10.ありがとう、満足だよ
「何?! この禍々しい気配は!」
青い顔でチタが周囲を見回す。サガン、エウロもすぐに臨戦態勢に入り神経を張り巡らせている。
予想していたよりも少し早い。まだムーと話をするチャンスはあると思っていたのに。けれどももう、叶わない。
「……魔王が現れた」
険しいキオの宣言に、城は阿鼻叫喚に見舞われた。
魔王は間も無くモンスターの大群を引き連れてここまで上ってくるだろう。今皆が立つこの豪奢な大広間こそが、最終決戦場と化すのだ。
とにかく王族を安全なところへ。従者や侍女たちも避難させるよう、キオの指示に従い衛兵たちが右往左往している。時間が無い。
入口扉にサガンとチタが、窓にはエウロが立ち塞がり、迫り来るモンスター共を侵入させまいと、戦闘は既に始まっていた。
「お兄様っ!!」
遠くで高い喚声が上がった。
「ムーっ?!」
とうに退避できているはずのムーとお姫様が揉み合っているのが見える。ムーは妹の体を突き飛ばし、反転してモンスターの群れへ向かって駆け出した。足が遅く不恰好な走り姿も平常通りであるというのに、なまじレベル21にまで上がってしまっているせいで、有象無象程度のモンスターでは足止めにならないようだ。
「待ってムー!! 行かないでお願い、お願い!!」
キオの絶叫は果たして彼の耳にまでは届かなかったのだろうか。ムーは大広間を抜けてどこかへと消えて行ってしまった。
「ムー!! ムーっ!!!」
ひたすら呼んでみたってどうにもならない。すぐ近くにはもう、魔王の圧倒的存在感が空気を重く震わせてのしかかっている。
鍛え上げられた精神力でモンスターに立ち向かっていたはずの衛兵たちが、大広間の隅でバタバタと腰を抜かして動けなくなってしまった。そのまま意識を放棄する者さえ。魔王とは実は、対極にしてもっとも神に近い生き物なのかもしれない。恐怖はもう、荘厳めいてすらあった。
「……汝ガ、勇者カ……」
声でもなく音でもなく、威圧が意味を持って肌を刺すような感覚だった。
「勇者共二、安らか、ナル、死ヲ……!」
爪の先まで細かに切り刻まれたような、或いは体内に余すところ無く氷柱を刺し貫かれたような、吐き気のする悪寒が通過して行った。
それは死の呪いであった。しかし王族の加護の力を得ていた4人は、かろうじてそれを耐え凌ぐことができる。1度きりではあるけれど。
「……何、ダト……?」
当惑する魔王に隙が見えた。
「今だ!!」
キオの合図で、苛烈な猛攻の火蓋は今まさに切られて宙に舞った。
無尽蔵とも思えるほどの魔王の体力は絶大で、充分にレベルを上げて挑んではいるものの、少しずつ削ってゆくしか術は無い。脇を固めるモンスター共も、衛兵とやり合っていたような可愛げなどもはや皆無だ。
何度と無くチタの回復魔法に頼らざるを得ない。だが有限であるMPの無駄撃ちはできない。楽な戦いにはならない、いつも。レベルをカンストさせて挑んだ回ですら、そう簡単にはいかなかったのだ。
「あと少し!! 倒れるな、押せ! 勝てると信じろ、僕を信じろ!!」
「おお!!」
もうすぐだ。もうあと何ターンかで、おそらく。
キオが勇者の剣を強く握り直したときだった。
「……何、ダ……」
兇辣とでも表現すべき魔王の面相が、不快ないびつさを滲ませた。その体積の僅か数分の1ほどしか無い些末な影が、ちょうどキオたちの反対側で蠢いている。
「ムーっ!!!」
キオの叫びはほとんど悲鳴だった。
いなくなっていたムーが、高級なだけのただ長い剣で、背後から魔王の足もとを突き刺していたのだ。
効くわけない。効くわけがないのだ。レベル21では、到底。
「逃げてムーーっ!!!」
キオは魔王の懐に盲滅法飛び込んだ。引き留めようとしたサガンの太い腕が空を切る。
「待てキオっ!!!」
一時停止から逆再生されるかのように不均衡に、すべてが時の流れを無視してゆっくりと切り取られて感じられた。
「汝ら、二、……再びノ、死ヲ!!!」
「キオーーーっ!!!」
「王子ーーーっ!!!」
「イヤアアァァーーー!!!」
仲間の悲痛な雄叫びが聞こえた。
ヤバい、死んだ。
でもまあ、いいか。
キオの両腕はムーを捕まえていた。こんなときなのに愛おしくて笑ってしまう自分がおかしい。
ムーを抱き締めて、ムーといっしょに、ムーがいれば、もう。
ところが最期に欲が湧いてきてしまったのには我ながら驚いた。
キオはムーの唇に、噛みつくようなキスを喰らわせた。
激しい戦いにより石造りの城の床は、一部地上を貫通して地下にまで崩れ落ちていた。大きなその穴を、口づけ抱き締め合ったままの2人が垂直落下してゆく。
どのみち2度目の死の呪いを受けたのだ。落ちて行くしか無い。2度目なんてあるんだなあ、これまでは1度で済んでいたんだけどなあ、なんて呑気な考察を馳せる猶予まである。
数階分の高さから叩きつけられて、キオは静かに呻いた。その体の上にはムーが。そうだった、またこうして眠りたかったんだ。
ありがとう、満足だよ。
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…………。
……痛い。
ちょ、魔王。
痛みを感じるより先に、サクッと死なせてくれないか?
