第27話 絡む糸
扉を叩く音が聞こえて、ミンタカがそちらへ向かう。
扉の向こうに立っていたのはセラフィーナだった。ミンタカは彼女が部屋に入ると、すっかり暗くなった廊下を見渡してから素早く扉を閉める。
俯きがちな彼女に気付いたレグルスが顔を上げた。
「セラ」
名を呼ばれてハッとしたセラフィーナは、慌ててレグルスの方を見る。
それから、扉の傍の壁にもたれ掛かるように立つ少年に気付いて振り返った。
「失礼、客人だったか」
セラフィーナは腰に手を当てて、少年を覗き込むようにニッと口角を上げる。
「お前がルカだな? シュナスから聞いている。会ってみたいと思っていたんだ」
ルカがほんの僅かに眉を顰める。セラフィーナが名乗るとルカは一瞬言葉を探すようにしてから「……どうも」と一言、ぼそりと答えた。聞いていた通りだと言わんばかりに、セラフィーナが悪戯っぽく笑う。
「お久しぶりです、セラフィーナ王女殿下」
レグルスの向かいの席から立ち上がり、敬礼するのはゾズマだ。
ヴァレリア式の敬礼を返すセラフィーナ。
「久しいな、ゾズマ。レグルスの我儘に振り回されているのではないか?」
「……俺は我儘など言った覚えはないぞ」
レグルスの言葉に二人は笑う。
セラフィーナはそれからレグルスの隣に座って足を組む。
一瞬彼女と目が合うが、すぐにそれをふいと逸らされた。
これは——何かあったのだろう。シュナス絡みだろうか。
「それで? 次は何を企んでいるんだ、レグルス」
「企むとは人聞きの悪い」
ふふ、といつも通り笑う彼女に、レグルスは苦笑した。
「何かわかったか? ルカ」
黒づくめの少年へ視線を戻し、レグルスが言う。
ルカは不機嫌そうに小さく溜息を吐いた。
「面倒ごとはごめんだと言ったはずだ」
ルカが睨みつける視線の先で、リゲルが素知らぬ顔でそっぽを向いている。
「首なし死体の話……わざと俺に聞かせただろう」
「あ、バレてた?」
リゲルがにやっと笑い、横でミンタカが困った顔をする。
「いや、守備隊の詰所で聞いてさ。何年か前に娼婦から首なし死体の目撃情報が出てたらしいって話。どうせ会いに行く予定だったし、ルカ坊にも聞いてもらえば話が早いかな……ってね」
街でルカと出会ったリゲルは、肩を組んだ瞬間ルカの懐に書き付けと金貨を一枚忍ばせた。ルカはそれに気付いていたが、監視の目がある中それを拒むことはしなかったらしい。
「そう言いながらしっかり仕事をしてくれる辺り、お前も律儀な男だな」
レグルスが笑う。
ルカはますます不機嫌そうに眉をしかめた。
「あの場で付き返してやれば良かった」
「お気遣い痛み入る」
レグルスが少し楽しそうに返す。むすっとした様子のルカに、リゲルはニヤニヤと笑った。
どうやらあの件以来、監視の目はルカに付いていたらしい。
監視されていることに気付いていないふりをしつつ、必要に応じて撒いてはまたあえて姿を見せる——調べていることを奴らに悟らせないため、相当な手間が必要だっただろう。
「ちゃんと撒いてきたか?」
「当たり前だ。こんな面倒なこと、これ以上は本当にごめんだ」
リゲルの言葉に、ルカが眉を顰めながら答える。だが、次の瞬間には彼の瞳は鋭い光を放っていた。
「……孤児院に騎士を入れたのはあんたか?」
レグルスはわずかに口角を上げる。「ああ」と答え、ルカの目をじっと見た。
「人選はゾズマだがな」
「あれじゃ騎士だとすぐバレる。釣れるものも釣れないと思うが」
——やはりこの少年は面白い。
ゾズマもそう思ったのだろう、わははと豪快に笑いながら片手を後頭部に当てた。
「若い騎士たちはそこまで器用ではなくてな。だが、あの二人はどちらも故郷に幼い兄弟がいる。子どもたちとは仲良くやっているようだぞ」
ゾズマの言葉にルカはレグルスを見る。
答えを待っている彼に、レグルスは真っ直ぐに視線を返した。
「釣り糸を垂らすつもりはない。孤児院ではな」
レグルスがそう言うと、ルカは「……ならいい」と答える。そして、不意に切り出した。
「……四年前の首なし死体の身元」
その言葉に、全員の目付きが変わる。
「街外れの、物乞い連中から聞いた話だ。ちょうどその頃から姿を消した男が二人いる、と」
戦後急増した、家や家族を失った者たちが街外れに集まって暮らしている——そういった類の話はこの街だけに限ったものではない。
孤児院に入れた子どもたちは幸運な方だ。実際には、今日の食事や雨風を凌ぐ場所にすら事欠く生活を強いられている者たちもいる。そういった者たちを少しでも減らすため、レグルスが戦後奔走していたのにも関わらず、だ。
ゾズマが「ふむ」と胸の前で腕を組む。
「それ自体は珍しい話ではなかろう。どこかで職にありついたか、野垂れ死んだか……」
ゾズマの言葉に、ルカはちらりと彼を見て、口を開いた。
「……そいつらは『割のいい仕事が入った』と言っていたらしい」
腕を組んで背もたれに身を預けたレグルスの横で、セラフィーナが鼻で笑った。
「うまい話には大抵裏があるものだが」
言いながら、彼女は自身の髪を一束くるくると指に絡めて遊ぶ。
「首なし死体が見つかった日。それがいつかもわかった」
