第29話 強者の陰
団長室を訪れた二人の近衛騎士が敬礼する様に、アシュフォードは人の好さそうな笑みを浮かべた。
二人をソファに座るよう促すと、若い騎士が乱雑な足運びで向かいの席に歩み寄った。彼は勢いよく腰を下ろし、後ろで束ねた長い金髪を掴むと肩の前に流す。目の前で堂々と足を組む若者の様子に、アシュフォードは内心呆れながらも笑顔は崩さない。
もう一人——黒髪の騎士が若い騎士の隣の席へと丁寧な所作で座る。騎士然とした、堂々としつつも美しい姿に、アシュフォードは満足げに小さく頷いた。
全員分の紅茶を注ぎ終えた侍従に、下がるよう手で合図を送る。丁寧に頭を下げた侍従が部屋を出たのを見計らい、アシュフォードはティーカップを取った。
「どうだね、アグラフ。今年の新人は」
アグラフ・ディアスはアシュフォードの遠縁にあたる騎士だ。歳は四十の半ば、きっちりとまとめられた黒髪の中には白髪が混じり始めている。アグラフも現役の近衛騎士の中ではそろそろ古参と呼べる年だ。愚直に剣の道をひた走ってきただけあって、落ち着きと品格ある彼の立ち振る舞いは若い騎士たちの手本とするのに相応しいものだった。
「守備隊から昇格した数人はそれなりに見込みがありますな。特に期待できた二名が王太子殿下の護衛に抜擢されてしまったのは予想外でしたが」
口元をにこりともさせず、アグラフが答える。きっちりと上げた髪も綺麗に整えられた髭も、彼の性格をそのまま表しているようで実に好感を覚える。騎士たる者、やはりこうでなくてはならない。
一方で金髪の騎士がティーカップを摘まむように持ち上げ息を吹きかけて紅茶を冷ますその様子に、アシュフォードは内心溜息の一つも漏らしたい心境だった。紅茶を啜りガチャンと派手な音を立ててティーカップを置くと、彼は頭の後ろで両手を組んで背もたれに身体を投げ出した。
「レサト。お前もいい歳だ。もう少し落ち着いたらどうかね」
アシュフォードが困った顔をしても、彼は「わかってますよ」と悪びれた様子もない。そればかりか足を組み替えて両手を広げる様子をみせる。とはいえ彼もまだ二十代中頃だ。その無鉄砲振りも若さ故と言えなくはないが、いつまでもそのままでいてもらっても困る。
「心配はいりませんよ、ギルツ大伯父様。外ではしっかりやっています」
アシュフォードにとってこの若い騎士——レサト・ジェーハは甥孫だ。可愛くないとは言わないが、少しばかり乱暴な彼にはアシュフォードも、そして世話役として付けたアグラフも些か手を焼いていた。
彼の母親——アシュフォードにとっては姪に当たるが、彼女から是非にと頼まれて数年前近衛隊に迎え入れたものの、鍛錬もそこそこに奔放な振舞いを見せていると聞く。粗野で武骨な言動は剣の道一筋で生きる男たちにままあるものではあるが、彼の場合それとも違う。王族を護る近衛騎士は、騎士の中でも精鋭中の精鋭、まさに花形だ。騎士の国ラディアかかにおいてその肩書が持つ意味は一層大きい。にも拘らず、由緒あるアシュフォード家の血筋の者としてやはり彼の素行は品に欠ける。侯爵家との繋がりを笠に平民出身の騎士達に威圧的な態度をとる——それを諫めるべきとまでは思わないが、これでは先が思いやられるというものだ。
(やれやれ……どうしたものか)
姪にどう言うべきかと一瞬思案して、恐らくありのままを伝えても泣き喚かれるだけだと結論付けた。
そして先刻腫れた瞼のままこの部屋を訪れた愛しい孫娘のことを思い出す。
ロザリアはヴァレリアの王女が第二王子と仲睦まじく歩く姿を見て、彼女に食ってかかったらしい。取り乱したところをシュナスに宥められ、彼と少しの間園庭で過ごした後にここまで送ってもらったそうだ。
癇癪を起こしたロザリアは落ち着くまで手の付けようがなくなるというのが常なのに、あの幼い王子の愛らしさの前にはロザリアも毒気を抜かれてしまったのかも知れない。何にせよあの我儘な孫娘が頬を染めシュナスに手を引かれる様は、アシュフォードも表情をほころばせざるを得ない程美しい光景だった。
彼女のその我儘はアシュフォードにとって可愛らしいものでしかない。紳士たるもの、麗しい淑女の我儘を叶えてこそ一人前というものだ。
あの幼い王子もいずれそれがわかるだろう。彼女が王妃になる日が待ち遠しくてたまらない。シュナスはロザリアほどの美しい令嬢を妻にできる幸運を逃すべきではないのだ。
あの令嬢などではなく。
「……やはりお前たちに頼むべきだったかな」
ティーカップを持ち上げ、紅茶を一口飲んでからぽつりと零したその言葉に、レサトの顔色が変わる。後頭部に置いていた両手をゆっくりと下ろし、ふん、と鼻を鳴らした。
「奴ら、失敗したそうではないですか」
どこか楽しそうに口元を歪める甥孫に、アシュフォードは眉尻を下げる。
