第23話 強さのかたち
シュナスは家庭教師であるローエンの言葉を、ぼんやりと聞き流していた。
「一人の旅の剣士が巫女の予言を受け、騎士王となりこのアルカの地に国を興した——それこそ我がラディアの成り立ちであり、騎士王の伝説の始まりと言われておりますのはもうご存じでしょうが……」
頬杖をつき、視線を遠くへ向けている。
(もうそれは何回も聞いたよ……)
いつもなら脱走を企てるシュナスが、ここ数日は珍しく椅子に座って授業を受けていた。授業を進めるローエンの声が嬉しそうなのは、きっと気のせいではないだろう。
テティレイシアは元気にしているだろうか。食事も摂れているだろうか。誘拐され、人が大勢死んだその場に居合わせたのだから、怖かったに違いない。たとえ目隠しされていたとはいえ、音も、匂いだってしていたはずだ。
あの事件の後、シュナスは食事を飲み込めなくなった。
人間の頭部が破裂した。歪に変形していく男の額。ルカが隠してくれたおかげでその瞬間は目にすることがなかったけれど、首なしの死体と、血の海——。
何かを口に入れようと思っても、どうしても浮かぶあの光景。その度に強烈な吐き気に襲われて、食欲など湧くはずもない。ようやくまともに食べられるまで数日かかった。あんな悍ましい光景を見て、平気でいられるわけがない。
平気なわけがない、のだが——
(……ルカは、全然平気そうだったな……)
あの凄惨な現場で、全く動じなかった少年。
自分よりもずっと背の高い、剣を持った男たちを音もなく制圧する強さ。顔色一つ変えずに人を殺す、あの美しくそれでいて冷たい銀色の瞳。
先日テティレイシアに手紙を送った時。戻ってきた精霊が銜えていた返事の中には、イオからの手紙も含まれていた。それによると、イオとエララ、カルメの三人はクロエと共に傭兵ギルドへと顔を出してきたらしい。
誘拐されたシュナスとテティレイシアを助け出してくれたお礼にと、みんなで焼いたクッキーを届けたのだそうだ。
ギルドにいたノーラとの会話の中で、イオはルカが「少年ながら腕がいい」とそこそこ名の知れた傭兵であること。それから、彼のことを「氷狼」という通り名で呼ぶ者がいることを知った。
シュナス達を救出に来たルカを初めて見たあの時。
部屋の入口に立った髪も服も真っ黒な彼の、まるで闇夜に浮かぶ満月のような、氷のような冷たい瞳——。
シュナスは、彼にピッタリな通り名だと思った。
イオはたまたまその直後ギルドを訪れたルカと遭遇したそうだ。通り名の話題に触れたイオをそれはもう不機嫌な面持ちで睨みつけたらしい。
『勝手に呼んでる奴らがいるだけだ』
そう言ってふいと目を逸らしたというが、その表情も声までもが容易に想像できて、シュナスはくすっと笑った。
手紙には、彼があの仕事を飴玉ひとつで受けてくれたのだということも書かれていた。それを読んだシュナスはあまりにもルカがカッコよすぎて、寝台の上を一人で転げまわったほどだ。シュナスが知っているとバレたらルカは嫌がりそうな気がするから、秘密にしておこうと決めたけれど。
——これまでシュナスはずっと、強くなることが自分の使命だとすら思って過ごしてきた。
強くなければテティレイシアを守れないし、いつか戦場で兄と共に戦う日も来るはずだ。だからこそ剣の腕を磨くために、近衛騎士に混じって日々鍛錬を重ねてきた。
シュナスが立派な騎士になると言うと父王もサリガンも、アシュフォードだって、それは誇らしげに頷いてくれた。最初はやりづらそうにしていた騎士たちも、ゾズマを通して距離が縮まった今は皆熱心に剣を教えてくれる。
シュナスにとって剣術というものは、何よりも特別なものだった。
(でもなぁ……本当にそれで、いいのかな——)
シュナスの中にあるのは、漠然とした不安、わだかまり――のような、何か。それがここ最近、もやもやと晴れることのない分厚い雲みたいに、心の奥底で渦巻いている。
かつて戦場で名を轟かせた父。その右腕であるサリガンや、ラディアが誇る騎士達。
シュナスが憧れるゾズマ——そして、レグルス。
兄は魔術の才ばかりが耳目を集めるけれど、決して剣の腕が劣っているわけではない。魔力が強すぎるのだ。希少な魔術の使い手の中でも、レグルスの魔力は他の追随を許さない。
それはどれほど憧れても、努力で身に付けられるものではなかった。魔力の高さは生まれ持ってのものだから。
レグルスほどの魔力や慧眼を持たないシュナスにとって、剣術は唯一のものだ。このまま鍛錬を続けていれば、いつかゾズマのように強くなれるかもしれない。ずっとシュナスはそう信じてきた。
いつか、身体が大きくなれば。
いつか、大人になれば。
いつか、皆が英雄と呼ぶ父のように。
——レグルスのようにはなれなくとも。
だが、シュナスはルカに出会った。彼の強さを間近で見て、自分との差に息を飲んだ。憧れと、羨望。それと同時に沸き上がった何かが、胸の奥で渦を巻く。
同じ年の彼があんなに強いのに、自分は?このまま剣を振り続けるだけで、いつか本当にゾズマのようになれるのだろうか。
兄の隣に立つことが、できるのだろうか。
自分に足りないものは何だろう。何をどうすれば、ルカに追いつける?
