第1話 王太子、引きこもる
はじめまして、町村シロです。
初めての小説、初めての投稿で不慣れな点もたくさんあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
10/20追記 序盤の大幅改稿を行いました。
第1話は旧第1話をベースに、旧第2話の一部を統合しています。
詳細は活動報告をご覧ください。
「今日からこの塔で暮らすことにした。しばらくの間、護衛を頼みたい」
にこりともせず言い放ったレグルスの言葉に、目の前に立つ二人の若い近衛騎士は「え……?」と間の抜けた声を漏らした。
少しの沈黙の後、騎士の一人が恐る恐る口を開く。
「あ……あの……恐れながらレグルス殿下」
「なんだ」
「あの……暮らす、とはどういう……」
ここは城の中でも最も古く最も高い、ただの見張り塔だ。そこに住むという王太子の唐突な申し出に、混乱しないわけがない。それでも構わずレグルスは答えた。
「言葉の通りだ。俺はもう疲れた。しばらくここに寝泊まりして療養する。俺の許可した者以外は誰も通すな」
呆けた騎士二人を残して踵を返し、レグルスは階段を下りる。屋上を吹き抜ける朝の風が金色の髪をふわりと揺らした。
二人の騎士は顔を見合わせてから、慌ててその後を追った。
——事の始まりは、一時間前に遡る。
*
その日の朝。レグルスは王城を速足で歩いていた。
静かな回廊に、石造りの床を叩きつけるような靴音だけが響き渡る。呼吸が乱れ、まだ少し肌寒い早朝の空気が喉をひりつかせてもそれに構うことはない。警備に立つ衛兵たちが背筋を正し敬礼するのに一瞥もくれず先を急いだ。
「殿下はどうなさったのだ?」
彼の異変に気付き慌てて道を空けた政務官たちの、囁くような声が背後から漏れ聞こえる。それすら今のレグルスにとっては煩わしい雑音でしかない。人目を気にせず眉を思い切り寄せ、指が白むほどに手を握り締めた。
掌の中の書類が乾いた音を立てる。くしゃくしゃに潰れたその書類こそが、レグルスの足をひたすらに動かしていた。
「アル!」
レグルスは勢いよく扉を開け放つと、自身の執務室へと飛び込んだ。普段は前室にいるはずのアルニラムの姿はない。
代わりに部屋の中に立っていたのは、軍服に身を包んだ一人の男だった。
「これは王太子殿下。お早いお越しで」
男がゆっくりと振り向き、恭しく敬礼を取った。古傷だらけの大きな拳がその分厚い胸板に押し当てられる。
「……何のつもりだ、サリガン。ここは俺の部屋だぞ」
乱れた襟元と呼吸を整えながら、レグルスが呻くように言った。睨みつけた先で、サリガンはそれを全く意に介さないかのようににこやかな笑みを浮かべている。
ディオーレ侯爵ラッセル・サリガン。現在この国の宰相を務める騎士だ。
「もちろん、存じておりますとも。が、陛下からの沙汰をいち早くお知らせした方が良いと思いましてな」
レグルスは吐き捨てるように「知っている」と答えた。
サリガンの視線が、レグルスの持つ潰れた書類にちらりと向けられる。
「なるほど、それでお急ぎでありましたか。しかしアルニラム卿は既に王城にはおられぬようで」
側近であるアルニラム・オーリンドが領地へ追放になったとの報せ。手の中の書類には、今のレグルスにとって最も望まざる文字が書き綴られていた。
アルニラムに対する無茶苦茶な言いがかり——何者かがそれを押し通した。
「アルニラム卿があの痛ましい事故に対して安全措置を講じなかった——というのであれば、罪に問わぬわけにはいかぬというもの。実に残念ですな、優秀な若者でありましたのに」
事故当時、レグルスもアルニラムも現場には居合わせなかった。何ができたはずもない。
問題なのは、その処分が父——国王の勅令だということだ。レグルスがいくら冤罪を主張したところで、その命が覆されることはない。
「やはりお前か、サリガン」
