第13話 朱い陽
「シュナス様……?」
震えるテティレイシアの声に、シュナスは慌てて振り向いた。
「テティ、そのまま! そのまま被ってて!」
目の前の光景を、彼女に見せたくない。
シュナスは自分だけ外套から抜け出すと、もう一度頭部のない男の死体を見た。
首から上だけが、きれいに無くなっていた。飛び散った血は壁までも赤く染めている。
むせ返るような血の匂いに顔を顰める。喉元まで込み上げるものを、口に手の甲を押し当ててひたすら耐えた。
「なんで……何が……?」
寄る辺のない呟きが、静かな部屋に消える。
シュナスは思わず少年の方を向いた。
彼の髪や服、顔にまで血が飛んでいた。それを気にするでもなく、少年がこちらを見る。
「……情報源はなくなった。ここを出る」
「えっ!?……あ、うん……わかった」
シュナスは少し驚きながらも頷く。
何がどうしてこんなことになったのかも、目の前で起こったことが何なのかもわからなかった。
——わからないのはこの少年も、だ。目の前で人が破裂して死んだというのに、全く動じる様子もない。
今更ながら、目の前にいる少年の異質さに背筋がぞくりと震えた。思わず振り返って、テティレイシアの方へと歩き出す少年を目で追う。
少年は、外套を頭から被ったままのテティレイシアをひょいと抱き上げた。
「きゃぁっ……!?」
小さく悲鳴が上がり、シュナスの口から「わぁっ!?」と叫び声が漏れた。
「いいと言うまでそのままにしてろ」
少年がテティレイシアを軽々と片手で持ち上げると、彼女の腕が反射的に少年の首に巻きつく。
少年はそのまま、何事もなかったかのように部屋を出ていった。
「ま、待って……うわっ!」
一人残されそうになったシュナスは慌てて彼の後を追う。足元が血で滑りかけたが、どうにか堪える。
廊下に出てみれば、そこは悲惨な光景だった。
最初の五人以外にも男がいたらしい。歩く先の廊下にも二体、死体が転がっている。
数歩先を歩く少年の背を、じっと見た。
肩越しに柄だけが見えていた背中の剣が、この位置からはよく見える。
小柄な彼の背には似つかわしくない長さの、細身の剣だった。鞘が弧を描くように少し反っている。鍔も、見たことがない形だ。
腰のベルトの背中側に、短剣が括りつけられていた。それで、あの男たちを……殺したのだろうか。
シュナス達が捉えられていたのは、古い屋敷だった。
どれほど使われていなかったのだろう、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。ぼろぼろの絨毯はあちこちが朽ち、板張りの床も所々腐っている。
窓はどこも内側から目張りがしてあった。その薄暗い室内を、少年は迷いなく歩いていく。
階段を降り、一階のホールに辿り着いた。そこにも複数の死体がある。無造作に転がるそれらを、少年は障害物かのように避けて歩いていく。シュナスはゴクリと唾を飲みこみ、恐る恐る乗り越えるようにして進んだ。
少年の手が扉にかかる。軋む音を立て開いた隙間から飛び込んできた光に、シュナスは思わず片手で目を覆う。
少しずつ眩しさに慣れると、古い石畳の道と朽ちた家々が視界に入った。
夕暮れに染まり、橙がかった石壁。木々が風に葉を揺らす音が、一気にシュナスの緊張を解いた。
「はぁ……助かった……」
その場にしゃがみ込み、膝の上に組んだ両腕の中に顔を埋めて、大きく息を吐く。
少年は立ち止まることなく進むと、崩れた石壁の中から腰を下ろすのに丁度いい高さの場所を見つけてテティレイシアを下ろした。
そっと彼女を座らせると、ふわりと外套を取った。
ぎゅっと目を瞑る彼女の姿に、シュナスは思わず駆け寄った。乱れた前髪を、指先でそっと整える。
「……もういい」
少年の声に恐る恐る細く目を開いたテティレイシアが、目の前にシュナスを見つけた。途端に、菫色の瞳から涙が溢れてくる。
シュナスの胸が、ずきりと痛んだ。
ぎゅっと唇を結び、呼吸を整える。
「テティ、もう大丈夫。怪我してない? 痛いところは?」
込み上げそうになるものを無理矢理飲み込んで、シュナスは両手で彼女の手を包んだ。テティレイシアが首を左右に振る度、涙が宙に散る。
彼女の手は未だ震えている。無理もない、殺されるところだった。どこかに売られることだって有り得た。
改めてそう考えて、シュナスの背筋にも冷たいものが走る。
テティレイシアは呼吸を整えると、最後に細く息を吐いた。
俯いたまま閉じた瞳をゆっくり開き、顔を上げる。
そこにもう涙はない。シュナスは彼女の顔を見て、息を飲んだ。
テティレイシアが立ち上がる。足元に力が入らなかったのだろう、ふらついた彼女をシュナスは慌てて支えた。
手を取って、まだ彼女の指先が少し震えていることに気付く。
「テティ——」
名を呼ぶ。
だが——彼女はシュナスの顔を見て、柔らかく微笑んだ。
シュナスはそれを、ただ茫然と見る。
