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果ての大地の再興譚~引きこもり王太子と弟王子が国を取り戻すまでに起こったこと~  作者: 町村 シロ
4章 たとえ、何も持っていなくても

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第37話 小さな希望

 扉を叩く小さな音で、レグルスはそちらに視線を向けた。

 ミンタカが扉を開けると、薄暗い廊下からリゲルが水差しを持って入ってくる。いつも陽気な彼も今は随分と物静かだ。


「悪いな、リゲル。お前たちももう休んでくれ」


 寝台の背もたれに身体を預けたまま、レグルスが声をかける。だがセラフィーナも二人の騎士も、首を縦には振らない。

 小さく溜息を吐いた途端、レグルスの胸に鋭い痛みが走る。悟られぬよう、表情は変えなかった。


「……セラ。お前も部屋に戻れ。こんな夜中に俺の部屋にいるのは……」


 言いかけたところでセラフィーナに思い切り睨まれ、レグルスは彼女の説得を諦めた。

 少し前にも軽い発作に襲われたばかりだった。倒れた時程ではないにしろ、彼女らが心配するのも無理はない。少し心苦しくて、レグルスは口の端を僅かに上げた。


「……副隊長も心配してましたよ」


 沈黙に耐えかねたのか、リゲルが口を開く。レグルスは「……そうか」と返す。

 本当ならゾズマもここに来たがっていたが、近衛隊の中で少し騒動があったらしい。立場上ゾズマが対応せねばならず、忙しいのだろう。

 

「何でも今夜夜勤予定だった近衛が二人、戻っていないそうで。どこに行ったのかもわからない、と」

「えっ……」


 ミンタカが驚いた顔で声を上げる。

 王族の身を守る近衛騎士が、戻らないまま何の連絡もないなど前代未聞だ。事件にでも巻き込まれたのかも知れないと、同僚たちが騒いでいるらしい。

 

 セラフィーナの方に視線を向けると、彼女は寝台の横に置かれた椅子へと腰かけたまま、ただじっと虚空を見つめていた。不機嫌そうな、思いつめたような横顔にレグルスは苦笑する。


「セラ……」


 声をかけようとしたところで、レグルスはそ(・)れ(・)に気付いた。

 ——魔素が不自然に動いている。視線を窓に移した。

 セラフィーナの「どうした?」という声にレグルスが応える前に、彼女も気付いたのだろう。すぐさま立ち上がり、窓の方へ早足で歩きだした。


 全員の視線が集まる中で、セラフィーナが勢いよく窓を開けた。

 その途端、小さな白い塊が部屋に飛び込んできた。雪のように、羽根のように純白の光の粒が降る。

 魔素が漏れ出ているのだと、レグルスにはすぐに分かった。


「お前っ……シュナスの……!!」


 セラフィーナが慌てて両手を差し出す。頼りなくふわりと舞うように、精霊が白く発光しながら彼女の掌に落ちた。小鳥の姿が、半分近く失われていた。魔素を留めることができず、徐々にその身体が崩れていく。

 

 セラフィーナが小鳥の嘴にくわえられたハンカチを広げた瞬間、全員が息を飲んだ。

 ハンカチには「つかまった、たすけて」とだけ、血で書かれていた。乾いて赤黒く変色したそのたどたどしい文字は、繊細な刺繍が施された白いハンカチを禍々しいまでに染めている。

 

「——シュナス……!!」


 レグルスは無意識に寝台から降りようとして、強い眩暈に顔を顰めた。慌てて駆け寄ったミンタカに、肩を支えられる。

 セラフィーナが小鳥をレグルスのもとへ運ぶ。弱々しくセラフィーナの掌の上で羽根を広げ、それでも飛び立とうとしているのが分かった。

 

 精霊は魔素の集合体だ。この状態で飛び続け、その身を構成する魔素を全て失えば、その先は——消滅しかない。

 

「……案内しようとしている」


 セラフィーナがぼそりと呟いた。まるで何かを訴えるように、精霊はセラフィーナを見つめて小さな嘴を開く。

 最早鳴くこともできないのだろう、それでも精霊は何度も繰り返した。


「お前、シュナスを助けようと……?」

 

