「ふぅ。びっくりしたぁ」
琴との試合が終わり、配信会場にはまだ興奮が残っていた。
乙羽が召喚したゴーレムは、支援魔法によって強化され、驚くほどの速さで琴を捕らえた。最後は軽いデコピンで決着したものの、その一連の戦いは視聴者に強烈な印象を残していた。
そして、次はいよいよ柳との試合である。
「それじゃあ、次の試合に移りましょう」
進行役の声とともに、配信画面が切り替わった。
コメント欄には、先ほどの琴戦についての感想がまだ流れている。
『ゴーレム速すぎて笑った』
『支援魔法ってあんなことになるのか』
『琴ちゃんの剣を全部避けて捕まえるの、どうなってるんだ』
『最後のデコピンまで含めて乙羽ちゃんらしい』
『次は柳ちゃんか!』
『影魔法と乙羽ちゃんって相性どうなんだろう』
柳はそんなコメントを見ているわけではないが、対戦相手がどれほどの実力を持っているかは、先ほどの試合で十分に理解していた。
琴は決して弱くない。
むしろ、同級生の中では飛び抜けた実力を持っている。その琴が、ゴーレムに捕まったことで試合を終わらせられたのだ。
乙羽を相手にする以上、普通の攻撃を重ねるだけでは勝ち目がない。
「……ま、やるしかねーか」
柳は小さく息を吐き、試合場へと歩いていった。
相手が強いからといって、最初から諦めるつもりはない。
自分にできることをぶつけて、どこまで通用するか確かめる。それが柳の考えだった。
一方の乙羽は、いつもどおりのんびりした様子で試合場に立っている。
「柳ちゃん、よろしくねぇ」
「おう。手加減はしてもらわなくていいからな」
「んぅー……でも、怪我はさせたくないんだよねぇ」
「そこは気にしすぎんな。あたしだって、やられる覚悟くらいしてるしよ」
「そっかぁ。でも、できるだけ気をつけるねぇ」
乙羽の返事に、柳は苦笑した。
こちらは真剣に勝つつもりでいるのに、乙羽は相変わらず相手を傷つけないことを気にしている。
しかし、それが乙羽の性格なのだ。
柳も、それを理解したうえで試合に臨む。
「それでは、両者、準備はいいですか?」
「おう!」
「はぁい」
「試合、開始!」
合図と同時に、柳が動いた。
足元の影が揺らぐ。
その影が地面を這うように伸び、乙羽の足元へと迫った。
影魔法。
柳が得意とする、相手の影を利用して動きを封じるための魔法だ。
影に捕らえられれば、ただ引っ張られるだけでは済まない。強い拘束力によって身体の動きを制限され、力ずくで抜け出すのも簡単ではない。
柳は乙羽が接近するよりも早く、その動きを封じるつもりだった。
「捕まえた!」
伸びた影が乙羽の足元に絡みつく。
さらに影は広がり、乙羽の身体を拘束した。
腕も、脚も、身動きが取れないように押さえ込む。
通常なら、ここから簡単に抜け出すことはできない。
柳は拘束が成立したことを確認し、次の行動へ移ろうとした。
しかし――。
「んぅ?」
乙羽が、少し不思議そうな声を出した。
次の瞬間。
ぶちっ、と。
まるで丈夫な紐を引きちぎるように、乙羽を拘束していた影が裂けた。
「……は?」
柳の動きが止まった。
影は魔法によって拘束力を持たせたものだ。簡単に引き剥がせるようなものではない。
それなのに、乙羽は身体を少し動かしただけで、拘束そのものを引きちぎってしまった。
乙羽は自由になった腕を軽く回す。
「ふぅ。びっくりしたぁ」
まるで、少し窮屈な服を脱いだだけのような反応だった。
柳は自分の影と乙羽を交互に見た。
「いや、ちょっと待て。今、何した?」
「んぅ? 引っ張ったら切れちゃったよぉ?」
「引っ張ったら切れちゃった、じゃねーんだよ!」
思わず柳が叫ぶ。
コメント欄も、一瞬遅れて大騒ぎになった。
『?????』
『影を引きちぎるって何?』
『いや、影って引きちぎれるものなの?』
『拘束魔法を力技で破壊するなwww』
『柳ちゃんの影、普通に強力なはずだよな?』
『乙羽ちゃん、何をどうしたらそうなるんだ』
『魔法への対処が物理なの、意味わからん』
『影を引きちぎるって何? 今日一番のパワーワード』
配信画面の端には、困惑したコメントが次々と流れていく。
解説席でも、アリスがわずかに目を細めていた。
