第17話 偽りの数
少しの間考えて、レグルスは大きく息を吐いた。
「情報が足りない。今日のところはここまでだな」
緊張した顔で兄を見ていたシュナスも、ほぅっと息を吐いて肩の力を抜いた。
隣の少年傭兵は表情一つ変えない。だが、直後にシュナスが顔を見てにこりと笑いかけたことで、あからさまに嫌な顔をした。
「あ、そうだ! 兄上、クロエがこれを」
シュナスは懐から何かを取り出す。
レグルスが手にしたそれは、どうやら帳簿のようだった。
「クロエが?」
「はい。これが何なのかは、兄上に渡せばわかると……」
パラパラとめくる。
それには、小さな商会の取引記録が事細かに記載されていた。日付や金額、何がいくつ取引され、どのくらいの金が動いたか。一見、何の変哲もないただの帳簿に見える。
「……なるほど」
レグルスはクロエが何を言わんとこれをシュナスに託したのか——その思惑に気付き、僅かに笑う。
「あ、兄上……?」
シュナスの顔色が青ざめていたのを見て、レグルスは自分が余程悪い顔をしていたのだろうと気付く。
口元を、人差し指の背で隠した。
「やはりクロエには頭が上がらんな」
帳簿を閉じると、書類の積み重なった机の上に置く。
ここでなら多少はゆっくりできる時間もあるかもと考えもしたが——どうやらそうもいかないようだ。
その時、ルカが壁から背を離した。そのまま彼は扉の方へと歩み寄る。
「ルカ?」
シュナスの声に、目線だけを送って「帰る」と一言。
「……これ以上面倒ごとはごめんだ」
冷たく、突き放すような口調だった。
シュナスが寂しそうな表情をしたのに気付きながらも、レグルスはルカの背中に声をかける。
「報酬は足りたのか? 傭兵を雇えるだけの金をあの子らが払えるとは思わんが。……足りない分は本人から取り立てるといい」
ルカはこちらに顔を向けて、ぼそりと「足りてる」と答えた。
「……そういう契約だ」
契約とは、雇い主となった子供たちとのことだろう。
ルカが扉にかけた手を、シュナスが勢いよく掴んだ。
「色々ありがとう! また会おうね、ルカ」
満面の笑みを見せるシュナス。ルカは少し驚いてから、レグルスが見た中で一番嫌そうな顔をした。
「……『また』はない」
握られていた手をするりと引き抜くと、扉を開く。そのまま彼は、振り返ることなく部屋を出て行った。
扉が閉まると、部屋には静寂が訪れる。
「……また、会えるといいな」
ぽつりと呟いたシュナスの声は、レグルスの耳にも届いていた。
*
八日後。
レグルスはその日、朝からシルヴェリス伯爵領についての過去の記録を読み返していた。傍らではミンタカが必死になって資料を整理してくれている。
「……ミンタカ。これをどう見る」
「はいっ!?」
レグルスの問いに、ミンタカが驚いた声を上げる。日付ごとに書類をまとめていたミンタカは、まさか自分にそんな質問が降ってくるとは予想していなかったらしい。恐る恐ると言った様子で、レグルスの差し出した報告書の束を受け取った。
「……ヒュロー鉱山の……産出量ですか?」
「そうだ。ここ十五年分——今年の分はまだ揃っていないが。何か気になることはないか」
ミンタカはしばらく羅列された数値と睨み合ってから、机の上に報告書を置く。
「あの……私は農地のことしかわかりませんが、それでもよろしければ」
「いい。言ってみろ」
ミンタカの指が、五年前の記録を指した。
「去年から五年前まで……年間の産出量が殆ど一定だな、と」
ミンタカの言うとおり、ここ五年間の数値がほぼ横這いの産出量となっている。
「農作物は特に天候の影響を受けやすいので、毎年同じ量の収穫は見込めません。鉱山は天候の影響を受けないでしょうが、それにしてもここまで揃うものなのかと……」
顔色を伺うように、ミンタカが不安げにレグルスを見る。
レグルスは「やはりそう思うか」と呟くように言うと、月ごとの産出量の一覧を指差す。
「月ごとの数値は、一見ばらついている」
「あ……本当ですね」
「だが、一年通してみたらほぼ同量。それが五年前に始まっている」
五年前——それはちょうど、「対帝戦争」が始まった年だ。
「産出量が揃い始めた五年前までは、十年間ばらつきながらも増加傾向にあったが——」
ヒュローは比較的新しい鉱山だ。先代の頃には鉱脈が発見されていたが、資金不足で発掘は見送られていた。
瘦せた土地にしがみ付くしかなかった領民の貧しい暮らしも、現伯爵の代になり一転する。十五年前に開坑して以来、領は鉱山景気に沸いた。人口も飛躍的に増え、国内外から物資や富が流入し、民の生活もまた豊かになっているはずだ。
