第3話 内緒だよ
10/20 序盤の大幅改稿を行いました。
第3話は旧第3話の一部を第2話に移し、第4話の内容を整理しました。
詳細は活動報告をご覧ください。
シュナスの淡い水色の瞳が、レグルス以外の人間の存在に気付いて真ん丸に開かれた。
背後で小さな金属音が聞こえる。リゲルとゾズマが突然現れた第二王子に対して敬礼し、胸当てに拳が当たった音だ。
「ゾズマも兄上に呼ばれていたんだね」
「は、シュナス殿下もおいでになられるとは思いもよりませんでしたが」
シュナスがレグルスの後ろで控えていたゾズマに親しげな様子で声をかける。
彼らは師弟のような関係だった。騎士たちの修練場へと入り浸るシュナスに、ゾズマが直接指南をつける機会は少なくない。
「ところでシュナス、ミンタカはどうした。護衛もいないようだが」
近衛の詰所への伝言の後シュナスへ渡すようにと手紙を託したはずのミンタカの姿がない。手紙にはここまでミンタカに案内してもらえと書いていた。近衛隊長がシュナスの護衛に付けているはずの騎士二人も、今は見当たらない。
「ミンタカとは兄上からのお手紙を持ってきてくれた騎士の名ですね? えっと……兄上がお呼びだと知って飛び出してきてしまいましたので、みーんな置いてきちゃいました」
リゲルが思わず「エッ」と小さな声を上げたのが聞こえる。
シュナス本人には全く悪びれた様子もなく、その様子にレグルスは溜息をついて額に手を当てた。
「お前は……」
一国の王子が、何もかも全て置き去りにして突っ走ってくるとは。シュナスのことだ、どこへ向かったかという言伝すらもしてきてはいないだろう。
「……とりあえず、霧の話だ」
レグルスは溜息をつくと、リゲルに目線で指示を送る。
リゲルが予め渡しておいた地図をサッと取り出し、石造りの床に広げた。風で飛ばされないよう、全員がそれを覗き込みながら抑えた。
「霧……ですか?」
「あぁ。少し厄介なことになりそうだ」
シュナスの言葉に、レグルスは頷きながら答える。
それと同時に階段からガチャガチャと金属の鳴る音が聞こえてきて、汗だくのミンタカがよろよろとした足取りで姿を現す。
「でんっ……シュナスでんか……足……速っ……」
手紙を読むや否や走り去ったシュナスを防具や剣を着けたまま王宮から追いかけて走ってきたのだろう。
疲れ果て、両ひざに手を付き肩で息をするミンタカ。リゲルが「お疲れさん」と苦笑しながら肩をポンと叩き、彼を労った。
「ご苦労だった、ミンタカ。弟がすまないな」
レグルスが労いの言葉をかけると、ミンタカは慌てて姿勢を正して敬礼する。
シュナスと本気で追いかけっこをしたらこの王城で右に出るものはいない。レグルスは何度も彼を捕まえているが、それは行動を読んで先回りできた時だけだ。恐らくシュナスの護衛騎士も急に走り去った彼を探しているに違いない。まさかこんな場所に二人の王子が揃っているなど誰も考えないだろう。
「流れ込んだ霧が地上に接したのは北西、この辺りだな?」
「はい、恐らくこの辺りかと」
リゲルがレグルスの向かい側から改めて地図を指す。ミンタカも床に膝を付け、リゲルの隣で地図を覗き込んだ。
リゲルの指が置かれた場所。レグルスの視線はその位置から更に西へ向かう。森の西側の切れ目には山脈。その麓に、中規模の町があった。シルヴェリス伯爵の領地、ヒュローの町だ。
「恐らくこのアルカに直接的な影響はないとは思われます。が——」
レグルスの意見を仰ぐように、リゲルが言う。
「黒い霧」は大陸の西からやって来る。霧の瘴気は土地を腐らせ、魔物を呼び込む。旧世界の遺物だという説を唱える学者もいるが、だとしたら実に迷惑な話だ。
ここ数年は国内にまで流れ込む頻度が急激に高くなっているが、それは全て西側の国境付近だけだった。国内各地でも警戒を強めるよう通達を出してあるが、町や村の近くに流れてきた場合、被害はどれほどのものになるか予想もつかない。
「——場所が悪い」
レグルスがぼそりと言う。
リゲルが指差した位置をじっと見つめながら、ゾズマが「ふむ」と顎に手を当てる。レグルスは「どう見る」と声をかけた。
「は、僭越ながら……この位置だと危惧されるのは上流からの物資や人員の流通が止まることですな。念の為ではありますが、シルヴェリス閣下には早急に警戒するよう知らせを出した方がよろしいかと。状況によっては守備隊を森に送り込む必要もあるかもしれません」
隣に座るシュナスが不思議そうな顔をしているのを見て、レグルスが地図にトン、と指を乗せた。
「ここにヒュロー鉱山がある。シルヴェリス伯爵の町だ」
そのまま指を走らせる。
「採掘された鉱石は鉱車で線路を下り、川の畔で船に乗せ替える。そのまま川を下って森を抜け――」
そこまで言ったところで、シュナスが地図に食い付くように顔を近づけた。編んだ髪がぴょこん、と尾のように揺れる。
「わかりました! つまりその運搬に携わる人達が危険かもしれない、という事ですね?」
「そうだ。加えてもっと上流からここアルカに向かう船も出せなくなる。人員や物資の流れが滞ると、食糧不足や経済的な問題も出てくるだろう」
