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09.貴様の言うことは全部嘘だ

 不必要に広いゲストルームのベッドの上で1人、キオは悶々としていた。いかにしてムーの部屋に忍び込もうか思案中なのだ。王子の寝室ともなれば警備が厳重であろうことは予測できる。しかしどうしても会いたい。会って2人きりで話がしたい。どうなるかはまったく分からないけれど、これからのことを。


 すると意を決して部屋を出ようとしたところにちょうど、ノック音が聞こえた。


「ムーっ?!」


 喜んで大急ぎで扉を開くも、そこに立っていたのはお姫様であった。ゆったりとしたナイトドレスに身を包み、長い髪を片側にまとめている。

 んんっとキオは咳払いして咄嗟に目を逸らした。こんな外見で彼女は、意外に大胆なところがある。世間知らずなせいもあるだろう。しかしこのように不用心な格好で深夜男の部屋へやって来るのは、あまり褒められたことではない。


「どうなさいましたお姫様?」


 紳士ぶった笑顔でキオは、さも何でも無いように尋ねた。周回者でなかったらたちまち手を出してしまうところだ。


「夜分に申し訳ございません。……あの、わたくし勇者様に、……キオ様にお話があるのです。よろしいでしょうか?」


 お姫様の顔は次第に熟れた林檎のように真っ赤に色づいていった。美味しそう……ではない。違う。駄目だいかん。本来ならば結ばれるはずの相手に懸想できないというのは、どうにも脳内不協和が起きてしまう。


「ではここで伺いますね。お姫様が良からぬ誤解など受けてしまわれては大変ですから」


 部屋の扉を大きく開け放しお姫様を廊下へ立たせたまま、キオはあくまで生真面目を装った。己れの欲望に対する自衛策であるのだが、当然それは箱入り姫にとっては加点にしかならない。


「キオ様、なんて誠実な御方……」


 うっとりと蕩ける彼女の目は、もはやハート型をしていた。




「お慕いしておりますキオ様……っ!」


 お姫様は再びキオに全身を預けた。キオのほうも鎧を外しているものだから、薄いドレスを通して柔らかい感触が伝わってきてしまう。キオは分別を総動員して、両手を上に挙げながら答えた。


「いけません、あなたは王国の高貴なお姫様。お離しください」

「クレアネーラですわ」

「……どうか離れて、クレアネーラ姫」


 目に涙をいっぱいに溜め、お姫様は嫌々と首を振った。


「キオ様のことが好きなのです。兄ではなく、どうかわたくしをお選びくださいませ! わたくしにだって、兄のようにキオ様をお支えすることはできますわ。それに父も……、国王も、キオ様とわたくしの結婚を望んでおります。そうすればキオ様は、いずれこの国の……っ」


 聞き終わる前に、しーっとキオは人差し指を唇に当てて目を眇め、ほんの少し口角を上げた。ぶっちゃけ決め顔だ。元妻はキオのこの表情に弱い。案の定声が出なくなったお姫様は、ふるふると震えながら両手で口を覆った。


「貴女は美しい、クレアネーラ姫」

「わ、わわ、わたくし……っ」


 事実、調子に乗っていた。何せムーにはこの強顔面が少しも通用しないのだ。せっかくイケメンに転生したのだから、顔だけで人を翻弄する醍醐味はやはり今回も味わっておきたい。いや何、ほんの少しだけだ。果実よりも真っ赤になって恍惚と涙ぐむナイトドレスのお姫様だなんて、眼福極まりないではないか。


「クレアネーラ姫ならば、確かに次期女王様に相応しいでしょう」

「あっ……、あのっ、あの、わたくし……。ええ、そうですの。父はわたくしを後継者にと……。その、兄は、実は……っ」


「分かっています」


 キオはお姫様に顔を近づけた。目を白黒させて卒倒寸前の彼女に、ふうっと吐息をわざと届かせてやる。フラフラとお姫様はよろめいた。ああ、イケメンってなんて楽しい。

 ひとしきり満喫したところで、そろそろ。キオは姿勢を正した。


「それでも、僕はムーを愛しているんです」


 貴女がどんなに美しくても。清らかでも柔らかくても、こんなにも好意を寄せてくれていても。理由なんて分からない。お姫様を大切に思ってきたこれまでだって、決して偽りではなかった。それでもキオにはもはや、ムーを選ぶしかできなかった。そうする以外の自分が想像できないのだからおかしな話だ。

 2人を比べたりするつもりは無い。それはどちらにも失礼だ。けれどもムーを見れば自然に顔が綻んでしまう。カッコつけたいと思う間も無く、ただ触れたくて、笑って欲しくて。


「…………そう、なのですね……」


 お姫様は気丈にも微笑んで見せた。惜しいことをしたかな、と思う自分の太股をつねり上げるキオ。


「……ですが明日は精一杯、儀式を務めさせていただきますわ。キオ様のお力になりたいと思うこの気持ちに、変わりはありませんもの」


 ああいじらしい。が、耐えろ。

 元来た廊下を静かに戻ってゆくお姫様を見届けて、キオは今晩は諦めて眠りにつくことにした。時間はもうかなり遅くなっている。ムーは早寝だし熟睡型なのだ。ムーを体に乗せて眠った野宿の日々が恋しい。


