第2話 上手い感じで
10/20 序盤の大幅改稿を行いました。
第2話は旧第2話の冒頭を第1話に移し、旧第3話の一部を統合しました。
詳細は活動報告をご覧ください。
レグルスは扉へと続く階段を下りた。後ろから慌てた様子のミンタカとリゲルが追いかけてくる。
すぐ下の階まで下りると、通路を挟んで二つある部屋のうち右側の扉を開けた。
半円状の部屋の中は思ったよりも広い。質素な寝台が二つと長椅子、それに机や一人掛けの椅子が数脚置いてある。塔の外周に沿って窓がいくつか設けられ、採光は十分だ。
この塔はラディア建国時代に建造され、かつては王が住んでいたらしい。近年は見張り塔として使われていたが、魔晶石入りの遠眼鏡が配備されるようになってからは、屋上の見張り台もそれほど重要視されることがなくなったと聞いている。
役目を失った塔とは今のレグルスにとって実に皮肉だが、好都合だ。ここなら好き好んでやって来る者もいないだろう。
(さて、次は——)
レグルスは長椅子に腰を下ろした。硬い座り心地だが、だからどうということもない。
次の手はもう考えてある。レグルスは机の上に置かれていた紙のうち二枚に、同じくそこにあった羽ペンとインクで文字を書く。執務室で扱っていた紙とは比べるくもない、粗雑な安物の紙。その上を羽ペンがサラサラと踊る。
「今日からこの部屋を使わせてもらう。突然のことで悪いが、二人にはこのまま塔に常駐して俺の護衛を頼みたい」
騎士二人は緊張した面持ちで扉の左右に立っていた。——些か驚かせすぎたかもしれない。レグルスはペンを持つ手を止めてどうしたものかと思案した。
「……二人とも座れ。堅苦しい王城の生活にはうんざりだ。だからこそお前たちにあまり恭しくされると俺も落ち着かない」
困ったように言うレグルスに、騎士二人は顔を見合わせる。
「頼む」
レグルスは真っ直ぐに彼らを見た。
「で、では……お言葉に甘えまして」
リゲルが意を決したように一人掛けの椅子に腰かける。ミンタカも覚悟を決めたのか、恐る恐るといった様子でリゲルの隣の椅子に腰かけた。二人はレグルスと小さな机を挟んで向かい合う形になる。
一瞬目を伏せて険しい顔をしたリゲルが勢いよく顔を上げた。
「あのっ、殿下。その……本当に、こちらでお過ごしに?」
「そうだ」
二人が言葉を失う。レグルスはつい口元を緩めた。
「いや、すまない。しばらく静かな場所で暮らしたいと思ってな。ここは色々と便利だ。それに景色もいい」
そう言いながらレグルスは窓の外に視線を送る。
この窓からは街道が望める。首都アルカから北の草原を抜けるこの街道の向かう先には、様々な町があるのだ。
二枚の書き付けを素早く書き終えてペンを立てると、ミンタカが意を決したかのように言う。
「殿下のご命令とあらば、我々は従います。ですが、まずは隊長に報告をせねばなりません」
彼ら自身は選択権を与えられているようで、その実レグルスの命に背くことなどできはしない。それが王太子という己の立場だ。
レグルスはそれをよく理解していた。ほんの少し痛む胸に、だがそれを意識の外に追いやる。
「……あっ!」
リゲルが不意に立ち上がる。驚いた2人は同時にリゲルに視線をやった。
「霧です、殿下! 先程『黒い霧』が流れていたのが見えまして」
「何?」
レグルスは眉を顰めた。
大陸の西の果てから流れてくる「黒い霧」は瘴気を含んでいる。かつて霧による被害を受けた西方の国では、多くの犠牲者が出たとの報告も上がっていた。
それがこのアルカ城から確認できる位置に流れ込んできたというなら、大きな問題になりかねない。
「王都からはかなり離れていますが、念の為隊長に報告をしに行こうと……」
リゲルは確かに『隊長殿に知らせてくる』と言っていた。王太子が現れた衝撃によってそれが頭から飛んでいたのだろうと知る。
少し思案して、レグルスは立ち上がった。
「ミンタカは今すぐここに隊長を呼んでくれ。リゲルは俺と一緒に屋上だ。霧がどの辺りに流れていたかを知りたい」
二人が「はっ」と答える。レグルスは書き付けを手に取った。
「……それからもう一人呼んでもらいたい者がいる」
片方の書き付けを、宛先の人物の名が見えるようミンタカに渡す。
「えっ!? あっ、あの、殿下!」
慌てた様子のミンタカだったが、レグルスの「頼んだぞ」という声に「はっ!」と胸に右手の拳を当てて敬礼し、すぐさま部屋を飛び出していった。
*
リゲルの指差す方向を遠眼鏡で覗いていたレグルスの耳に、重い足音が届く。
