第20話 騎士でさえあれば
対峙していた軍勢は、号令と共に勢いよく駆けた。
飛び交う矢の雨を振り払い、火球に打たれ倒れる者を振り返ることもない。勇ましく地を揺らす数多の足音が湧き上がる鬨の声と共鳴した。
鉄靴が草花を踏み倒し、蹄は土を抉る。色とりどりの軍旗を掲げて地平を埋め尽くす鈍色の波が、堰を切った濁流のごとく流れ込み、緑豊かな大地を飲み込んでいく。
騎士の一人が指し示した先。
一騎を先頭に敵陣へと突っ込んでいくその部隊の中に、金の獅子の刺繡が施された濃紺の軍旗がはためいていた。先陣を切る双剣の騎士はラディア国王、アレクシアスだ。
その傍らには、あの男。
王の剣であり、盾でもある騎士。
波と波が砕け散るように、両軍がぶつかり合った。
剣戟に火花が散り、盾や鎧をひしゃげる衝撃が空気を震わせた。馬の嘶き、怒号と断末魔——幾重にも重なり合う、不協和音。
——あの日、レグルスは小高い丘の上からその光景を眺めていた。
大地を鈍鉄色に染め押し寄せていた大波が割れ、やがて大きなうねりの如く混ざり合う。まるでそのうねり自体が意志を持ち、互いを飲み込まんと蠢いているかにも見える。
混沌としたこの時代そのものに思えて、レグルスは眉をしかめた。
魔力を解き放ち、喚んだ雷が敵兵を焼き尽くす。
泥と血に塗れながら振るう剣。
積まれた死体と、赤く染まった大地。
自身と父を湛える歓声と、称賛。
こちらを一瞥すらしない王の横顔。
侮蔑の籠ったあの男の笑み。
その戦場で、ただ一つ。
深紅の輝きがレグルスの目を捉える。
むせ返るような血と泥、鉄錆の臭いをまとった風に揺れる、長く艶やかな髪。
まるで炎のように、血のように。
そして、朝焼けに染まる空のように。
焔を宿した剣を手に馬を駆るその後ろ姿。
剣となり、盾となり戦うことを選んだ彼女の手が、血に汚れていく様を。
それを選ばせてしまった。
胸の奥に燻り続ける、鈍い痛み。
名を呼ぶと彼女は振り返る。
血に濡れた手と、汚れない微笑み。
まだ僅かに幼さを残す琥珀色の瞳は、真っ直ぐにレグルスを映していた。
「……兄上?」
シュナスの声にレグルスはハッと顔を上げた。
塔の屋上を風が吹き抜ける。
心配そうにこちらを見る弟に「何でもない」と返そうとして、レグルスは苦笑交じりの表情を浮かべた。こういう時、弟は妙に勘がいい。
「いや……少し、昔のことをな」
——戦場の記憶。サリガンのあの目を思い出したからだろう。
「そう……ですか」
シュナスは呟き、俯く。
そして「鳥」が飛んで行った方角を振り返った。
エルド帝国は大陸統一を掲げる軍事国家だ。
皇帝の名のもとに、東側諸国を蹂躙し武力による支配を広げてきた。
五年前。ルブルム国王が何故長年続いた周辺諸国との同盟を反故にして、あれほど警戒していたはずのエルド帝国の手を取ったのか。ハッキリとした理由は今もわからない。
長らく抵抗してきたラディアらの西側諸国に対し、エルド帝国はルブルムを内部から懐柔して同盟国を裏切らせる作戦に出たのではないか——というのが有力な説だ。
もしそれが真実だとしたら、帝国の目論見は成功したと言える。
ルブルム軍も合流した帝国統一軍はラディアへと侵攻、後に対帝戦争と呼ばれる戦いの始まりだった。
ラディアを始めとする同盟軍はこれを迎え撃ち、両軍はラディアの国境付近で激突する。
——この一連の戦いには十五歳だったレグルスも参戦し、その名と武功は「対帝の英雄」として広く大陸中に知れ渡った。
戦後すぐは騎士たちに兄の活躍を事細かに聞いて回っていたシュナスは、いつの頃からかそれを一切しなくなった。
兄の戦う相手がルブルム軍であることも。その中にテティレイシアの父アルドリア辺境伯の軍が含まれていることも。
レグルスが戦地に向けて出征した当時、幼いシュナスはそれらを一切知らされずにいた。
兄の武勇伝が意味するもの。
その相手が誰だったのか。
弟が事実を知ったのは戦後しばらく経ってからだ。
騎士達から聞く兄の武勇に心躍らせていた自分が、いかに幼かったのか。その事実にシュナスは愕然としたのだろう。
対帝戦争は同盟国軍の勝利で終結を迎えた。
帝国ではその後内戦が繰り返された。やがてその争いの中で、ルブルムの国王が対等なものとして結んでいたはずの同盟すらも支配の形を成していく。
戦火は服従を拒んだルブルムの国土を飲み込み、全てを灰に変えた。
——アルドリア辺境伯も、その戦いで帰らぬ人となった。
