第五話 森の中に潜む影 前編
短いので前後編同時公開です
翌朝、村はまだ薄い霧の中にあった。
ガルドは入口まで見送りに来ていた。手には昨夜の地図がある。昨晩より顔色はましだったが、それでも落ち着かない様子で何度も森の方を見ていた。
「足跡の主は、森の中から来ています。痕跡から見て小型魔獣で間違いないでしょう。まずは森の手前まで行ってみます」
ラヴィは地図を畳むガルドにそう告げた。
「やはり、お一人で……?」
ガルドは思わず森の方を見た。
「あまり時間もかけたくありません。一人の方が早く動けますし、痕跡も追いやすい」
「なるほど……」
「危ないと感じたら、深追いしません。未開の森に入らないに越したことは、ありませんから」
それでも、ガルドの表情から心配の色は消えなかった。
「それと」
その顔を見かねて、ラヴィは少しだけ口調を軽くした。
「昨日はとても美味しい夕餉までいただいてしまいました。それに見合った働きはさせてください」
ガルドは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「……では、どうかよろしくお願いします」
「ええ。任せてください」
ラヴィは力強く答え、村の北東へ向かった。
昨夜の調査で見つけた、一番新しいと思われる足跡を辿る。
不規則に残されたそれは、森の近くに行くほど乱れているようだ。
歩幅が一定ではない。
ある場所では爪先が深く土を抉り、また別の場所では飛び上がって移動したのか、足跡が途切れている。
何かに、追われているのだろうか。
大森林の手前まで来てラヴィは足を止め、その奥へと目をやる。
一見すると、そこはごく普通の朝の森然としていた。
しかし、周りとは明らかに空気が違う。
風が冷たいわけではない。
音が消えたわけでもない。
鳥の声もするし、木々も穏やかに揺れている。
それでも、胸の奥がわずかにざらつきを覚える。
「これが、未開地のマナね」
そう呟いた時、ラヴィはかすかな獣臭を感じた。
右奥の低木の陰に、獣の死骸があった。多少肌寒い気候とは言え、まったく腐敗していない。まだ、新しい。
鹿の一種らしき獣。腹は裂かれているが、食われた量が少なすぎる。飢えた魔獣が獲物を仕留めたなら、もっと執着するはずだった。
食べてる途中に邪魔が入ったのか、あるいは……。
そんなことを考えながら、ラヴィは周辺の痕跡を見る。
爪の幅。
踏み込みの深さ。
土を抉る癖。
村の外周で見た痕と一致している。
畑を荒らしたのと、恐らくは同一の個体だろう。
そして、まだ近くにいる。
ラヴィが視線を上げようとした、その時だった。
ず……ん。
森の奥から、低い音が響いた。
耳で聞くより先に、足元の土を伝ってくるような音だった。
雷や獣の咆哮などではない。
地面の下で、何か重いものが身じろぎしたような音。
ラヴィは森の中へと耳を澄ました。。
その音が近いのか遠いのか、分からなかった。
そんな中、足裏の土だけがわずかに震えている。
「……今のか」
ラヴィは警戒しながら、音の方向へと歩みを進める。
まだ森の入り口なのに、マナが濃い。
その中には、薄い濁りが混じっていた。
澄んだ水面に、油膜が一枚浮いているような。
触れれば指先に残りそうな、不自然な乱れ。
ラヴィは大きく息を吐いてから腰の剣に手を添え、森へ踏み込んだ。
むせ返るほどのマナ。〝魔眼持ち〟とは言え、少し息苦しい。
少し薄暗くなった辺りを見渡すと、草が折れ低木の枝が裂けている。
幹の低い位置には、硬い毛のようなものが引っかかっていた。
「当たり、かな」
ラヴィはそう呟き、目を凝らす。
その獣は、かなり乱暴に移動しているようだ。
何かに突き動かされるように、森の浅い場所を走り回っている。
ふいに、前方から強い獣臭を感じた。
ラヴィは足を止める。
腰の剣に添えた指に、わずかに力を込めた。
まだ抜かない。
まず、見る。
低木の向こうで、草が擦れた。
ラヴィは息を詰めず、ただ視線だけを向ける。
枝葉の揺れが、途中でぴたりと止まった。
こちらに、気づいている。
次の瞬間、低木の奥から影が跳ねた。
──速い。
ラヴィは反射的に後ろへ飛ぶ。
目の前を、黒い爪が裂くように通り過ぎた。
着地と同時に、低い唸り声が森に沈む。
木々の間から現れたのは、狼型の魔獣だった。
ただし、普通の狼ではない。
額からは短い黒角が一本突き出し、首筋には濡れた苔のような暗緑の毛が絡みついている。尾は二又に割れ、牙の間からは白い霧が漏れていた。
角狼タイプの中型魔獣――裂角獣。
「荷車ほど、ね」
そう呟きながらラヴィはゆっくり、剣を抜いた。