「ゲホッ! ゲホゲホゲホッ」
血を吐いて咳き込むキオの目に、ボタボタと涙を零すムーの泣き顔が映った。お馴染みの鼻水も垂れている。
「キオ!! キオっ!!」
おそらく何本も折れているであろう肋骨の事情などお構い無しに、ムーはキオの体を力の限りに揺らし続けていた。
「死ぬなキオ!! キオ!!!」
……あー。
ニンマリと、口が上向いてしまう。
「……名、前……、呼ばれた……初めて……、ゲホ」
「キオっ……!!」
ムーは倒れているキオに折り重なって縋りついていた。離れまいと精一杯の握力で、腕の肉ごと握り潰すように。
「……ムーが、また僕を助けてくれたの……?」
首を横に振るムー。その涙が顔に降り注いできて熱い。
しかし、ムーを庇おうと無様にも無策のまま突っ込んだあのあと、ムーの体越しに見えた魔王の映像を覚えている。
自分はまたしても救われたのだ。盾のごとく、逆に立ちはだかってくれたムーに。
痛む胸を押さえて立ち上がるキオ。慌てて手を貸そうとするムーに、キオはもう1度顔を寄せて口づけた。
やさしく柔らかく、次第に深く強く、長く。
「愛してる。君を愛している」
他に言葉が見つからないのだ。
やっと解放してあげられたときには、ムーは茹でダコさながらに赤く呆けて脱力し、口の端からどちらのものか分からない涎を垂れ流していた。
「ブッハ!!」
思わず吹き出した唾がタコの顔面に飛ぶ。
ねえやっぱり不細工。間抜けでバカで他にいない。こんなヤツ、どこにもいない。
「ムー、無事で良かった」
まだ笑いが収まらないままに、目もとを拭いながらキオが言った。
「きっとムーの加護の力だね。それで僕のことも2度目の死の呪いから救ってくれたんだ」
しかしムーはブンブンとねじ切れそうなほどにまた首を振った。
「オッ、オレに! 加護の力は、無い……。オレには、王族の資格が無い。洗礼を受けても、オレに力は発現しなかった……。貴様も知っていたんだろう、オレの秘密を」
……知っていた。王子に加護の力は無いと。
そのことを気に病んで、ずっと引け目を感じ続けて、劣等感が暴走してしまった結果の裏切りだったと。
自分には、自分にだけは、力が無い。王族としての矜持を遂に保てなくなってしまった王子は8度、それならばいっそ城を瓦解させ王国を失くしてしまえと考えたのだ。
けれども。
「少しはさあ、あったってことじゃないかな、ムーにも多分。儀式で人に授けられるほどでは無かったのかもしれないけど、それでもね。だって死の呪いを跳ね返したんだもん」
「オレ、……にも、力が……?」
「僕たちが生きてるのが証拠だね」
ムーの両頬を両手で包み込み、キオは額を合わせた。そして泣きじゃくるムーの濡れた唇に目を奪われ、3度、吸いつきたくなる衝動に襲われる。
だが、真上で地鳴りのように響いて止まない轟音を、これ以上無視しているわけにもいかないようだ。魔王が暴れている。
「行こ」
差し出した右手に、ムーもおとなしく左手を重ねた。ムーの左手首には、キオの贈った役に立たない賢者の腕輪が巻かれている。ずっと身につけていてくれたこと、そして素直に手を繋いでくれたこと、どちらも信じられないほど嬉しい。
魔王は倒した。
利き手が塞がっていたので左手で。その他の詳細は覚えていないし、どうでもいい。
振りほどかれないこの手だけが、キオにとっては僥倖であった。
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