少なくとも、戦後すぐ視察のために赴いた政務官からは、潤沢な資金で街並みもしっかり整備されていたという報告が上がっている。
「……これはシュナスが持ってきた報告書だな?」
「は、はい」
シュナスはレグルスがこの報告書を欲しがっていると聞いて、アシュフォードのいる団長室に入り込んだらしい。
ロザリアと会話を楽しむふりをしながら、アシュフォードがその場を離れた隙に書棚から抜き取ったのだ。
「シュナスの細作の真似事も、役に立つものだな」
半ば呆れながら言うレグルスに、ミンタカは苦笑する。
弟に危ない橋を渡らせたいわけでは決してない。もうこんな真似は控えるようしっかり言い聞かせねば。
だが、シュナスのその無謀な行動のおかげで助かったのは事実でもある。これまでレグルスが目にしていたシルヴェリス領の報告書には、こんな数値は並んでいなかった。
(改竄されていた、ということか——)
想定していたよりももっと前から、レグルスのもとに正しい資料が届いていなかったことになる。補佐官であるアルニラムの手に渡った時点で、すでに数値は改竄されていたということだ。
レグルス自身は戦後被害に遭った地域を中心に視察していたから、戦場となった国境付近から遠く離れたヒュローには手が回らなかったというのが実情だ。その隙に誰かが偽りの報告を上げるようになった。
レグルスは机の上に両肘を預け、組んだ指で口元を隠した。
「やってくれる……」
ラディアは騎士の国だ。建国以来、騎士とその武を尊ぶという気風が連綿と受け継がれてきた。
戦火の止まぬ世にあって、その志はさらに強固なものとなったと言える。いつしか王の統治を支える重臣の座も、そのほとんどが戦場を王と共に駆けた武官たちで占められるようになっていた。
王の右腕として戦火を潜り抜けた、誰よりも忠義の厚い騎士——サリガン宰相。事実上、あの男がラディアの政を掌握している。
(戦後処理に駆けずり回っている間に、内から獣に食い荒らされていたとはな——)
政務官たちまでもが全員黒だとすると、最早どこまでの資料に信憑性があるのか、当てになどならない。
流石に全ての書類をシュナスに盗ませるなど不可能だ。
「……シュナスはその後、随分と大人しいようだな」
「あ、はい、そのようです。空いた時間はほぼ修練場にいらっしゃっているようですが……」
シュナスはここ数日、自室と近衛の修練場を往復するだけの日々を送っているようだ。時折レグルスの依頼でこの塔の屋上から「鳥」を飛ばし、他愛もない話をして戻っていく。
流石にあの一件が堪えたようで、数日はまともに食事もとれなかったらしい。無理もない話ではある。
戦後すぐは遺体や怪我人が城内に運び込まれることも多くあった。母である王妃も火事で亡くなった。この時代、死はいつでも身近にある。シュナスとて人の死に触れたことが無いというわけではない。
それでも目の前で人が死ぬのを目撃するというのは、彼にとって相当な衝撃だったはずだ。ましてや、頭部が破裂して死ぬなどと——。
今回テティレイシアの名を出して叱り付けてしまったのは少し卑怯だったかとも思っているが、弟はただ落ち込んでいるだけではない様子だった。彼なりに何らかの意識の変化があったのだろう。それには、あの少年傭兵との出会いも少なからず影響しているように見える。
だがあの弟がこう何日も大人し過ぎるとこちらの調子も狂うというものだ。これまで以上に剣の鍛錬に力を入れているようだ、というのはリゲルも話していた。良い心がけではあるが。
「些か、考えが足りんな」
「は、えっと……?」
ミンタカが怪訝な顔をしていたから「いや」とレグルスは小さく笑った。
(奴にはさぞ喜ばしい話だろうが、な)
シュナスが強い騎士王になることを望むサリガンにとって、剣に打ち込む第二王子の姿はまさに理想通りに違いない。
図らずとも奴の目がシュナスに向いているなら、こちらとしても動きやすいというものだ。
その時、扉の向こうから速足の靴音が聞こえてきた。次いで、扉を叩く音。レグルスが「入れ」と声をかけた瞬間、いつもより勢いよく扉が開く。
「殿下!」
リゲルが飛び込んできた。
「副隊長が戻られました!」
レグルスは驚くこともせず「知っている」と答えた。
リゲルが「え?」と拍子抜けした声を出したのを見て、レグルスは窓の方向へと目線をやる。
「言っただろう、ここは景色が良い」
組んだ手で隠れた口元が、にやりと笑った。




