第十話 深奥から呼びかける声
「あなたは誰? どこから来たの? ここで何をしてるの?」
質問が三つ、ほとんど一息で飛んできた。
ラヴィは少しだけ目を瞬かせる。
樹鎧獣を前にしていた時より、別の意味で反応が難しい。
「質問が多いね」
「だって気になるもん!」
少女は当然のように言った。
その声に怯えはない。さっきまで森のヌシと向き合っていたとは思えないほど、まっすぐで明るい。
「俺はラヴィオン。アストラディアって所から来た。この森の近くの村の依頼で、森の異変を調べてた」
「アストラディア!」
少女の琥珀色の瞳が、ぱっと明るくなる。
「外の街? 大きい? 人いっぱいいる? 屋台とかある?」
「あるけど、その前に」
ラヴィは倒れた樹鎧獣を指刺した。
「あれを止めてたけど、怪我はない?」
「あ、そうだ。名前!」
少女はそこで思い出したように、胸を張った。
「私はルナリア。ルナリア=ドーンフェル!ラヴィオン君のお陰で無事だよ!」
「ルナリア」
ラヴィはその名前を繰り返しながら、あらためて目前の小柄な少女を見る。
蜂蜜色の髪。
濃い琥珀色の瞳。
深緑の服と、手にした棍。
歳はラヴィより下に見える。けれど、樹鎧獣を正面から止めていた動きは、非力な少女のものではなかった。
それに、あの瞳。
地殻眼に近い色だが、少し珍しい。土の茶というより、暗めの琥珀に近い色をしている。
「ルナリアも、術師?」
「うん。魔法も使えるし、これも」
ルナリアは手元の棍を軽く振ってみせた。
樹鎧獣の前肢を受けたせいだろう。棍の表面には大きく亀裂が走っていて、真ん中あたりがわずかに歪んでいる。
「力には自信あったんだけどな」
ルナリアは少しだけ頬を膨らませた。
「軽く振っただけで折れちゃいそう」
「よくそれで止めたね」
「止めなきゃ、集落の方に行っちゃうと思って」
さも当然かのように言う。
ラヴィは少しだけ目を細めた。
ただの勢いだけではない。
やはり人が住む場所があるのか、ラヴィがそう考えているとルナリアが顔を覗き込んでくる。
「でも、ラヴィオン君の方がずっとすごかった。水の魔力で斬ってたよね?外の術師って、みんなあんなことできるの?」
「みんな、ではないかな。まあ俺より全然強い人もいるよ」
「そうなんだ!でもこんなに強いなら、魔物は全部倒せちゃうんじゃないの?」
「別に、そんなことはないよ」
ラヴィは軽く流してから、倒れた樹鎧獣へ視線を戻した。
「それより、ルナリアが止めてくれてなかったら追いつけなかった。ありがとう」
「え」
今度はルナリアが瞬きをした。
そんなこと言われるなんて思っていなかった、という顔だった。
それから、少しだけ頬を緩める。
「……うん。どういたしまして!」
その返事は、素直で、まっすぐだった。
「それで、ラヴィオン君は本当に外から来たんだよね?」
ルナリアは、もう一度その言葉を確かめるように言った。
「まあ、外と言えば外かな。少なくとも、この結界の外から来た」
「~~っ!」
声にならない声をあげながら、ルナリアは目を丸くしている。
その後もラヴィは、外の世界についてあれこれ尋ねられた。森に住む少女の好奇心は、尽きる気配がなかった。
──ふと、その質問が止んだ。
ルナリアはラヴィを真っ直ぐ見上げて、口を開く。
「ねえ、ラヴィ君。お願いがあるの」
その表情からは笑みが消えていた。
「私、ずっと森の外に行ってみたくて。連れてってくれないかな?」
「えっ?」
ラヴィの戸惑った声を聞き、ルナリアは慌てて口を開く。
「別に今すぐじゃなくてもいいけど!」
「いや、そういうことじゃなくて」
ラヴィは思わず眉を下げた。
「さすがに外に連れて行くのは、出来ない。まだ会ったばかりだし。第一、家族の許可も必要でしょ」
「それは、そうだけど……!」
諦める気は無さそうだ。
「そういえば、ラヴィオン君は今からどうするの?」
