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果ての大地の再興譚~引きこもり王太子と弟王子が国を取り戻すまでに起こったこと~  作者: 町村 シロ
3章 届かない手

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第31話 馬鹿みたい

 シュナスはぼんやりと虚空を見つめていた。


 自室の机に突っ伏して、顔を横に向けている。

 その方向には、かつて鳥籠が吊るされていた。

 

 先程までは近くにリゲルが付いてくれていた。普段陽気な彼も今日は随分と無口で、それでも黙って傍らにいてくれた。

 

 夕方頃にゾズマが来た。

 彼はあれから一度仕事に戻り、頃合いを見てレグルスを見舞いに行ったらしい。レグルスが目を覚ましたこと、そして少ししたらまた眠ってしまったということを聞いてわざわざシュナスにそれを報せてくれた。

 何か問題が起きたとかで、衛兵に呼び出されてゾズマはすぐに行ってしまったけれど。

 侍医によると、倒れた原因は過労だという。今日のところはゆっくり休ませて、明日以降改めて会いに行こうということになった。

 

「……そんなわけないじゃないか」


 ぽつりと、小さく呟いた。

 あんなに苦しそうにしていたのに、疲れていただけなはずがない。そんなことぐらい、シュナスにだってわかる。

 侍医が間違った見立てをしているのか、もしかしたら嘘をついているのかもしれない。……嘘をついているのが侍医なのか、それとも心配させまいとした大人たちの優しさなのかはわからないけれど。

 

 レグルスはあの時「シュナスに見せるな」と言った。きっとそれどころではなかったはずなのに。

 それでも、兄は弟であるシュナスを護ろうとした。


「……兄上は……いつもそうだ」


 レグルスは決して、シュナスを隣に立たせない。

 兄にとってシュナスはいつも護るべき存在なのだ。


「兄上が……死んじゃったらどうしよう……」


 普段なら隠し通すであろう兄の、あの苦しそうな様子。ただ事だとは決して思えない。何か、重い病気だろうか。——父のように?

 あの強く逞しかった父ですら、痩せ衰えて臥せってしまった。

 母のように、もう帰らない——二度と会えなくなるようなことが、起こるのだろうか。

 

 視界が滲む。溢れ出そうになる涙を、喉の奥から込み上げる嗚咽を、必死に噛み殺した。

 震える唇を力いっぱい結ぶ。自分で呟いた言葉を消し去るように、勢いよく顔を上げて左右に振った。何度も。

 

 兄を守りたかった。助けたかった。自分にできることを、必死に考えてきたつもりだった。それでも届かない。強くて眩しくて、いつだって秘密ばかりで。

 決してシュナスの手は、届かない。

 どれだけ役に立ちたくても、どれだけ支えたくても、兄は決してそうさせてくれない。

 だけどきっと、それはレグルスのせいではない。守られることに慣れ、兄の背中に隠れていたのは他でもない自分自身だ。

 

(なんで僕(・)は、まだ子供なんだろう)


 早く大人になりたい。大人になったら、今よりはきっと——

 シュナスはおもむろに立ち上がり、窓の外を見た。太陽はすっかり沈み、夜の帳が下りようとしていた。星が、ぽつぽつと輝き始めていた。

 ふと、昔見た星空を思い出す。

 テティレイシアが城を訪れた時。レグルスとセラフィーナも一緒に、四人で見た星空。

 まだ母も生きていて、父も元気な頃だった。あの頃は悩むことなど何もなかった。ただただ楽しくて、幸せだったのだと今になって思う。

 ——あの戦争で、全部変わってしまった。

 変われていないのは、あの頃と同じく何一つできない自分だけだ。


 シュナスは扉を振り返った。その向こうには護衛の騎士が立っている。

 シュナスにとって彼らは護衛とは名ばかりの、サリガンの「目」だ。


 兄と会うことすら人目を忍ばなければならない。サリガンの理想とする王子を演じ続けなければならない。

 幼く純粋で、ただただ騎士に憧れる——そんな、愚かな王子を。

 一体、いつまで?

