第24話 焔の来訪
その日の昼過ぎ。レグルスがクロエの帳簿を手に思案していた時だった。
扉を叩く音が聞こえ、リゲルがそちらに向かう。レグルスもミンタカも作業の手を止め、扉の方へと視線を向けた。
リゲルが扉を僅かに開き、何やら会話している。
「……殿下。今し方、正門にヴァレリア王国のセラフィーナ様と名乗るお方がお見えだと……」
リゲルの言葉に、「……来たか」と呟いてからレグルスは手にしていた書類を置いた。
扉の向こうにいるのは衛兵だろう。
「……俺の客人だ、通してくれ。それからリゲル、シュナスを呼んでもらえるか」
「はっ」
敬礼して、リゲルが素早く扉の向こうへと姿を消す。
レグルスは机に積んであった書類の山から別の束を引き抜くと、素早く目を通した。
孤児院の警護に手配した守備隊の騎士は、子どもたちとも馴染んで上手くやってくれているようだ。三日程前リゲルたちに情報をくれた娼婦たちの周辺も、念のためクロエの伝手で見張りを立てたがサリガンの手下が手を回すような様子はない。アルニラムは予定通りの家に入り、ゾズマに頼んだ護衛騎士も付いた。後は——。
「……ミンタカ、何か報せはあったか」
「はいっ!?……あぁ、いえ。まだ……ですね」
「では、今夜あたりか」
いくつか別の書類の束にもざっと目を通し、次々とそれを積み上げていく。その他にここ数日で抜けていることはないか、最後の確認をした。
ひと段落終えると、レグルスは少し疲れた顔で長椅子の背もたれに身体を預ける。
主の珍しい表情に、ミンタカが少し心配そうにしているのが分かる。レグルスはふ、と苦笑して足を組んだ。
「これから騒がしくなるぞ」
言い終わるや否や、廊下を歩く靴音が聞こえた。
コツコツと規則正しい音が、扉の前で止まる。次に間を空けず扉を二回、叩く音。
「入れ」
レグルスが応えると、扉がゆっくりと開く。
「……なんだ、意外に快適そうではないか」
長く、緩やかに波打つ紅の髪が、歩むたびふわりと揺れる。金細工の施された腰の剣の柄には紅い魔晶石。
琥珀の瞳がレグルスの姿を捉え、鋭く細められる。
軍服に身を包む、一人の女がそこにいた。
「先ぶれも出さず失礼する、『対帝の英雄』レグルス王太子殿下」
そして女は肘を地面と平行に曲げ、拳を握った。ヴァレリア国式の敬礼だ。
「随分とお早いお着きだ、セラフィーナ王女殿下……いや、『焔姫』とお呼びしようか?」
レグルスが不敵に笑う。
セラフィーナは口角を上げて右手を腰に当てた。
「療養中にお前が寂しがっているかと思ってな」
「ほう、そんなに俺が心配だったか。お前を恋しがって泣いているとでも?」
「はっ、お前にそんな可愛げがあれば、もう少し護り甲斐もあるというものだが」
「それは残念だったな、次は善処しよう」
ぽかんと口を開けたミンタカが、二人を交互に見る。
その前で、二人は同時に笑った。
「……久しぶりだな、セラ」
「塔で療養など、随分と思い切るではないか」
「そう言うが……なかなかいい所だぞ、ここは」
窓の外に向けて視線を送ると、セラフィーナも同じように視線を向けた。
外の景色を見て「なるほど」と呟き、ふふ、と笑った。
「義姉上!」
扉が勢い良く開き、シュナスが飛び込んでくる。
駆け寄ってくるシュナスを、セラフィーナは思い切り抱きしめた。
「シュナス! 大きくなったな!」
「ちょっ……あね、うえ……っ」
胸を押し付けられ、シュナスが顔を真っ赤にしている。
リゲルが開け放たれたままの入り口から戻ってきたのを見て、セラフィーナはシュナスを抱えたまま護衛騎士二人に向き直った。
「挨拶が遅れた。ヴァレリア王国第三王女、セラフィーナ・ラテラ・ヴァレリアという。一応、婚約者だ。レグルスのな」
二人の護衛騎士が並んで敬礼し、名乗る。
その間にもシュナスは苦しそうにじたばたともがいている。
「……一応か?」
「一応だ」
悪戯っぽい顔をしたセラフィーナに、レグルスは堪らず肩を竦めた。
*
「なるほど、『黒い霧』に横流しに戦争に、おまけに誘拐までとは。相変わらず騒がしいな、お前たちの国は」
呆れたようにセラフィーナが言う。
レグルスはため息交じりに「全くだ」と返した。
「しかし、相変わらずだなクロエは。ご亭主殿も息災だろうか。この帳簿も、出所は彼だろう?」
「そうだろうな」
クロエから渡された帳簿でパタパタと仰ぎながら、セラフィーナは懐かしそうに表情を緩める。
「テティも元気にしているか? 随分と会えていないが」
