第38話 「何か」
どたどたと足音が聞こえてくる。シュナスは一度扉を振り向き、テティレイシアと目を合わせて頷いた。
心臓が、バクバクと脈打つ。首筋を汗が伝い、それでもシュナスは拳をぎゅっと握って自分を奮い立たせた。
ガチャガチャと鍵を回す金属音が響く。部屋の中央に座るテティレイシアは、震えながらも気丈に扉を睨みつけていた。
シュナスは扉側の部屋の隅、ランプの光の届かない場所で壁に背を付け、じっと待つ。ごくり、と喉を鳴らした。
ばん、と勢いよく扉が開いた。
そのまま、男たちが部屋になだれ込んでくる。
(四人だ……!)
シュナスは顔を顰めた。
男たちがテティレイシアを見て、にやにやと笑う。
「俺が先だからな!」
「さっさと済ませろよ、時間がねぇんだから」
青ざめた彼女の方へ進もうとして、男たちの動きがぴたりと止まった。
「……一人しかいねぇぞ」
「王子とあのガキはどこ行った!?」
シュナスはすうっと息を吸って、一番最後に部屋に入ってきた男の背中めがけて思い切り突っ込んだ。
不意打ちの体当たりを喰らって、男が体勢を崩す。シュナスはそのまま転がり、無理矢理に体勢を立て直した。
「てめぇ!!」
男たちがシュナスを振り返る。
一番近くにいた男がシュナスに手を伸ばす、その刹那。
頭上から、黒い影が降った。
ルカが空中でぐるんと身体を捻り、回し蹴りを男の首に叩き込んだ。
「くそっ、ガキが!」
顎髭の男がルカに飛び掛かる。ルカは着地すると、掴みかかってきた腕をするりと躱した。体勢を崩した顎髭男の肩を足場に跳躍し、隣にいた男の頭を飛び越える。後ろに両腕を伸ばし、手首を繋ぐ鎖を男の首に食い込ませる。落下の勢いを利用して男を締め上げ、仰け反らせた。
着地の直前に後ろ向きのまま足を薙ぎ払った——のだと思う、速すぎてシュナスの目には見えなかったけれど。
男の身体が床に叩きつけられる衝撃音で、テティレイシアがビクッと震えた。シュナスは彼女のもとに走ると、背中に庇う。
(す……ごい、ルカ……!)
両手を拘束されているとは思えないほどの早業だった。あっという間に二人の男が床に沈む。
すかさず倒れた男の頭めがけて蹴りを叩き込むルカの横顔を、シュナスは半ば放心気味に見つめることしかできなかった。
「このっ……ガキが!」
顎髭男が振り上げた拳を躱したルカが、そのまま顎を蹴り上げる。最後に残った男がその隙をついてルカに殴りかかった。頬を殴られて体勢を崩し、顔を顰めながらルカは床を転がってすぐに立ち上がる。
「行け!!」
男に飛び掛かりながら叫ぶ。その声に戸惑いつつも、シュナスは固まっていたテティレイシアの肩を押すように合図を送る。
二人は扉に向かって走り出した。
シュナスが扉に背を向けて取っ手を引き、開いた隙間からテティレイシアが滑り込むように部屋の外へ出る。そのまま彼女が背中で扉を押し、完全に開け放った。通路の左側、崩れた石壁の向こうに、外が見えた。
「テティ、こっち!」
外へと続く扉は朽ちて、壁に穴だけが開いていた。そのまま飛び出すと、満天の星空が二人を包む。
乾いた地面の中、あちこちに崩れた石壁の残骸が点在している。
広い古代遺跡。枯れた樹の枝からぶら下げられた魔晶石のランプが、転々と辺り一帯を照らしていた。暗がりから馬の嘶きが聞こえてくる。どこか離れた場所に馬を数頭、それに恐らく荷馬車が停めてあるのだろう。
他には何もない。真っ暗闇にぽっかりと浮かぶ光の中に、まるで二人だけ取り残されたような——そんな不安がシュナスを襲う。
「何してる、走れ!!」
背後から衝撃音とルカの声がした。それでハッとして、シュナスは走り出す。
方角などわからない。どっちだっていい、この場を切り抜けるのが先決だ——!
建物の中が騒がしい。気付かれたのだろう。それでももう、走るしかない。無我夢中で足を踏み出す。一歩踏み出すごとに、土煙が舞った。
足場が悪い。サラサラとした土は踏み込む勢いを殺し、あちこちに散らばる石材の欠片に足を取られる。後ろ手に拘束されたままそこを走るのは、かなりの困難だった。
「きゃっ……」
横を走っていたテティレイシアが躓く。咄嗟にシュナスが身体を滑り込ませて、彼女の顔が地面に当たるのを防いだ。腹の上に振ってきたテティレイシアの頭に、シュナスは小さく「ぐえっ」と声を上げる。
「シュナス様!」
慌てて彼女が身体を起こしたところに、ルカが追いついてきた。
「ルカ!」
シュナスは思わず安堵の表情を浮かべるが、それも一瞬だった。建物の奥にいたのであろう男たちも、次々に追いついてきたからだ。
上半身を起こしたシュナスとテティレイシアを背に、ルカは男たちの前に立ちはだかっていた。
まずい——!
地を這うようにじりじりと後退するも、シュナスの肩が何かに触れる。そこには、大人の背丈ほどの高さで古い石壁が生えていた。
(囲まれた……っ!)