ラヴィオン君。
何度か慣れない呼ばれ方をされ続けたラヴィは、そこでようやく気づいた。
自分はまだ、彼女と違って名だけしか名乗っていない。
「ああ。そういえば、ちゃんと名乗ってなかったね」
「え?」
「ラヴィオン=フロストヴェイル。ラヴィでいいよ」
「ラヴィ君」
ルナリアは一度、確かめるようにその名を呼んだ。
それから、満足そうに頷く。
「うん。ラヴィ君ね」
そのまま自然に受け入れられて、ラヴィは小さく笑った。
「それで、俺はそろそろ帰らないと」
「えっ」
唐突な申し出にルナリアの顔が、一瞬硬くなった。
ラヴィは木々の隙間から空を見上げる。
森の奥はもともと薄暗い。
けれど、差し込む光はもう昼の色ではないようだった。
「急がないと日が暮れる。さすがに、暗い未開地の森で遭難するわけにはいかないから」
「でも、ちゃんとお礼出来てない。ラヴィ君は、私たちの命の恩人だし」
「……ルナリアの村って、外の人間を簡単に入れて良い場所なの?」
「それは……、でもちゃんと言えば分かってくれる。私がちゃんと説得して──」
その時、風が止まった。
木々の葉擦れも、遠くの鳥の声も、ふっと薄くなる。
次の瞬間、ここまで何度もラヴィの内側で揺蕩っていたものが、強く脈打った。
「っ……」
苦しい。
遥か遠くの身体の奥に、空白が生まれたような心地。
そこへ何かが満ちていき、ねじれ、ほどける。
けれど満ちていくほどに、その間近にある深淵は、さらに広がりながら閉じていく。
自分のすぐ裏側にあるその言い知れぬ感覚に、ラヴィは反射的に胸元へ手を当てていた。
「ラヴィ君?」
ルナリアの声が、少し遠く聞こえる。
もう一度、胸の奥が震えた。
先ほどより、はっきりと。
その時、森の奥から柔らかな声が届いた。
『ルナリア』
呼ばれた瞬間、ルナリアの肩が小さく跳ねた。
「フォルシル様!」
声が、思わず弾む。
彼女は一歩、森の奥へ踏み出しかけて、すぐに踏みとどまった。
口元を引き結び、ラヴィの方を振り返る。
その時、先ほどの柔らかな声が、森の奥から再び届いた。
『それと──、古き力を内に秘めし少年よ』
ラヴィの内側で続いていた胎動が、一段強くなる。
古き力。
その言葉に、胸の内側にいる何かが応えたような気がした。
『私の元へ来てくれないか?』
ラヴィは、声のした森の奥へ視線を向けた。
悪意は感じない。奥から薄く感じられる気配から、恐らく『フォルシル様』というのは上位精霊の類なのだろう。
けれど、奥に行けば、今日中に森を抜けるのは難しくなる。
ラヴィは胸を押さえたまま、ゆっくりと息を吐いた。
「……それでも、俺は行かないと」
絞り出すような声だった。
「ラヴィ君、今のその状態で行ける訳ないじゃん!」
ルナリアが一歩、踏み込んでくる。
「ちゃんと事情を説明するから。集落に入れるように、私が──」
ルナリアの言葉に、柔らかな声が重なった。
『村の者には、私からも話を通しておくよ』
ルナリアは大きく頷くと、ラヴィに向き直る。
「フォルシル様は、私たちの集落が昔から信仰してる精霊様。信じて、大丈夫」
その言葉には迷いがなかった。
ラヴィは上位精霊の存在について聞いたことはあったが、接触するのは初めてだった。
『その胸のざわめきに、戸惑っているのだろう?』
柔らかな声が再び届く。
ルナリアはラヴィの目を見た。
彼女は口元を引き結んだまま、小さく頷いた。
……確かに、この状態で一人で森を抜けられそうにない。
それに、自分の内側で起きていることについて、この声の主は何かを知っているかもしれない。
ラヴィも軽く頷いて、声のする方へと目を向けた。
森のヌシが倒れた後の森に、もう轟きはない。
代わりに、内側で脈打つ何かが、ラヴィを奥へと促しているように騒いでいた。
次回、ようやくマスコットちゃんが登場。




