第6話 狩る者、狩られ(そうになって)る者
10/20 序盤の大幅改稿を行いました。
第6話は旧7話の一部を第5話に移し、残りの部分に加筆したものです。
詳細は活動報告をご覧ください。
ご迷惑おかけして申し訳ありません。
「金獅子王」とその栄誉を称えられる、父・アレクシアス。
その英雄の息子として、次代の王として将来を嘱望されてきたレグルスは、己のその立場をよく理解しているのだろうと思う。
シュナスにとって、全てにおいて完璧な兄——それがレグルスだ。
病を得て臥せった王に代わり政務も執り行い、数々の施策により戦争の爪痕が色濃く残るラディアを立て直してきた。
結果としてレグルスは若くしてその政治手腕を評価されるに至った。ラディアに次代の賢王あり、と謳われるほどに。
兄が五年前の戦でどれ程の戦果を挙げたのか。当時まだ幼く城で帰りを待つ身でしかなかったシュナスでさえも、それをよく知っている。
当時まだ十五歳の若き王子が、比類なき強大な魔力で敵陣に甚大な損害を与える——その武勇は戦場にいた騎士たちから伝え聞いただけでも、シュナスの心を躍らせるには十分だった。
騎士たちの語る兄の姿は、シュナスにとって誇らしく、そしてまだ幼き胸を熱く高鳴らせる英雄そのものだったのだ。
(なのにどうして、サリガンやアシュフォードは兄上じゃなく私を王に推すんだろう……)
シュナスの知るディオーレ侯爵ラッセル・サリガンは、父王を心から崇拝し剣を捧げる騎士の鑑のような男だ。
かつて戦場では常に王の傍らに付き従い、身命を賭して守護してきた。その忠義に厚い宰相が今何を思い、いかなる目的で動いているのか——シュナスにはそれが全く理解できずにいる。
シュナスは思考とは裏腹に、にこやかな笑顔を崩さずロザリアの向かいの席に腰を下ろす。侍従が鮮やかな手付きでティーカップをテーブルに置いて、そこに華やかな香りの紅茶を注ぐ。これはロザリアの好きな茶葉だ、とかそんなことを考えながらシュナスは紅茶に手を伸ばした。指先の僅かな震えを悟られぬよう、いつもより少し強く力を込めてティーカップの取っ手を握る。
それに気付いているのかいないのか、ロザリアはにこりと微笑んだ。
美しい笑顔の下に見え隠れする打算と欲望。それが彼女、ロザリア・アシュフォードだ。
アルカ騎士団の団長を務めるアシュフォード侯爵の愛孫で、シュナスやレグルスにとっては昔から嫌という程熟知している少女でもある。
ロザリアは昔から溢れる自信と尽きぬ欲望を隠そうともしない。
祖父の持つ権力と人脈、そして潤沢な資産。自らの美貌をも武器に、使えるものは全て使って欲しいものを手に入れてきた。
しかし、シュナスは知っている。
彼女、そしてアシュフォードが真に欲しがっているもの。それは彼女が幼い頃からただ一つ。王太子妃の座だ。
そのために、かつてはレグルスを射止めようと付きまとっていた時期もある。だがレグルスには十二の歳の頃から婚約者がいたし、何よりも兄はロザリアのことなど最初から視界にすら入れていなかったように思う。
やがてシュナスを擁立する勢力が台頭してくると、彼女は何事もなかったかのようにあっさりと鞍替えしてしまった。
シュナスはサリガンが何故自分を王に推すのかはわからない。だが、目の前の彼女のことならわかる。
いま彼女が狙いを定めているのは——シュナスだった。
「シュナス殿下、今日はどちらまでいらしていたのです? まさかとは思いますけれど、また城の外までお出かけになられていたのでは——」
「ち、ちがいます! 兄上と鳥を……あっ、いえっ! 鳥って可愛いよねってお話を……!」
焦ったあまりに余計なことを口走ってしまい、慌てて誤魔化す。
だがロザリアの眉はみるみるうちにつり上がった。
「……わたくし、鳥は嫌いですの」
「あっ、そうっ……そうなんですね!? いや、あのホラ、こっ……近衛の! 詰所にですね!」
どうにか取り繕おうと噛み倒してしまったシュナスを、ロザリアはくすりと笑った。
少し赤みを帯びた艶やかな黒の巻き髪を手で払うと、長い睫毛で縁取られた瞳を細める。
「まぁ、そんなに慌てて。可愛らしいシュナス様」
シュナスは背中を這い上がる悪寒に、無理矢理に口角を上げることしかできなかった。
彼女には幼いころからよく知られているが故に、シュナスの取り繕った誤魔化しなど通じない。その紅の光を宿した瞳に射抜かれると、全てを見透かされているかのように思えてしまう。
彼女はまだ十五歳とは思えないほど大人びた、まるで優美な大輪の薔薇を思わせる端麗な笑みでシュナスを見つめていた。
(たっ、助けてぇぇぇ! 兄上ー!)
