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果ての大地の再興譚~引きこもり王太子と弟王子が国を取り戻すまでに起こったこと~  作者: 町村 シロ
5章 癒えない傷跡

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第45話 何であれ

 ヴォルフラムが再びレグルスの元を訪れたのは、その日の夕方だった。

 ベルがリゲルとミンタカの手を借りながら部屋の掃除やシーツの交換などを済ませ、ようやく落ち着いた頃だ。ヴォルフラムは一人の男を連れてやって来た。


「いやぁ、面白れぇもんだなぁ、あの隠し通路も」


 そう言って豪快に笑う熊のような男は、太い指先で摘んだ小瓶をゆらゆらと振った。中で、赤い液体が揺れる。


「それ……もしかして……」


 ミンタカが少し眉を顰めながら見つめる小瓶には、レグルスの血液と、それが固まるのを防ぐための薬液が入っていた。


「王家の秘密も、もうあってないようなものだな」


 セラフィーナが腰に手を当てて小さく溜息をついた。


「使えるものは使わせてもらう。もちろん、秘密は墓まで持って行ってもらうがな」


 レグルスが少し口角を上げて答えると、ヴォルフラムはまた声を上げて笑った。

 

 レグルスの視線が、ルカの様子を診る男へと向かう。

 ひょろりと痩せた背の高い男。少しくすんだ銀の長い髪を緩く編み、左目には眼帯を着けている。見た目は四十代前半といったところだろうか。

 

 彼は「ハーヴィです。ただの、ハーヴィ」とだけ名乗った。ヴォルフラムの友人で、ルカとも知り合いらしい。ルカの胸や手足の傷口を診て軟膏を塗り、新しい包帯を巻き直す。額と頬の裂傷には同じ軟膏を塗った保護布を張り付けた。


「まぁ、あいつは研究以外には何も興味がねぇような男だ。ある意味誰より信頼できらぁな」


 彼は医師であり、魔術師、そして古代文明を研究する考古学者でもあるとヴォルフラムが説明した。それを聞いて思い出したように「ルカが知り合いに研究者がいると言っていた」と、シュナスが語った。


「しばらく高熱が続くでしょう。あまり良い状態とは言えませんが、寝かせておけばそのうち起きますよ」


 最後にハーヴィは「ルカのことなので」と付け加えた。


「まぁ傭兵家業なんざ、死ぬのも死にかけるのもそう珍しいこっちゃねぇしな」


 ヴォルフラムがそう言って笑うのを、セラフィーナが呆れたように見ていた。


「包帯は毎日取り換えて、傷口にはこの軟膏を塗り直してください。大きな傷は治癒術で塞いでいただいたので、しばらくは痛むでしょうがあとは放っておけば治ります」


 それだけ言うとハーヴィは長椅子に座り、持っていた鞄を机の上に置く。そこから何やら袋を取り出した。中には小さな粉薬の包みがいくつも入っている。ルカが目覚めたら飲ませるようにと、軟膏と一緒にそれをベルに手渡した。


「改めて、対帝戦争振りか? 王子さんよ。……随(・)分(・)元(・)気(・)そ(・)う(・)じゃねぇか。あんたも診てもらうか?」

「いや、いい。少し寝ていれば治る」


 寝台の隣に座るセラフィーナが何か言いかけたが、それを視線で遮った。

 ヴォルフラムは五年前の対帝戦争で活躍した傭兵だ。傭兵部隊のまとめ役のような男——レグルスやセラフィーナにとっては戦友であり、戦地で共に語らった仲間の一人だった。


「昨日の現場。もいっぺん見てきたが、死体は全部消えてた。あのバケモンも跡形なく、な」


 ヴォルフラムの言葉に、セラフィーナが「あのマスクの男か」と呟くように言う。

 傭兵は「多分な」とだけ答えてレグルスとセラフィーナに向けてお手上げといった様子で両手を広げた。


「随分な働きもんだぜ、その男。まぁ、他に何人かいたのかも知れねぇが。あそこから情報と呼べそうなもんはもう何も出てきそうにねぇな」


 レグルスは「そうか」と一度目を伏せ、それから真っ直ぐヴォルフラムを見る。


「ヴォルフ。……ルカは、何者だ?」


 単刀直入に切り出した。

 ヴォルフラムは一瞬だけレグルスを見て、ルカの寝台の足側に椅子を置き、そこに腰かける。それからほんの少し、視線を伏せた。


「……俺や女房、それからそこのハーヴィと昔馴染だった男がな、こいつの養父になってたらしい。宗(ソウ)っていってな。対帝戦争よりもっと前、アルカで傭兵をしてた」

 

 シュナスがルカの寝台の傍にある小さな机を振り向いた。そこにはルカの首にかかっていた細い鎖(チェーン)が置いてある。ルカの血に塗れて赤黒く汚れていたそれを、シュナスが今朝丁寧に洗い落とした。

 鎖には二枚の小さな金属の板と、細い銀の指輪が着けられていた。二枚の板には傭兵ギルドの紋章。その裏には、それぞれ名前が刻まれていた。

 

