第33話 絶望
シュナスがそこに辿り着いたのは、ちょうどルカが左手で持った鞘に剣を収めた瞬間だった。カキン、と小さな音と共に、ルカが剣の柄から手を放す。
周囲には四人の男が倒れていた。血は出ていない。恐らく全員を気絶させたのだろう。
無表情のまま立つルカと、その後方に座り込んだテティレイシアの姿。ルカは四人もの男を倒したというのに、息ひとつ切らしていない。
シュナスは肩で大きく呼吸をしながら二人を見つめた。
「テティ! ルカ!」
思わず叫んで、駆け寄ろうとする。
——シュナスは慌てていた。
テティレイシアが危ないと城を飛び出し、全速力で孤児院に向かった。誰に見られているかなど、もうどうでもよかった。とにかくテティレイシアを守りたかった。だから必死に走ってきた。
そう、慌てていた。だから気付かなかった。
背後に男が近付いてきたことに。
「うわっ……」
いきなり伸びてきた腕がシュナスの首に巻き付いた。抵抗しようとしたその瞬間にナイフを突きつけられ、シュナスはそのまま固まった。
「シュナス様!」
二人がこちらを振り向いた。テティレイシアの叫ぶ声。ルカは呆れた顔でこちらを見ている。
シュナスの背後で男が叫んだ。
「動くな! こいつの首を掻っ切るぞ!」
ルカが盛大に溜息を吐く。
「……何やってるんだ、お前は」
「あ……いや、ごめ……っ……」
シュナスが続けようとしたが、男がシュナスの首を思い切り締め上げたことで声は遮られた。
「なるほど……小僧! てめぇだな、あの屋敷の連中を殺ったのは!」
男の背後の暗闇からぞろぞろと男たちが姿を現した。全部で何人いるか、シュナスには振り返って確認することもできない。
「……だったらどうした」
ルカがシュナスを締め上げる男に向き直る。
その瞳は静かに冷たい光を放っていた。
「てめぇ……ぬけぬけと……! 剣を捨てろ! 全部だ!」
シュナスの首に巻き付いた腕の力が、更に強まる。苦しくて藻掻いても、腕はびくともしない。
「……それで俺が剣を捨てるとでも思うのか」
男は「うるせぇ!」と叫び、シュナスの首にナイフを当てる。その切っ先が皮膚を割き、うっすらと血が滲んだ。
「やめて! やめてください……っ!」
テティレイシアの悲痛な叫び声が聞こえる。
苦しい。苦しくて、それでも逃れられず、シュナスはただルカを見つめることしかできなかった。
ルカが剣の柄に手を伸ばす。
そうだ、そのまま剣を抜け——!
シュナスはそう叫びたかった。
自分のことになど構わず、剣を抜いてこの男たちを斬るしかない。テティレイシアを守るため、ルカをこれ以上巻き込まないためにも、そうするしか道はない。
ルカならそうしてくれる。そのはずだ。
彼ならきっと——
そのシュナスの目線の先で、ルカはまた溜息をついた。
そして手に持った剣を、鞘ごと——投げ捨てた。
「まだあるんだろ」
男が言う。
シュナスは目を見開いた。苦しくて「なんで」とか「駄目だ」とか、そんな声を上げることすらできない。
ルカは黙って男に従い、腰の後ろ側に括り付けられていたナイフを投げ捨てた。
「それで全部か」
シュナスの背後から男が数人歩み出て、ルカの捨てた剣を拾う。
ルカは男を一瞥してから、くだらないとでも言いたげな顔で答えた。
「……さあ」
一人の男がルカを思い切り殴った。
それを見たシュナスは足をじたばたとさせて藻掻く。
ルカが己を殴った男を睨みつける。その冷たく鋭い目に男が「ヒッ」と一瞬息を飲んだのが、シュナスにもわかった。
ルカの口元が切れて血が滲んでいる。
シュナスは必死に暴れた。
「……っんだその目はよぉ!!」
男の一人が、ルカの腹を蹴り上げた。
「う……っ」
漏れる呻き声に、シュナスの首を抑え付けた男の手が緩んだ。笑っているのだとシュナスにはすぐにわかった。
ルカの背中に、別の男が拳を叩き込む。倒れたルカを、三人の男たちが囲んだ。
