅ~……あれぇ? 思ったより飛んじゃったねぇ」
対戦の準備が整い、鈴木と乙羽はダンジョン内の広い戦闘区画へと移動した。
普段の探索に使う通路とは異なり、そこは複数の冒険者が戦闘訓練を行えるように整備された場所だった。足場は平らで、周囲には十分な空間がある。多少の魔法を使っても、すぐに通路を塞いでしまうようなことはない。
周囲には、配信を見守る冒険者たちの姿もある。
その中には、たまたまダンジョンに来ていて騒ぎを聞きつけた者もいれば、配信を見て現場までやってきた者もいた。
「本当にやるのか……」
「Sランク同士だろ? そりゃ見たいに決まってる」
「いや、相手が乙羽ちゃんだぞ。鈴木さん、ちゃんとわかってるのか?」
「本人は教えてやるって言ってたぞ」
「教える側になるつもりなのか……」
冒険者たちも、鈴木の言動には少し困惑しているようだった。
ただ、ここまで話が進んだ以上、どんな戦いになるのか気になるのも事実だ。
配信画面には二人の姿がしっかりと映っていた。カメラの位置が調整され、戦闘区画全体が見渡せるようになっている。
『現地組もいるのか!』
『これ、生で見られる人うらやましいな』
『カメラさん、二人をちゃんと映してくれ!』
『乙羽ちゃんの魔法、どこまで見られるんだろう』
『鈴木さん、さっきの自信を見せてくれよ!』
スーパーチャットも、戦闘開始を前にして届いていた。
『決戦前夜:まさかのお散歩配信から模擬戦! 歴史的瞬間を見届けます!(3,000円)』
『現地に行けない人:現場にいる冒険者さん、どうか見届けてください!(1,000円)』
『配信カメラ担当応援:いい映像をお願いします! 期待してます!(500円)』
『勝負は最後まで:どちらもSランク。油断せず、いい戦いを見せてください!(2,000円)』
乙羽は戦闘区画の中央に立ち、周囲を軽く見回した。
「ここなら広いねぇ」
「ええ。戦うには十分な場所でしょう」
鈴木は剣を抜き、刃の状態を確認してから構えた。
その動きは手慣れている。剣を扱う冒険者として、経験を積んできたことは間違いない。
鈴木自身も、ここまで戦い続けてSランクに上がってきたのだ。決して実力がないわけではないし、剣技にも相応の練度がある。
ただし、本人は自分の経験が若い冒険者に対する絶対的な優位になると考えているようだった。
「それでは、始めましょうか」
鈴木は自信満々に剣を構えた。
「乙羽さん。Sランク冒険者として、実戦での戦い方を教えてあげますよ。遠慮せずにかかってきなさい」
その言葉を聞き、乙羽は少しだけ首を傾げた。
「んぅ~? 私からでいいのぉ?」
「ええ。まずはあなたの実力を見せてもらいましょう」
「はぁい」
乙羽は気の抜けた返事をすると、軽く構えた。
それから、鈴木の顔を見て、のんびりと続けた。
「ん~? 私もSランクだからねぇ。別に手加減してもらわなくていいよぉ。かかって来ればぁ?」
「……ほう」
鈴木は目を細めた。
どうやら、乙羽は自分の実力に自信があるらしい。
ならば、最初から相手の実力を試すつもりで動けばいい。そう考えた鈴木は、剣を構えたまま一歩、二歩と距離を詰めた。
「では、遠慮なくいかせてもらいますよ」
「うん。どうぞぉ」
乙羽が答えた、その瞬間。
鈴木が踏み込んだ。
速い。
さすがはSランク冒険者というべきか。鋭い踏み込みから繰り出された剣撃には、十分な威力があった。
剣先は乙羽の肩口を狙い、そこから一気に軌道を変えて胴へと切り込もうとしている。単純な一撃ではなく、相手が避けた先まで考えた連続攻撃だった。
しかし――。
「おっとぉ」
乙羽は、ほんの少し横へ動いただけで攻撃を避けた。
剣は空を切る。
