第42話 猛火のあと
マスクの男は自分を睨みつけるセラフィーナに視線を向けた。マスクの下の口元が歪んでいるのがわかる。笑っている——シュナスは眉を顰めた。
男が目を細め、レサトの足の下で動かないルカを一瞥する。
「まぁいい、面白いものが見られただけで良しとしよう」
そう言うと、懐から何かを取り出す。
それを、ぱらぱらと地面に撒いた。
「また会おう、焔姫。それから——氷狼」
「待て!!」
マスクの男が後ろに跳んだ。
咄嗟に追おうとしたセラフィーナの眼前で、男が地面に撒いたものが不気味な光を放った。地面に向かって、魔素が急激に収束する。
魔素の渦の中心から勢いよく無数の蔓が飛び出し、一気に伸びた。
「なんだ、これは……!?」
驚くセラフィーナの眼前で、太い蔓が横並びに壁を作った。シュナスは思わず息を飲む。天に向かって高く伸び上がり、セラフィーナの行く手を遮るようにうねうねと動いていた。
セラフィーナが舌打ちして、剣を振る。巻き起こった焔が、壁を斬り裂き燃やし尽くした。
その揺らめく火先の向こうに、男の姿は既に消え失せていた。
一瞬男の消えた方角を睨みつけたセラフィーナは、すぐに踵を返してリゲルとミンタカのもとへと走る。
セラフィーナが二人の少し後方で剣を構えた。レサトはシュナスとテティレイシアの前に立ちはだかる二人の若い騎士に、奥歯を噛む。
「折角捕まえたのに! お前らは何故邪魔をする!」
苛立ちを隠そうともせず、ルカを踏みつける足を更に沈ませる。
ルカの口が苦しげに開いた。そこから、もう声は何も聞こえない。
「やめろっつってんだろうが!」
レサトに向かって、リゲルが腰につけた革製のホルダーから投げナイフを三本、一気に放った。
それをレサトが後ろに飛び退いて躱す。ルカの上からレサトが離れた瞬間に、ミンタカが斬り込んだ。
「シュナス殿下! ルカ坊を!」
すかさずレサトとルカの間に入り、リゲルが剣を構える。
レサトはミンタカの剣を左手の剣で受け止め、右手の蔓を鞭のように振り回した。
「うわっ……」
石壁が蔓の一撃で容易く切断され、斜めの断面からずれ落ちる。地面を擦った蔓が、土煙を舞い上げた。
あんなものまともに受けたら——シュナスはごくりと喉を鳴らす。
転がって攻撃を躱したミンタカの背後から、セラフィーナが斬りかかった。
迎え撃つようにして蔓が広がり、セラフィーナを取り囲む。ヒュヒュッと風切り音が聞こえた。細切れになった蔓がパラパラと落ちていく。彼女の剣がシュナスの目には留まらない速度で蔓を斬ったのだろう。
「ルカ!!」
その隙にシュナスとテティレイシアがルカのもとに走り込んだ。
こちらをちらりと振り返ったリゲルが、剣を構えたまま指示を出す。
「殿下! ルカ坊血ぃ吐いてます! 身体、横向けて! 血が気道に入ります!」
「ごめん、ルカ……!」
シュナスとテティレイシアは慌てながらも協力してルカの身体を支え、横向きに傾ける。ルカが苦悶の表情を浮かべ、身体を小さく震わせた。
シュナスはそれに眉を顰めながらも支える。わずかに開いたルカの口から赤い液体が垂れ、地面に流れていく。
「もっと横! 全部流して!!」
言いながら、リゲルはシュナスに向かってきた蔓を叩き切る。
シュナスはルカの身体を押し、完全に横向きに転がした。更に口から血が流れ出る。
ルカは浅い呼吸を繰り返していた。時折苦しそうに眉が震える。
背中を支えるシュナスの手に、ぬるりとした感触が纏わりついていた。シュナスにもわかる。このままではきっと、彼は——死んでしまう。
「ルカ……! 頑張って、ルカ! 兄上なら……きっと助けてくれるから……!!」
シュナスには声をかけることしかできない。込み上げてくる涙を、奥歯を噛んで堪える。
まただ。また、自分は何もできない。自分だけが、何一つ……!