「やめてー!!」
テティレイシアの叫びを、誰もが気にも留めない。
シュナスは意を決して、自分を抑え付ける男の持つナイフの刃を掴んだ。掌から、指の腹から鋭い痛みが走る。それに構わず、シュナスは思い切り足を踏ん張り、男の顎に頭突きした。
「いっ……!」
頭上から聞こえた男の声に構うこともせず、力が緩んだその隙に、シュナスは男の腕をするりと抜け出した。
そのままシュナスは走り出す。
締め付けられていた首が鈍く痛む。右手から、血が滴る。ようやく思い切り吸えた空気に、喉が震える。
「ルカ!!」
叫び、腰の剣の柄に手をかけた。
だが、それよりも早く。後頭部に、強い衝撃を受けた。
「シュナス様!!」
テティレイシアの叫び声を聞いた。……気がする。
シュナスの視界は、そこで暗転した。
*
——何か、音が聞こえる。
複数の、男の声。笑い声と、それから……嗚咽。
泣いている。この声は、テティだ。
「ぐ……」
小さく聞こえた呻き声に、シュナスはハッと勢いよく目を開けた。目の前には、血で汚れた白いスカート。テティレイシアだ。
「テティ……いっ……」
飛び起きようとして、後頭部の痛みに顔を顰める。
「シュナス様っ……」
テティレイシアのか細い声にシュナスは顔を上げる。そのまま、息を飲んだ。
隣にしゃがみこんだ赤髪の男が、テティレイシアの腕を掴んで首元にナイフを突きつけていた。涙を流しながら震える彼女は、身動きも取れず視線だけをこちらに送っている。
「テティ!」
シュナスは痛みを堪えながら身体を起こし、そこで初めて自分の両手が後ろ手に拘束されていることを知る。しゃら、と金属の音がした。鎖——手枷だ。
「おっと、動くなよ坊ちゃん。今いい所なんだ」
男がにやにやと笑い、「見ろ」と言わんばかりに顎をしゃくる。何のことかと男の示した先、目に飛び込んできた光景に、シュナスはほとんど無意識で少年の名を叫んだ。
顎髭の男の腕が、ルカの首を掴んで高々と持ち上げていた。苦痛に歪んだルカの顔を、数人の男たちが笑いながら見上げている。
テティレイシアを人質に、抵抗も許されないまま散々痛めつけられたのだろう。あちこちに付いた赤黒い汚れが黒い服でもよく分かった。背中側で手枷を嵌められたルカの両手は、だらりと下がったまま動かない。シュナスは目の前の光景を、ただ茫然と見つめることしかできなかった。
「やめろ、お前たち!!」
シュナスの叫びに、男たちが一斉にこちらを見た。
「やめろっつわれてやめるわけねぇだろーがよ、お坊ちゃん」
「このガキにゃ仲間を殺されてんだ、ホントなら今すぐにでもブッ殺してやりてぇぐらいなんだけどよぉ」
にやにやと男たちが笑う。
シュナスは奥歯を噛んだ。何度腕を引いても、手枷同士を繋ぐ短い鎖が乾いた金属音を立てるだけだ。それでも何とかしてルカを助けなければ。シュナスは必死に叫んだ。
「お……お前達が人を攫ったりするからだ! 自分たちの行いが返ってきただけじゃないか!」
男の一人が「あぁ!?」と叫んでこちらを睨みつける。
指先が震えた。だが、ルカの首を絞める顎髭男の手が少しは緩んだ……気がする。
「クソ生意気なガキ共が、お前にも大人の怖さってもんを教えてやらなきゃなんねぇか!?」
テティレイシアから手を離した赤髪の男がそのままシュナスの胸ぐらを乱暴に掴み、拳を振り上げる。シュナスがぎゅっと目を閉じた瞬間、小さな乾いた笑い声が漏れた。
全員が驚いて声の主——ルカを見る。
「……そのガキ一人……人質を取らないと……殺せないのか……」
散々痛めつけたはずの、息をすることもままならないはずの少年が。笑っている。
男たちは言葉を失った。
「大変だな……大人ってやつも」
ルカの口の端が、不敵に上がる。銀の瞳が不気味に光った。まるで、獣のように。
シュナスの背中に、ゾクリと悪寒が走った。
「て……めぇ……っ!!」
