『ええ! 楽しみにしてなさい!』
霧ヶ峰家の屋敷。
夕食を終えた夜、梓は自室のソファーに寝転がりながら、スマートフォンを操作していた。
画面に映っているのは、冒険者チーム『ティンカーベル』の配信アーカイブだ。
乙羽、琴、柳の3人に加え、小さな妖精のリーゼロッテとフェンちゃんまで参加している。
梓は最初、何気なく配信を眺めていただけだった。
しかし、気がつけば次のアーカイブまで再生している。
「……へえ。面白いじゃない」
小柄な体を起こし、梓は画面をじっと見つめた。
同年代の冒険者が、これほど自由に戦っている姿を見るのは久しぶりだった。
今の学校にも、冒険者を目指す生徒はいる。けれど、梓にとっては刺激が足りなかった。
そもそも、彼女はすでにSランク冒険者だ。
同年代の生徒たちが目標にしているものを、梓はとっくに通り過ぎている。
だからといって、冒険者としての成長を諦めたわけではない。
むしろ、もっと強い相手と戦いたいし、自分の知らない技術にも触れてみたい。
それなのに、学校では年齢相応の生徒として扱われ、冒険者としての実力を存分に試せる機会も少なかった。
「この子たち、実際に戦ったらどんな感じなのかしらね」
画面の中で、乙羽がのんびりと笑っている。
その隣では琴が状況を整理し、柳が元気よく声を上げていた。さらにリーゼロッテが、魔法の仕組みや戦闘の流れをわかりやすく説明している。
単に強いだけではない。
それぞれに違った戦い方があり、見ているだけでも興味が尽きなかった。
梓はしばらく考え込んだあと、スマートフォンの連絡先を開いた。
そこに登録されている名前を見て、口元を緩める。
「そういえば、政宗があの学校にいるんだったわね」
綾小路政宗。
財閥同士の付き合いがある家に生まれた、幼いころからの知り合いだ。
両家の親同士にも交流があり、子供のころから顔を合わせる機会は多かった。
今でも気軽に連絡できる相手で、必要以上に家柄を意識することもない。
梓は迷うことなく、政宗に電話をかけた。
◇
「もしもし、政宗?」
『梓? どうしたの、こんな時間に』
電話に出た政宗の声は、いつもと変わらなかった。
「ちょっと聞きたいことがあるのよ。今、神奈川校ってどんな感じ?」
『神奈川校? 急にどうしたの?』
「いいから、質問に答えなさいよ」
『はいはい……』
政宗は苦笑したような声を出した。
『そうだな。最近は全国大会に向けた準備も進んでいるし、序列戦も始まっている。かなり活気があるよ』
「序列戦ね。ああ、あれも見たわよ。上位にティンカーベルが並んでいるのね」
『もう見たんだ』
「配信で気になったから調べたのよ。乙羽たち、かなり面白そうじゃない」
『そうだね。実際、僕たちも驚かされることが多いよ』
政宗の言葉には、素直な感心が含まれていた。
梓はその反応を聞き、さらに興味を強めた。
「ねえ、政宗。私、そっちに転校しようと思うんだけど」
『……え?』
しばらく、電話の向こうが静かになった。
『転校? 梓が?』
「そうよ」
『いや、待って。どうして急に?』
「急じゃないわ。前から今の学校には退屈していたし、そろそろ環境を変えたいと思っていたのよ」
『それで、神奈川校?』
「ええ。あなたもいるし、面白そうな人たちもいる。行く理由としては十分でしょう?」
『まあ、そうかもしれないけど……』
政宗はまだ少し戸惑っているようだった。
梓はそんな反応を気にすることなく、さらに話を続ける。
「それに、あなたも全国大会に出るんでしょう? だったら、私がそっちに行けば、いろいろ話もできるじゃない」
『梓も全国大会に出るつもりなの?』
「もちろん。せっかく出るなら優勝を狙いたいもの」
『それは頼もしいね』
「でしょ?」
梓は満足そうに頷いた。
もっとも、政宗にはその姿が見えていない。
『でも、転校するとなると、ご両親の許可が必要だよね?』
「そのために、これからパパと話すのよ」
『……もう決めてるんだね』
「当たり前じゃない。行きたい学校が見つかったんだから」
梓はあっさりと言い切った。
『わかった。僕からも、学校の様子は伝えておくよ』
「ありがとう、政宗。じゃあ、またね!」
『うん。またね』
通話が切れる。
梓はスマートフォンを置き、すぐに立ち上がった。
さて、次は父親との交渉だ。
もっとも、梓にはすでに説得するための材料が揃っていた。
◇
霧ヶ峰家の書斎。
父親は机に向かい、いくつもの資料に目を通していた。
最近、霧ヶ峰家ではダンジョン関連事業への投資を本格的に進めている。