「影の拘束自体は、ちゃんと成立していたね。柳の魔法が失敗したわけじゃない。乙羽が拘束を力ずくで破った、ということだと思う」
「そうですね。拘束の術式が解除されたわけではありません。単純に、拘束を維持できないほどの力を加えられたのでしょう」
リーゼロッテも、乙羽の様子を見ながら答えた。
「……それって、普通にできることなの?」
「普通はできませんね」
あっさりとした返答だった。
アリスは小さく息を吐く。
「だよね……」
柳も同じことを考えていた。
影の拘束は、相手の動きを封じるためのものだ。力で抵抗されることも想定しているが、あれほど簡単に引きちぎられるとは思っていなかった。
しかし、ここで動きを止めるわけにはいかない。
「……なら、次だ!」
柳の足元で、再び影が動いた。
今度は拘束だけに頼らず、乙羽の動きを制限しようとする。
だが、乙羽は相手の動きをよく見ていた。
柳が次の魔法を使おうとする、その一瞬。
乙羽は静かに手を上げた。
「それじゃあ、こっちはどうかなぁ」
乙羽の周囲に、水が生まれた。
水は勢いよく飛び散るのではなく、乙羽の手元から滑らかに広がっていく。
それは柳へ向かって流れ、全身を包み込むように形を変えた。
「なっ……!」
柳の身体が、水の中に閉じ込められた。
頭から足先まで、全身が水に覆われている。
外側の水は形を保ち、柳の動きに合わせて揺らいでいた。
柳はすぐに抜け出そうとする。
しかし、水は簡単には崩れない。
身体を動かそうとしても、水の抵抗が邪魔をする。影の拘束とは違い、力を入れれば入れるほど、自由に動くことが難しくなっていった。
「……っ!」
柳は水の中で身をよじった。
乙羽は、その様子をじっと見ている。
水魔法で相手を包み込む。
それ自体は、攻撃として成立する魔法だった。
しかし、乙羽が気にしていたのは、柳にどれだけの負担がかかっているかということだった。
怪我をさせるつもりはない。
だからこそ、強い攻撃を直接ぶつけるのではなく、動きを封じる方法を選んだのだ。
だが、柳の様子が変わった。
最初は抜け出そうとしていた柳が、次第に苦しそうに身を動かし始める。
水に包まれたままでは、呼吸もままならない。
乙羽はそれに気づくと、すぐに魔法を解除した。
水が一気に形を失い、地面へと流れ落ちる。
「柳ちゃん!」
解放された柳が、咳き込みながら息を吸った。
乙羽はその様子を確認し、ほっとしたように頷く。
「よかったぁ。大丈夫?」
「げほっ……お、おう……!」
柳は呼吸を整えながら、乙羽を見た。
今の魔法を維持し続ければ、自分がどうなるかは分からない。
乙羽は、柳が苦しくなってきたと判断した瞬間に解除したのだ。
勝つためだけなら、もっと長く拘束することもできたはずだ。
それでも、乙羽はそうしなかった。
「……ほんっと、お前は……」
柳は何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。
文句を言いたいわけではない。
ただ、相手を傷つけないように戦っていることが、嫌でも伝わってくる。
それなのに、こちらがまともに対抗するのも難しいほど強いのだから、どうしたものか。
柳は歯を食いしばり、もう一度構えようとした。
しかし、その前に乙羽が動いた。
一瞬だった。
水が地面へ落ちた、そのわずかな間に、乙羽は柳との距離を詰めていた。
「えっ――」
柳が反応するよりも早く、乙羽の掌底が放たれる。
力任せに殴りつけるのではない。
身体の中心を捉え、相手を吹き飛ばすための一撃。
その掌底を受けた柳の身体が、試合場の向こうへと飛ばされた。
どんっ、と鈍い音が響く。
柳は地面を転がり、ようやく止まった。
観客席が静まり返る。
ほんの一瞬の出来事だった。
影の拘束を引きちぎり、水魔法で柳を包み込み、苦しそうな様子を見てすぐに解除する。
そして、解放された直後に距離を詰めて掌底を叩き込む。
柳が体勢を立て直す暇はなかった。
「……そこまで! 試合終了!」
審判の声が響いた。
乙羽の勝利だった。
コメント欄は、再び猛烈な勢いで流れ始める。
『速っ!?』
『水を解除した瞬間に終わったぞ』
『柳ちゃんが呼吸を整えるより先に距離を詰めてる』
『影を引きちぎるだけでも意味わからなかったのに』