蔓を躱しながら攻撃を繰り出すミンタカとセラフィーナ、自分たちを守るため盾になってくれているリゲル。
兄は強力な治癒術の使い手だ。きっとルカの怪我も治せるはずだ。今のレグルスに負担をかけることは本当ならしたくない。それでも——。
隣のテティレイシアが、そっと頭をシュナスの右肩にもたれ掛けた。シュナスは彼女を見る。
彼女は、生きている。
そうだ。生きているんだ。ルカだって。後悔も、自分を責めるのも全部後だ。
シュナスは顔を上げた。頭上のロビンが、ピイッとひと鳴きした。リゲルの背と、その向こうで戦う二人を見る。
——全て、目に焼き付けてやる。ルカが今それをできないなら、自分が、全て——!
レサトの腕からセラフィーナに向かって、無数の蔓が伸びる。それをミンタカが一刀で両断するが、断面から更に枝分かれした蔓が四方に向かって勢い良く伸びた。
まるで蔓の檻だ——!
シュナスは無意識に「義姉上!」と叫んでいた。
彼女の逃げ道を塞ぐように、蔓が辺りの地面や石壁を貫き、砕きながら張り巡らされる。それを、セラフィーナの放った炎が広範囲に焼き払う。
セラフィーナがレサトに向け、剣を構え直す。ミンタカも、こめかみの汗を左手で拭った。
「キリがないな」
睨みつける先で、レサトは怒りに燃える目をセラフィーナに向けていた。
「せっかく! せっかく楽しくやってたのに! 邪魔なんだよ、お前ら! そのガキを寄越せ、俺が殺すんだ!」
倒れたままのルカを指差す。テティレイシアがビクッと身体を震わせたのに気付いて、シュナスはレサトを必死で睨みつけた。
レサトの視線を遮るように、リゲルがシュナス達を背に隠す。
それにまた腹を立てたのだろう、騎士は腕の先から大量に蔓を伸ばし始めた。じゅるじゅると不気味な音を立てながら蔓が蠢く。彼はその間にもぶつぶつと「死ね、死ね、死ね」と何度も繰り返していた。腕は長く太く伸びる。レサトがその腕を大きく振りかざした。
リゲルが舌打ちする。剣を下向きに回し、顔の前で構えた。掌を刀身の側面に添える。
剣で受け止めるつもりだ。自分達を庇うためには避けることができないのだと、シュナスは瞬時に気付いてしまった。
「どけよ! どかないなら死ね!!」
それが薙ぎ払われる瞬間、ミンタカが走った。愉悦に醜く顔を歪める騎士を横目に、横薙ぎに襲い来る蔓の腕に突っ込む。
「このっ……!!」
全体重をかけたミンタカの渾身の一撃が、腕を斬り飛ばした。
勢い余って体勢を保てずそのまま転がるミンタカの反対側から、セラフィーナが騎士に向かって斬りかかる。高速で繰り出す連撃を、レサトは左手の剣と根元に残った蔓を駆使して受け止める。
焔の太刀筋が、いくつもの紅い光の線となって夜空を照らした。
その背後にリゲルが身を躍らせた。
セラフィーナが騎士の剣を躱し身体を仰け反らせた。切っ先が彼女の頬を掠める。僅かな鮮血が宙に舞う。彼女の後ろから飛び込んだナイフの先端が舞った血の雫を砕き、さらに小さく散らした。銀の軌跡が走る。
リゲルの投げた二本のナイフが騎士の額と目に突き刺さる。
レサトの口から、凄まじい咆哮が響き渡った。辺りの空気がびりびりと震える。悲鳴とも怒りともつかない声は、最早人間のものとは思えなかった。
「きゃぁ……っ!」
テティレイシアが悲鳴を上げる中、顔を顰めながらもシュナスは目を閉じなかった。視界の中、レサトに向かって赤い光が勢いよく飛び込んでいく。
セラフィーナが、怯むことなく地面を蹴っていた。身体ごとぶつかり、焔の剣を騎士の心臓に突き立てる。
蔓の動きが、ぴたりと止まった。
セラフィーナが全体重をかけてレサトの身体を地面へ押し倒す。勢いよく仰向けに倒れ込んだ騎士の胸を貫通し、切っ先が地面に刺さる。
ゆっくりと、騎士の腕が落ちていく。
