第七話 結界の中の少女
七話と八話短いので、同時更新です
この日、私は日課の薬草取りに出ていた。
朝から森が騒いでいて、嫌な予感はしていた。
でも、あんな出会いが待っているなんて、思ってもみなかった──。
◇
森は、今朝も震えていた。
低く、深く、地面の下を撫でるような響き。
最近のヌシは、何かおかしい。
縄張りから出てくることもないし大人しい子なのに、ここ数日は森のあちこちで暴れている。
その影響か、他の獣も気が立ってる感じ。
精霊様の加護はあるけど、万が一があるから気を付けて。
何かあったら、すぐ戻ってくるのよ。
お母さんはそう言って、私を送り出した。
私は、いつもより耳を澄ませながら作業をしていた。
手は動いていたけれど、半分は森の音に向いている。
籠の中身は、まだ三割ほど。
いつもなら、もう半分は埋まっている時間なのに。
「……今日は、捗らないなあ」
誰にも届かない呟きを森に落として、また屈み込む。
その時だった。
森が、少し揺れた。
え、何の音?
普通の人なら聞き逃すくらいの大きさ。
微かに聞こえる葉擦れの奥。川のせせらぎや、鳥の羽音でもない。
微かな、異質な響き。
この感じ──、ヌシが集落に向かってきてる!
そう気付いた時、私は持っていた薬草籠を放り出して駆け出していた。
背中の棍に手をかけながら、「フォルシル様!」と精霊様に呼びかけてみる。
……応答はない。
少し離れてるし、聞こえてないのかも。
まあ、どっちにしろやることは変わらない。
それにもし、これを退けられたら──外に出る話、本気で交渉できるかも。
摘み取った薬草の青い匂いが残る手を、握りしめた。
足元の根を跳び越え、低い枝を肩で払いながら、走った。
音が大きくなってくる。
地面がビリビリ揺れていた。
結界のすぐ近くで、でっかい何かが森を押し分けて進んでくる。
その音が、境目の向こうで止まらない。
次の瞬間、結界の光が辺りを白く染めた。
結界が、突破されたんだ。
木々の後ろに、大きな影が見える。
ヌシだ。
木の根が深すぎて、魔法は使いにくい。止められない。
それなら、やることは一つでしょ!
「よーっし!」
腹の奥が決まった。
「ぶん殴る!」
棍を握り直して、思いっきり魔力を込める。
私は低く踏み込んだ。
棍の先が、ぶぉん、と鳴る。
「まずは――」
全身の力をまとめて叩き込む。
「一発!」
肩に入った。
硬っ。さすがヌシ。
手がじんじん痺れる。腕痛ったー。鎧の奥でどくどく鳴ってる。
太い腕が横から薙いできた。
「っと!」
地面を蹴って跳ぶ。
ばきばき、と幹が折れる。さっきまで私がいた場所。
あー、当たったら死ぬほど痛そう。
それでも。
私は着地と同時に棍を構え直す。
「二発目、いくよ!」
踏み込もうとした足元が、沈んだ。
「え」
樹鎧獣が地面を叩いていた。
土が割れる。根が跳ねる。足場が一瞬で変わる。
ずるい。
──いや、ずるくはないか。
森のヌシが森を使うのは、そりゃそうだ。
私は棍を地面に突き、倒れかけた体を支える。
太い前肢が横から薙いでくる。
頭上に、影。もう一本の前肢が振り上がっていた。
避ける。
避けるけど、間に合う?
耳が嫌な音を拾う。風を裂く音。幹がきしむ音。自分の心臓の音。
食いしばって、棍に魔力を込め直した。
「まだ、通さない!」
振り下ろされる腕に向かって、もう一度、真正面から踏み込んだ。
ぶつかった瞬間、音が消えた。
次に来たのは、重さ。
「っ……!」
棍が軋む。腕が沈む。足の裏で、根がめき、と嫌な音を立てた。
止め、きれない!
樹鎧獣の腕が、じりじり落ちてくる。
息がかかる。
土と樹皮と、濃すぎるマナの匂い。
「この……っ」
押し返そうとした。
足が沈む。
だめ。踏ん張れない。
棍が鳴る。手が滑る。肩が抜けそうになる。
受け流す。
無理。
下がる。
いや、間に合わない。
そこへ、巨獣のもう片方の前肢が、横から振り抜かれる。
──まずい。
まずいまずいまずいまずい!
……そう思った瞬間、水の音が走った。
何が起きたのかは、見えなかった。
ただ、身体にかかる重さが消えた。
冷たい飛沫が頬を叩く。
樹鎧獣の腕が、横へ逸れていた。
私は反射で振り向いた。
人の影が踏み込んだ、と思った。
次の瞬間には、樹鎧獣の巨体がさらに奥へ弾かれていた。
「どうにか、間に合ったかな」
──これが、彼との出会いだった。