ミンタカが急いで伝えてくれたのだろう。腰の剣をガチャガチャと鳴らしながら階段を駆け上ってきた人物が誰なのかを、レグルスは足音だけで察した。
「失礼いたします、殿下! 『霧』が出たと!」
「そうらしい」
肩で息をしながら昇降口から姿を現したのは、大きな体躯の近衛騎士。彼が放つ相変わらずの騒がしい声に、レグルスは静かに答えた。
隣のリゲルに遠眼鏡を渡す。受け取りながらも彼が若干引き気味に上司を見ているのがわかって、レグルスの口角が思わず上がった。
やや緑がかった濃い茶色の髪、左頬の大きな傷跡。分厚い胸板から生える逞しい腕がリゲルに差し出され、遠見の魔晶石入りの遠眼鏡をひったくるように受け取った。
「副隊長ぉ、ちょっと焦りすぎですってー」
「これが焦らずにいられるか! どの辺りだ?」
ゾズマ・ヴィヒター。
まだ三十代中頃、しかも平民出身でありながら近衛隊の副隊長にまで上り詰めた逸材だ。
「……俺は隊長を呼んだはずだが?」
レグルスの言葉に、遠眼鏡を覗き込んでいたゾズマが振り返る。遠眼鏡を持ったままの右手で、勢いよく胸を叩いて敬礼する。
「はっ、私もそのように聞き及んでおります。しかし殿下、隊長は今! どぉぉしても手が離せない案件とやらを抱えているそうでありまして! 僭越ながら私が隊長代理として馳せ参じた次第であります!」
笑顔でそう言いながらも、ゾズマの右手に力が込められているのが分かった。大きな掌で握り締める遠眼鏡がミシミシと悲惨な音を立てている。
彼の後ろでリゲルが青い顔で何かを言おうとしていたが、王太子の手前それを飲み込んだようだ。
レグルスはふっ、と鼻で笑う。
(近衛隊は俺ではなくあちら側に付くという意思表示のつもりだろうな)
王太子からの急を要する呼び出しに自らは応じず、部下を寄越す。今のレグルスには何もできないとわかってやっているのだろう。
「多忙ならば仕方がないとはいえ、困ったことになった。まさかお前が来ることになろうとは」
「は、まっこと申し訳ございませぬ。私如きでレグルス殿下のお力添えになれましたら良いのですが——」
ゾズマがにやりと口角を上げ、レグルスは喉の奥に込み上がる笑い声を飲み込んだ。
リゲルがごくりと喉を鳴らす音が聞こえる。
「わかった。ゾズマ、お前に頼もう。……それから遠眼鏡は備品だ、壊すな」
「はッ! 心得ました!」
再び力強く胸を叩いて敬礼し直した彼の右手の辺りからパリンと何かが割れる音が聞こえてきて、もう手遅れであろうことを悟る。
彼の後ろでリゲルがガックリと項垂れたのが見えて、レグルスはもう考えないことに決めた。
「……相変わらず、苦労をかけるな」
「なんのこれしき、どうということはありませぬよ」
ニカッと笑う屈強な男に、レグルスは苦笑する。
「では、早速だが。ミンタカ・ランゲルト、それとここにいるリゲル・ミナート両名をしばらくの間俺の護衛に付けて欲しい」
驚いた様子のゾズマに、レグルスは新米騎士たちの時と同じ説明をした。
「警護ならば、熟練者の方がよろしいのでは? すぐに人員を手配いたしますが」
「いや、彼らに頼みたい」
レグルスは一度リゲルの方に視線だけを送り、それからゾズマを見た。
「堅苦しく理屈をこね回す奴らにはもううんざりだ、療養の間ぐらいは若いやつらと気兼ねなく過ごしたい」
ゾズマは少しの間だけ考えてすぐにニッと口角を上げた。
「成程。承知しました、それならば隊長には私の方から『レグルス殿下におかれては大変お疲れのご様子であられるが、王宮外で熟練の騎士がご自身の警護に当たるのは近衛隊に負担がかかるのではないかとお心を砕かれておられた。そのため急遽私がその場にいた新人二人を警護に当たらせた』と! なにかこう……上手い感じでお伝えしてもよろしいでありましょうか?」
大袈裟に表情を変えながら言ったゾズマが、最後にニカッと笑うのを見て、レグルスはふ、と小さく笑った。
「いい案だ……が、ゾズマ。その『上手い感じ』の言葉、そのまま譲ってもらっても?」
「……と、仰いますと?」
ゾズマが尋ねるのを、レグルスは昇降口を振り返る。
「それを言わせるのに丁度いい奴が来た」
意図が呑み込めずにいるゾズマだったが、軽快に階段を上る足音に気付いたらしい。二人の騎士も、レグルスの視線の先を追う。
「随分早かったな、シュナス」
レグルスは昇降口から顔を出した少年へ声をかけた。
「兄上、お呼びですか!?」
少年が元気一杯に飛び出してきた。明るい金色の、細く編まれた髪が揺れる。まるで猫の長い尻尾のように。
シュナスはにこりと笑った。