 寂しさにしょんぼりと羽布団を被るキオだったが、このとき無理にでもムーに会いに行っていれば……と、のちに後悔することになろうとは、さすがにまだ気づきようも無かった。




----------




 翌朝、ムーは姿を見せなかった。ムーはどこだと100回喚いた気もするが、城中の衛兵をもってしてもどこにも見つけられないのだと言う。


 嫌な予感がする。


 儀式は滞りなく進んだ。膝をつくキオの正面にはお姫様が。サガンは国王、エウロは王妃にかしずいている。そしてチタの前には、国王の弟でありムーの叔父にあたるというジンガロ大臣が、各々恭しく御座在った。

 ありがたいお言葉やら激励やら、命を救われる力をも授かったにもかかわらず、対面する恩人たちよりもキオには今、ただただムーだけが気がかりであった。


「ねえムーを探して! お願いムーを早くここへ!」


「……落ち着きなよキオ、王子ならどこかで寝てんじゃない?」

「久しぶりの生家なんだ、ゆっくりさせてやれ」

「そうですよ」


 事情を知らない者からすればそうなのだろう。勝手知ったる城の中、ここで生まれ育ったムーが迷子になろうはずも無い。しかし……


「いいからムーを!!」


 ただならぬキオの様子に、城内には忙しない空気が充満した。お姫様も心配そうに辺りを見回している。




 思い詰めたように下を向き押し黙ったムーが、大広間に集まる一同の前に姿を見せたのは、それから半日ほど経ってのことだった。


「ムー!! どこにいたの、何をしてたの、どうしてたの!!」


 大変な剣幕で飛びかかり、力一杯抱き締めてくるキオに、ムーは鬱陶しそうに舌打ちをした。ムーらしくない。キオはやにわに青ざめる。


「ムー……?」


「…………触るな」


 低く冷たい声だった。ざわざわと胸が押し潰されてゆく。心臓が、脳血管が、千切れそうにさんざめく。


 嫌だ。嫌だ嫌だ待ってくれ。


 君はもう悪役王子なんかではないだろう?

 バカでカワイくて愛おしい、僕の……


「ムーこっち向いて! 僕を見て!!」


 キオは叫んだ。ずっと目が合わない。照れたり強がったりしてただ横を向かれていたときとは明らかに違う。


 見られないのだきっと、キオの目を。


 ムーの真っ黒な瞳に翳りが差す。どこか後ろめたそうに、そぞろな緊張感を漂わせて。




「……ムーは、僕のこと、……嫌い?」


 眉を下げ、泣き出しそうに声を絞る。大勢に見られているというのに。こんな台詞、勇者に似つかわしくないと分かっている。


 ゆらりとムーの眼球の奥が揺れた。かすかに唇を噛み、あまりにも刹那ではあったけれど、助けを求めて縋るような顔をこちらへ向けようとした気がした。

 それでもムーは、キオと視線が交わる直前に再び体を翻してしまった。どうにか繋ぎ止めようと、キオは後ろ姿に告げる。


「……僕は好きだよ」


 決め顔とは真逆の、酷く弱々しい吐露。

 するとムーの口から、か細く掠れた声が放たれた。




「……貴様の言うことは全部嘘だ」




「え……? ど、どういうこと……?」


 動揺のあまり上擦ってしまったのがさらにムーを苛立たせてしまったのだろうか。

 見たことの無い……、いや、過去8回でならば何度も目にしたあの悪意と憎悪に満ちた形相で、ムーは振り返った。




「勇者なんか死んでしまえばいい!! 王国も何もかも滅びて消えろ!!」


「ム……っ!!」




 見開いた目も喉もカラカラに乾いてキオは、その場に立ち尽くした。泣きそうだったはずなのに、あまりにも全身がカラカラだ。


 ムーの異変にさすがに鷹揚としてもいられなくなった仲間たちは、それぞれ何かを発言すべく動き出そうとした。……が。


 前触れも無く、城の土台から地面をえぐるような大きく激しい震動が、城内の人々を一斉に下から突き上げてなぎ倒してしまった。

 こちらへ来ようとしていたお姫様の軽い体が、誰よりも高く浮かび上がってしまったのを視界に捉え、キオは思わず声をあげる。


「クレア……っ!」


 しかし周囲にいた衛兵たちが身を挺して彼女の下敷きとなったおかげで、お姫様に大事は無いようだ。奥では何人もの従者たちが、国王や王妃を取り囲み必死に庇っている姿もある。

 何が起きたのかと人々は騒然と喚いているが、キオには勿論既知の展開であった。


 城の地下深く、王族以外誰も立ち入れぬはずの宝物庫の最深部に、とうとう魔王城に通ずるゲートが開かれてしまったのだ。


 悪役王子の手によって。




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