鈴木はすぐに体勢を立て直し、間を置かず次の攻撃へ移った。
斬撃。突き。間合いを詰めてからの連続攻撃。
剣筋は鋭く、無駄な動きも少ない。一般的な冒険者なら、最初の攻撃を避けられたとしても、続く二撃目や三撃目に対応するのは難しいだろう。
だが、乙羽には当たらない。
「えいっ」
ひょい。
「よいしょぉ」
ひょいっ。
「んぅ~、こっちかなぁ?」
ひょい、ひょい。
乙羽は散歩でもしているかのように、鈴木の攻撃を避け続けていた。
大きく跳び退くことも、派手に身をひねることもない。剣先が届く直前に半歩ずれ、肩をわずかに引き、必要な分だけ体を動かす。
鈴木の剣は、何度も乙羽のすぐそばを通り過ぎていった。
それでも、衣服に触れることすらない。
『え?』
『当たらないんだがwww』
『鈴木さん普通に速いよな?』
『それを全部避けてる乙羽ちゃん何なの?』
『さっきから乙羽ちゃんの動きが軽すぎる』
『剣先がすぐそこを通ってるのに、全然慌ててない』
『避けるたびに髪が揺れるくらいしか動いてないんだがw』
『鈴木さん、指導するんじゃなかったんですか?』
『あれだけ経験が違うって言ってたのに、攻撃が当たらないの草』
コメント欄がざわつく。
現場で見ている冒険者たちも、次第に表情を変えていた。
鈴木の剣技は決して遅くない。むしろ、かなりの速度と技術を備えている。
それなのに、乙羽はその攻撃を危なげなく避けていた。
相手の剣を見てから反応しているというより、攻撃が届く位置そのものに立たないようにしているようにも見える。
「……ほう。回避には自信があるようですね」
鈴木は一度距離を取り、呼吸を整えた。
余裕を保とうとしているものの、先ほどまでの笑顔にはわずかな硬さがある。
「しかし、避けているだけでは勝てませんよ!」
「そうなのぉ?」
「そうです! 攻撃に転じなければ、いつまでも決着はつきません!」
「そっかぁ」
乙羽は素直に頷いた。
「じゃあ、今度は私からいくねぇ」
「来なさい!」
鈴木は剣を構え直し、防御の姿勢を取った。
今度こそ、乙羽の攻撃を受け止め、実力の差を見せつけるつもりだった。
乙羽が一歩踏み出す。
その動きは、鈴木の目にもはっきりと見えた。
速い攻撃が来る。
そう判断した鈴木は、剣を斜めに構え、相手の拳や魔法に対応できるよう重心を落とした。
だが――。
「えいっ」
ぽすっ。
あまりにも軽い音だった。
乙羽の拳が、鈴木の腹部に軽く触れる。
「……は?」
鈴木の動きが止まった。
次の瞬間、彼の体が後方へ吹き飛んだ。
「うおおおおおおっ!?」
鈴木は足を踏ん張ろうとしたが、衝撃を受け止めきれない。靴底が床を滑り、体が戦闘区画の端近くまで押し戻される。
どうにか踏みとどまったものの、その顔には明らかな動揺が浮かんでいた。
現場で見ていた冒険者たちからも、驚きの声が漏れる。
「今の、見えたか?」
「いや、拳が触れたところまでは見えたけど……」
「殴り飛ばしたというより、軽く押したように見えたぞ」
「それで、あそこまで飛ぶのか?」
配信画面にも、鈴木が吹き飛ばされた瞬間がはっきりと映っていた。
『えええええええ!?』
『今ので!?』
『ぽすっ、で吹っ飛んだぞwww』
『いやいやいや、威力どうなってんの!?』
『乙羽ちゃん、普通に触っただけに見えたんだが!?』
『鈴木さんの防御、どうなってるんだ!?』
『いや、防御以前に乙羽ちゃんの一撃がおかしいw』
『今の一瞬で何が起きたのか説明してくれwww』
スーパーチャットの通知が、驚きのコメントと一緒に流れていく。
『今の一撃は何だ:軽く触ったようにしか見えなかったのに!?(3,000円)』
『目が追いつかない:もう一回スローで見たいです!(1,000円)』
