第21話 古巣
部屋に入ってきた黒髪の細作が敬礼をしたのを、サリガンは執務机の上に置かれた書類から顔を上げて見つめた。
「ご苦労だった、マルフィク」
「はっ」
サリガンは己に忠誠を誓った目の前の男——マルフィクが差し出したヒュロー鉱山の報告書を受け取ると、それに素早く目を通す。そして小さく息を吐いた。
「順調なようだな」
「は。増産のための人足も上手く確保したようです。ただ……」
サリガンが顔を上げる。細作の眉が顰められたのを見て取るとサリガンは書類をめくり、二枚目の文章に目を落とした。
「……ヴィヒターがヒュローに?」
主の声に頷いたマルフィクが忌々しそうに口を結ぶのを、サリガンはふふ、と笑う。
「そう苛立つな。お前はこちらに向いていた、ただそれだけの話だ」
己と同じく平民出身であるゾズマ・ヴィヒターが腕一本で近衛副隊長に選ばれたのが、この男には面白くない。彼ほどの剣の才に恵まれず、騎士から細作へと身を落とした己との差を痛感させられるのだろう。彼の才を見抜き配下、それも細作の筆頭に加えた自身の目に間違いはなかったと自負しているが、こうも顔に出てしまうのは若さ故とも言える。
「は……申し訳ありません」
伏し目がちに頭を下げるマルフィクの、その拳が強く握られていることに気付いてサリガンはにやりと笑った。
貴族籍に生まれたという違いはあれど、同じように剣の道をひたすら邁進して来たサリガンにとってゾズマのような男は一目置くに値する。
(ヴィヒターの剣——あれは才だけではない、その愚直さや研鑽も並大抵のものではなかろう)
「持つ者と持たざる者」というのはいつか誰かがサリガンに向けた言葉だ。サリガンはその「持つ者」の側なのだと。その当時はそんなことを気にしたこともなかったが、成程どうして同じ鍛錬をしていても個々によって体得できるもの、一つ一つの技の鋭さに至るまでが違う——そう気付いたのも最早遠い昔の話だ。
ゾズマのような男が人より多く積み重ねていけば、それはもうマルフィクには決して手の届かぬ高みとなる。
それを才と呼ぶのならば、目の前のこの男には確かにそれがなかったのだろう。マルフィクとて努力しなかったわけではない。ただゾズマと同じ領域を目指せるほどの剣術の才がなかった。他の凡庸な騎士達と違ったのは、この男には他に生きる道があったということだ。
「ヴィヒターはシュナス殿下の命で『黒い霧』を調査するためにヒュローを訪れていたようです」
マルフィクの言葉に、サリガンの眉が僅かに動いた。「ほう……?」と思わず声を上げ、口髭の下で口角を歪める。
「レグルス殿下ではなくシュナス殿下の命、と……?」
「はい。第二王子殿下が霧の発生に危機感を覚えられ、懇意にするヴィヒターへ調査を命じられたとヴェルトリアン隊長からは聞き及んでおります」
近衛隊長が目尻を下げて第二王子を褒め称える様子を思い浮かべ、サリガンはくく、と喉を鳴らした。あの男は家名ばかり立派だが剣の腕も頭の出来も二流以下だ。前近衛隊長のアシュフォードが家柄を重んじる男でなければ到底近衛騎士に、ましてや隊長などという地位に就けるわけもない。
所詮は侯爵家の次男という生まれにしがみ付き威張り散らすだけの小物でしかない。第二王子派を明言して憚らないのは、レグルスが王になることで自身の地位が脅かされる可能性を考えているのだろう。
「まだまだ幼いと思っていたシュナス殿下が黒い霧を警戒し、早々に調査を命じるような慧眼を持っているとは——隊長もさぞ鼻が高かろう」
今のうちにせいぜい取り入っておけばいい、そう思いながらもシュナスの成長はサリガンにとっても喜ばしいことだった。幼い頃のアレクシアス王に良く似たあのやんちゃな王子は、思いのほか政にも関心があるようだ。
「余計な事に気取られてはおらぬだろうな」