「あ……はい、少し前に会った時は。……義姉上に会いたがっていましたよ」
少し言葉に詰まったシュナスの様子に、セラフィーナは一瞬目を丸くする。が、すぐに口元を綻ばせた。
「……そうか。いずれゆっくり会える日も来るだろう。そのときが楽しみだ」
彼女はふふ、と目を細める。
俯きがちなシュナスの表情には、僅かだが陰りが見える。弟はテティレイシアのこととなると、いつも以上に分かりやすい。
セラフィーナはシュナスを見て、少し寂しげに微笑んでいた。
「……ヴァレリアはどうだ、何か動きは」
レグルスが切り出すと、セラフィーナは一瞬ハッとしたような顔をしてからレグルスへ視線を向ける。
その表情は、いつもの強気な彼女に戻っていた。
「『霧』についての情報は特に出ていない。確かにヴァレリアでも四年前から霧による被害は増えてはいるが——それよりも」
彼女の整った唇が「首なし死体」と告げた瞬間、レグルスの眉がぴくりと動いた。
「ヴァレリアではないぞ。……グローネルの国境付近。少し前に首のない死体が出たと、話題になっていた」
グローネル王国。
ラディアの南、ヴァレリアとの間に位置する魔法大国。
ラディアやヴァレリアとは同盟国という間柄だ。その国でも、首のない死体が発見された——。
「もっとも、首がないだけならそう珍しい話でもないがな」
セラフィーナの言葉に、シュナスがごくりと唾を飲んだ。
「……根のような、蔓のような……何か植物のようなものが、首から生えていた……と」
リゲルとミンタカが、同時に息を飲む。
そして、ゆっくりと顔を見合わせた。
「あくまでも噂だ。私が直接見たわけではないからな」
セラフィーナは肩をすくめるように両手を広げる。
レグルスは腕を組み、左手の人差し指の背を口元に添えた。
(何が……起きている……?)
セラフィーナは長椅子の方へと移動すると、当然のようにレグルスの隣に座る。そのままもたれ掛かるようにレグルスの肩へ頭を乗せて、にやりと笑った。
「その辺りのことは、私より余程適任者がいるのではないか」
そう言いながら、指二本で挟んだ紙をレグルスへと渡す。
レグルスは紙を受け取ると、小さく溜息を吐いてペンを執った。
ミンタカが無意識に口元を抑えて少し赤面していたのを、隣のリゲルが軽く蹴る。
机の上の紙にサラサラと必要最低限の文字を書いたレグルスは、そのままシュナスに手渡した。
そこに書いてあったのは「ニルタ・オーリンド」——。
アルニラムの父、ティナート侯爵の名だった。
「シュナス、仕事だ」
シュナスはパッと顔を輝かせて、元気に「はいっ!」と答える。
編んだ髪が尻尾のように揺れる様に、セラフィーナの表情が和らいだ。
そのまま屋上へと走り出すシュナスの後ろを、セラフィーナが少し早足で追う。レグルスは彼女の楽しそうな横顔に、少しだけ口角を上げた。
少しゆっくりと、屋上への階段を上る。
レグルスが到着したと同時に、シュナスの「鳥」は手紙を銜えて彼の手から飛び立った。よく晴れた春の日差しの下で、純白の精霊の羽根が陽光に照らされきらりと光る。
そのまま空を切り姿を消した「鳥」を、セラフィーナは額に手を翳して見守っていた。
彼女の長い髪が、不意に吹き抜けた風で大きく揺れる。シュナスと何やら語らう彼女の、昔と変わらぬ笑顔。風が青い空に描く、紅の文様。
レグルスに気付き、振り返る。その微笑みを、レグルスはただ見つめていた。
何かに気付いたように、セラフィーナがこちらに近付いてくる。そのままレグルスの顔をずいと見上げた。
急に視界が彼女で溢れ、その圧にレグルスは軽く身を仰け反らせた。
「お前。ちゃんと寝ているか? 少し顔色が悪いぞ」
一瞬だけ丸くなったレグルスの瞳が、ほんの僅かに泳いだのをセラフィーナは見逃してくれなかった。
目線の先まで追いかけてきて、更に至近距離で見上げる。
「……いや、どうも最近眠りが浅い。そのせいだ」
琥珀色の瞳が細められる。不機嫌そうな彼女の顔が離れていく。
「ずっと部屋で書類と睨めっこしているからだ。少し身体を動かさないと鈍ってしまうぞ」
両手を腰に当てて言う。
頬を少し膨らませたその顔が面白くて、レグルスの口角が自然に上がる。
「久々に手合わせでもするか、それとも遠乗りでも行くか?」
「……俺は一応療養中ということになっているんだが?」
レグルスの言葉にきょとんとして、それから困惑気味に眉尻を下げるセラフィーナ。
「……引きこもりも不便なものだな」
彼女のその言葉に、シュナスが声を上げて笑った。