 セラフィーナの言葉に、リゲルが呆然と「そんな馬鹿な」と声を漏らした。


「精霊が自分の存在を危険に晒してまで主を助けるなんて……そんな話、聞いたことが……」


 精霊と術者の契約は、あくまで互いに利益があるからこそ成り立つもの。自分の存在を懸けてまで、主に奉仕することなどあり得ないのだ。

 

 レグルスは、セラフィーナが差し出す精霊をその手に受け取った。弱々しく、それでも動く小さな翼。レグルスは左右の手を重ね、小鳥をそっと包み込んだ。

 魔力を両手に集める。レグルスの金色の髪が、ふわりと揺れた。


「レグルス……!」


 止めようとするセラフィーナに視線だけを返し、目を閉じる。両手に一層強い魔力を集めた。

 

 精霊は魔術により傷付いたとしても、魔力を与えられれば再び魔素を集めて傷を癒すことができる。本来ならそれが可能なのは契約した術者本人の魔力だけだ。

 だが血を分けた兄弟——魔力の質が似ているはずの、レグルスならば。

 

 周囲の魔素と自らの魔力、そして精霊の身体にほんの僅かだけ残ったシュナスの魔力。レグルスはそれらを紡ぐよう、丁寧に編み上げた。

 魔素が流れ出す穴を塞ぎ、失われた身体を再構築する。シュナスの魔力を補うように、自分の魔力を注ぎ込む。

 それは、繊細で緻密な魔力の操作だった。

 

 レグルスが目を開く。柔らかな光が、指の隙間から漏れ出ていた。

 ゆっくりと両手を広げる。

 そこにいたのは、胸元に橙色の羽毛を持つ小鳥だった。

 

「…………ロビン……?」


 セラフィーナがぽつりと呟く。

 それは、シュナスが幼い頃に飼っていた小鳥の名だ。


 召喚術の適性は生まれつきのものだ。シュナスにはそれがあった。

 その魔力の強さも量も、レグルスとは比ぶべくもない。それでも、シュナスはこの小鳥の姿の精霊をとても可愛がっていた。

 あの日失った小鳥(ロビン)と同じように。


 レグルスの掌の上で、小鳥はピイッと鳴いた。

 懐かしい鳴き声に、レグルスは思わず口元を緩める。


「……そうか……死んだ後も、お前はシュナスの傍にいてくれたのか——」


 魔素と、その塊である精霊の正体とは何か。長らく議論されているいくつもの論説の中で一つ、御伽噺のように語られる言い伝えがあった。

 魔素とは魂の欠片である、と。

 精霊(ロビン)はレグルスの掌に一度甘えるようにして頭をすり寄せると、その翼を広げて飛び立った。北の方角の窓際に降り立つと、そこでまた一度鳴く。

 

「……リゲル、馬を回せ」

「えっ!? ……あっ、はいっ!」

「ミンタカは装備を。リゲルの分もだ」

「は……はっ!」


 リゲルが困惑しながらも、慌てて部屋を出た。ミンタカはバタバタと向かいの部屋に飛び込んでいく。

 二人の後ろ姿を見送って、レグルスは細く息を吐いた。


「レグルス……」


 セラフィーナの手が、そっと腕に触れる。

 顔を上げると、そこには心配そうに覗き込む彼女の顔があった。自分の顔色が相当に悪いのだろうと、レグルスは彼女の表情からそれを知る。

 思わず目線を逸らす。目を閉じ、少し乱れた呼吸を整えると立ち上がった。


「レグルス、お前は……!」


 セラフィーナが声を上げるのを、レグルスは視線だけで遮った。

 ミンタカが装備を整えて部屋に戻ってきたのを見て、レグルスは「ついて来い」と二人に告げる。ロビンが羽ばたき、セラフィーナの肩に乗った。

 

 部屋を出て、階段を下りる。壁に手を付いて、長い階段をゆっくりと進む。その反対側を、セラフィーナが支えた。

 気ばかりが焦るが、それでも身体が付いて来ないというのはここまで歯痒いものなのかと思いながらも、一歩ずつ、確実に。

 