それだけではない、シルヴェリス領は——。
その言葉は口にはしなかった。
だが、ゾズマはレグルスの方を向いて言う。
「殿下。ご用命とあらば私が城下の守備隊から信用できる者で小隊を組み、現地に向かいましょう」
予想を超えた提案に、レグルスは少し驚いてゾズマを見た。
「何かと評判のシルヴェリス伯爵領です。今のこの状況を鑑みても、私が直接現地を色々と確認し殿下にご報告申し上げるのが確実かと思われます」
レグルスは己を見つめ返す騎士の瞳の奥を、少し懐かしく思いながら覗いていた。
この深い青の瞳が同じようにレグルスの姿を映していたのは、五年ほど前のことだっただろうか。
(伯爵が信用ならない理由も知っている、ということか)
しかし、この状況で果たして彼を送り込むべきか——レグルスは逡巡し、眉を寄せた。
「ご心配には及びませぬ。無茶は致しませんよ。それに……」
ゾズマは苦笑し、それからレグルスの目を真っ直ぐに見つめた。
「お使いになるときです、殿下」
そう言って、ニッと笑う。
レグルスは目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
ゾズマは誰かを使うことに慣れろ、と言っている。
もちろんこれまで経験がなかったわけではない。一人で全てを上手くやり遂げられると思えるほど傲慢ではないつもりだった。
だが、レグルスを取り巻く環境が易々とそれを許さなかったこともまた事実だ。何かを成そうとすると悉く邪魔が入る。誰がそうしているのかは明白だった。
アルニラムにもよく諭されていたことだ。もっと人を頼るべきだと。だが、頼った人間が何をされるかわからない。その度に自ら動かざるを得なかった。そうすることが一番確実で、誰も傷つかずに済む。
(これはまずい。どうやら俺は自分で思っていたよりもずっと……人を使うことが苦手になっていたらしい)
自由に動けない今、ゾズマの言う通り彼に任せるべきだ。この塔に居ながらにして盤上を動かし、全てを取り返す。そう決めたのも自分だ。
慣れるしかない。たとえ目の前の男たちを駒のように扱うことになったとしても。
(——ならば、遠慮はしない)
レグルスは顔を上げ、ゾズマをじっと見る。
「わかった。調査中何かあればシュナスの名を使うといい」
「は、レグルス殿下ではなく……ですか?」
シュナスに視線を送る。
「俺よりもシュナスの名の方が皆親切にしてくれるだろう」
調査に向かうのは、シルヴェリス伯爵の領地だ。味方は多い方がいい。
「それから、先程言いかけたことの続きだ。シュナスが俺を心配して騎士二人を護衛に付けた、ということにしてもらいたい」
シュナスが自分を指差して首を傾げる。
「賢い第二王子殿下は霧も心配で、お前に調べてきてもらいたい。兄の護衛の為とはいえ塔に二名も近衛騎士を当ててしまったから、守備隊から人員を募るのはどうだろうとお考えだ」
にやりと不敵な笑みを浮かべたレグルスを見て、若い騎士二人の顔色が心なしか悪くなったように見える。
「奴ら期待の星であるシュナスがいち早く霧に気付き、更には調査員を送るとなれば——『我らの第二王子殿下は若くして何と聡明な事か!』と喜ぶ者|もいるかも知れないな?」
我ながら悪い顔をしていたに違いない。
これにはゾズマが大口を開けて豪快に笑った。
「なるほど、これは確かに!」
若い騎士たちは顔が引き攣っている。そろそろこの辺りの話を耳にしても良かったのかと、色々と不安になってきた頃だろう。
一方で何のことやらと首を捻っていたシュナスだったが、少し思案して理解したようだ。
「そういうことですね、わかりました。では兄上、私の署名入りで正式な書状を用意しましょうか?」
「ああ、頼む」
レグルスが頷くと、シュナスはゾズマに向けてにこりと笑った。
「……シュナス、お前にもう二つ程頼みたいことがある」
「はい兄上、私にできることなら何なりと!」
レグルスの言葉にシュナスは嬉しそうに答えた。
いつも兄に頼ってばかりだからこそ、珍しく自分が頼られる側になることが嬉しくて仕方がないのだろう。まるで褒められた子犬のように喜ぶ弟王子を、レグルスは苦笑しながら見つめた。
「まずはお前の『鳥』に届けてもらいたいものがある」
レグルスの言葉に、シュナスの笑顔が不安げな表情へと変わる。
ちくりと胸の奥が痛む。だがレグルスはそれを気付かれないよう、意識の外に無理矢理追い出した。
シュナスはレグルスの後方にいる騎士三人の方に目を向ける。
「兄上、よろしいのですか?」
「……ああ、彼らは心配ない、お前の秘密を教えてやれ」
レグルスはこの場にいる者たちへ、一つだけ大事な情報を開示することにしたのだ。
そう——これは、秘密の共有。そして、二手目だ。
シュナスはニコッと笑うと「わかりました」と答える。
「他の皆には内緒だよ?」
口元に人差し指を立て、騎士三人に言う。彼らが返事するのを待たずに目を閉じ、顔の前に持ってきた両手を合わせて何かを包むように丸めた。
小さく魔術を詠唱する声が聞こえる。
淡い光と柔らかな風が両手を中心に巻き起こり、シュナスの髪や服を優しく揺らした。