「ッ…………!」
顎髭男はルカの首をさらに絞めつける。今度こそ呼吸さえも奪われ、ルカの表情がまた歪んだ。
「おい、やめろ! 挑発に乗るんじゃねぇ!」
茶色髪の男がその腕を掴む。顎髭男は小さく舌打ちをすると、ルカの首を掴んでいた手をぱっと放した。そのまま落下するルカの身体めがけて、回し蹴りを叩き込む。
強烈な蹴りの衝撃に、ルカの身体が背中から石壁に叩きつけられる。そのまま床に落ちたルカに向かって、「あ~ぁ」と溜息を吐きながら茶髪の男が歩み寄った。
「そこらでやめとけって。殺すなって上からの命令だろぉ?」
倒れたまま動かなくなったルカの傍に、茶髪男がしゃがむ。
「あー!! さっさと殺しちまいてぇ! なんだって生かしとくつもりなんだよ、あの男もよぉ!」
「知るかよ。まぁ売るつもりなんじゃねぇか? そこのお坊ちゃんもお嬢ちゃんも、いいとこのお貴族様だろ?」
仲間の声に答えながら、茶髪男はルカの髪を掴んで持ち上げた。
もう彼に意識はない。ぐったりとした少年の顔を、仲間たちに見せつける。
「よく見ろよ、おキレイな顔してんだろ。目の色も珍しい。こういうガキは高く売れるんだろうよ。悪趣味な金持ちにな」
そのままごみでも捨てるように、乱暴にルカを放り投げた。
分厚い扉を押しのけるようにして、男たちがぞろぞろと部屋を出ていく。赤髪の男は掴んだままだったシュナスの服を、そのままぐいっと引き寄せる。
テティレイシアが小さな悲鳴を上げる中、シュナスは必死に男を睨みつけた。それを嘲笑うように、男はナイフを持ったまま親指で動かないルカを指す。
「おめぇらも、ああなりたくなけりゃあ大人しくしとけ。余計な真似はしねぇ方がお互いのためだぜ」
ナイフの腹でシュナスの頬をぺちぺちと二回叩いてから、男は立ち上がって部屋を出る。扉が閉まる軋んだ音。足音や笑い声も次第に聞こえなくなって、静寂が訪れた。
シュナスは一瞬の後ハッと我に返ると、知らぬ間に止めていた息を思い切り吐いてテティレイシアを振り返る。
「テティ、怪我は!? あいつらに何もされなかった!?」
テティレイシアは少し驚いた表情で、それから徐々に潤んだ目が細められていく。
震える唇を、それでも必死に結んでいるのが分かる。何度も首を左右に振り、止まった時には大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。シュナスの視線が服に付いた血へと向いているのに気付き、テティレイシアが言葉を絞り出す。
「この血は……ルカ様の……」
シュナスは一度小さく息を吐き、すぐに振り向いた。目線の先、ルカは倒れたまま動く気配がない。
「テティ、立てる!?」
テティレイシアが小さく頷く。
彼女の手も、手枷で拘束されていた。シュナスはどうにか立ち上がるが、一瞬後頭部の痛みに顔を歪めた。恐らく剣の柄か何かで思い切り殴られたのだろう。心配そうに覗き込むテティレイシアに優しく微笑んで、シュナスはゆっくりと倒れたルカに向かって歩き始めた。
横向きに倒れたまま完全に意識を失っているルカは、傷だらけだった。
首元の服の隙間から、細い鎖が見えている。ぐったりと動かない彼の、それでもわずかに上下する肩の動きで、呼吸が止まっていないことにシュナスは少し安堵した。
シュナスは、彼の傍にぺたりと座り込む。その隣に、テティレイシアが座った。
彼女の瞳から、また涙が溢れ出す。
「わたくしの……せいです……! わたくしが、勝手に外に出たから……! ごめんなさい……」
何度も謝りながら泣きじゃくる彼女を、抱きしめることすらできない。それでもシュナスは彼女に向き直る。肩に顔を埋めて泣く彼女に、頬を寄せた。
それから、ぼそりと言った。
「テティのせいじゃない。私が……人質になったからだ……」
シュナスは、どうしようもなく——絶望していた。