『乙羽ちゃんの実力:これがSランクの戦闘なのか……!(5,000円)』
『現地の冒険者:会場で見てますが、本当に一瞬でした……!(2,000円)』
『模擬戦の概念:これ、まだ本気じゃないんですよね?(1,000円)』
乙羽は自分の拳を見下ろし、不思議そうに首を傾げた。
「んぅ~……あれぇ? 思ったより飛んじゃったねぇ」
「な、何をした……!?」
鈴木は腹部を押さえながら、よろよろと立ち上がった。
痛みはある。だが、致命的なダメージではない。
それが余計に理解できなかった。
今の一撃は、明らかに軽いものだった。乙羽が本気で殴ったようには見えなかったのに、体があれほど吹き飛ばされたのだ。
「何をしたって、普通に殴っただけだよぉ?」
「普通に、だと……?」
「うん」
乙羽はこくりと頷いた。
「でも、まだ続けるのぉ?」
「当たり前でしょう! 今のは不意を突かれただけです!」
鈴木は声を張り上げた。
自分の攻撃が一度も当たらず、逆に軽い一撃で吹き飛ばされた。その事実を受け入れたくないのか、彼は何とか理由をつけようとしていた。
『出たwww』
『不意を突かれたら吹っ飛ぶSランク』
『いや、正面から殴られてましたよね?』
『開始前にあれだけ偉そうだったのにw』
『鈴木さん、そろそろ現実を見て』
『今のは不意打ちじゃなくて普通に攻撃されただけでは?』
『自分から攻撃を受けるつもりで構えてたんだよなぁ……』
『これ、乙羽ちゃんが手加減してた可能性あるぞ』
鈴木はコメントを見ないようにしながら、剣を握り直した。
「次は、こちらから本気でいきますよ!」
「はぁい。どうぞぉ」
乙羽は相変わらず、のんびりしていた。
鈴木は全身に力を込め、魔力を高める。
剣に魔力が集まり、先ほどとは明らかに違う圧力が生まれた。刃の周囲に淡い光が走り、鈴木の足元からも魔力の流れが広がっていく。
ただ剣を振るうだけではない。
身体能力を強化し、踏み込みの速度を上げ、剣に魔力をまとわせて攻撃の威力を増しているのだ。
その動きには、Sランク冒険者として積み重ねてきた経験が表れていた。
鈴木は今度こそ、相手に自分の実力を認めさせるつもりだった。
「これなら、簡単には避けられないでしょう!」
鈴木が踏み込む。
魔力をまとった剣が、乙羽へ向かって鋭く振り下ろされた。
だが――。
「んぅ?」
乙羽は軽く首を傾げると、片手を前に出した。
鈴木の剣が、ぴたりと止まった。
「……え?」
剣先は乙羽の手のひらの手前で動きを止めている。
正確には、乙羽が魔法で剣の動きを封じていた。
刃は、あとわずかで乙羽の手に届きそうな位置にある。だが、そこから先へは一寸たりとも進まない。
「なっ……!?」
鈴木は力を込め、剣を押し込もうとした。
動かない。
ならばと、魔力をさらに流し込む。
刃を包む光が強くなり、周囲の空気が震えた。
それでも、剣は動かなかった。
「何だ、これは……!?」
「これ、もうちょっと力を入れた方がいいのかなぁ?」
「ふざけるなっ!」
鈴木は歯を食いしばり、さらに魔力を込めた。
腕に力を入れ、体重を乗せ、剣を押し進めようとする。
それでも、刃は乙羽の手のひらの前で止まったままだった。
まるで、剣と乙羽の間に見えない壁が存在しているかのようだ。
『止まった!?』
『剣を手で受け止めたんじゃなくて、魔法で止めてるのか!』
『あれだけ魔力を込めてるのに、全然動かないぞ』
『鈴木さん、全力で押してない?』
『乙羽ちゃん、片手を出しただけなんだがw』
『これ、剣技じゃどうにもならないやつでは……』
『攻撃が当たらない、殴れば吹っ飛ぶ、剣も止められる。どうすればいいんだよw』
視聴者たちの驚きは、さらに大きくなっていた。