強くなりたい。でも何かが——違う気が……する。
「……ねぇローエン先生。『強さ』って、なんでしょう?」
分厚い歴史書の一節を読み上げていたローエンが、驚いてシュナスを見る。
シュナスが教師に質問することなど初めてで、彼は驚いた後すぐに思案し、悩みながら答えた。
「私は騎士様方とは違い剣を振りませんのでよくは分かりませんが——お強い方がどんなことを普段お考えなのか、実際にお聞きになってみては?」
「どんなことを……?」
「そうですねぇ、例えば……何故騎士を志したのか、今まで一番大変だったのはどんな任務か。いつも何をしてお過ごしなのか……」
ローエンは拳を握り、人差し指の側面を顎に当てる。
彼が言葉を選んでいるのがよく分かった。授業と関係のない質問にも拘らず、懸命に考えてくれている。シュナスはこれからできる限り脱走を控えようと、ちょっとだけ反省した。
……できる限りだが。
「何事も学びです。好きなもの、嫌いなもの……何でもまずお知りになってみると、分かってくるものもあるのではないでしょうか」
人の好さそうなローエンの笑顔を見つめながら、シュナスはその言葉の意味を考えた。
学ぶこと。知ること。
そうすれば、この胸の中を渦巻くものが何なのか、分かる日が来るだろうか。
憧れてやまない彼らに——少しでも近づけるだろうか。
シュナスは、自分のまだ小さな手を、じっと見つめた。
*
サリガンは自身の執務室で、椅子に座って報告を受けていた。
執務机の前で胸に拳を当てたままマルフィクが立っている。
「——少年?」
サリガンの声に、マルフィクは頷く。
「はっ。背格好からして、ここ一、二年で名を上げた『氷狼』と呼ばれる傭兵かと」
「……随分と仰々しい通り名だな」
ふっ、と鼻で笑う。
そんな大袈裟にも思えるほどの名で呼ばれる傭兵、しかもまだ少年。そんな少年が、王太子付きの新人護衛騎士と共にあったという。
「その場にいたのは若造二人と娼婦共、それにその少年……か」
「はい。騎士の片方が女の一人と親し気にしておりました」
「情婦か、まぁいい」
女を買うなど、若い騎士にとってはごくありふれた話だ。久々の休暇に馴染の娼婦のもとを訪れたとて、何の不思議もない。
王太子の護衛騎士に任命された新人騎士たちが何やら城下へ向かうというから監視を付けてみたが、特別怪しい行動は見受けられなかった。本当にただの休暇だったか、それともそう見せているだけか——。
(あの若造共にそう大それたこともできまいが……)
そんなことよりもサリガンの興味を引いたのは、その少年だ。
そして、ふと記憶の中に浮かび上がる。
(いや、その名……どこかで——)
年齢に似合わぬ通り名を称されるには、それ相応の理由があるはずだ。
サリガンはこれまでに幾度か会ったことがある。
——いるのだ。この世には。そういう人間が。
若い近衛騎士とどういう繋がりなのかは知る由もない。だが、恐らくその少年——。
「何にせよ……一度、相まみえてみたいものだ」
ぼそりと呟く。
「閣下……?」
「いや……」
歪んだ口角を指の背で隠し、サリガンは小さく息を吐いた。
「引き続き、その少年を監視しろ。何らかの動きがあるやもしれぬ」
「はっ」
マルフィクが拳を胸に当て、敬礼する。そのまま出ていく彼と入れ替わりで、部屋の入口にアシュフォードが立っていた。
部屋に入るよう促すと、彼は扉を閉めてすぐに敬礼する。
「閣下。神聖国から報せが届いております。例の……」
アシュフォード侯爵が一通の手紙を差し出す。封蝋には一本の樹と、二頭の竜の意匠が施されている。
サリガンは既に封蝋が剥がされていた封筒から手紙を取り出し、サッと目を通す。
そして、顎髭を触りながら「ふん」と一笑する。
「随分と早かったではないか」
「は、恐らく、あちらでは持て余しているものかと……」
「そうであろうな、あの国では扱いきれん」
手紙を戻すと、封筒を乱雑に机の上に放り投げた。椅子の背もたれに身体を預ける。
「……しかし閣下、よろしいので? ……まだ子供だというではありませぬか」
アシュフォードの言葉に、サリガンの目が細められた。
「子供ならば躾けてしまえば良い。そちらの方が余程御しやすいというものだ。あの生意気な若造と比べれば、な」
サリガンの脳裏に浮かぶ、翡翠の瞳。強い意志の宿る、その美しい輝き。
沸き上がる憎悪に、口元が歪む。
立ち上がると、窓を振り返った。
「次の王、魔術師——それぞれに代わりはいる、ということだ」
窓に映る、愉悦に歪んだ己の相貌。
空を見上げたその目は、この城で最も古く、高い塔を捉えていた。




