第44話 ルブルムの騎士
窓から差し込む日差しに、レグルスは瞼を開いた。カーテンの隙間から見える空は、朝焼けに染まっていた。
「っ……」
胸の奥を走る鋭い痛みをこらえ、身体を起こす。
軽い発作で目を覚ましたが、どうやら誰にも気付かれずに済んだらしい。
北側の窓際の床でゾズマが薄いシーツを一枚かけていびきをかいている。長椅子ではリゲルが窮屈そうに身を屈め、その下でミンタカが床に転がって眠っていた。
若い騎士たちは向かいの部屋には戻らず、ここで眠ることを選んだようだ。
奥の寝台で眠るルカと、その寝台の横の椅子ではシュナスとテティレイシアが並んで眠っていた。レグルスは繋いだ手と頭を寝台に乗せて眠る二人の様子に、ふ、と小さく笑った。
レグルスは視線を下げる。
セラフィーナが、レグルスの寝台の横に置いた椅子でシュナス達と同じように眠っていた。シーツの上に模様を描く紅の髪は、今の空の色とよく似ていた。
思わずその一束を手に取る。するりと掌から逃げていく髪の先端を捕まえて、指先で撫でた。
もう一度部屋を見渡して、レグルスは苦笑する。
(まるで野戦病院だ)
自嘲気味に息を吐いた。
もうすぐシュナスを起こさねばならない。第二王子が朝から部屋にいないと騒ぎになる前に、シュナスを部屋に戻す必要があった。
テティレイシアも置き手紙だけを残して孤児院を出てきたというから、このままではクロエたちにいらぬ心配をかけてしまうだろう。
昨夜シュナス達を攫った者たちの話も整理しなければならない。一度隠し通路から帰っていったヴォルフラムにも、またここに来てもらう必要がある。ヴォルフラムは誘拐犯の中で唯一生き残った男を捕まえて、遺跡近くの樹に縛り付けてきたと言っていた。次に会う時にはその男からの情報も得られるはずだ。
——それに、気になることもある。
このまま試すには、危険が伴うが——
やらねばならぬことは山積みだ。
治癒術で一命を取り留めたとはいえ、ルカの容態も楽観視はできない。しばらくここから動かさない方がいいだろう。医者にも診せてやりたいところだが、侍医を呼んでルカとテティレイシアがここにいることを知られるわけにもいかない。ヴォルフラムの知り合いに医者がいるというから、そちらを頼る方がいいだろう。
ともかくまずはクロエに連絡を取るべきだとレグルスは判断した。
強い眩暈に顔を顰める。
ロビンの再生にルカの治療、その後も全員の傷を治したことで魔力をかなり消費した。普段なら造作もないが、今のレグルスにとってはかなりの負荷となってしまった。消耗した魔力が、まだ完全には戻っていない。
それは恐らくセラフィーナも同じだ。最後は変容した騎士の身体を焔の魔剣で焼き尽くしたというから、魔力消費も大きかっただろう。
(だから部屋に戻って休めと言ったんだ……)
眠る彼女の頬にそっと触れようとして、だが指先が触れる前に拳を握り——すぐに引っ込めた。
じっと彼女を見つめ、それから目を伏せる。
カーテンの隙間から漏れる光が鮮やかさを増した。刻一刻と変わる空の色に、目を細める。
未だ見えぬ道の先を想い、レグルスは静かに瞼を閉じた。
*
「あらあら……急ぎ来てみれば。これは一体どうしたのです? レグルス殿下」
口に手を当て、ベルが呆れたように声を上げた。
ベル・タイラーはクロエの娘で、かつてシュナスの侍女として働いていた女性だ。
今朝早く、クロエにテティレイシアの無事を伝える手紙を飛ばした。その中で誰か使用人を一人手配して欲しいと頼んだが、準備が整うのはもっと先かと踏んでいた。昼前にはこうして娘であるベルを送り込んでくれたのだから、流石としか言いようがない。
ベルにしてみれば塔の粗末な部屋で王太子が暮らしている時点で異常事態だろうに、その王太子は体調が思わしくないし、奥の寝台では包帯だらけの見知らぬ少年が眠っている。テティレイシアは彼女もよく知る令嬢だが、その出で立ちは泥と埃と血に塗れたままだった。
おまけに部屋もシーツもあちこち血だらけで、ベルが呆れるのも無理はないだろう。
「母から簡単な事情は聞き及んでおりますが……これは想像以上でした」
ベルが朗らかに笑う。
「急に呼び立ててすまないな。まさかベルが来てくれるとは。……シュナスも喜ぶだろう」
レグルスのその言葉に、ベルはにこりと微笑んだ。
「ともかく、まず姫君方には身綺麗になっていただかねば。さ、テティレイシア様。セラフィーナ様も」
