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天狼の星  作者: 神箭花飛麟
老上本紀

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17/18

十七 変わりゆく大地

ジーユが単于になって、一年が経った。


特に何も起きなかった。

漢から贈り物が来た。受け取った。

東の烏桓が少し騒いだ。使者を送った。収まった。

北の丁零が羊を盗んだ。兵を送った。返ってきた。

それだけだった。


アンゴトが言った。

「平和ですね」

「ああ」

「張り合いがない」

「お前は戦がしたいのか」

「したいわけではないが」

「なんだ」

アンゴトは草原を見た。

「静かすぎて、ボグドのことを考える時間が多い」

ジーユは何も言わなかった。

風が吹いた。


ジーユは毎日、弓を引いた。

父がそうしていたと聞いたからではなかった。

単に、弓を引かないと落ち着かなかった。

的に矢を放つ。放つ。放つ。

考えが整理された。


トルゲルが隣に来た。

「うまいですね」

「父には及ばない」

「私も及びません。当然です」

「どれくらい違うんですか、父と」

トルゲルは少し考えた。

「あなたが今の腕で百本放って、ボグドは同じ数だけ遠くに放てた。それくらいです」

「そんなに」

「矢の引き方が、根本から違いました。月氏と匈奴の引き方を合わせた、独自の引き方でした」

「教わりましたか」

「少し。しかし理解しきれなかった」

ジーユは弓を下ろした。

「ゲレルという女が教えたんですよね、きっかけは」

「そう聞いています」

「会ってみたかった」

「西の果てにいますよ、今頃」

「今頃、何をしているんでしょうね」

トルゲルは空を見た。

「さあ。子や孫に囲まれているかもしれない」

「父のことを覚えているでしょうか」

「覚えていると思います」

「なぜ」

「あの弓の引き方を、ボグドに教えた女です。忘れないでしょう」

ジーユは西の空を見た。

遠かった。


漢の文帝が使者を送ってきたのは、ジーユが単于になって二年目の秋だった。

和親の更新だった。

「先代単于の時と同じ条件で、和親を続けたいと申しております」

使者は礼儀正しかった。

ジーユは使者を見た。

四十代の、落ち着いた男だった。目が静かだった。

「文帝はどんな男だ」

「聡明で穏やかな君主です」

「お世辞はいい。本当のことを言え」

使者は少し間を置いた。

「民を大事にします。贅沢をしません。自分の棺桶は安い木で作れと言っています」

「倹しい男か」

「はい」

「そういう男の国は、崩れない」

使者は驚いた顔をした。

「単于は漢を恐れているのですか」

「今は恐れていない。しかし、そういう皇帝が続けば、いつか恐れる日が来るかもしれない」

「では、和親は」

「続ける。条件は父の代と同じでいい」

使者は深く礼をした。

「ありがとうございます」

「帰る前に一つ聞く」

「はい」

「文帝は北を向いているか」

使者はまた少し間を置いた。

「今は、内を固めることに集中しています」

「正直に答えた」

「は」

「お世辞を言わなかった。いい使者だ」

使者は頭を下げたまま、何も言わなかった。


アンゴトが病になったのは、その冬だった。

チュルンの時と同じ、咳から始まった。

ジーユは南の医者を呼んだ。

アンゴトは嫌がった。

「チュルンと同じことを言うな」

ジーユは言った。

「しかし」

「単于命令だ」

アンゴトは黙った。

それから笑った。

「ボグドも同じことを言いました」

「父がそう言ったなら、俺もそう言う」

「親子ですね」

「当然だ」

医者が来た。

「休養が必要です」

「馬には乗れるか」

「少し乗る程度なら」

「それで十分だ」


冬の間、アンゴトは天幕にいた。

ジーユが毎日来た。

話を聞いた。

ボグドの話を、まだ聞いていなかった部分を聞いた。

「東胡を倒した後、何日で月氏に向かいましたか」

「一月後です」

「兵が疲れていたでしょう」

「疲れていました。しかしボグドは一月で十分と言って動いた」

「なぜ一月だったんですか」

「聞きませんでした。ただ、一月後に全員の顔が変わっていた。疲れがあっても、次に向かう顔になっていた。それが一月だったんだと思います」

「顔を見て決めたんですか」

「そうです。ボグドはいつも兵の顔を見ていました。数ではなく、顔を」

ジーユは黙って聞いていた。

「俺もそうしようとしているが、難しい」

「最初は難しいです」

「どうすれば」

「まず名前を覚えることです。顔と名前が一致すれば、顔が見えてくる」

「何人くらい覚えていましたか、父は」

「千人は超えていたと思います。直接会った者は全員覚えていた」

ジーユは少し驚いた顔をした。

「千人」

「記憶力が異常でした。一度会えば忘れない」

「俺は三百人で限界です」

「三百人でも十分です。ボグドは異常でした。あなたは普通です」

「普通か」

「普通に強ければ十分です」

ジーユは笑った。

珍しいことだった。

アンゴトも笑った。

咳が出た。

それでも笑い続けた。


春になった。

アンゴトは回復した。

チュルンほど重くはなかった。

草原に雪が溶け、緑が戻った。

アンゴトは久しぶりに馬に乗った。

ゆっくりと、草原を歩かせた。

トルゲルが並んだ。

「よかった」

「医者が当たりだった」

「南の医者は優秀ですね」

「認めたくないが」

トルゲルは笑った。

「ボグドが南の医者を呼んだ時、チュルンが言っていましたね。草原の医者で十分だ、と」

「言っていた」

「あなたもそう言いかけた」

「言わなかった」

「なぜ」

アンゴトは少し間を置いた。

「チュルンがああなったから」

二人は黙った。

草原の風が吹いた。

南から来た風だった。暖かかった。

「長生きしましょう」

トルゲルが言った。

「ジーユのために」

「ジーユは大丈夫だ」

「大丈夫だからこそ、傍にいた方がいい」

アンゴトは空を見た。

雲が流れていた。

「そうだな」

馬を少し速めた。

草原が広がっていた。

どこまでも続いていた。

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