ぼそりと呟いたレグルスの声を嘲笑うかのように目を細め、サリガンは「滅相もない」と頭を下げた。瞳の奥底に湛える狂気にも似た光。レグルスはそれに眉間の皺を一層深く刻む。
「あくまでこれは陛下がお決めになったこと。私如きに何ができましょう」
サリガンは後ろ手を組んでレグルスに背を向けた。まるで斬れるものなら斬ってみろとでもいわんばかりの後ろ姿に、レグルスの目の奥で魔力がざわりと立ち上る。
「事故が起こったのは……ちょうど今の季節でしたな」
瞬間、レグルスの指先が僅かに揺れた。
「あのお優しい王妃陛下が——本当に悲しい出来事でした」
サリガンが窓から見下ろす中庭。そこには生前母が愛でていた薔薇の生垣が、瑞々しい新緑の葉を輝かせている。サリガンはほう、と丸く息を吐いた。まるでかつての庭の主を想うかのように。
瞬きすら忘れて俯き、レグルスは絞り出すように声を出す。
「……そうだ、もう四年も前だ。今になって——」
静かな、乾いた声だった。
「慎重に調査を進めてまいりましたので、時間がかかってしまいましてな。陛下の温情に感謝なさいませ。領地への謹慎だけで済ませてくださったのですからな」
サリガンの落ち着いた靴音がコツコツと響く。レグルスは彼の靴の動きを視線だけで追った。
「お辛いですなぁ、殿下」
サリガンは扉の前に立つと、こちらを振り向いた。
「レグルス殿下こそ、お疲れであればしばらくお休みなさっては如何ですかな? あとは我らに全てお任せくだされば良いのです」
俯いたまま答えないレグルスに、サリガンの口元からふ、と小さく息が漏れる。
ゆっくりと顔を上げたレグルスの眼前。サリガンは口角を上げたまま拳を胸に当て、これまでに見たことのないほど丁寧に敬礼した。静かに扉が閉まる。遠ざかる足音と、腰に帯びた剣が立てる金属音。
一人残された執務室で、再び拳を強く握る。静寂の中、書類がくしゃりと僅かな音を立てた。
レグルスは、扉を睨みつける。
「いいだろう、政務は全て任せてやる」
呟くような声が、静かに部屋に落ちた。その翡翠の瞳には、強い意志が宿っていた。
*
城の正面に位置するバルコニーからは、広間の先に城壁、その向こうに広がる城下町が見下ろせる。並ぶ家々の黒灰色の屋根が、春の柔らかな日差しを受けて輝いていた。
レグルスはその景色をぼんやりと眺めていた。
左手に魔力を集める。くしゃくしゃになっていた書類が掌の上でゆっくりと炎に包まれていった。ゆらゆらと揺れる火を、瞬き一つせず見つめる。
これ以上身動きが取れない。サリガンの背後には王が付いているのだ。レグルスの、実の父親が。
火の粉が、灰が、風に舞う。その行方を追うようにレグルスは振り向き空を見上げた。
灰の向こうに、城の端にある見張り塔が見える。このアルカ城の中において最も古く最も高い塔。
あそこなら城の北側を一望できるだろう。街道も、北の草原も、その草原を切り裂くように流れる大河も。
そう、一望だ。
レグルスは、僅かに口角を上げた。
「……あそこにしよう」
ぽつりと呟く。
掌の魔力を、勢いよく掻き消した。残り火が弾け、熱を帯びた風が弧を描くように散る。
広いバルコニーを出て、塔へと続く通路を速足で歩いた。敬礼する衛兵の前を通り過ぎ、城壁の歩廊へと上った。石畳を叩く硬い靴音だけが鳴り響く。
「……休めと言うならば、こちらも好きなようにやらせてもらう……!」
敬礼する彼らには聞こえない声で呟く。
古びた塔を見上げ、扉を開いた。そのまま屋上へと続く階段を上っていく。一歩ずつ、踏みしめるようにして。
屋上へと続く扉を押し開けた途端、陽光が振り注ぐ。眩しさに、レグルスは思わず左手をかざした。影の中で細めた目に飛び込んできたのは、忌々しいほどに青い空だ。
「隊長殿に知らせてくる。ちょっとここ頼むわ」
若い男の声が聞こえた。