「そうらしい。守備隊から男共の死体を見つけたと報告が上がっている」
「あれだけ大口を叩いておいてガキ一匹片付けられないとは。大伯父様もとんだ駄犬を掴まされたものですね」
片手をひらひらと動かしながら笑うレサト。アシュフォードはそっとティーカップを置くと、腕を組んで溜息を吐く。
「全くだ。あの男も何を考えているやら」
おかげでロザリアの機嫌もすこぶる悪くなってしまった。その上令嬢の様子を探らせてみれば、事件を訝しんだのか守備隊の騎士が護衛として孤児院に潜り込んでいるらしい。誰がそれを指示したのかはわからないが、手を出すに出せなくなってしまった。
ロザリアはその一報にそれはもう腹を立て、荒れに荒れた。令嬢から何か知らされているかもしれないと怒り収まらぬまま登城し、シュナスの様子を探ろうとしたところセラフィーナの姿を目撃してしまったようだ。
ロザリアはヴァレリアの王女に強い憎しみを抱いている。愛孫の本当に欲しかったものを奪ったのは彼女だからだ。
翡翠の瞳の美しい王子。ロザリアは口にこそしないが、あの王太子の妃の座を望んでいた。
しかし王太子の隣にはいつもあの女がいる。ロザリアの自尊心はずたずたに引き裂かれてしまったに違いない。だからこそ孫娘は代わりを見つけてその妃になろうとしている。シュナスを王に擁立し、王妃になることで彼女の傷付いた矜持も取り戻せるだろう。
「セラフィーナ王女さえいなければ話が早かったのだがね」
思わず口走った言葉に、レサトがははっと笑い声を漏らした。
「確かにいい女ですが、俺ならごめんですね。娶るならもっと従順な女がいい。まぁ、それでも一国の王女にはそう簡単に手が出せないでしょう」
レサトの言う通りセラフィーナは確かに美しい女だが、女の身で剣や馬術を好むような変わり者だ。完璧と言われる王太子も、隣に置く女だけは選択を見誤っているとしか言いようがない。
だがあんな女でも何かあれば国際問題に発展しかねない。今はまだ時期尚早というものだ。ならばサリガンと共謀し王太子共々追いやって、シュナスを王にすることが望ましい。
「王女のことは一旦置いておいて、さっさと令嬢の方を始末するべきですね」
レサトがニヤッと笑い、アシュフォードは小さく頷くと口髭を指で整えるように撫でた。
「今度はあの男も出向くことになっている。その時はお前たちにも頼もうか」
人の好さそうな笑顔を浮かべて二人を順に見つめる。にやにやと口角を上げたままのレサトとは対照的に、隣に座るアグラフは無言のまま膝の上で組んだ指先に視線を落としていた。
「気が進まんかね」
アシュフォードはふふ、と小さく笑い声を漏らす。
「……男たちの死体——抵抗の跡が見られなかったらしい」
アグラフの指先がほんの少しだけ動いた。それを視界に捉え、アシュフォードは目を細める。アグラフは顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「殆ど全員、気付かれないうちに喉元を斬られたのだろうと。それに騎士の一人は後ろ手に拘束され、首がなかったそうだよ」
アシュフォードが立ち上がり、ゆっくりと歩く。コツコツと響く靴音が、静寂の部屋に響き渡った。
優雅な動作ですいと伸ばした指先が執務机の上の報告書に触れる。そのまま持ち上げ、アグラフを振り返る。
「誰が殺したのかはわからん。だが、守備隊ではその騎士以外全て同じナイフが使われたと見ているようだ。つまり、たった一人でほぼ全ての男たちを殺した者がいる——かなりの使い手だろうね」
アグラフの瞳の奥に、僅かに殺気の混じった光が宿る。
アシュフォードは報告書を彼に差し出しながら、にこりと微笑んだ。
「少しは楽しみができたかな?」
報告書を受け取りながらもこちらから目を離さない寡黙な騎士に、アシュフォードは満足げに頷いた。アグラフはそれを見ると視線を落とし、じっくりと読み始める。
隣のレサトが小馬鹿にしたような顔でそれを覗き込み、再び頭の後ろで手を組んだ。
「退屈凌ぎにはなりそうだ」
甥孫の不敵な笑いにアシュフォードは「そうかね」と笑い、ソファの背もたれに手をかける。
「いずれにせよ、宰相閣下に嗅ぎつけられる前に始末をつけねばならん」
その一言にアグラフが顔を上げた。恐らく無意識だろう、指先に籠もった力で報告書がくしゃりと小さな音を立てる。
「我らの未来はお前たちにかかっている。しっかり頼むよ。今度は間違いなく、やり遂げて欲しいのだ」
アグラフの目を見て、アシュフォードはにいっと笑った。
びりっと空気が張り詰める。レサトが眉間に皺を寄せ、ごくりと喉を鳴らした。先程までの笑顔をすっかり忘れたかのように。アシュフォードはそれを一瞥し、にこやかに言った。
「令嬢を、消せ」




