第15話 難儀なもの
今日は朝から随分と慌ただしい一日になった。
これから先暫くはこの塔の一室がレグルスの執務室兼寝室になる。必要な道具や資料、報告書の束などを運び終え、レグルスは小さく息を吐いた。
通路を挟んで向かいの部屋にはミンタカとリゲルが早々に私物や寝具を運び終わり、今は大量の書類を整理しているところだ。
本来それはレグルスの補佐官であるアルニラムの仕事のはずだった。そのアルニラムがいない今、レグルス一人でやるしかないと思っていたのだが。騎士二人に文官の仕事を任せるのは少し心苦しいところではあるが、なかなかどうして二人は優秀だった。
急遽運び込んだ空の本棚に次々と本や資料を並べていくミンタカの背中を少しの間眺めて、レグルスはふと気付いた。
「……ミンタカ、お前はタザリオ男爵の長子だったな」
「えっ!? あっ、あの……はい」
ミンタカが驚いた顔で振り返る。思いのほか大きな第一声が返って来て、レグルスは僅かに口元を綻ばせた。
レグルスの記憶が正しければミンタカは東の辺境に位置するタザリオ領と、そこにある小さな村を治めるランゲルト家の嫡男だ。あの辺りは肥沃な大地が続く地帯で、タザリオの村も広大な小麦畑を有していたはずだ。
がちがちに肩を強張らせたミンタカに、レグルスは苦笑する。そう警戒して欲しくないところではあるが、王城勤務になって数日の若い騎士が王族相手に緊張するなと言われても難しいものなのだろう。
「お前も領地経営に携わっていたのか?」
レグルスのその問いに、ミンタカは明らかに狼狽えた表情で「はい」と答えた。レグルスの真意がわからず困惑しているのだろう。
「書類仕事が手馴れていると思っただけだ。そう怖がるな」
長椅子の背もたれに身体を預けながら、レグルスはふ、と小さく笑った。
レグルスが様子を見ていた限り、ミンタカは書類の仕分けや整理が的確で素早い。それに恐らく無意識だろうが、書類を眺めながら時折ほんの僅かに手が止まる。興味を引かれ書類に思わず目を通してしまっていたようだ。
真面目過ぎるのか思い切りに欠ける部分もありそうな反面、細部までよく気が付き丁寧で実直な仕事ぶりは今のレグルスにとって実に頼もしい。
「は、あの……申し訳ありません」
言いながらもレグルスの表情に少し安心したのか、ミンタカの強張っていた肩が少し下がった。それを見ていたリゲルが笑う。目が合うとリゲルは取り繕うように咳払いをして、また書類に視線を落とした。
まるで他人事のように笑ったリゲルだが、彼もまた興味深い男だとレグルスは思っている。
多少お調子者ではあるが、明るく朗らかで他人の懐に入り込むのが上手い。判断や行動が速く、こちらの意図するところを理解する能力も高いと見た。まだ明るいうちに図書室へ使いを頼んだが、あっという間に初対面の司書と打ち解けて話が膨らんだらしく、関連書籍を数冊加えて戻ってきた。
偶然ここで出会えた二人ではあるが、レグルスは自分の幸運もまだまだ捨てたものではないと思う。
そう言えばリゲルの兄が精霊を喚べるという話をしていた。ふと召喚術の適正には血筋も関わるという説があることを思い出す。
「ミナート家で召喚術が使えるのは長兄のディラン殿か? それともキオン殿? キャリス子爵や奥方の家系には、他に適性を持つ人物がいるのか」
リゲルが驚いた表情で振り向いた。それを見てレグルスは怪訝な顔をする。
「……俺の記憶違いか? 『リゲル』はキャリス子爵ミナート家の三男の名だったと思ったが」
「いっ、いえ! 召喚術は長兄です、が……その、よくご存じだなと、田舎の子爵家兄弟の名など——」
リゲルが慌てて両掌をレグルスに見せながら振った。それでレグルスは理解する。王太子が地方の子爵家の家族構成や、ましてや一人一人の名前など知っているはずもないと思ったのだろう。
「その程度把握せずしてこの荒れた国土を立て直せるものか。王都と距離こそ離れているが、地方の領地こそ資源や国防の面での要となり得るものだ。領主一家の名前くらいは覚えておいて損はない」
レグルスがさも当然かのように言うと、リゲルは口を開けたまま呆けていた。その隣で感心している様子のミンタカを見て、レグルスはふと気付く。
「長兄と言えばミンタカ、お前は嫡男だろう? 跡継ぎが騎士の道を選んで、ランゲルト家は大丈夫なのか」
ミンタカは目を丸くしてから慌てた様子で答える。
「はっ、あ、あの……家はっ……ですね、末子が継ぐことになっておりまして——!」
貴族家の次男以降は跡継ぎになれないから、よほど裕福な家でもない限り持て余すものだ。三男のリゲルが死と隣り合わせの騎士を志すのも、子爵家の子息が身を立てる方法としてはよく聞く話だ。事実、近衛隊の中には同じような事情で騎士を志した貴族家の子息が何人も在籍していた。