 監視から逃れたかった。閉じ込められているようで、急に嫌気が差した。


 自由に生きる、ルカが羨ましかった。強くて、何でもできて、自分で決めた道を行く。

 何度騎士に誘われても、きっと断るんだろう。


(ああ、そうか……だからあの時、兄上は……)


 騎士にならないかとルカを誘っておきながら、断られたのに、兄はどこか楽しそうだった。

 きっと、断られるとわかっていたんだ。断ってくれることをどこかで期待していたのかもしれない。


「……?」


 ——何か、聞こえた気がした。

 きょろきょろと部屋を見渡す。

 もう一度、今度はさっきよりもハッキリと。こつん、と小さな音がした。


 シュナスは立ち上がり、音の聞こえた方へ歩き出す。

 窓だ。窓に何かがあたった音。

 そっと窓を開け、バルコニーに出た。そのまま下、地上を覗き込む。


(…………なんだ、あれ)


 暗闇の中で、青白い光がゆらゆらと揺れていた。一度消え、またぽわんと灯る。

 何度か点滅を繰り返して、やがてその光は移動し始めた。王宮の中庭、その奥へ。そして回廊部分へ入り、見えなくなる。

 ふわふわと漂いながら、まるでシ(・)ュ(・)ナ(・)ス(・)を(・)誘(・)う(・)よ(・)う(・)に(・)。

 

 脱走常習犯であるシュナスは夜間の衛兵の巡回経路を全て把握している。この時間、この場所に衛兵がいる予定はないはずだ。

 シュナスはまた辺りを見渡した。人の気配はない。あの光の正体を確かめて、誰にも気付かれないうちに戻ればいい。

 バルコニーから繋がる階段を静かに下りた。一階の回廊にある扉をゆっくりと開き、光を追って城壁沿いの庭に出る。石畳を踏んだ途端にじゃり、と小さく音が鳴り、シュナスは慌ててその奥の茂みへと飛び込んだ。

 遠くにあの光が揺れている。シュナスはそれを追って城の裏手へと回り込んだ。木々の陰に身を隠しながら、素早く移動する。


(……声?)


 ぼそぼそとした話し声が聞こえた。その瞬間、光が消える。

 シュナスは慌てて茂みの中で身を縮めた。


「ロザ……ア様が――」

「……ムの……」


 男の声だ。


(近衛騎士……? ロザリアって、今……?)


 暗がりの中、二人の騎士が、何やら小声で会話していた。近衛隊の制服が、頼りない星明かりにぼんやりと浮かぶ。

 そこに、もう一つの足音が近付く。


「遅い。何をしていた」


 騎士の一人が咎めると、足音の人物が小さく笑う。


「なぁに、野暮用だよ。準備はできた?」


 足音の男は騎士ではない、シュナスは直感的にそう思った。ルカみたいに言うと、剣術で鍛えているような足取りではない……気がする。

 どこか粘り付くような声だ。何故かはわからない、一瞬背筋にぞくっと冷たいものを感じた。

 

 こんなところで何を話しているのだろう。ロザリアの名が出たことも手伝い、シュナスは息を潜めて騎士のすぐそばの茂みに移動した。


「本当にやるのか? いくら邪魔だとはいえ、やりすぎではないのか」

「そうは言っても、大伯父様がああ言う以上やらざるを得ないだろ。俺もあんたもあの人には逆らえない」


 これは——何か、よからぬ話だ。シュナスはすぐにそう理解した。

 息を殺し、気配を消す。暗くて顔は見えない。全神経を三人の会話に集中させた。


「ロザリア様の我儘にも付き合い切れぬ……」

「あいつらが上手くやってくれりゃよかったんだ。そうすりゃ俺達が手を汚す必要もなかったのに」

「そう言うけれどねぇ、元々その二人から手に入れた情報だよ」


 ロザリアの我儘とは一体何のことだろう。

 彼らは何かを……させられようとしているのだろうか。手を汚すようなことを——?