鈴木が剣に魔力を込めていることは、画面越しにもわかる。刃を包む光は強くなり、足元の床にも魔力の影響が出始めていた。
それなのに、乙羽はほとんど動いていない。
片手を前に出したまま、鈴木の攻撃を止め続けているだけだった。
『これは魔法の制御力が違いすぎるのか?』
『鈴木さんの魔力を上回ってるってこと?』
『いや、そもそも比較するのもおかしい気がしてきた』
『先生、解説お願いします!』
リーゼロッテは配信画面を確認しながら、落ち着いた声で説明した。
「乙羽は、剣そのものを押し返しているわけではありません。剣の進行方向に働く力を制御して、動きを止めているのです」
『力の制御……?』
『それって、そんな簡単にできるものなの?』
「簡単ではありませんよ。相手が込めている魔力や剣の動きを把握したうえで、必要な力を適切な位置に働かせる必要があります。大雑把に押し返すだけならともかく、刃を傷つけず、相手の動きを止めたまま維持するのは、細かな制御が必要です」
『なるほど、ただの力比べじゃないのか』
『魔法で剣の動きだけ止めてるってことか』
『説明されてもすごいことなのはわかるw』
鈴木はリーゼロッテの解説を聞いても、すぐには納得できなかった。
剣を押し込もうとするたび、見えない抵抗が返ってくる。
力を込めても、魔力を増やしても、何も変わらない。
これまで積み重ねてきた剣技も、魔力の扱いも、今はまるで通用していなかった。
乙羽はしばらく剣先を眺めていたが、やがて興味を失ったように手を下ろした。
鈴木の剣は、支えを失ったように前へ出かける。
彼は慌てて踏みとどまり、剣を引き戻した。
「ん~……。もういいかなぁ?」
「何が……」
「ううん。こっちのお話だよぉ」
乙羽は鈴木から少し距離を取った。
そして、何かを思いついたように手を叩く。
「あっ、そうだぁ」
鈴木が警戒するように身構えた。
「な、何ですか……?」
「まぁ回復するし大丈夫だよねぇ~?」
「……は?」
その言葉の意味を理解するよりも早く、乙羽が空を見上げた。
次の瞬間。
ダンジョンの天井いっぱいに、魔法陣が出現した。
赤、青、黄、緑、茶、そして白銀。
六つの属性を象徴する魔法陣が、幾重にも重なりながら広がっていく。
最初に現れたのは、赤い魔法陣だった。
その周囲に青い魔法陣が浮かび、続いて黄色、緑、茶色、白銀の光が広がる。
一つの魔法陣が展開されるたび、その周囲にさらに複数の術式が描かれていった。
その数は、一つや二つではない。
天井を埋め尽くすほどの魔法陣が、鈴木を中心に戦闘区画全体を覆っていた。
「…………」
鈴木は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、固まった。
「ちょっ、まっ……」
声が震える。
「待ってください!? 何ですか、これは!?」
乙羽は、いつもどおりの調子で手を振った。
「いっくねぇ~」
「いやいやいやいや!! ちょっと待って!!」
鈴木が慌てて後退する。
魔法陣の中心に光が集まり始めた。
火炎。
氷結。
雷撃。
風刃。
岩塊。
そして、水の奔流。
それぞれの魔法が、発動の瞬間を待っている。
赤い魔法陣の下には、圧縮された炎がいくつも生まれていた。青い魔法陣からは冷気が広がり、黄色い魔法陣には鋭い雷光が走る。緑の魔法陣の周囲では風が渦を巻き、茶色の魔法陣の下には巨大な岩塊が浮かび上がった。白銀の魔法陣からは、水の奔流が幾重にも形を変えながら集まっている。
その光景は、もはや一対一の模擬戦という規模ではなかった。
『ちょっと待てwwwww』
『天井が魔法陣で埋まったんだが!?』
『六属性!? 全部同時に使う気!?』
