第18話 霧の向こうで
「殿下。ゾズマ・ヴィヒター、帰還いたしました」
ゾズマは部屋に入るなり、拳を胸に当てて敬礼する。
その後ろから、当然の如くくっついてきたシュナスがひょこっと顔を出した。
「ご苦労だった。大事ないか」
「はっ、この通りぴんぴんしております!」
ゾズマが胸を拳でどんと叩いて豪快に笑う。その様子を見上げながらシュナスがにこにこと目を細め、いつも通りの二人にレグルスも口角を上げた。
レグルスが二人を椅子に座るよう促す。屈強なゾズマと小さなシュナス、身体の大きさの対照的な二人が並んで座ると、揃いの椅子がまるで違う大きさに見える。
「どうだった、ヒュローの様子は」
ゾズマはうんざりした様子で「それはもう!」と返す。
「レグルス殿下の仰った通り! シュナス殿下の命で調査に参ったと申しましたら、それは丁重な歓迎を受けましてな。鉱山景気とは正にこのこと。豪華絢爛な建物が数多く立ち並び、表向きは活気に溢れておりました」
レグルスは嘲るようにふ、と笑った。机に肘を置き、口元に指の背を添える。
「表向きは、——な」
やはりか、とレグルスは確信を得る。
ゾズマは途端に真剣な面持ちで、幾分声を抑え気味に続けた。
「実情は酷いものでした。私や同行した騎士たちが寝泊まりしていた館、そこから夜な夜な調査員を派遣したのですが……」
ゾズマは一層眉間の皺を深くしながら目線を落とし、続ける。
「華やかなのは街の一部だけ。住民は殆どおらず、郊外は荒れ果て……鉱山周辺はどう見ても素人には見えぬ連中が溢れておりました。恐らく坑道の中では——」
レグルスの表情が険しくなる。
後ろで控えるミンタカとリゲル、どちらからかゴクリと唾を飲みこむ音が聞こえた。
「——住民を働かせているのか」
「でしょうな」
表情を変えずに答えるゾズマの隣で、シュナスが驚いた顔をした。
「強制労働……!? 何故そんなことを……」
「隠したいなら、知る者を捕らえてしまえばいい。それを労働力に替えてしまえば一石二鳥だ」
シュナスが「隠したいこと?」と怪訝な顔をする。
レグルスは少し目を伏せ、それから静かに弟を見た。
「……五年前からだ。産出量の数値を意図的に少なく報告し始めたのだろう」
ミンタカが「あっ」と声を漏らした。
「まさか……横流し!?」
「え!?」
シュナスが大きな声を上げてミンタカを見る。ミンタカが「失礼します!」と机の上の報告書を手に取ると、シュナスはそれを横から覗き込んだ。
「実際の産出量と報告書の差分を……裏金に……?」
そう言いながらこちらに顔を向けたミンタカに、レグルスは目を細める。長椅子の背もたれに身体を預けると、腕を組んだ。背後でリゲルが慌てる気配がする。
「……元々シルヴェリス伯爵コリント家はアシュフォード侯爵家の分家筋だ。本家であるアシュフォードには頭が上がらない」
レグルスの言葉に、シュナスは息を飲む。
アシュフォードは騎士団長だ。職務の上で鉱山に関わることのないはずの彼が報告書を所持していたのは、大口の出資者だからに他ならない。十五年前の開坑時、アシュフォードは多額の資金を提供した。鉱山の経営に携わる彼が、不正にかかわっていることはほぼ間違いないと見ていいだろう。
「で、でも兄上! そんなことすぐバレて……だってラディアの宰相はあのサリガンですよ!? サリガンがアシュフォードの不正を見逃すはずは……」
シュナスの言葉に、レグルスがにやりと笑う。
「お前も後から俺に知られた時のことを考えて、正直に白状したのか?」
シュナスの顔色が途端に青くなる。ゾズマが何のことかとシュナスを見るが、弟は震える声で「後でね……」とだけ答えた。
先日の誘拐事件——シュナスはたとえレグルスに全てを知られて叱られることになろうと、それよりも報告すべきだと判断したのだ。あの少年傭兵の証言も、直接レグルスに聞かせた方が良いと思ったから連れてきた。
弟なりに考えた末の行動ではあるが、それと城を抜け出したことは別問題だ。少し意地悪しすぎたかとも思ったが、この機会だ。後でゾズマにも存分に説教されるといい。
「シルヴェリス伯、アシュフォード……そこに国の政治の中枢、その一番高い位置にいる男が後ろ盾に付いているとしたら?」
ハッとしてシュナスがレグルスの目を見る。
「もしそうなら、本来見つかるものも見つからなくなる。俺に渡る報告書さえ改竄してしまえば、他にその不正に気付く者はいない。……随分と好き放題やってくれたようだ」
レグルスの低い声に、シュナスが愕然とした表情を浮かべた。それをちらりと見てレグルスは「だが」と続ける。
「どれだけ気を使っていたとしても、人の口に戸は立てられないものだ。事実、俺のもとにすら噂だけは届いていたからな」
「噂……?」
「景気がいいはずのシルヴェリス領から、人が消えている——と」
栄えた土地には人が集まる。利益が出て人が集まり、物資の流通量が増えて暮らしやすくなれば、より一層その町は大きくなる。人が消える——減る、というのは、本来起こり得ないことだ。
「……労働者として、坑道に連れて行かれたということですか……?」
