第22話 血に沈む
リゲルは家と家の隙間が作り出す細い路地を、すいすいと軽やかに進んだ。
その後ろをミンタカがきょろきょろしながら付いてくる。
「ま、待ってよリゲル……本当にこっちでいいの?」
ミンタカに頼りなげな声で呼ばれ、リゲルは振り向いてニヤッと笑った。
「いいのいいの! 近道だよ。こっちにさ、い~い所があるんだって」
「いい所って……うわっ!?」
ミンタカの声に一歩下がり、そっと路地の角を覗く。薄暗い路地の奥で唇を重ねる男女の姿が目に入って、リゲルは「あらら」と口元を押さえた。
ミンタカは思い切り顔を逸らし、耳まで真っ赤になっている。リゲルはやれやれと両手を広げた。
「お前はホントさぁ。おにーさん心配になっちゃうわぁ」
「うるさいな、リゲルが慣れすぎなんだよ!」
軽口にムキになるあたり、いかにもミンタカだ。リゲルは苦笑いしながら先を急いだ。
しばらく進むと、二人はやや広い道に出る。
途端に視界が明るくなり、ミンタカは眩しそうに片手を額にかざし目を細めていた。
「こっちこっち」
リゲルはミンタカに手招きし、その道を歩き始めた。
沈みかけた太陽が、二人の背中を照らす。
迷わず進むリゲルの横で、ミンタカは道の両側に立ち並ぶ店の看板を首を忙しなく左右に振って確かめていた。
酒場や食堂、それから怪しげな薬の絵が描かれた看板。店の雰囲気も、店の傍らに立つ客も、どう見てもあまり治安のいい場所とは言えない。その中をしばらく進むと、酒場の前に三人組の女たちが立っていた。
肩口の大きく開いたドレスをまとった女に、リゲルが片手を上げて合図を送る。
「おっ、いたいた。ミレーヌ! これから仕事?」
「あら、リゲルじゃない! 久しぶりね。アンタ、出世したんだって聞いたわよ」
思わず口元を引きつらせるミンタカに、リゲルが笑う。
「いい所って……」
「そうそう、彼女ら。噂は噂に詳しい奴に聞け、ってね」
悪戯っぽく口角を上げ、先頭に立っていた女のもとに早足で歩み寄った。
その中でもリゲルと親し気に会話する女を、ミンタカが怪訝な様子で凝視する。
「……こちら、どなた? 騎士様?」
ミレーヌと呼ばれた女は絡まるようにしてリゲルの腕に抱き付き、ミンタカを見上げた。
妖艶な雰囲気に、ミンタカは明らかに困惑している。
「こいつミンタカ。同僚だよ。慣れてないんだ、あんまりからかわないでやってよ」
「へぇ、同僚——」
ミレーヌやその仲間たちに爪先から頭の先まで値踏みするように視線で追われ、ミンタカは固まっていた。
彼女らの目は、まるで獲物を見つけた肉食獣のようだ。小動物のように硬直する長身のミンタカに内心苦笑しながらも、リゲルはミレーヌの耳元で囁く。
「おいおーい、あんまそいつばっかり見てないでさぁ。久しぶりなんだから、俺も見てくれよ。妬いちゃうよー?」
「アタシらだって生活がかかってんのよ。しばらく来てくれなかったアンタが悪いんじゃない」
そう言いながらリゲルの首に腕を回す。
明らかにミンタカが引いている。それがわかって、リゲルは笑いを堪えるのに必死だった。
「まぁまぁ、とりあえずさ、久々に会えたんだしちょっと一緒に飲まない? 奢っちゃう」
三人の女達は顔を見合わせ、にっこりと笑う。ミレーヌがリゲルの左腕に両手でしがみつく様にして並んで歩き出し、両脇を二人の女にガッチリと固められたミンタカがそれに続いた。
リゲルが振り返ると、ミンタカは真っ赤になって助けを求めるようにこちらを見ている。ぎこちないその足取りはとても近衛騎士にまで成り上がった男の動きとは思えなくて、リゲルはついに噴き出す。
「随分と真面目な騎士様じゃないの。アンタあんまり悪い遊び教えちゃダメよ?」
「わかってるって」
喉の奥の笑い声を押さえながら、ミレーヌにそう答えた。路地をしばらく歩き、目的の看板を見つける。それを見上げ、それから辺りを見渡した。
「えーと、じゃああの店にでも……」
リゲルが斜め向かいの店を指差したその時。
キィ、と音を立ててミンタカの背後にある店の扉が開いた。
中から黒い外套をまとった見覚えのある少年が出てくる。その手には何やら分厚い本を抱えていた。
「よーお! ルカ坊! いいとこに来た!」
リゲルが片手を上げて声をかけると、ぎょっとした様子で少年がこちらを振り向いた。
「あんたら……」
ミンタカは「え?」と振り返り、ルカの出てきた店の——先程リゲルが見上げていた看板を見る。
エールのジョッキの看板。その横にはもう一枚、剣の意匠の掘られた看板が掲げられていた。
「ここって……」
「そ、傭兵ギルド」
ミンタカの声に、リゲルがにっと口角を上げて答える。
「丁度この辺でミレーヌたちも客引きしてるだろうし、ついでにルカ坊にも会えたらいいなって思ってさ」
ルカが物凄い嫌な表情をして、リゲルを睨みつける。
「……『坊』はやめろ」
「まぁそう言うなってー、俺さぁ、末っ子だからルカ坊みたいな弟が欲しかったんだよ」
リゲルはルカの隣に立つと、身を屈めて強引に肩を組む。