『水魔法で拘束して、苦しそうになったら解除して、最後は掌底……』
『手加減してるのはわかる。でも強さの次元が違う』
『これで怪我させないようにしてるんだよな……』
『乙羽ちゃん、試合中ずっと柳ちゃんの様子を見てたんだな』
アリスも、試合場を見つめながら頷いた。
「水魔法を解除した判断が早かったね。柳が苦しそうになったのを見て、すぐに解放していた。最後の一撃も、相手の状態を確認したうえで決めたんだと思う」
「ええ。魔法の解除から接近まで、ほとんど間がありませんでしたね」
リーゼロッテは淡々と答えた。
「それにしても、影の拘束を引きちぎるとは……」
「そこは、私も驚いたよ」
アリスは苦笑した。
「普通、影を引きちぎろうとは考えないからね」
◇
試合が終わると、乙羽はすぐに柳のもとへ駆け寄った。
「柳ちゃん、大丈夫ぅ?」
「……ああ。なんとか、な」
柳は身体を起こそうとしたが、乙羽が先に手をかざした。
「すぐ治すねぇ」
淡い光が柳を包み込む。
掌底を受けた衝撃で負ったダメージが、回復魔法によって癒やされていく。
乙羽は試合中、柳を傷つけないように気を配っていた。それでも、吹き飛ばすほどの一撃を受けた以上、まったく負傷していないとは限らない。
だからこそ、試合が終わった直後に回復する。
それが乙羽にとっては当たり前のことだった。
「……お前、ほんとに容赦ねーんだか、優しいんだかわかんねーな」
回復を受けながら、柳がぼやいた。
「んぅー? 怪我させたくないんだよぉ」
「影は引きちぎるし、水で包むし、最後は吹っ飛ばすし……」
「でも、最後にちゃんと治してるよぉ?」
「そういう問題じゃねーだろ!」
柳の声が会場に響く。
乙羽はきょとんとしたあと、ふわりと笑った。
「そっかぁ?」
「そっかぁ、じゃねー!」
そのやり取りに、会場から笑いが起きた。
コメント欄にも、ほっとしたような感想が並んでいく。
『柳ちゃん元気そうでよかった』
『試合後すぐ回復してくれるの安心感ある』
『乙羽ちゃんにとっては本当に普通のことなんだろうな』
『柳ちゃん、言いたいことはわかるw』
『二人ともお疲れさま!』
柳は回復を終えると、ゆっくり立ち上がった。
悔しさはある。
勝つつもりで挑んだのだから、負けて平気なわけではない。
それでも、今の試合で分かったことは多かった。
影の拘束は、乙羽の力の前では破られた。
水魔法で動きを封じられたときも、抜け出すことはできなかった。
そして、最後の一撃を受けるまで、乙羽の接近に反応できなかった。
自分の魔法が通用しなかったわけではない。
ただ、乙羽の力と速さが、その上をいっていたのだ。
「……次は、もうちょっと何とかしてやるからな」
柳が言うと、乙羽は嬉しそうに頷いた。
「うん。またやろうねぇ」
「おう!」
柳は笑って答えた。
負けたことは悔しい。
けれど、だからといって乙羽との勝負が嫌になったわけではない。
むしろ、次にどうすれば少しでも食い下がれるのか、考えることが増えた。
乙羽はそんな柳の様子を見て、いつもの調子で首を傾げた。
「それじゃあ、今日の学食はラーメンだよぉ」
「……は?」
柳が目を丸くする。
「いや、試合終わったばっかだぞ!?」
「んぅー? お昼の時間だしぃ」
「切り替え早すぎんだろ!」
琴も試合場へやってきて、二人の会話に加わった。
「ラーメンか。いいね。私も食べようかな」
「琴まで乗るのかよ!」
「だって、お腹空いたし」
琴はいつもどおりの落ち着いた顔で答えた。
柳は呆れたように息を吐き、それから小さく笑った。
つい先ほどまで、配信を通して大勢の視聴者が見守る中で真剣勝負をしていた。
それでも試合が終われば、いつもの三人に戻る。
勝った負けたと騒ぐより、昼食の話をするほうが、彼女たちらしいのかもしれない。
「……あー、もう。わかったよ。ラーメン食いに行くぞ!」
「やったぁ」
乙羽が嬉しそうに手を上げる。
こうして、序列戦の注目試合は幕を閉じた。
配信では、影の拘束を引きちぎった乙羽の力と、柳を傷つけないように戦う姿が大きな話題になっていた。
けれど当の本人たちは、すでに次の楽しみへと気持ちを切り替えている。
今日の昼食はラーメン。
それが、乙羽たちにとっては何より大切な予定だった。