ミンタカの言葉に、レグルスは「恐らくな」と答えた。
(十五年前……急に開坑できたのも腑に落ちない話だ。アシュフォードやサリガンが出資したとて、それだけで開坑資金が足りていたとは思えない)
今の段階では判断材料が足りない。
もしかしたら、資金を用意したのはまた別の人間だという可能性もある。それだけの金の出どころも不明瞭だ。五年前の対帝戦争以前からも長く続いていた戦で、ラディア国内はあちこちに痛手を受けている。手付かずの鉱山を一から開坑するには莫大な資金が必要になるだろう。それに出資できる程の財源を持つ者など、ごく限られている。
「鉱山で働く者たちには随分と無茶をさせているようだ。早く手を打たねばならない。——いや、もう被害は出ていると考えるべきだな」
レグルスは目を伏せがちに言う。
奥歯を噛み締めるが、今の自分には打てる手がない。
「無茶、とは?」
シュナスが険しい顔でレグルスに問う。レグルスは両手の指を組み、口元を隠した。
「俺がここで何日も、何もせず座っていたとでも思うのか?」
北西を望む窓へ、静かに視線を送る。
「何度もシルヴェリス方面に向かう馬車が通った。川を下る船も以前より随分と増えているようだ」
リゲルが「……あ!」と窓の外を見る。
北へ向かう街道と、その向こうにはアルカの街を縦断し流れる大河。その先は海——交易の盛んな、港町に辿り着く。
「人間は事が上手く運べば運ぶほど欲が出るものだ。そして調子に乗る。尻尾が出るのは大抵の場合その辺りだ」
レグルスの言葉に、リゲルは真っ青な顔で勢いよく振り向いた。
「ちょっ、ちょっと待ってください殿下! これ、俺とミンタカが聞いて——」
レグルスがにやりと笑う。
シュナスがヒュッと息を吸い込んだから、相当な怖さだったのだろう。
「聞いて、しまったな……?」
ミンタカの顔からも、一気に血の気が失せる。リゲルは頭を抱え、目を閉じた。ゾズマも「ご愁傷様」と言わんばかりに苦笑している。
「で……ゾズマ。『霧』はどうだった」
レグルスの問いに、ゾズマは再び表情を引き締めた。
「は、それなのですが——今回の被害はそれほどでもないようです」
引き寄せられた魔物が鉱車用の線路に出現したとの知らせを受け、ゾズマの隊が対応したらしい。
線路の終点、ライネル川の船着き場や森の中の湖に気配はなかった——そうゾズマが報告した。
「……今回の被害は?」
レグルスが眉間に皺を寄せながら繰り返すと、ゾズマは苦々しい表情で続ける。
「山側郊外の畑や森沿いの土地、その辺りは……壊滅です」
「……!」
その場の空気が、一瞬で張り詰めた。
『黒い霧』は以前から流れ込んできていたのだ。
土地は腐り、魔物が集い、建物は無残に破壊され——それらの跡は、ここ数年だけのものとは思えないものだったという。
それを国に報告もせず——いや、もしかしたら報告が上がっても握り潰されてきたのかもしれない。調査されて不正が明るみに出ることを避けるために。
そこで暮らしていた領民は、恐らく——
「霧の被害よりも、利益を優先したのか……!」
領地を、国を治める者が。
何故そんな真似ができる——!
レグルスは拳を強く握り締めた。虚空を見つめるその瞳に、激情が宿る。
「恐らく鉱山のガラの悪い者共、あ奴らは戦後職にあぶれた傭兵崩れの連中でしょう。見張りと、近付いてきた魔物の処理をさせているものかと」
ゾズマの声が、どこか遠く聞こえた。
地形か、風の流れか——それとも、「霧」を引き寄せる何かがあるのか。
何故なのかはわからない。国内の他の場所でも同じことが起こっている可能性もある。
「そうまでしてお金を集めて、何に使っているんでしょう……?」
シュナスがぽつりと言った。サリガンがただ私腹を肥やすような男ではないことを、シュナスもよく知っているのだ。
レグルスが静かに息を吐くが、僅かに震えを含んだ。
悟られぬよう、シュナスをじっと見つめる。
「まだ断定はできないが……」
取り出したそれを、やや乱雑に机に置いた。
クロエから渡された、帳簿だ。
「失礼致します。……これは……」
「とある商会の帳簿、その写しだ」
シュナスは「えっ」と声を上げる。
開いた帳簿の文字を目線だけでゆっくりと追いながら、ゾズマがぼそりと言う。
「武器や防具、魔晶石……その取引記録ですな?」
「そうだ。……しかも、大量にな」
シュナスも覗き込むが、理解はできなかったようだ。すぐに横にいるゾズマの顔を見た。
そこに書かれていたのは「カライル商会」と、「ジェラリーズ」という名の貴族との取引の記録だった。
レグルスは、眉を顰めて冷たく言い放つ。
「カライル商会は小さな新興商会のようだが……ジェラリーズという名の貴族は、ラディアに存在しない」
「……偽名……ですか?」
シュナスの声に、レグルスは「恐らく」と答えた。
あるいは——
レグルスは言葉を飲み込む。
「……そんなに買い込んで、一体……?」
レグルスは、シュナスの瞳を見る。
静かに、だが唸るように答えた。
「戦——だろうな」
全員が、息を飲んだ。