『いや、数が多すぎるって!!』
『鈴木さん逃げてえええええ!』
『これダンジョンの中だよな!?』
『乙羽ちゃん、回復するしって何!?』
『回復する前提で撃つ魔法の数じゃないだろwww』
『待って、あの魔法陣一つ一つが別の術式なのか?』
『天井の広さより魔法陣の数の方が多く見えるんだが』
『これが賢者の魔法……?』
コメント欄は大混乱に陥っていた。
スーパーチャットの通知も、驚きの声に混じって次々と画面を流れていく。
『六属性同時展開!?:魔法陣が多すぎて画面に収まってません!(5,000円)』
『ちょっと待ってください:模擬戦ですよね!? これ本当に模擬戦ですよね!?(2,000円)』
『魔法研究会:あの術式の構造を見たいけど、数が多すぎて追いつかない……!(10,000円)』
『乙羽ちゃん応援団:すごい! すごいけど、ちょっと怖い!(3,000円)』
『鈴木さん逃げて:いや、逃げても範囲が広すぎるだろ!!(1,000円)』
『今日の配信は伝説:この映像、何度見ても理解できないと思う!(5,000円)』
『魔法の常識とは:六属性を同時に扱うだけでも難しいのに、この数は何なんですか!?(2,000円)』
梓も、さすがに目を見開いていた。
「ちょっと……。あれ、全部撃つつもりだったの?」
「んぅ~? そのつもりだったよぉ?」
「いや、さらっと言わないでよ!?」
琴と柳も、乙羽を見上げていた。
「乙羽、さすがに多くない?」
「おいおいおい! これ、模擬戦だよな!?」
「だいじょうぶだよぉ。ちゃんと加減するつもりだったしぃ」
「加減の問題じゃないって!」
柳のツッコミが響く。
琴も、天井を覆う魔法陣を見つめたまま、思わず額に手を当てた。
「乙羽、あれだけの魔法を同時に展開したら、受ける側が防御を考える時間もないよ。相手がSランクでも、普通は対処しきれないと思う」
「そうかなぁ?」
「そうだよ!」
琴の声にも、いつもより力が入っていた。
リーゼロッテは魔法陣を確認し、少しだけ目を細める。
「……乙羽。制御自体はできているようですが、少々派手すぎますね」
「んぅ~。でも、先生。鈴木さん、本気でいくって言ってたよぉ?」
「そうですね。確かに、そうおっしゃっていましたが……」
リーゼロッテは鈴木のほうへ視線を向けた。
鈴木は完全に青ざめていた。
「ま、待ちなさい! これはやりすぎでしょう! 模擬戦ですよ!? 私はただ、あなたに実戦の厳しさを……!」
「えぇ~? 鈴木さん、さっき本気でいくって言ってたよぉ?」
「それはそうですが! 限度というものが……!」
「そっかぁ。じゃあ、もうちょっと減らそうかなぁ?」
乙羽が首を傾げる。
しかし、天井いっぱいに広がった魔法陣は、すでに着弾寸前まで魔力を高めていた。
鈴木は慌てて防御魔法を展開しようとする。
剣にまとわせていた魔力を引き戻し、全身を覆う防御術式を組み立てようとした。
だが、間に合わない。
どう考えても、間に合わない。
攻撃の数が多すぎる。しかも、属性がばらばらだ。一つの防御魔法でまとめて受け止めようとすれば、どこかに隙が生まれる。かといって、属性ごとに防御を用意するには時間が足りなかった。
「ま、待ってください! 話を聞いて……!」
鈴木の声が裏返る。
乙羽は、天井を見上げたまま小さく頷いた。
「うん。聞いてるよぉ」
「なら、止めてください!!」
「えぇ~? でも、鈴木さんが本気でいくって……」
「そういう意味ではありません!!」
鈴木の必死な叫びが、戦闘区画に響いた。
『そういう意味ではないwww』
『本気でいくって言ったのは鈴木さんなんだよなぁ』
『乙羽ちゃん、言質を取るのがうますぎる』