ダンジョン資源の流通、冒険者向けの装備、関連技術の研究。これまでの事業とは異なる分野にも手を広げ始めていた。
その背景には、時代の変化がある。
ダンジョンが出現して以降、冒険者は社会にとって欠かせない存在になった。強力なモンスターを討伐できる者はもちろん、希少な素材を持ち帰れる者や、危険な探索を成功させられる者にも大きな価値がある。
そして、Sランク冒険者ともなれば、その価値はさらに高い。
単に戦闘能力が優れているだけではない。
Sランクの名前そのものが、世間からの信頼や注目につながる。企業にとっては、広告や広報の面でも無視できない存在だった。
霧ヶ峰家も、その点を理解している。
娘である梓がSランク冒険者として活動していることは、家にとって大きな強みだ。
父親として娘を誇らしく思う気持ちはもちろんある。
だが、経営者として考えれば、その知名度や実績を家の事業に生かせないかという発想も出てくる。
そんなことを考えていたところで、書斎の扉が開いた。
「パパ、今いい?」
「梓か。どうした?」
父親は資料から顔を上げた。
梓は遠慮なく部屋に入り、父親の前に立った。
「パパ、神奈川校に行きたいわ!」
「……神奈川校?」
父親は目を瞬かせた。
あまりにも唐突な申し出だった。
「今の学校を辞めて、転校したいってことか?」
「そうよ」
「急にどうして?」
父親は資料を机に置き、娘の話を聞く姿勢になった。
梓は胸を張り、用意していた言葉を口にする。
「どうせ卒業を育成学校でしないとなら、競技会優勝間違いなしの神奈川に行った方がパパの役に立つじゃない!」
「……なるほど」
父親は腕を組んだ。
娘の言葉を聞き、すぐに否定することはしなかった。
神奈川校は、全国大会に向けて実力のある生徒を揃えている。ティンカーベルをはじめとする上位陣の活躍もあり、優勝候補として注目されていた。
そこへSランク冒険者である梓が加われば、学園の戦力はさらに厚くなるだろう。
それだけではない。
霧ヶ峰家の娘が、全国大会で活躍する。
その話題性は、ダンジョン関連事業を広げている家にとっても、確かに魅力的だった。
「……それも一理あるな……!」
父親は真剣な顔で頷いた。
「今の時代、Sランク冒険者の存在は大きい。梓が神奈川校で実績を積めば、本人のためにもなるし、家にとっても悪い話ではない」
「でしょう?」
梓は得意げに笑った。
父親は少し考え込んでから、改めて娘を見た。
「ただし、ちゃんと毎日電話するんだぞ!」
「さすがね! 話が早いわ! 手続きよろしくね!」
「待ちなさい、梓。まだ細かい話が……」
「じゃあ、私は荷物をまとめてくるわね!」
「梓!」
父親が呼び止めるより早く、梓は書斎から出ていった。
廊下の向こうから、弾んだ声が聞こえてくる。
「政宗にも連絡しなきゃ!」
「……まったく、行動が早いんだから」
父親は苦笑し、椅子の背にもたれた。
だが、反対するつもりはなかった。
娘が自分の意思で進路を選び、さらに家の事業にも利点があるというのなら、応援する理由は十分にある。
もちろん、転校手続きや学校間の調整は必要だ。
だが、霧ヶ峰家の人脈を使えば、準備にそれほど時間はかからないだろう。
父親は机の上の資料を整理し、転校に必要な手続きを確認するため、関係者への連絡を始めた。
◇
自室に戻った梓は、さっそく政宗へメッセージを送った。
『パパの許可が出たわ! 神奈川校に転校することになったから、よろしくね!』
ほどなくして、返信が届く。
『本当に決まったんだね。わかった。待ってるよ』
『ええ! 楽しみにしてなさい!』
梓は満足そうにスマートフォンを置いた。
転校までは、あと1週間。
その間に必要な手続きを済ませ、荷物をまとめればいい。
そして、神奈川校には、以前から気になっていた相手がいる。
ティンカーベルの3人。
ほかにも、全国大会を目指す実力者たちが集まっている。
今までの学校では得られなかった刺激が、そこにはあるかもしれない。
「ふふっ……。楽しみになってきたわね」
梓はベッドに腰掛け、再びティンカーベルの配信アーカイブを開いた。
画面の中では、乙羽がいつもの調子で笑っている。
梓はその姿を眺めながら、転校後の生活を思い描いた。
まずは、みんなと話してみたい。
できれば、一緒に訓練もしてみたい。
そして、実際に戦ったら、どれほど面白いのだろう。
そんな期待が、胸の中で少しずつ膨らんでいった。
転校まで、あと1週間。
霧ヶ峰梓の新しい学校生活は、まだ始まっていない。
けれど、彼女の心はすでに、神奈川校へ向かっていた。