蔓が先端に向かって波打つように一度跳ね、そのままずん、と地面を震わせて沈んだ。
しん、と静寂が訪れる。
少しの間の後、セラフィーナがふう、と息を吐いた。
「……何だったんだ、これは」
リゲルも大きく息を吐いて肩の力を抜く。いつの間にかシュナス達の前で剣を構えていたミンタカも、腕を下げて両膝に手を付いた。
——シュナスはレサトを見ていた。
セラフィーナは倒れたまま動かなくなったレサトの身体の上に膝を着いていた。彼女がこちらの無事を確かめるように振り返る。
その足元で、何かがピクリと動いた。胸の傷口から細い蔓が何本も先端を覗かせ、蠢いていた。
「まだ! まだ生きてる!!」
シュナスの叫びに、全員が振り返った。
その瞬間、セラフィーナを取り囲むように蔓が勢いよく伸びて広がった。
「しつこいんだよ!!」
間一髪、蔓がセラフィーナへと巻き付く前にリゲルが斬り払った。セラフィーナは騎士の胸に突き立てられたままの剣の柄を握り直し、魔力を込めた。
「このまま焼き尽くす!!」
更に大きな焔が上がった。彼女を包むように球状に膨れ上がった炎が、騎士の身体をも巻き込んで高く燃え上がった。
暗い星空を、紅い閃光が眩く照らす。
炎の中で騎士の身体がたちまち黒く炭化し、火の粉が空を舞う。
それでも蔓は蠢いていた。
あまりの高熱にリゲルが片腕で顔の下半分を隠し、後退る。
「セラフィーナ殿下!!」
リゲルが叫んだのとほぼ同時に、腕が持ち上がった。
炎に包まれたまま、それでもなおシュナス達に向かって振り上げられる。
ミンタカが慌ててシュナスとテティレイシアに覆いかぶさった。
「いい加減に……しろっ!!!!」
セラフィーナが魔力を解放した。恐らく彼女の全力だ。一際大きな焔が、辺り一帯を紅に染める。
その中心でパキン、と何かが砕ける小さな音が響いた。
騎士の身体にビシッと大きな音を立てて亀裂が入る。上半身が胸を中心に割れ、炎の中でサラサラと崩れ落ちていく。
支えを失った巨大な腕が、ゆっくりと落ちる。
ずしんと大きく大地を震わせ、砂埃が舞った。
「うわっ!」
風が更に砂塵を巻き上げ、辺りを覆った。
静寂と共にゆっくりと晴れる視界の中、ミンタカの身体越しに、シュナスはそれを見た。
蔓の塊は、自分たちのすぐそばに落ちていた。全員が見守る中、それは音もなく散っていく。
今度こそ騎士は黒い塊に変わった。
セラフィーナは大きく息を吐くと、力を込めて剣を抜く。途端に、残っていた身体も砂のように崩れた。
シュナス達の上に覆いかぶさったミンタカの背には、大量の砂埃が積もっていた。彼が呼吸を思い出したように息を吐き出し立ち上がると、その埃は一斉に地面へと落ちていった。
その時、影が飛び出した。シュナスとテティレイシアの背後を駆け抜ける。
「……あっ!」
シュナスの声に、全員がそちらを見た。
最後にたった一人生き残っていた赤毛の男が、悲鳴を上げながら逃げ出していた。
「そいつ! 捕まえて!!」
シュナスが叫ぶ。
リゲルが困惑しながらも素早く動き、ミンタカも慌ててその後を追った。
男が暗がりに消える。そちらに飛び込もうとしたリゲルが、だがその瞬間に「ぐえっ」と蛙が踏まれたような声にぴたりと足を止めた。
全員が警戒しながらそちらを見守る。
魔晶石のランプが作り出す光の中に、ぬうっと大きな足が現れた。
「おぅおぅ、随分とド派手なことやってると思ったら……やっぱりあんたか、焔姫」
男が姿を現す。
巨大な体躯にぼさぼさの髭。まるで熊のような男だった。
筋骨隆々の腕。その大きな手には、逃げたはずの男が引き摺られていた。
「……ヴォルフラム! 『鋼の爪』か!」
セラフィーナが驚き、そして嬉しそうに声を上げる。
「おうよ、久しぶりだな! 王子さんは元気かよ!」
男はにいっと口角を上げる。
巨体に似合わない、人懐こい笑顔だった。