 一つは、ルカの名前。

 もう一枚には、「宗・シーヴィス」と。

 シュナスがそれをヴォルフラムに差し出すと、彼は大きな手でそっと受け取った。懐かしそうに目を細め、その細い指輪を摘み上げた。


「そうか……ルカが持ってたか」


 その指輪は恐らく女性用だろう、華奢で飾り気のない造りだった。

 ヴォルフラムはその鎖を、シュナスの掌に優しく置いた。


「ルカが何者かってことならな、誰も知らねぇ。あいつがアルカに来たのは二年とちょっと前だ。それまでは宗と暮らしてたらしい」


 シュナスが机の上にそれを置き直すのを見ながら、ヴォルフラムが眉を寄せた。


「——ミゼリオ、って言ったら伝わるか?」


 セラフィーナが小さく息を飲んだ。

 シュナスの隣で、テティレイシアが口元を両手で抑える。


「……ミゼリオ虐殺、か——」


 レグルスの言葉に、ヴォルフラムが小さく頷いた。

 ミゼリオはルブルムの北部、エルド帝国との国境近くにかつて存在していた小さな町の名だ。

 二年と少し前。エルド帝国がルブルムに侵攻した際、最初に壊滅させられた町だった。

 

「宗がいつ頃からミゼリオで暮らしてたのか、どうやってルカと知り合ったのか、誰も何も知らねぇ。だが宗はそこで死んだ。——剣だけ、遺してな」


 レグルスは、ルカの寝台の傍に立てかけられた剣を見た。小柄なルカには不釣り合いな長さの剣を。


「そりゃあビックリしたぜ。こんなチビが一人でふらっとギルドに現れて、宗の会員証と剣を見せてよ。『宗は死んだ』『ここへ行けと言われた』ってな。それだけでも訳がわからねぇのに、何を聞いても答えねぇときた。……最初は今よりもっと口数少なかったんだぜ、こいつ」

 

 どこか遠くを見るように、ヴォルフラムが笑う。

 

「宗の息子だってんなら、俺の息子も同然だ。うちの奴がそりゃあ気にかけてな。女房はノーラってんだが、何かと面倒見て——」


 ノーラの名はレグルスも知っていた。シュナス達が最初に攫われた時、ルカを紹介してくれたと聞いている。

 

「まぁ心配してたらこれがまた強ぇのなんの、この歳で随分と御大層な通り名まで付いててよ。宗の奴はなんだってこんなとんでもねぇガキを息子にしたんだって呆れたもんだ」


 それからヴォルフラムは大きく溜息をついた。眉を寄せ、ルカの寝顔を見つめる。

 一瞬迷ったように視線を揺らしてから、彼は口を開いた。


「……ルカが何者かは知らねぇが……『氷狼』って通り名だけは、対帝戦争の頃に聞いたことがある」


 レグルスの眉が、ピクリと動く。ヴォルフラムの横顔を見た。


「聞こえてくるのはその通り名ばっかりで、誰もその正体を知らねぇ。闇夜に現れるんだとよ、黒い獣みてぇなやつが。そいつに会っちまったら生きては帰れない、ってな。……こいつがラディアに来てしばらくした頃だ。いつの間にか、ルカをその通り名で呼ぶ奴が出てきた」


 ヴォルフラムは少し間を置いて、続ける。

 その表情は柔らかく、それでいてどこか遠くを見ているようだった。


「そんな大層な通り名、誰が言い出したんだかはわからねぇ。あの頃そう呼ばれてたのがこいつ本人かどうかもな。だけど不思議なもんでよ。こいつを見てるとピッタリに思えてくるんだよ、その通り名も。治癒術苦手で、女子供に滅法弱くて、何だかんだ他人に甘くて——こんなチビなのにな」

 

 ヴォルフラムは少し笑った。それから一度顔を伏せ、ぱん、と膝を叩く。


「ま、俺が知ってることなんざそんなもんだ。あとはこいつが起きたら聞いてみりゃあいい。答えてくれるかは知らねぇけどな」


 レグルスを振り向いたヴォルフラムが、ニッと口の端を上げた。眠り続けるルカの横顔をじっと見つめてから、シュナスに視線を移す。シュナスは隣で俯くテティレイシアの手をそっと握っていた。


「そう気にすんな、小せぇ王子さんよ。こいつだけじゃねぇ、よくあるこった。このご時世、誰もかもが何かしらあるってもんよ。傭兵なんぞ生業にしてる馬鹿共は特に、な」


 シュナスの背中をばしんと叩きながら、笑う。


「何であれ、こいつはこいつだ。悪ぃやつじゃねぇ。目付きは悪ぃがな」


 その言葉に、ハーヴィが表情を変えずに頷く。

 シュナスが、ヴォルフラムの顔を真っ直ぐ見つめた。


「……うん。ルカは——ルカだ」


 シュナスは大きく頷いて、ルカを見る。

 ヴォルフラムがニッと笑った。

 眠るルカをどこか寂しそうな笑顔で見つめるヴォルフラムは、父親の顔をしていた。

 もっと無口だったというのなら、きっと彼らが変えたのだろう。ルカという少年を。


 レグルスは小さく息を吐いた。戦争が、全てを塗り替えてしまった。それはきっと、自分たちだけではなく——。

 それでも、こうしてルカは生きている。生きてきたのだと。

 彼を見つめる弟の瞳は、決して哀しみだけを映してはいなかった。

 レグルスはセラフィーナと目を合わせる。

 それから、少し笑った。


 

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