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天狼の星  作者: 神箭花飛麟
冒頓本紀

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十四 書簡

チュルンが言った。

「呂后の夫が死にました」

「知っている」

「漢の皇帝が死んで、老いた女が一人で国を動かしています」

「知っている」

「今なら」

「わかっている」

ボグドは弓の弦を張りながら言った。

チュルンは一本腕を揺らした。

「攻めますか」

「攻めない」

「では」

「別の手がある」


ソンコを呼んだ。

「呂后について、全部話せ」

ソンコは三日かけて話した。

劉邦の正妻として苦労した話。劉邦の寵愛する妾を殺した話。その妾の子も殺した話。今は息子を皇帝に立てて自分が全部動かしている話。

「恐ろしい女ですね」

アンゴトが言った。

「強い女だ」

ボグドは言った。

「劉邦が生きている間から実権を握っていた。そういう女を動かすには、怒らせればいい」

「怒らせて、どうするんですか」

「怒った女は判断を誤る」

テムルが口を開いた。

「しかし怒った漢が南から来たら」

「来させればいい。漢が来れば、草原での戦いだ。こちらが有利だ」

「白登山の再現ですか」

「そうだ。あの時より、こちらは強い」

テムルは黙った。

しばらくして言った。

「どうやって怒らせますか」

ボグドは少し笑った。

珍しいことだった。


書状を書いた。

一人で書いた。

書き上げて、アンゴトに読ませた。

アンゴトの顔が赤くなった。

「これは」

「送る」

「本当に」

「送れ」

「単于、これは」

「送れと言った」

アンゴトは書状を持ったまま固まっていた。

チュルンが横から取って読んだ。

読み終えて、天を仰いだ。

「豪快ですね」

「送れ」

「わかりました」


書状にはこう書かれていた。

「私は草原に生まれ、馬の上で育ちました。太后は漢の宮殿でお一人でいらっしゃるとのこと。互いに持っていないものを、補い合えないものでしょうか」

漢の皇太后に、閼氏になれと言っていた。


漢の宮廷が騒いだとは、後でソンコから聞いた。

呂后は激怒した。

将軍たちを集め、討伐を叫んだ。

樊噲という将軍が言ったそうだ。

「十万の兵があれば、匈奴など踏みにじってやる」

ソンコが続けた。

「しかし季布という男が止めました」

「どんな男だ」

「冷静な男です。樊噲の言葉を聞いて言った。『樊噲は斬るべきです。高祖は四十万でも白登山で包囲された。十万でどうするつもりか』と」

「呂后は」

「収まりました。代わりに、謝罪の書状を送ってきました」

ボグドは頷いた。

「謝罪の内容は」

「老いと病を理由に、失礼な書状のことを詫びています。贈り物も来ました。馬と絹と」

「受け取れ」

「はい」

「返書を書く。丁寧に書く」


アンゴトが言った。

「結局、また和親ですか」

「そうだ」

「最初から和親のつもりだったんですか」

「そうだ」

アンゴトは呆れた顔をした。

「では、なぜあんな書状を」

「試した」

「何を」

「漢の器を。呂后が怒って攻めてきたら、白登山の再現だった。冷静に謝罪してきたなら、和親が続く。どちらに転んでも、こちらに悪いことはない」

「しかし呂后が本当に怒って攻めてきたら」

「来ればよかった」

「怖くなかったんですか」

ボグドは少し間を置いた。

「怖かった」

アンゴトが目を丸くした。

「本当に」

「樊噲が十万で来れば、やっかいだった。白登山の時の劉邦とは違う。樊噲は戦い方を知っている」

「では」

「だから季布が止めてくれてよかった」

アンゴトは笑った。

久しぶりに見る、気が抜けたような笑い方だった。

「あなたが怖いと言うのを、初めて聞きました」

「言うわけがない。お前が聞いたのも、今だけだ」

「わかっています」


チュルンが言った。

「呂后はいつ死ぬでしょうか」

「なぜ」

「呂后が死んだら、漢は内部で争う。また隙ができる」

「そうだな」

「その時はどうしますか」

ボグドは空を見た。

夕暮れだった。西の空が赤かった。

「その時はその時に考える」

「今から考えておかないと」

「今考えても、呂后はまだ死んでいない。死んでから考えれば間に合う」

チュルンは一本腕を揺らした。

「悠長ですね」

「悠長でいい。急いで失敗するより、ゆっくり確実な方がいい」

「李牧の時からは想像もできない考え方ですね」

ボグドは振り向いた。

「李牧の時」

「あの時のあなたは、とにかく動いていないと気が済まないようでした」

「今も動きたい」

「でも止まれるようになった」

ボグドは黙った。

止まると考える。

父のことを、セルガのことを。

しかし今は、考えられるようになっていた。

「年を取ったのかもしれない」

「三十代でそれを言いますか」

「草原では、三十代は十分に年寄りだ」

チュルンは笑った。

焚き火に薪を足した。

炎が大きくなった。

※ 史書『漢書』匈奴伝に記される。冒頓は呂太后に対し、「共に足りないものを補い合おう」という性的に侮辱的な書状を送った。呂太后は激怒し討伐を叫んだが、季布の諫言により自制し、謝罪の返書と贈り物を送った。冒頓もこれを受けて丁寧に返書を送り、和親は続いた。

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