だがミンタカは長男のはずだ。下に妹とまだ幼い弟がいたと記憶しているが、タザリオ男爵が側室を娶ったという話は聞いていない。3人とも正妻の子であるなら、多くの家は長子が家を相続するのが慣例だ。だからこそレグルスは単純に疑問を抱いたのだが。
「——いや、すまない。家の事情など俺が踏み込んでいい話ではなかったな。忘れてくれ」
妾の子や養子など、報告は上がっていないが何か出自に関して秘した事情があったのかも知れない。そこまで思い至らなかったことでレグルスが話を打ち切ろうとすると、ミンタカは慌てて頭を下げた。
「いいえ、とんでもないことです殿下! あの、何と言いますか……父の不祥事や私の出自に関することではないのです。お恥ずかしながら……ですね」
「それは俺が聞いていい話か?」
「は……その……」
ミンタカが気まずそうな様子でしどろもどろに答えた。無理に話す必要もない、そう言おうとしたレグルスはミンタカがぼそりと「我が領の財政が」と言った瞬間に全てを察した。
やましい話ではないが、レグルスには言いにくかったのだ。
「そうか、タザリオ領はルブルムとの国境の傍か——」
国境周辺、特にタザリオよりも北側は五年前の対帝戦争の戦場となり、未だその爪痕が色濃く残っている地域だ。タザリオの領地自体はその戦火に巻き込まれることなく済んだが、国境を越えたルブルム側では敗戦後土地が放置され魔物達の住処となっていたらしい。
タザリオ領よりも東北側、国境を護る辺境伯領では騎士団が防衛範囲を広げて流れ込んでくる魔物を食い止めてくれてはいるが、南側に広がる森を抜けてくるものもいる。タザリオ領にとってはかなりの負担だろう。
魔物が出るという事は、その地の暮らしが一変してしまうという事だ。襲撃に備えて人手がとられ、畑を維持できなくなる。荒れた農地を捨て移住する者も出てくるだろう。やがて財政面も含め領全体が消耗していく——それが農村地帯の実情だった。
だからこそ長子であるミンタカが騎士として働きに出て、実家である男爵家に仕送りをしているのだということは想像に難くない。最早畑で働く人手よりも、騎士としての収入の方が必要なのだろう。
「……本来なら国が動くべき事案だ。補助金を出し、人員を送り、魔物の討伐や魔晶石の取り扱いも——」
行うべきことを口に出してみるが、それを行う手立てがない。今のレグルスがそれを訴えても、動かせる人間はこの城にいないのだ。
せめて守備隊だけでも早急に手配せねば。万が一、森から魔物が溢れてくる可能性も考えねばならない。二年前にルブルムが滅びてからは一層厳しい状況だろう。国一つ分の大地が森に飲まれようとしているのだから、その影響が隣国であるラディアにないはずがない。
「キャリス領にも『霧』の流れ込む回数が増えているだろう?」
リゲルが驚いて、ミンタカと顔を見合わせる。
それから、呟くように「おっしゃる通りです」と返した。
彼の実家であるキャリス子爵領は王都から見て西方の山岳地帯だ。西方では近年黒い霧が度々発生すると報告が上がっていた。
特に四年ほど前からは霧の発生する頻度が上がっている。タザリオやキャリスだけではない、国内ではあちこちで問題が生じているはずだ。
だが、それらの情報もここ数ヵ月はレグルスの手元に入らなくなっていた。
誰かがそれを止めていた。
それが誰かなど、考えるまでもない。
レグルスは虚空を睨み付け、奥歯を思い切り噛み締めた。
(奴らは何をやっている……!)
取り上げるだけ取り上げておいて、まともに国を治めることもできないのか。
サリガンとて、民が窮していることに気付かぬはずはないのに。
一日も早く政権を取り戻さねばならない。
(焦るな——まずは一手だ)
拳を強く握りながら一度目を閉じ、細く長く息を吐く。
全て吐ききると、レグルスはゆっくりと目を開いた。怒りを湛えたレグルスの表情に気圧されていた若い騎士二人の青い顔に、思わず苦笑する。
「リゲル、悪いがもう一度図書室へ行ってもらいたい。こんな時間だが、まだ誰かしら残っているだろう」
「はっ、はい!」
素早くペンを走らせ、書き付けをそのままリゲルに手渡した。
少し慌てた様子で敬礼し、リゲルが部屋を出る。遠ざかる足音を聞きながら、レグルスは少しだけ目を伏せた。
今できることから一つずつやっていくしかない。机の上に置いた指先に、昼過ぎに届いたアルニラムからの手紙が触れた。腕を組んで、深く溜息をつく。
「……難儀なものだ」
ぼそりと独り言ちた言葉にミンタカが少し困った顔をした。
それに気付いたレグルスが口を開こうとした時、不規則な足音が聞こえてきた。程なくして小さな音で扉が叩かれ、ミンタカが警戒しながら扉を開く。
そこに立っていたのは死人のように青白い顔をしたシュナスと、呆れ顔の見知らぬ少年だった。