「あぁ、それ! 守備隊にはそれもカレンの事件の方も、一切記録が残ってなかったんだよ! どうやって見つけたんだ? ルカ坊」
リゲルの言葉に勢いよくルカが睨みつけた。
「だから、坊はやめろ」
慌ててミンタカが間に入る。両手を押し出す仕草で、話の続きを促す。
ルカは眉間に寄った皺もそのままに、渋々レグルスに視線を戻した。
「別の娼婦が覚えてた。……それと、次の朝、カレンの死体を発見した船の船員。両方に確認を取った」
ルカのそのあまりにも不機嫌そうな表情に、セラフィーナの口元が明らかに笑いを堪えている。それを横目にレグルスは小さく息を吐いた。
だが、それもルカの「四年前の四の月、二十八日」という言葉で止まる。
「……あんたなら、何の日かよく知ってるだろ」
少年の目が鋭さを増した。
セラフィーナの指が止まり、そこからするりと逃げ出すように髪が解けていく。
ガタン、と重い音が響く。
ゾズマが勢いよく立ち上がり、椅子が倒れた音だった。
「あの日……まさか……」
「ゾズマ」
動揺を隠せぬまま今にもルカに詰め寄らんばかりのゾズマを、レグルスが制す。
ゾズマが「はっ」と下がり、レグルスは静かにルカを見据える。
「……関係がある、と……?」
ルカは少しの間レグルスをじっと見ていたが、ふいと目をそらした。
小さく息を吐き、「さあ」とだけ返した。
「……それ以上は何も。他は全部……燃えたらしい」
四年前のその日。
それは、王妃アイリーンが亡くなった日だった。
「…………そうか」
レグルスは一言だけ、呟くように言った。
ルカは一度目を伏せ、それから迷ったように目線を揺らす。
「……一応、もう一つある」
レグルスを見て、ぽつりと続けた。
「あんたの弟を攫った奴ら。……あの男」
「——あの騎士のことか?」
レグルスの問いに、ルカは小さく頷く。
「あいつは、ルブルムの出……かもしれない」
レグルスは一瞬考えて「何故分かる」と問う。
「……剣の、構え。昔……似たのを見たことがある。自己流になってたのか、少し崩れてた。……だからあまり自信はない」
ゾズマが「ほう?」と声を漏らした。
「少年、詳しいのか」
「流派とか、詳しいことは知らない。見たことがあるだけだ。ルブルムの騎士で、似た構えの奴らがいた」
身を乗り出すゾズマに、ルカが若干引いているのが分かる。困惑気味の少年の姿を見て、レグルスはふと気付いた。
「……お前も、ルブルム出身か?」
ルカが一瞬だけハッとした表情を浮かべたのを、レグルスは見逃さなかった。
少年はまた不機嫌な目付きでレグルスを見てから、すぐにふいと視線を逸らす。
「……さあ」
ルカはそれだけ答えて、壁から背を離す。そのまま扉に向かい、レグルスに背を向けた。
「なんだ、もう帰るのか? 少しゆっくりしていけ。シュナスも会いたがっていたぞ」
レグルスの言葉に、ルカは心底鬱陶しそうに半身だけ振り返ると「必要ない」と返す。
「あの子犬、あまり軽々しく人を信じないようにしっかり躾けておけ」
ルカの言葉に、レグルスは少し目線を伏せてから「俺はあいつの『人を見る目』だけは信用していてな」と答えた。
顔を上げ、ふふ、と笑ってからルカを見る。
「そう間違ってもいないだろう? ルカ」
一度呆気にとられたような顔をして、ルカは思い切り眉間に皺を寄せた。勢いよく扉の取っ手を掴む。
「またな、ルカ」
ルカがぴたりと止まって視線をレグルスに送る。
にやりと笑うと、ルカはより一層眉間の皺を深めた。
「『また』はない。……これ以上巻き込むな」
「そう言うな。また会う機会もあるだろう、そのうちな」
レグルスのその言葉に、ルカが一瞬怪訝な表情をした瞬間。
ゾズマの大きな掌が、容赦なくルカの背中をばしんと叩いた。少年の口から「うっ」と小さく声が漏れる。
「なんっ……!?」
「ルカ少年! お主、面白い男だな! どうだ、騎士にならんか!? お主ならきっとすぐ近衛隊に入れるぞ!」
朗らかに笑うゾズマに、ミンタカが思わず「あっ」と声を出した。
リゲルもその隣で吹き出す。
「無駄だ、ゾズマ。もう俺が振られている」
喉の奥で笑いながら、レグルスが言う。
ルカは困惑した顔で一同をぐるりと見まわした。
「……何なんだ、この国の騎士団はそんなに人手不足なのか」
その言葉にミンタカが吹き出し、セラフィーナも堪え切れず笑った。
ルカは疲れたように溜息をついて、扉へと向き直る。
「俺は情報屋でも騎士でもない、ただの傭兵だ。……もう関わるな」
再び扉の取っ手に手をかけたところで、ぴたりと動きが止まる。
「…………?」
ルカは眉をひそめ、僅かに、だが素早く視線を周囲に巡らせた。ふと天井を見上げ、すっと鼻で息を吸う。
「……どうした?」
レグルスの声に、ルカは「いや……」とだけ答えて、今度こそ扉を開けた。
「またなー! ルカ坊!」
リゲルの声に、閉まりかけた扉が止まる。
彼にしては大きな声で「坊は! やめろ!」と一声残して、バン!と勢いよく扉が閉まった。
全員がひとしきり笑って、それからレグルスは細く息を吐いた。
「……ルブルム、か……」
ぼそりと呟く。
北側の窓の外を見る。その先には、かつてルブルムが存在していた。
暗い空で、細い月が頼りなく辺りを照らしていた。




