第14話 伝えられない言葉
辺りを暗闇が支配する頃、三人は孤児院へと辿り着いた。
門の前でそわそわと待っていたクロエが、シュナス達の姿を見つけると走り寄ってきた。その後ろにイオ達の姿も見える。
「シュナス、テティ!」
勢いよく走ってきたイオが二人まとめて抱きしめると、その背にエララとカルメも飛びついた。
涙を溜めてぎゅうぎゅうに抱擁する五人を、クロエが安堵の表情で見つめる。
「よかったぁぁ……! お二人に何かあったらと、私、不安で——」
泣きじゃくるエララの様子に、笑い声が起こる。
「ありがとう、心配させてごめんなさい」
テティレイシアの言葉に、エララは声を上げて泣き出した。
目を合わせて、困ったように笑うシュナスとテティレイシア。
「シュナス様」
クロエの静かな声。シュナスは無意識に「ヒッ」と声を上げた。
「こんな時間まで、どこで、何を、していらっしゃったのか。このクロエめに全て——お話しいただけますね……?」
「はっ、話す話す、全部話すよ……!」
真っ青な顔で両手をぶんぶんと振るシュナスに、また子どもたちが笑った。
先に戻っていたイオ達は、二人が攫われたことを伏せていたらしい。事情を知らないクロエには、帰りが遅いことを心配していただけに映っている。……はずだ。
シュナスとテティレイシアは街を探検しているうちに迷ってしまい、ルカに助けられた——という事にすると決めていた。何だかんだと適当なことを並べ、引き攣った笑顔を浮かべる。
(ごめん、クロエ。いつか本当のことを話すから……)
誘拐されたなどクロエに知られたら、それこそ大事だ。きっと有無を言わさず城の抜け道を塞がれ、自由に孤児院へ来ることなどできなくなってしまうだろう。
ちくりと胸を指す痛みに、シュナスは服の上から手首の傷を強く握った。
盛大なお説教を喰らったシュナスは、終わる頃にはヘロヘロになっていた。
クロエは戻らない二人を心配し、人員を手配して探し回っていたらしい。シュナスとテティレイシア発見を伝えるべく、何やら男に指示を送っている。
その様子を少し離れて見守りながら、イオはルカに歩み寄る。
「ありがとな、ルカ。ほんとに……ありがとう」
涙の滲む目で自分を見つめるイオ達に、ルカはまたふいと目線を逸らす。
「これで俺の仕事は終わりだ」
そのまま背中を見せたルカに、シュナスが叫んだ。
「あー!! 待って待って、ルカ!!」
走り寄り、振り向いたルカの腕をがっしりと掴む。
「……!?」
「ちょっとこっち来て!」
驚くルカの腕を、強引に引っ張る。
「クロエ、この子がルカだよ! 私たちを助けてくれたんだ!」
クロエの目の前に押し出され、ルカは目を丸くしていた。
その満月のような銀の瞳を、クロエはじっと見つめる。
ルカはクロエから目を逸らせずにいた。
居心地の悪さより、クロエのあの説明し難い圧に驚いたのだろう。その気持ちがよくわかる、とシュナスは心の中で呟いた。
クロエとルカの顔を交互に見て、次第に心配になってくる。
クロエの視線が、一瞬だけルカの頬に揺れた気がした。
夕焼けに染まる彼の横顔を思い出し、シュナスは慌ててルカの肩を掴んでぶんぶんと振り回す。
「ルカはね、こんなに小さいのに傭兵なんだって! すごいよね、カッコいいよねクロエ!?」
されるがまま首をがくがくと揺らしながら、ルカの目はどこか遠いところを見ている。
大きなため息をついて、クロエは目を伏せた。
「——わかりました」
ルカに向かって品のある礼をし、クロエはにこりと微笑む。
「この孤児院の院長を務めております、クロエ・エナールと申します。ルカ殿。お二人をお助けいただき、本当にありがとうございます」
ルカは戸惑ったように何度か瞬きしてから、ぼそりと「……どうも」とだけ返した。
「シュナス様。兄上様もご心配なさっている頃でしょう。もう夜も遅うございます。『ご自宅』までは、うちの者をご一緒にお連れください」
クロエが後ろで控えていた男性に目をやる。彼女の家の使用人なのだろうか、男性が礼をしたのをシュナスは慌てて両手を振った。
「いい、いいよクロエ! ルカがいるから」
「シュナス様!?」
流石のクロエも驚いた様子だ。
ルカも勢いよくこちらを振り返る。
「いいんだ、クロエ。……兄上に、会ってもらいたいんだ」
シュナスが言った言葉に、クロエの目が丸くなる。
「大丈夫! 絶対、大丈夫だよ! ……あと、ちゃんと真っ直ぐ帰る!」