「だから余所者に任せるのはやめとけって言ったんだ——」


 余所者……ラディアの者ではなく、ということか?


(——ルブルム……!?)


 シュナスは思わず声を出しそうになるのを、直前で堪えた。


 ——いや、違う。そう決まったわけではない。『余所者』という言葉で連想してしまっただけだ。

 違う。きっと違う——!


「仕方がない、早くその令嬢を消さねば。奴に事が露見すれば我らもただではすまん」

「その令嬢、何なんだ?」

「知りたい?」


 ヒヒッ、と男が小さく笑った。

 

「アルドリア辺境伯の忘れ形見だよ——」


 シュナスの心臓が、どくんと脈打った。

 喉がひりついて、息が吸えない。思わず口を押えた両手が、強張って震える。

 

 アルドリア辺境伯の忘れ形見。

 ——テティレイシアだ。

 

「やるなら今夜。これからすぐだよ」

「もう何人かあっちに向かってる。俺達も急ごう」

「そうそう、時間がない。行くよ」


 言いながら、彼らは歩き出した。シュナスの潜む茂みの前を横切って。

 近衛の隊服を身に纏った二人。その後ろに黒い外套のフードを深く被った男が続く。男はシュナスの前を通り過ぎる瞬間に、また小さく声を出して笑った。

 

 次第に遠ざかる彼らの声と、足音。

 ——シュナスは、茂みの陰で口を押えたまま動けずにいた。

 乱れたまま戻らない呼吸と、震える足。耳の奥で、どくどくと心臓が脈打っている。

 

 テティだ。テティを狙っている。

 何故? どうしてあの男たちが? あれは誰なんだ?

 余所者——ルブルムの?


 「……ロザリア嬢……」


 小さく、ぽつりと呟いた。

 そうだ。ロザリアだ。奴らは「邪魔だとはいえ」と言っていた。


 ロザリアにとって、邪魔な存在。

 彼女は、何度も『あの女』と言っていた。

 あの女。

 

(……テティが? 邪魔?……私の、妃になるために——?)

 

 シュナスの身体から力が抜ける。その場に崩れ落ちるように、膝が地面についた。

 

「そんな……馬鹿みたいなこと……」


 ぽつりと呟いて、その瞬間気付く。ロザリアが、彼女らしくない取り乱し方をしていたことを。


(失敗したから? あの誘拐事件で本当に狙われたのは、私ではなく……)


 ——馬鹿みたいだ。

 馬鹿みたい。

 そんなことのために、人を?

 テティを、殺そうと——!


 シュナスは立ち上がった。震える足で、よたつきながらも一歩を踏み出した。


 止めなければ。護らなければ。テティレイシアを。

 レグルスのいる塔に向かおうとして、足を止める。


 駄目だ。今は、兄を頼れない。頼れるわけがない。


 痛みに呻きながらもシュナスを護ろうとした、兄のあの必死な姿が脳裏に浮かぶ。

 鈍い痛みがシュナスの胸を刺した。


 セラフィーナもレグルスに付きっきりだろう。リゲルやミンタカには今レグルスの傍を離れてもらうわけにはいかない。

 ゾズマは呼び出されて、いま広い城内のどこにいるかわからない。探している猶予はあるのか——?

 近衛騎士が関わっているなら、ゾズマ以外の近衛隊も頼れない。


 辺りを見渡す。誰もいない暗闇を照らす、弱々しい星の光。

 シュナスは走った。城の裏手、庭園を越え、壁の抜け穴へと、一直線に。


「テティ……!!」


 まだ、伝えていないことがある。話したいことだって、たくさんある。

 失うわけにはいかない。

 テティレイシアも。兄も。


 シュナスは一人、暗闇の中に向かって走っていった。

 

 


 

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