『いや、これは言質というか、本人の発言どおりではw』
『鈴木さん、さっきの余裕はどこへ行ったんですか?』
『防御が間に合わないって顔してるぞ』
『乙羽ちゃん、さすがに止めてあげてw』
『止められるなら、それも含めてすごいんだけどな』
スーパーチャットの通知も止まらない。
『発言には責任を:本気でいくと言ったのは鈴木さんですからね!(1,000円)』
『防御魔法の研究者:この状況で防御を組み立てるのは難しすぎる……!(5,000円)』
『乙羽ちゃん、そろそろ:見せつけるだけにしてあげてください!(2,000円)』
『鈴木さんの気持ちも少しわかる:これは予想できないって……!(1,000円)』
『でも言い方は大事:相手を見下していたのはよくなかったですね!(3,000円)』
そして――。
着弾まで、あとわずか。
すべての魔法陣が一斉に光り輝いた、その瞬間。
ふっ。
光が消えた。
魔法陣が消滅し、戦闘区画には何事もなかったかのような静寂が戻った。
「…………え?」
鈴木は、呆然と天井を見上げていた。
そこには、先ほどまで天井を覆い尽くしていた魔法陣も、集束していた炎や氷、雷や風も、何一つ残っていない。
乙羽は、ぱんぱんと手を払った。
「はい、おしまいだよぉ」
『…………』
『…………え?』
『マジかあああああああ!!』
『撃たないの!?!?!?』
『今の全部キャンセルしたの!?』
『待って、発動寸前までいってたよね!?』
『あれだけの魔法を出して、全部消したってこと!?』
『攻撃するよりキャンセルする方が難しくない!?』
『六属性の魔法を同時に展開して、全部止めたのか……』
『魔法陣が消える瞬間まで制御してたってことだよな?』
コメント欄が、再び爆発した。
スーパーチャットも、今度は魔法が消えたことへの驚きで埋め尽くされていく。
『キャンセルした!?:あれだけの魔法を一瞬で消せるのが一番怖い!(5,000円)』
『制御力が本物:攻撃を撃つより、止める方が難しいはずなのに……!(10,000円)』
『今の映像保存しました:何度も見返して術式を確認したいです!(3,000円)』
『模擬戦とは何だったのか:天井を埋め尽くして、何も起きずに終わったwww(2,000円)』
『乙羽ちゃんの本気が怖い:これでも手加減しているんですよね……?(5,000円)』
『鈴木さん、生きててよかった:いや、実際には何も撃たれてないんだけど!(1,000円)』
梓は口を開けたまま、しばらく乙羽を見つめていた。
「……あんた、何がしたかったのよ」
「んぅ~? 鈴木さん、ちょっとは反省したかなぁって」
「反省!?」
鈴木が思わず叫んだ。
「あなた、今ので私を殺すつもりだったんですか!?」
「えぇ~? 撃ってないよぉ?」
「撃つ寸前だったでしょうが!!」
「でも、ちゃんと止めたよぉ?」
「そういう問題じゃない!!」
鈴木の声が戦闘区画に響き渡る。
乙羽は少し考えたあと、申し訳なさそうに首を傾げた。
「ごめんねぇ。ちょっと派手すぎたかなぁ?」
「ちょっとどころじゃありませんよ!!」
『鈴木さんのツッコミが今日一番キレてるwww』
『乙羽ちゃん、反省してるようでしてないw』
『いや、あれを全部止めたのが一番ヤバい』
『六属性同時展開からの完全キャンセル』
『攻撃力だけじゃなく制御力までおかしい』
『マジかあああああああ!!』
『乙羽ちゃん、ちゃんと謝ってるのに全然反省してない感じがするw』
『でも、撃たなかったのは本当だしな……』
『鈴木さん、これ以上何を教えるんですか?』
さらにスーパーチャットが続く。
『乙羽ちゃんの制御力に拍手:あれだけの魔法を出して、きちんと止めたのがすごい!(5,000円)』
