第三話 農村に迫る影
東門へ向かうにつれて、人の流れは少しずつ太くなっていった。
商人、荷運び、職人見習い、眠そうな顔の旅人。行き先も用事も違うであろう者たちが、同じ門へ向かって流れていく。アストラディアでは、そういった人の流れも日常の一部だ。
門へ向かう途中、ラヴィは通りの屋台で銅貨数枚分の干した果実を少し買った。
味も良いが、何より移動中に口にできるのが冒険者向きだ。女将の朝粥で腹は満ちているが、依頼先で何があるか分からない。余計な荷にはならず、腐りにくいものは持っていて困らない。
門の手前には、数台の乗合馬車が並んでいる。
その中で二頭の厚蹄馬が、まだ眠たげな目をしながら鼻を鳴らしていた。蹄が広く、脚も太い。川沿いの湿った街道を走るには、こういう馬の方が向いている。
「目的地は?連れや荷物はあるかい?」
ラヴィと目が合った御者台の男が、声をかけた。
「水車宿まで、連れは無し。荷物は、これくらいかな」
ラヴィは肩にかけた旅用の荷と腰の剣を軽く示し、外套の内側から魔銘登録証を半分だけ覗かせた。
「三十ゴールド。そんくらいの荷物なら追加はなしだな」
「質素な冒険者に優しくて助かるよ」
御者は笑って、手のひらを差し出した。
ラヴィは銅貨を渡し、馬車の後部へ回る。
中には、すでに三人が乗っていた。
鞄を抱えた年配の女、眠そうな商人風の男、それから木箱を膝に乗せた少年。ラヴィが乗り込むと、少年が一瞬だけ腰の剣を見て、それからすぐ目を逸らした。
怖がられた、というより珍しがられたのだろう。
出発の直前、背負い籠を揺らした老婆が「おい、あんた待っとくれ」と声を上げ、最後の客として馬車へ乗り込んできた。
「どこまでだい?」
「途中の分かれ道まででいいよ。今日は畑に寄るからね」
「なら十五ゴールドだ」
「相変わらず細かい男だねぇ」
「細かい男なら、一ゴールドまで請求するよ」
御者と老婆のやり取りに、馬車の中で小さな笑いが起きた。
ラヴィも少しだけ口元を緩める。
こういう空気は嫌いではない。
街の外へ向かう道にあっても、そこには日常がある。村へ行く者、物を売りに行く者、畑へ戻る者。それぞれの事情が、同じ馬車に少しだけ詰め込まれている。
御者が手綱を鳴らした。
「出発だ」
馬が歩き出し、車輪が石畳を転がる。
門を抜けると、街の音が背後へ流れていった。
馬車の中では、老婆が隣の男に畑の出来を話している。御者は前を見たまま、時折それに短く相槌を打った。
畑へ戻る者がいて、荷を運ぶ者がいて、今日明日の昼飯の心配をする者がいる。
そのどれもが、依頼書に書かれた荒らされた畑や家畜小屋の破損と、同じ地続きにあった。
『最悪の事態が起きる前に、対処すべきと判断しました』
エリナの言葉が、ふと耳の奥に響いた。
ラヴィは顔を上げる。
街道の先には、朝靄の薄い農地と、そのさらに向こうに低く広がる森が見えていた。
馬車は、街道を東へ進んで行く。
厚蹄馬の歩みは速くない。だが、揺れは少なく、車輪は土の道を一定の調子で噛んでいく。乗り慣れている者たちは早々に口を閉じ、商人風の男などは腕を組んだまま舟を漕ぎ始めていた。
ラヴィは窓の外を見る。
水路が走り、畑が広がり、その先に低い森がある。人の生活圏と、それ以外の領域は、見えない線で分けられている。柵でも壁でもない。経験と、諦めと、時々の犠牲で引かれてきた線だ。
皆が黙った中でも、老婆だけは元気だった。
「あんた、ギルドの人かい?」
声をかけられ、ラヴィは車内に視線を戻す。
「一応。バルタ村まで」
「バルタ?」
老婆の眉が、少しだけ寄った。
「知ってるの?」
「昔、あの辺りの薬草を買ってたことがあってね。……あんな村に何しに行くんだい?」
「畑を荒らす獣の調査、かな」
「おやまあ」
老婆は籠の紐を直し、窓の外へ目を向けた。
「バルタで獣の被害なんて聞いたことないね。カルミラの森も誰も入れはしないが、私が生まれる前からずっと落ち着いてるのに」
「受付の子も、あの村からの依頼は初めてって言ってたよ」
「腹が減った魔獣ですら、そうそう縄張り外の人里近くまで来るもんじゃないのにねえ。まして、バルタ村で魔獣の話なんて聞いたことがない。あそこは綺麗な森なのにねえ」
相手の話を聞いているのか聞いていないのか、同じようなことを喋り続ける老婆を横目に、ラヴィは外套の内側にしまった依頼書を思い出した。
生活圏のすぐ外。
家畜小屋の柱。
夜ごと近づく影。
そして、森から聞こえる謎の音。
村と森の間に壁があるわけではない。それでも人が暮らせているのは、村人が踏み込んではいけない場所を知り、獣達もまた、むやみに縄張りの外へ出ることがないからだ。
「最近は本当に、あちらこちらで何が起きてるんだろうねえ」
最近各地で続く魔獣の被害や、魔蝕体の発生。
バルタ村での被害は、畑荒らしと家畜小屋の破損のみではあるが、今日明日にはどうなっているか。
謎の獣は、日ごと近づいていて、しかも村のそばに留まっている。
次に壊されるのは、柵や柱で済まないかもしれない。