テティレイシアを背中で壁へ押し付けるようにして、シュナスは周囲を見渡す。
遠巻きに男が六人、扇状に広がって自分たちを取り囲んでいた。もう逃げ場はない——シュナスはぎりっと奥歯を噛んだ。
建物からさらに一人、遅れて顎髭の男が現れる。ぺっと血の混じった唾を吐き、口元に付いた血を自分の手の甲で拭った。
「やってくれるじゃねぇか、クソが! オレ以外皆殺しやがったぞ、このガキ!」
男が忌々しそうに叫び、ルカが小さく舌打ちをしたのが聞こえる。
「一人……殺り損ねた……」
肩で荒く息をしながらルカがぼそりと発した言葉に、シュナスの背中に冷や汗が伝った。
中央にいる男が剣を抜く。金髪の騎士——レサトだった。
「惜しかったが……残念だったな」
にやにやと笑う。
その少し離れた隣でアグラフがシュナスに一度視線を送る。
ほんの僅かな間、見つめ合った。この騎士は、レサトとは少し違う。そうだ、城で近衛として接するアグラフはこんなことをする男には見えなかった。
実直で寡黙、誠実に王族を護ってくれていたはずだ。不器用にすら感じる程に。
アグラフは目を伏せ、そして決意したかのように剣を抜いた。
「王子と娘は消せ。この小僧は殺すな」
騎士の言葉に、ルカが驚いて「何……!?」と声を漏らした。
シュナスが勢いよくルカを見る。ルカは少し振り返り気味に視線をこちらに送った。
「……それは……想定外」
ルカが言い終わるとほぼ同時に、男たちが飛び掛かった。
ルカは最初に近付いた男の攻撃を、更に薙ぎ払われた一閃を身を屈めて躱す。何度も斬りかかられてはそれを避け続けているその間に、横から一人がシュナスに斬りかかった。
「テティっ!!」
シュナスが思わずテティレイシアに覆いかぶさる。考えている余裕なんてない、必死だった。テティレイシアが名を呼ぶ声が聞こえる。
ルカが地面を蹴った。男に飛び掛かり、顎に回し蹴りを喰らわせる。
男の手から落ちた剣が、シュナスの足を掠めて乾いた地面に深く突き刺さった。皮膚を裂く鋭い痛みが走る。シュナスの服に赤い線が滲み、じわりと広がった。
そのままの勢いで転がったルカが体勢を立て直す前に、男たちの手が伸びる。二人の男がルカを抑えつける。頭を掴まれ、地面に叩きつけられた。ルカの口から「うっ」と小さく声が漏れる。そのまま二人掛かりでうつ伏せに抑え込まれる。石の破片に当たったのだろう、ルカの額の右側が裂け、血が流れ出した。
シュナスは慌てて地面へ刺さった剣に背中を向け、抜こうとする。
「ぐ……っ……」
太い腕に背中を抑えつけられたルカの顔が歪んだのを見て、レサトが楽しそうに笑った。
「なんだお前、こいつらに肋骨でも折られたか」
背中を踏みつける。ルカがまた呻いた。
「やめろ!!」
シュナスが叫ぶ。何とか掴んだ剣の柄を引き上げようとしても、剣は抜けない。
「くそっ!」と叫んで剣の柄から手を放し、刀身を掴む。刃が掌と指の腹に食い込んで、まるで熱を帯びたような痛みが走る。そんな痛みなんて気にしていられない。構わずそのまま引き抜こうとするが、滲んだ血が刃を滑らせて余計に掌に食い込んだ。
早くなんとかしないと、と思った矢先。背中に強い衝撃を受けて、シュナスの手が剣から離れる。男がシュナスの背中を蹴り飛ばしたのだ。その勢いのまま顔から地面に倒れ込む。背後から、テティレイシアが名を呼ぶ悲鳴のような声が聞こえた。
「あ~ぁ、勿体ねぇなぁ」
男の声が聞こえ、シュナスはなりふり構わず身体を起こす。
振り返った瞬間、テティレイシアの腕を掴もうとしていた男が視界に入る。男の掌を蹴り上げ、彼女の前に無理矢理割って入った。
——血の味がする。口内のどこかが切れたのだろうが、そんなこと、どうでもいい!
シュナスは背中でテティレイシアを隠すように、男を睨みつけた。
男が蹴られた掌をぷらぷらと振りながら、シュナスの血が付いた剣を抜く。壁沿いを後退る二人に向かって、そのまま一歩、足を踏み出した。
(くそっ……)
ちらりとルカの方を見る。
しっかりと抑えつけられ、ルカは動けずにいる。その背を、レサトが何度も踏みつけていた。彼を助けなければと思うが、目の前の男が剣を振り上げようとするのをただ見ていることしかできない。
絶望的な状況。その中で、騎士の動きがぴたりと止まった。
「……?」
男たちの視線が、建物の入口に集まっていた。
シュナスも、思わずそちらに視線を送る。ルカも、苦痛を堪えながらそれを見た。
そこに黒い外套のフードを深く被った男が一人、立っていた。
ルカが小さく息を呑んだのがわかる。
シュナスは、すぐに理解した。
そのフードの男こそが、ルカの言っていた「何か」——最後の、一人なのだと。
男は、肩を揺らしながら「ヒヒッ」と小さな声で笑った。