扉からさらに続く階段へと足を踏み出すと、階段の一番上の段から少し赤みがかった金色の髪の騎士が横を向いたまま下りてきた。視線の先に誰かいるのだろう、そちらから返ってきた「わかった」という言葉に軽く片手を上げ、騎士は前を見る。
レグルスと目が合ったところで、騎士はそのまま動きを止めた。
しばしの間階段の上下で見つめ合う。
騎士はその青い瞳を丸く見開いて、こちらを向いたまま階段を一歩上がった。
一歩ずつ後退しながら、恐る恐る階段を上っていく。
「ミ……ミンタカ……!」
上がりきったところで騎士が叫んだ。かなり声が上ずっている。
「どうした!?」
もう一人の声が返ってきた。レグルスは小さく息を吐くと、ゆっくり階段を上る。騎士はレグルスと距離を保つように、声のした方へと後退っていく。
屋上の床に踏み出した瞬間吹き抜けた風が、レグルスの色素の薄い金色の髪を揺らした。四方を取り囲むように広がる景色。一瞬青と緑の色彩の中へと取り残されたような錯覚にすら陥る。
その中で、二人の若い騎士はこちらを呆然と見つめていた。
「……お前たち二人だけか」
レグルスの声が静寂を破る。
二人は弾かれたように「はっ!」と胸に拳を当てて姿勢を正した。胸当てから小さな金属音が鳴る。その拳は、少し震えているようにも見えた。
「俺が何者か、その様子だと説明せずとも問題ないようだな」
問題なら大ありだろう。
レグルス・アーセル・フォウ・ラディア。
このラディア国の王太子。その王太子が、城の片隅の見張り塔にいる。彼らが驚かないはずはない。
レグルスは改めて二人の顔を見る。つい数日前執り行われた近衛騎士の叙任式で見た顔だ。確か名前は——
「リゲル・ミナートだな」
「はっ!? は、はいっ!」
レグルスの短い問いに、金髪の騎士が姿勢を正した。
「そう畏まらなくていい。ここには我らしかいない、楽にしろ」
「は、はぁ……そう言われましても」
リゲルの表情がゆるんだのを、隣の背の高い焦げ茶髪の騎士が慌てて肘で小突く。
「お前は……ミンタカ・ランゲルト」
「は、はっ!」
ミンタカが恭しく礼をしながら答えた。が、その表情は緊張で強張っている。若葉色の瞳は僅かに揺れ、それでもしっかりとレグルスを見つめていた。
リゲルとミンタカはどちらも二十歳そこそこ、自分と同じくらいの歳に見える。揃いの胸当てもその下に着ている近衛隊の隊服も、まだ真新しく傷ひとつない。それと対極の使い込まれた剣。重心、筋肉、そして立ち姿。しっかり鍛錬を積んでいるであろうことがよくわかる。家柄や人脈ではない、剣の腕で近衛に選ばれたのだろう。
「……お前達は何故ここにいる?」
「は、まだ我らが城内に不慣れなため、あちこち見て回って来いと……」
レグルスは緊張した面持ちで答えるミンタカ、そしてその横にいるリゲルを順に見つめた。
近衛騎士として立ち振る舞いはまだ未熟。些か心許ないが、それは彼らがまだ何にも染まっていないということでもある。
——彼らは、使える。
ここで出会えたのは偶然。だが、これは僥倖だ。
今は彼らに「巻き込まれただけの哀れな新米騎士」になってもらおう。決して誰かを巻き込みたいわけではないが、背に腹は代えられない。今のレグルスに余裕などないのだ。
サリガンはかつてないほど油断している。それでも奴のことだ、護衛と銘打って息のかかった騎士を送り込むことぐらいは考えるだろう。
その前に先手を打つ。身を護るのがたった二人の新米騎士しかいない——それほどまでに力を削がれた王太子を演じてやるのだ。
(わざわざ奴の提案に乗ってやるのも癪な話ではあるが、な。せいぜい俺にはもう何もできないと思っていればいい)
まずは、これが一手目だ。
ここから全てを変えてやる。サリガンを排し、国を取り戻す——!
レグルスはひっそりと拳を握り締めた。
「今日からこの塔で暮らすことにした。しばらくの間、護衛を頼みたい」
レグルスの言葉に、リゲルの口から「え……?」と間の抜けた声が漏れる。
二人の騎士は、困惑した表情で顔を見合わせた。