「は、今回霧が出たライネル川周辺と町の中心部のみを見回って帰途についたとのこと。恐らく何も見聞きはしていないかと」
サリガンは髭を触りながらしばし考え、立ち上がる。背後の窓を振り返ると、遠く視界に映るのは古びた塔だ。窓から差し込む光に目を細め、サリガンはそれでも塔から目を離さない。
万事うまくいっている。あの若造とて塔から何ができるわけもないだろう。だが、万が一ということもある。
「アシュフォードに念の為ヒュローの報告書を破棄するよう伝えろ」
マルフィクが「はっ」と答え「それから」と続ける。
「アルカの街外れの古びた屋敷から、死体が発見されたそうです」
それがどうしたと言わんばかりにサリガンがマルフィクを見る。それでもこの優秀な細作が報告を上げるのだから何かあるのだろうと、サリガンはすぐに思い直した。
「そのうちの一体……首がなかったと」
サリガンの指先がぴくりと動く。しばしの間をおいて「ほう?」と声を返した。
「匿名の通報により守備隊の騎士が発見したそうです。死体は全部で十体、そのうち一体だけが首なしの……状況的に、頭部が飛び散ったような跡が見られたとのこと」
ほんの僅か目を見開いて、視線だけを左下に向け思案する。
「あの男……何を企んでいる——?」
ぼそりと呟くように言って、ゆっくりと窓の外に視線を送った。
*
「しっかしさぁ。完全に巻き込まれちゃったよな、俺たち」
両手を頭の後ろで組んで、リゲルは盛大に溜息をついた。隣を歩くミンタカが怪訝な顔をする。
行き交う人々の中に見知った顔を見つけては軽く手を上げて挨拶しながら、二人は賑やかな通りをのんびりした歩調で進んでいた。
「近衛に出世したはいいけど、その途端まさかこんなことになるとはなぁ」
うんざりした顔でそう続けると、ミンタカが困惑気味に眉尻を下げる。
「こんなことって……いきなり殿下の護衛になったこと?」
「そそ。やばそうなことに巻き込まれたって意味」
やれやれと両手を広げ「俺ら新人よ?」ともう一度溜息をつく。それから周囲を軽く見渡してからミンタカの傍に寄った。
「それを着任数日で『王太子殿下の護衛です』だの『不正がどうの』とかさ、荷が重いってもんじゃないでしょうよ」
「そうかも知れないけど、殿下が困ってるなら見て見ぬふりはできないだろ。騎士になった時点で僕たちは王族や国に尽くすべきなんだし」
リゲルは驚いた顔で隣の同僚を見て、わざとらしく肩を落とした。
「……なに?」
ミンタカが不思議そうにリゲルを見る。
そうだった。ミンタカはこういう奴だった。真っ直ぐで正義感が強く、ちょっと不器用。それがミンタカだ。
リゲルが騎士として守備隊に加わったとき、同じ時期に入隊したミンタカは田舎からやってきたばかりの純朴な少年だった。年齢も一緒、同じ下位貴族出身で実家はどちらも地方。その共通点のせいか、それとも長男と三人兄弟の末息子という正反対の境遇のせいか。二人は全く違う性格ながらも、不思議と馬が合った。
入隊からの数年間、そして同時に近衛隊への出世を果たしてからも、ミンタカは良き同僚だ。
「まぁお前はいいよ、早いとこ出世して実家へ仕送りしたいんだろ? 俺は適当にのんびりやっていければそれで良かったんだけどなぁ。ツイてないよ、ホント」
そこまで言ったところで、ミンタカがこちらをじっと見る。リゲルは立ち止まり、居心地悪そうに眉を寄せてミンタカに視線を返した。
「……何だよ」
リゲルのその一言にミンタカはふふ、と笑うと「何でもないよ」と少し楽しそうに答えた。
昼時をとうに過ぎ、蜂蜜色の街並みが明るい日差しを受けて柔らかく輝く。華やかな通りから角を曲がり、喧騒からやや遠ざかった場所に彼らの目指す建物があった。たった数日前までここで仕事をしていたと言うのに、歴史を感じさせる煤けた石造りの壁が妙に懐かしく感じる。