『模擬戦の安全管理:本当に撃っていたら大惨事でしたね……。止めてくれてよかったです!(2,000円)』
『鈴木さん、落ち着いて:気持ちはわかりますが、まずは深呼吸しましょう!(1,000円)』
『今日の配信は忘れない:お散歩から始まって、ここまで来るとは思わなかった!(3,000円)』
『乙羽ちゃん推し:怒っていても最後に止めるところが乙羽ちゃんらしい!(5,000円)』
鈴木は肩で息をしながら、乙羽を見つめた。
さっきまで、自分が彼女に実戦を教えるつもりだった。
Sランク冒険者として経験を積んできた自分が、若い冒険者に戦い方を教え、先輩としての役割を果たす。
そう考えていた。
だが今は、何をどう教えればいいのかどころか、目の前の少女が何を基準に魔法を使っているのかすらわからない。
攻撃を仕掛けても当たらず、反撃は軽く触れられただけで体を吹き飛ばされた。剣に魔力を込めて本気の一撃を放っても、乙羽は片手を出しただけでその動きを止めた。
そして最後には、天井いっぱいに魔法陣を展開し、発動寸前まで持っていった六属性の魔法を、何事もなかったかのように消してしまった。
自分が経験してきた戦闘とは、何もかもが違っていた。
乙羽はそんな鈴木の様子を見て、にこりと笑った。
「ねぇ、鈴木さん。まだ続けるぅ?」
「…………」
鈴木は答えられなかった。
続けると言えば、次は何が起こるのか。
先ほどの魔法を本当に撃たれたら、自分はどうなっていたのか。
考えようとするほど、答えは出なくなっていく。
視聴者たちは、その沈黙さえも見逃さなかった。
『あれ? さっきまで格の違いを見せるって言ってませんでした?』
『鈴木さん、次はどう指導してくれるんですか?』
『続けるなら天井の魔法陣、もう一回お願いしますw』
『乙羽ちゃん、優しいな。撃たずに済ませてくれたんだ』
『いや、あれを見せられた時点で勝負ついてるだろw』
『鈴木さん、実戦の厳しさを教える側だったはずでは?』
『今のところ、鈴木さんが学ぶことしかなかったようなw』
『でも、乙羽ちゃんも怒ってたんだろうな。最初からずっと態度が変わらなかったのが逆に怖い』
『相手を見下してるとこうなる、という教材みたいな展開』
『鈴木さん、ここで素直に謝れるかどうかだぞ』
スーパーチャットも、鈴木の沈黙を受けて次々と届いた。
『続けるのか気になる:鈴木さん、まだ戦うなら応援します!(1,000円)』
『今日の教訓:相手の実力を知らずに決めつけるのは危険ですね!(2,000円)』
『Sランク冒険者の戦い:乙羽ちゃんの力もすごいけど、鈴木さんもここから学んでほしいです!(3,000円)』
『模擬戦の続き希望:ただし、魔法陣は少し減らしてくださいw(500円)』
『初コラボを大切に:梓ちゃんも乙羽ちゃんも、楽しい配信にしようとしていたんですよね。応援しています!(5,000円)』
『今日の一番の見どころ:最後に撃たなかったところが、本当の意味で実力を感じました!(10,000円)』
鈴木の顔が、みるみる赤くなっていく。
だが、乙羽はもう興味を失ったように、配信画面へ向き直っていた。
「というわけでぇ、みんなぁ。これで満足かなぁ?」
コメント欄は、歓声と驚きで埋め尽くされていた。
『大満足です!!』
『今日の配信、伝説だろwww』
『鈴木さんの指導回とは何だったのか』
『乙羽ちゃん、強すぎるって!!』
『梓ちゃんの初コラボが、まさかの模擬戦イベントにw』
『お散歩配信を見に来たはずなんですがwww』
『六属性の魔法陣を見られただけでも大満足です!』
『乙羽ちゃんの魔法制御、もっと見たい!』
『鈴木さん、今日はいい勉強になったんじゃないですか?』