セラフィーナはレグルスの寝台に突っ伏したまま小さく「うーん」とだけ声を上げた。彼女は結局一度も目覚めずに眠り続けた。これならあの時頬に触れても目覚めなかっただろう、とレグルスは密かに笑った。
セラフィーナが顔を上げるより早く、書類を手にしたゾズマが訪れる。彼は今朝近衛騎士の詰所に戻る前に、リゲルと共に厩へ馬を戻しに行ったらしい。血や埃に塗れた格好を、相当に無茶苦茶な言い訳で誤魔化したそうだ。
どうやって誤魔化したのかを問うと、リゲルが視線を泳がせながら「ご想像にお任せします……」とだけ答えた。
ゾズマのことだ、またペラペラとあることないこと捲し立ててどうにか押し切ったのだろうが、これ以上は聞くまいとレグルスは判断した。
「昨夜から行方が掴めずにいた近衛隊所属騎士の二名。レサト・ジェーハ、アグラフ・ディアス両名が今朝になってもまだ戻りませぬ。シュナス殿下やミンタカらの証言からしても、やはり誘拐を実行したのはこの両名と考えて間違いはないかと」
寝ぼけ眼のセラフィーナとテティレイシアを連れてベルが部屋を出たのを見送ってから、ゾズマがそう報告した。
レグルスは「そうか」と短く答える。
近衛二人はテティレイシア殺害を目論んでいたはずだ。それ以外の男たちは金で雇ったごろつき共だろう。
近衛騎士を動かせるとするならば、十中八九ロザリアではなく騎士団長であるアシュフォードによる差し金だ。
孫娘を王妃にするため、邪魔な存在であるテティレイシアを消そうとしたというのは理解できる。同時に第二王子の暗殺を謀ったと見るか——いや、アシュフォードにはシュナスを暗殺する動機がない。
シュナスによると「マスクの男」に誘導された可能性があるという。そうルカに指摘されたらしい。
(シュナスの言う通り、その男がアシュフォードの計画に便乗し、第二王子暗殺を目論んだ——?)
テティレイシアが孤児院にいることをどうやって知ったのか、それも問題だ。
(テティを迎えに行った使者の中に、アシュフォードと通じる者がいるということか? それとも……)
レグルスはぽつりと呟く。
「ルブルムの、騎士……」
ゾズマが報告書から顔を上げる。レグルスは少し思案し、ゾズマに目を向けた。
「ゾズマ。昨日の守備隊からの報告書、あれは?」
それはレグルスが倒れる直前にゾズマが手渡そうとしていた書類のことだ。
ゾズマは思い出したように、長椅子の前の散らかった机の上から書類を探した。ほどなく引っ張り出されたその書類を「こちらです」と手渡され、レグルスはざっと目を走らせた。
そこには、ここ数年どのギルドも通さずに裏向きの仕事を斡旋している組織がある、という情報が記されていた。
「……なるほど。その組織を通じてあの男どもを雇った、ということも大いに有り得るな」
「はい。前回のルブルムの騎士、そ奴等ももしかしたら……」
組織を利用した雇い主にまで辿り着ければ、首なし死体や騎士の異形化について——何かわかるかもしれない。
「気になることは色々とあるが……シュナスからじっくり話を聞く必要がありそうだ」
そしてそれは、ルカからも。
ルカはあれから一度も目を覚ましていない。昼前から高熱が出て、ずっと眠り続けている。
あんな傷を負ったのだから無理もない、出血量も多かった。鎮痛処置をする時間もないまま胸を開き、無理矢理処置をした影響もある。治癒術でできるのは傷を塞ぐことだけだ。回復までにはまだ時間を要するだろう。
クロエから渡された、例の帳簿。
カライルという名の商会が武器や防具を仕入れていた先は、予想していた通り国内ではなかったようだ。これまでにエナールを通じて進めていた調査では、その流通経路の先が見えつつあった。
謎のマスクの男も、恐らくラディア国外の者だろう。
その男は『こんなところまで来て』と、ルカに向かって『ラディアで生き残っていたか』と言ったらしい。
男の言う「こんなところ」がラディアを指すならば、男はどこから何のためにこの国へやってきたのか。
ルブルムの騎士、それにグローネルで見つかった首なし死体。
サリガンがどこに攻め入ろうとしているのか、その目的は?
アシュフォードはどこまで知っている?
最大の謎は、若い騎士の身体から伸びたという蔓だ。
一体どこまでが繋がっているのか。
レグルスは、眠るルカの横顔を見る。
苦しそうな少年の表情に、深く息を吐いた。
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