 ようやく一階に辿り着いたところで扉に背を向けて歩き、中央の床に片膝をついた。

 大きく乱れた呼吸を整える間すらも惜しい。心臓が脈打つ度、まるで刃物で抉られているかのような痛みが走る。無意識に服の胸元を握り込み、空いた手で石造りの床の上の土埃を払った。


「これは……?」


 セラフィーナの視線の先。レグルスの指が触れる場所に、獅子を象った小さな紋章が刻まれていた。


 レグルスはミンタカを振り返る。彼が抱えていたリゲルのナイフを取り出し、親指の先を少し切った。じわりと溢れ出した血液を、紋章に擦り付ける。砂塵がレグルスを中心に、弧を描くようにしてふわりと舞った。

 紋章が青白い光を放つ。光は二つに分かれ、奥に向かって床の上を走る。石壁に到達した瞬間、床にぽっかりと大きな穴が開いた。穴の中には、石造りの階段が地下に向かって伸びている。暗闇に溶けて消えるように、その先は全く見えない。

 

 「隠し通路……!?」


 セラフィーナの言葉に、レグルスは口角を上げて彼女を見た。


「……言っただろう、ここはな(・)か(・)な(・)か(・)い(・)い(・)所(・)なのだと」


 成人した王家の人間のみに伝えられる、隠し通路。まだシュナスも知らないこういった通路が、アルカ城の中にはいくつか存在する。

 王族の血にだけ反応するこの仕掛けは、いつ誰がどうやって作ったのか全くわかっていないらしい。有事の際に王の命を守るため作られたであろう通路に、王族以外の人間が入る。それは恐らく、ラディアの長い歴史の中でも殆ど例がなかったことだろう。


「途中通路が二股に分かれる。右側の道を進め。その先は北東、アルカの街と古代遺跡を結ぶ直線状に出る。……地上に出たら、後はロビンに付いて行け」


 そして、セラフィーナを振り返る。

 彼女の目を真っ直ぐに見つめた。


「頼めるか、セラ」


 その一言に、セラフィーナは一瞬驚いたように目を丸くして、すぐにニヤッと笑った。


「当たり前だ! 私はお前の剣であり盾。お前に代わって、私が必ずシュナスを連れ帰ろう」


 遠くから馬の蹄の音が聞こえてきて、セラフィーナは扉を開ける。馬に跨ったリゲルが駆けてきた。彼の手には、二頭の馬の手綱が握られている。


「殿下の分はありませんからね!」


 促されるままに馬を扉から塔の中に引き入れ、リゲルが叫ぶように言った。レグルスは肩を竦めるようにして「わかった、頼む」と答える。

 騒ぎを聞きつけたのだろう、三人の衛兵がこちらに向かって走ってくる姿が見える。セラフィーナは地下通路を隠すように扉を少し閉め、衛兵に向かって叫んだ。


「ゾズマを呼べ! 緊急事態だと伝えろ!」


 衛兵たちが一瞬戸惑い、それでも慌てて引き返していく。

 少し驚くような顔をしたレグルスに、セラフィーナがムッと不満げな顔をした。


「こんな状態で、お前を一人で置いていけるわけがないだろう!」


 そう言いながらもリゲルから馬の手綱を受け取り、セラフィーナは二人の騎士を振り返る。ミンタカから手渡された装備を素早く身に付け、リゲルが頷く。ミンタカが頷き返してセラフィーナに視線を送り、セラフィーナは「行くぞ!」と迷いなく馬を引いて階段を下りた。

 

 レグルスが見守る前で、三人が順に通路に入っていく。最後のリゲルが引いた馬の尻が見えなくなったところで、階段の先に光が灯った。


「レグルス、寝ていろよ!」


 少し遠くからセラフィーナの叫ぶ声が聞こえる。レグルスは苦笑し、二階へ続く階段の一番下の段に腰を下ろした。

 

 大きく息を吐いて、身を屈める。どくどくと乱れた鼓動に、また服の胸元を握る。ぽたりと、こめかみを伝った汗が床に落ちた。

 そのまま壁に肩をもたれ掛け、レグルスはぽつりとシュナスの名を呼んだ。

 



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