遺体すら、弔えなかった。
当時レグルスにできたのは、テティレイシアや子供たちをラディアに逃がすことだけだ。
シュナスの編んだ髪が風に揺れる。その髪色は父によく似ている。
血と肉の泥濘を愛馬と共に駆け抜ける父の顔は、愉悦に満ちていた。
戦場こそ己の居場所だと、敵を斬り突き進むことこそ王の征く道だと、そう信じて疑わない。
それが父アレクシアスだった。
父はレグルスにも比類なき剣の力を望んだ。
レグルスの魔術という稀有な才には王も、そして重臣たちまでもが価値を見出そうとはしない。
騎士王の血脈に「武」を求めたのだ。
血と泥にまみれたレグルスへと、王が言い放った言葉。
『お前が、騎士でさえあれば——』
その言葉は今もレグルスの中で棘となって残り続けている。
強敵と相対することを誰よりも楽しむ王にとって、剣を振るうことは生きることそのもの。
その戦いの末に、どこかで誰かが泣いていようとも顧みることはない。
大地を、己を血に染めながら突き進む。
蹄鉄で死体を踏みつけ、骨を砕き——そうして駆けた先で、また敵を斬る。
彼らはそれを誉れと呼んだ。
騎士たちは血に塗れた王を英雄だと湛えた。
その道を切り開くレグルスをも、英雄の息子だと。
せめてここがラディアでなかったら。
生まれ落ちたのが騎士の国でなかったのなら。
そうだったのなら、弟も——。
あの地獄のような場所で嬉々として死を喰らう父、それを讃える騎士達も。
彼らはいつも選ぶ側にいる。
国を、領土を、民の命を守るためと宣うその同じ口で、敵の死に歓喜の声を上げる。
父は目の前の命をただ斬っていた。
それが「奪ってもいい命」だと、疑いもしないまま。
(狂っている……)
レグルスは人知れず奥歯を嚙み締める。
それが戦であろうと、英雄であろうと。
レグルスには理解などできなかった。
人は皆、平和で穏やかな暮らしを望むものだと思っていた。
だが戦いを望み、血を求める——そんな男の血が、自分の中にも流れている。
(俺も、奴らと同じか……)
既にこの両手が血に塗れていることを、レグルスは知っている。
楽しんでいたわけではない。戦いたいわけでもない。だが、自らも強大な魔力で敵兵を大勢殺めた。結果は——同じだ。
あの深紅の髪を揺らすのは、穏やかな風であってほしいと願っているのに。
彼女の手を、血に染めたくなど——
目の前の弟のまだ少し小さなその背中から、レグルスはそっと目を逸らした。
随分と感傷的になっている。シュナスに気付かれぬよう、自嘲気味に笑う。
そして、ふと気付いた。
「……そういえば、そろそろ届く頃か」
思わず漏れたレグルスの言葉に、シュナスが「え?」と振り返る。
「……セラだ」
シュナスが「あっ」と声を上げた。
「お前、手紙を出したのだろう」
「はい、あの後すぐに」
「…………なんと書いた?」
レグルスは腕を組み、シュナスの顔を見る。
思い出そうと目線を上にやる弟の様子に、昇降口の傍で控えていたリゲルが笑いを堪える。
「えぇと……『兄が療養しますが、ご心配なされませんように』……と」
レグルスは眉間に皺を寄せて、深く目を閉じた。
兄のその表情にシュナスは顔を曇らせる。
「お前……それは、来るぞ」
「えっ、来ちゃいます!? でも、心配しないように、と……」
珍しく困惑した表情を浮かべるレグルス。
リゲルはそれをどこか楽しそうに見ている。ちらりと視線を向けると、若い騎士は慌てて姿勢を正した。
「セラが『心配するな』と聞いて大人しく待つと思うか?」
レグルスの渋い顔を見て、シュナスは少し考えてから「あぁ……」と声を漏らした。
他に書きようもあったろうが、今となっては既に手遅れだ。
「すみません、兄上……今頃手紙が届いて、それを読んでアルカにいらっしゃるとすれば……準備もあるでしょうし、早くとも半月ほどかかりますでしょうか」
レグルスは腕を組んだまま、指をトントンと動かした。
「……六日だな」
「えっ」
「あいつが馬車に揺られてのんびりやって来るわけがない。六日、早ければ五日程だろうな」
準備などそこそこに最低限の従者だけ引き連れ、馬を飛ばしてくるに違いない。
レグルスは左手を額に当て、小さく息を吐いた。
「何故俺の周りは揃いも揃って無鉄砲な奴ばかりなんだ……」
漏らした本音に、シュナスが申し訳なさそうに笑う。
騒がしくなりそうだ。レグルスは、その前にやるべきことを頭の中で組み立てた。