ルカと会ったのは、シュナスが誘拐された日の夜、塔で一度だけ。
まともに会話したこともなければ、ルカがレグルスの後ろで控えていただけのリゲルやミンタカの顔を覚えているかどうかも怪しいものだった。
だが、この少年はしっかり記憶してくれていたようだ。ルカのうんざりした様子に、リゲルは笑う。
「ちょっとちょっと、誰この子。すんごい可愛い顔してるじゃない」
「やだ本当! 美形!」
「えー、何の本? お勉強するのぉ?」
ミレーヌたちがルカとリゲルを取り囲むように近付く。
リゲルはニヤニヤしながら、ルカを親し気に一層引き寄せた。
「……!?」
「こいつ、ルカ。まだガキだけど、こう見えて腕利きの傭兵だから金はあるよ」
「へぇ……?」
女たちの目がギラリと光る。
ルカが一瞬身を固くしたのを、リゲルは腕から伝わってくる感触で悟った。
「お前……!」
ルカが恨めしそうに、すぐ隣にあるリゲルの顔を睨みつける。リゲルはくくっとまた笑った。
「悪いねぇルカ坊。いやほら、俺らにも色々事情ってもんがあってさ」
リゲルが若干声を落として言うと、ルカは小さく溜息をついた。そして、目線だけで背後を示す。
「事情っていうのは……あれのことか」
ルカの問いにリゲルは口角をニッと上げた。
少年が、僅かに目を細める。
「さっすがぁ! わかってるぅ、ルカ坊」
軽薄な口調で、リゲルも同じように目を細める。
リゲルとルカの背後、三軒離れた建物の陰に一人。そしてリゲルと向かい合う位置にいるミンタカの後方、路地の角にももう一人。
こちらを監視する目に、この少年も気付いている。
「いやいや、うちの主がさ。あ、小さい方ね。ルカ坊に会いたがってんだけど、そうもいかないでしょ。だから俺らが久々の休暇がてら、ちょっと顔出そうかってさ。な、ミンタカ」
困ったように頷きながら、ミンタカはルカを見た。
リゲルは大袈裟な身振りを付けながら、女たちに問う。
「俺らもさぁ、守備隊の頃は街中の情報もあれこれ入って来てたんだけど。城勤めになっちゃうとそれも全然でね。最近なんか面白いこと、あった?」
「面白いことって……例えば、どんな?」
「あー、そうだなぁ……例えば——」
リゲルは天を仰いで顎に人差し指の背を当ててから、唇の端を上げミレーヌを見る。
「首なし死体が見つかった、とか――」
ルカの肩が、ほんの少しだけ強張った。思わずこちらに顔を向ける少年に、リゲルは片目を瞑ってみせる。
「いやぁ、さっき守備隊の詰所行ってきたんだけどさぁ。そこで聞いたのよ。匿名の通報があって駆け付けたら、街外れの古い屋敷で首から上がない男の死体が見つかったって話。怖いね~、物騒な話だよ全く」
眉尻を下げ、軽い調子でまくし立てる。
女たちは何やら険しい表情で、言葉もなく目を見合わせた。リゲルがそれににやりとしたのを、ルカには見られていたようだ。
「あ……のさ……」
言葉に詰まりながら、ミレーヌが言う。視線は一瞬リゲルを向き、すぐに外れる。
「なになに、なんか知ってる? 皆さ、そんな死体出たなんて不安でしょ? 何か情報あるんなら、俺らが守備隊に伝えるよ。あんたたちの名前は出さずにさ」
ミレーヌはリゲルと、その隣に立つミンタカを交互に見る。
ミンタカは彼女の方を困惑気味に見つめ返した。
「……あんたを、信用して言うよ」
ミレーヌは、意を決したように口を開いた。
「前にね、あたしらの仲間が、見たんだって……首なしの、男の死体を……二つ」
「……二つ——?」
リゲルとミンタカは思わず顔を見合わせる。
「それ、いつ?」
「四年ぐらい前。夜、客を取って——その帰りに、大きな音がして……路地の奥、見に行ったら——」
ミレーヌは震える腕を、もう片方の手でぎゅっと押さえた。後ろに立つ二人も、俯いたままこちらを見ようとはしない。
「でもね! でも——騎士を呼んで戻ったら、死体が……」
「……消えてた?」
リゲルの問いに、ミレーヌが頷く。
「その騎士、名前とかわかる?」
「わからない……」
「じゃあ、それを見た女性は? 話聞ける?」
ミレーヌはぎゅっと目を閉じ、首を左右に振った。
彼女の顔色は、真っ青だった。
「彼女……カレンは……死んだ」
「え……?」
ミンタカが、息を飲む。
ルカの目から、すうっと光が引いた。
「あたしらがカレンから話を聞いたのは、その事件のあった次の日で——もう一度、守備隊に知らせるって言ってた。おかしいって、本当に見たんだ、って。血はあんなに残ってたのに、って……でも、その次の朝――」
カレンは朝、川に浮いていた。
川岸に引っ掛かっていた死体を、船が発見したのだという。
「娼婦が世を儚んで飛び込んだんだって……碌に調査もされなかった。だから、見に行ったの。皆で」
「——何か、あった?」
リゲルがミレーヌの震える両肩にそっと手を置いた。
ミレーヌが、俯いたまま答える。
「……根。木の……根っこ、みたいな……細いものが、何本も、血の中に——」
リゲルの背に、ざわりと冷たいものが走る。
空は、ゆっくりと闇に染まり始めていた。