重い木製の扉を開くと、ホール正面のカウンターに亜麻色の髪の若い女性が座って書類と睨めっこしていた。
「リゲル! ミンタカさんも!」
「おぉ、フィオちゃん。二週間ぐらいぶり~」
フィオは二人に気付いて顔を上げると、ぱっと表情を綻ばせる。リゲルが片手を上げ笑顔で挨拶すると、彼女は「おっと」と口を押さえコホンと咳払いした。
「ミナート様、ランゲルト様。今日はどうなされたのですか?」
にこりと微笑む彼女のその表情に、リゲルが訝し気な表情を浮かべる。
「なになに、急に何よ」
「いえ、流石に近衛騎士様を呼び捨てというのも無礼かなと思いまして」
澄ました笑顔のフィオに、リゲルは「今更でしょ」とカウンターに組んだ両腕を置いて苦笑する。後ろのミンタカを振り返ると彼は明らかにショックを受けた顔をしていて、リゲルは思い切り噴き出しそうになるのを堪えた。
「ほらほら、ミンタカも言ってやんなよ」
背中をばしばしと叩いて彼をフィオの前に立たせると、リゲルはその横で頬杖をついてにやにやと笑った。
「う、うん……フィオさんにはこれまで通りで接して欲しい、かな……」
ミンタカは徐々に俯き、最後には不安げに組んだ己の指先に視線を落とした。次第に弱々しくなる声に、フィオは一度目を丸くするとくすりと笑う。
「わかった。後になって『この無礼者!』なんて言わないでよ?」
「いっ……言わないよ! 絶対!」
慌てた様子で顔を上げるミンタカの横顔、耳が赤くなって見えるのはきっと気の所為ではないだろう。リゲルは満足げな笑みを浮かべるとホールの右手にある扉を親指で指した。
「初めての休暇がてらちょっと顔出したくてさ。イザールかフリッド隊長いる?」
「隊長は席を外してるけど、イザールさんならいるわよ」
「んじゃ、ちょっとお邪魔すんね」
歩きながら手をひらひらとさせて、リゲルが扉に向かう。フィオに向かって頷くようにしてからミンタカがその後ろに続いた。
手を振るフィオに背中を見送られ扉を開くと、いくつも並んだ大きなテーブルの周りで何人もの騎士たちが雑談していた。扉が開いた音にほぼ全員がこちらを振り返っており、その中の黒髪の騎士が二人の名を呼びながら立ち上がった。それを合図かの様に、わらわらと騎士たちが集まって来る。
「よーぉ、久しぶり」
呑気なリゲルの声に、笑い声が巻き起こる。
「久し振りってほど経ってないだろ!」
「どうした、出世組はもう王城勤務に嫌気が差したのか?」
「なんだもう戻って来るか?まだお前らの部屋は空いてるぞ!」
次々と声がかかり、二人は揃って苦笑した。
「休暇だよ、休暇」
「いや~、野郎どもに囲まれてもむさ苦しいだけだわぁ。どうせ囲まれるなら綺麗なおねーさんがいいな~」
「そんなモンここにいるか!」と笑い声が飛び交う中、黒髪の騎士がその輪の中から歩み出る。
「この場に麗しいお嬢さんなんかいてみろ、皆そっちに夢中で誰もお前ら二人が入って来ても振り向きすらしないぞ」
笑いながらそう言い放つ元同僚に、リゲルもミンタカも声を出して笑った。
「元気そうだね、イザール」
ミンタカの一言に、イザールは片手を腰に当てて苦笑する。
「ほんの二週間前に会ったばかりで、そうそう変わりようもないだろうが」
ミンタカとリゲルにとってその二週間が濃すぎたのだが——それをこの場で言えるはずもない。リゲルは口元を引きつらせたミンタカの背を無理矢理押して、元同僚たちと共にテーブルを囲んだ。
「いやー、城勤めよりやっぱりこっちが落ち着くわぁ」
思い切り背を伸ばしたリゲルの背を叩く者、笑いながら野次を飛ばす者。和気あいあいとした雰囲気の中、ミンタカは落ち着きなく視線を揺らす。
そしてリゲルの「俺らのいない間にさぁ」という一言に、口角をぴくりと揺らした。
「なんか面白い話……あった?」
リゲルはにこりと笑いながら、そう切り出した。