『乙羽ちゃんが止めてくれてよかった。あれは本当に怖かった……』
スーパーチャットの通知も、最後まで途切れなかった。
『大満足の視聴者:今日の配信、最高でした! ありがとうございました!(5,000円)』
『ティンカーベル大好き:乙羽ちゃん、琴ちゃん、柳ちゃん、そして梓ちゃん。楽しい配信をありがとう!(3,000円)』
『今日の伝説を見届けた:模擬戦の結果だけじゃなく、乙羽ちゃんの制御力まで見られて大満足です!(10,000円)』
『お散歩の続きも待ってる:次回はまたゆっくり歩く配信もお願いします!(1,000円)』
『梓ちゃん応援団:梓ちゃん、次こそ戦うところも見せてくださいね!(2,000円)』
『先生の解説が聞きたい:今回の魔法について、いつか詳しく解説してほしいです!(5,000円)』
『今日の教訓:相手を知る前に見下してはいけない。勉強になりました!(2,000円)』
『乙羽ちゃんの優しさ:あれだけの魔法を出して、最後に止めたところが印象的でした!(5,000円)』
乙羽は通知を一つずつ眺め、嬉しそうに頷いた。
「みんな、いっぱいありがとうねぇ。今日は予定と違うことになっちゃったけど、楽しんでもらえたならよかったよぉ」
琴もカメラに向かって頭を下げる。
「たくさんの応援、ありがとうございます。今回の模擬戦は予定外でしたが、皆さんが楽しんでくれたなら何よりです」
「おう! スパチャもありがとな! でも、次はちゃんとお散歩配信もやるからな!」
柳が元気よく声を上げた。
「そうね。今日はちょっと寄り道が長くなっちゃったけど、次は梓ちゃんと予定していた企画も改めてやりたいね」
「ええ、そうしてちょうだい。私はまだ、ちゃんとしたコラボ配信を始めたばかりなんだから!」
梓は鈴木のほうを一度だけ見てから、乙羽たちへ向き直った。
「……まあ、今日のことは忘れないけどね」
「んぅ~。ごめんねぇ、梓ちゃん。初めてのコラボだったのに、こんなことになっちゃって」
「乙羽が謝ることじゃないわよ。原因はあっちなんだから」
梓は鈴木を指差した。
鈴木は何か言い返そうとしたが、周囲の視線と配信カメラを意識したのか、結局言葉を飲み込んだ。
乙羽はそれを確認すると、いつもの柔らかな表情に戻った。
「よかったぁ。じゃあ、そろそろお散歩に戻ろうかぁ」
「戻れるわけないでしょうが!!」
梓のツッコミが飛ぶ。
柳が吹き出し、琴も思わず笑った。
「確かに、今の空気で何事もなかったように散歩を再開するのは難しいかもね」
「えぇ~? でも、お散歩配信を楽しみにしてた人もいるんだよぉ?」
「それはそうだけど!」
梓は頭を抱えた。
鈴木は、戦闘区画の端で剣を握ったまま、しばらく動けずにいた。
つい先ほどまで、彼は自分が後輩に実戦の厳しさを教えるのだと考えていた。
しかし、実際には相手の攻撃を一度も当てられず、反撃で吹き飛ばされ、最後には六属性の魔法を目の前に展開されることになった。
しかも、その魔法は一発も撃たれなかった。
撃たれなかったからこそ、どれほどの威力があったのか、どれほどの被害が出たのかを確かめることもできない。
ただ、あの魔法が発動していたらどうなっていたのか。
その想像だけは、嫌でも頭に残った。
そして、配信のコメント欄には、今も視聴者たちの感想が流れ続けている。
『鈴木さん、今日はお疲れさまでした!』
『次回はぜひ、相手の話を聞くところから始めましょう』
『乙羽ちゃん、梓ちゃん、次の配信も楽しみにしてます!』
『今日の配信は忘れられないwww』
こうして、鈴木太郎による「後輩への指導」は、実際に一撃で決着がついたわけでもないのに、事実上の完敗という形で幕を閉じたのだった。