先程までは自分が助けると決意していたはずの兄を心の中で呼ぶ。
たとえこの場にレグルスがいたのだとしても、面白そうににやりと笑いながら「頑張れ」と目線を送ってくるだけだろう。そう確信してシュナスは危うく白目を剥きそうになった。
蛇に睨まれた蛙の気持ちとはこんなものなのだろうか、とシュナスは生まれて初めて蛙に妙な親近感を覚える。
「じっ……実は、兄が体調を崩してしまいまして」
平静さを装いながら切り出したシュナスの言葉に、ロザリアは「まぁ」と驚いたように声を上げた。
アシュフォードは第二王子派の主要貴族だ。宰相であるサリガンを筆頭に、レグルスを今の苦境に追い込んだ。レグルスを国政から排除し、シュナスを王にしようと動いている。そこにシュナス本人の意思など全く介在しない。
彼らが欲しがっているのは、強い魔力と大局を見通す眼を持つ王ではない。意のままに操れる傀儡の王。シュナスを王にしてしまえば、それが叶うと思っている。
ロザリアも同じだ。だが、相手が彼女ならば勝機はある。
彼女はレグルスを食えない兄と、シュナスを愚かな弟だと決めつけているからだ。シュナスが突く隙はそこにあった。
「それで、景色のいい見張り塔でしばらくの間療養したいと。アルニラムが母の事故に関与していたことをサリガン卿が調べ上げてくれて、領地謹慎になったそうなのです。それを知った兄は随分と気落ちしていて、私は心配で……」
シュナスはペラペラと言葉を並べ立てる。もちろんこれも全てレグルスの策だ。
ロザリアは扇を取り出して広げると、口元を隠すようにして痛ましげな表情をしてみせた。
「そうだったのですね……わたくしもレグルス殿下が心配ですわ」
彼女はシュナスのことをよく知っている。だがそれはお互い様だ。シュナスも彼女の本性をよく知っていた。
まるで本当にレグルスを心配しているかのような声色でありながら、彼女の言葉には全く心がこもっていない。
そして同時に、演技が多少大仰すぎたもののそれでも十分に効果はあったと確信した。扇で隠れている彼女の口元が愉悦に歪んだ——その頬の僅かな動きを見逃さなかったからだ。
「ありがとう、ロザリア嬢」
シュナスはしゅんとしたように「兄が心配でならない無力な弟」の顔を見せる。
愚かだと思われているのならば、その通りの姿を演じるだけだ。そうして彼女の口からアシュフォードらに語ってもらうのだ。レグルスが弱っているということを。
気付かれないよう拳を握り、覚悟を決める。
そう、これは——シュナスの戦いだ。
「兄は誰にも会いたくないと言っていて……」
「まぁ、それほどまでにレグルス殿下は気落ちしていらっしゃるのですね?」
まるでレグルスの不調を確認するように、ロザリアが大袈裟に驚く。シュナスは内心穏やかでないまま話し続けた。
「兄とアルニラムは幼い頃からずっと共にありましたから……まさかアルニラムが母の死に関わっていたなど、兄の動揺は計り知れません」
彼女がどこまで自分の言葉を信じてくれるかはわからない。野心剥きだしの彼女が相手ではあるが、こちらの策に利用しようというのは気が引けた。やらねばならぬことだと理解してはいるが、罪悪感がないと言えば嘘になる。
これは自分にしかできないことなのだと、己に言い聞かせるように心の中で繰り返した。
「ロザリア嬢の御祖父上やサリガン卿には兄の分の政務まで押し付けてしまって申し訳ないのですが、しばらくの間兄には療養が必要かと……」
ロザリアの朱砂のような瞳がぎらりと光を放つ。それは獲物を見つけた肉食獣にも似た鋭さだ。
シュナスは口から飛び出そうになった「ヒエッ」という悲鳴を、無理矢理に飲み下した。
「いいえ、それが祖父やサリガン様の職務ですわ。レグルス殿下はゆっくりお休みなさった方がよろしいですわね。これまで色々と大変でしたでしょうから」
そのレグルスを苦しめていた「色々と」の中に、サリガンやアシュフォードを中核とした第二王子派との確執も含まれている——のだが、そんなことを口にできるはずもない。
「これからどうなってしまうのか、私も不安で……」
肩を落として上目遣いで彼女を見る。駄目押しに、ちょっと瞳を潤ませた。
ロザリアは目を細め、扇の向こう側でふふ、と笑う。立ち上がり、シュナスの隣に座るとそっと顔を近付ける。
「大丈夫です、殿下。このラディアにはシュナス殿下がいらっしゃいますもの」
耳打ちするように囁いたかと思うと、サッと扇を畳み、また立ち上がる。彼女がくるりと振り返ると、ドレスの裾がふわりと優雅に弧を描いた。
「レグルス殿下には、どうぞくれぐれもお大事にとお伝えくださいませ」
にこりと笑顔を見せると、彼女は颯爽と部屋を出て行った。
侍従がそっと閉ざした扉の向こうから彼女の靴音が聞こえなくなると、シュナスは椅子から滑り落ちるようにして床にへたり込んだ。
シュナスは、引き攣ったまま戻らなくなった笑顔でそっと——蛙の気持ちを考えていた。