シュナスは彼女の視線の前で、堂々と——だが、少し悪戯っぽく笑った。
クロエが困った顔をして、細く長く息を吐く。
「……そうですか」
シュナスはニッと笑った。
クロエがルカの方に向き直る様子を、少し楽しそうに見る。
「……ルカ殿。シュナス様を、くれぐれもよろしくお願いいたします」
微笑みの中にも隠しきれないほど、有無を言わさぬ迫力があった。
ルカはわけもわからず、ただ茫然と頷くしかできない。
満足げににこりと微笑んだクロエは、シュナスに一冊の帳簿を差し出した。
「こちらを、兄上様に。お渡しいただければわかります」
クロエが言っていたものはこれだったのか。
色々ありすぎてすっかり忘れていたシュナスは、それを悟られぬよう、頷きながら受け取った。
「じゃあ、私たちは行くよ。またね、クロエ、みんな」
シュナスはそう言いながら、その場にいる全員を見渡した。
「おう、またなシュナス!……テティのことは俺らに任せとけ!」
イオの言葉に、エララとカルメも頷いた。
大きな声で礼を言うと、イオはニッと笑って歩き出す。
他の者たちがぞろぞろと孤児院へと入っていくのを横目で見送りながら、シュナスは一人そこに残ったテティレイシアを見る。
「……『配達』までさせられるとは聞いてない」
ルカの言葉に、二人は吹き出した。
面白くなさそうな顔をしたルカに、もう一度笑う。
シュナスはひとしきり笑い終えると、テティレイシアに向き直った。
「あ……あの、ね、テティ——」
「はい、シュナス様」
そっと微笑むテティレイシア。
シュナスは何故か、胸の痛みを覚えた。
彼女はいつも、笑う。
あんなことがあったばかりで、怖かったはずなのに。心細いに決まっているのに——。
それでも彼女の笑顔に、かける言葉が見付からない。
本当ならこのまま連れ帰りたかった。王城の中なら、きっと彼女の身を守れる。怖い思いをさせずに済む。
——本当に?
今のあの状況で、本当に安全に過ごすことができるだろうか。
敵国の令嬢だった彼女を。サリガンやロザリアの手から、彼女を傷つけることなく守れるのだろうか。
今日まさに、自分の無力をこれでもかと味わったばかりなのに。
ルカがちらりとこちらを向いたのがわかった。
視線の中で、ゆっくりと顔を伏せる。
下がっていくシュナスの目線に、テティレイシアは少し不思議そうにこちらを見ていた。
シュナスは彼女の手をぎゅっと握る。
「あ、あの……テティ。……今度は、絶対……私が——」
喉が詰まる。
上手く言葉が出てこない。
本当は、本当に言いたいのは——。
「……あっ、あの、次来るときは、本! あの、ロビンに似た鳥の絵が載ってる本を! 持ってくるから!」
テティレイシアは少し驚いた顔をして、少し考え、それからまた——笑った。
「はい、楽しみにしております」
孤児院へと入っていく彼女は、一度だけ振り向いた。
小さく手を振ると、その姿が完全に見えなくなるまで見送る。
シュナスはその場に立ち尽くした。
その横に、ルカが黙って立っている。
「…………」
ひゅう、と夜の風が無言の少年二人の間を吹き抜ける。
シュナスは項垂れた。
それを、ルカが溜息をつきながら見る。
「……何か言ってよ」
「……いや、別に」
「言えよぉ」
急に不甲斐ない思いが膨れ上がってきて、情けない声を漏らす。
ルカは少し困惑したような顔をしてからしばらく考え、悩むように眉間に皺を寄せた。
「……なんていうか……伝えたいことがあるなら、伝えられるうちに伝えたほうがいい」
言葉を選ぶように言ってから、少しの間をおいて「……と、思う」と付け加える。
「そう簡単に言うけどね、このご時世、色々複雑なんだよ」
殆ど八つ当たりに近い。するりとそんな言葉が出てきたことを、シュナスは自分でも少し意外に思った。
——同じ歳の、少年相手だからだろうか。
「……このご時世だからだろ」
シュナスは驚いてルカを見る。
「伝えられなくなってから後悔するぐらいなら、全部取っ払ってでも伝えたほうがいいことだってある。……多分」
そこまでルカの言葉を聞いて、シュナスはふと、思った。
「——ルカは、後悔してることがあるの……?」
ルカは少し驚いた顔をする。一瞬考えて、それから「さあ」と一言。背を向けて歩き出した。
剣の柄の先端が、月明かりにきらりと光る。
「……忘れた」
ルカの背を見つめる。
光は闇に、溶けて消えた。
シュナスは一瞬の間を空けて、その背を、追いかけた。