「あの……お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
テティレイシアが少年の方を向いて言う。
そうだった、助けてくれたのに名前すら聞いていない。シュナスは慌てて少年を見る。
「……ルカ」
彼はぼそりと答える。銀の瞳が、逸らされた。
「ルカ様。わたくしたちを助けていただき、ありがとうございます」
「……だから。礼は雇い主に——」
テティレイシアがハッとしてルカに歩み寄った。
「血が……」とルカの顔にハンカチを近づける。
その瞬間、ルカが勢いよくテティレイシアの手首を掴んだ。
「きゃ……!」
驚いたテティレイシアが小さな悲鳴を上げ、ルカの瞳を見る。
掴んだ本人も、驚いた顔をしていた。
「……俺の血じゃない」
すぐにテティレイシアの手を解放すると、ルカはまたふいと目線を逸らした。
ぼそりと「悪い」と呟いて、服の袖で乱暴に顔を拭う。
「……早くここから離れた方がいい」
ルカの一言に、二人は戸惑いながらも頷いた。
シュナスは辺りを見渡す。屋敷の前には馬が数頭繋がれ、質素な馬車も用意されていた。
間違いない、これで自分たちを運ぶつもりだったのだ。
ぞっとしつつも、シュナスは荷台を覗き込む。そこにシュナスの愛剣と、剥ぎ取られた外套が乱雑に放り込まれていた。
少しほっとしながら、剣を腰に差す。
「あ、そうだ。……あのさ、ルカ」
周囲の様子を伺っていたルカに、外套を差し出した。
「その格好じゃ目立つよね? これ、使って」
ルカは少し困惑した表情を浮かべ、一瞬躊躇してからそれを受け取る。
サッとそれを羽織ると、フードを深く被った。
暗いフードの奥から、銀の双眸が浮かぶ。
「……馬は人目に付く。歩けるか?」
テティレイシアが小さく頷いた。
「この馬たちは? 置いていくの?」
シュナスの問いに、ルカが「後でどうにかする」と答える。
三人はルカを先頭に、周囲を警戒しながら歩きだした。
屋敷はアルカ城の北、街外れにあったらしい。
もう少し進むとアルカの外——草原を越えた先に、旧時代の遺跡が点在している。
人通りなどないに等しい。あのまま馬車に乗せられていれば、無事に帰れる可能性は限りなく低かっただろう。
攫われた広場からはかなり距離がある。
よく見つけられたものだ、とシュナスは前を歩くルカの背中を見た。
傭兵というものは、みんな彼のように強いのだろうか。
強くて、動じなくて、どこに連れ去られたかもわからない子どもを見つけ出し——助け出せるものなのだろうか。
(すごいな、ルカは……それに引き換え私は——)
きっとルカにとっては簡単な事だったのだろう。
シュナスは手を繋いだまま隣を歩くテティレイシアを見る。
彼女はその視線に気付き、ふわりと笑顔を返してくれた。
繋いだ手に、ぎゅっと力を込める。
(ルカ、カッコよかったな……強くて、冷静で……きっと歳は私と変わらないだろうに)
少しだけ肩を落とし、不思議そうにこちらを見るテティレイシアを見つめた。
ルカがテティレイシアを抱き上げていたのを思い出す。
(テティも……ルカみたいな方が好き……かな——?)
一抹の不安を感じ、それを振り払うように首を左右に振る。
そして、ふとルカに視線を戻した。
「ねぇ、ルカ」
ルカが無言で振り向いた。一度立ち止まり、辺りを警戒しながらもシュナスの横に並んで歩きだす。
「ルカってさ、今いくつ?」
「……は!?」
予想外だったのだろう、ルカが面食らった様子でこちらを向く。
シュナスも彼の反応が思っていたより激しいことに少し驚きつつ、怪訝な顔をする彼の返事を待った。
ルカはじっと見つめるシュナスの視線が居心地悪いのか、あちこちに目を揺らしてから少し俯き気味に小さく口を開いた。
「…………多分、十三」
「ホント!? 私やテティと同い……年……」
ぼそりと答えたルカの声にシュナスは一瞬顔を輝かせたが、最初にくっついていた言葉に少し首を捻る。
「……多分?」
曖昧な言葉が返ってくるとは思っていなかったから、シュナスは聞き返した。
ルカはフードを引いて深く被り、前を向く。
「正確なのは、歳も、誕生日も……知らない。だから、多分」
シュナスは言葉を失ってルカを見た。
歳も誕生日も知らない——そんなことが、そんな世界が、本当に?
彼はそれを、顔色を変えることなく言った。
フードに隠れて見えないが、今はどんな顔をしているのだろう。
シュナスはゆっくりと、目を伏せた。
その様子に気付いたのか、ルカがこちらを向く。
夕陽の朱に照らされたその表情は分かりにくい。それでもシュナスには、ほんの少し——困っているように見えた。
「……一応、もらったのは……ある」
「もらった?」
ルカは前を向き、「……誕生日」とだけ答えた。
「ルカ様の、お誕生日を考えてくれた方がいる——という事でしょうか?」
テティレイシアの言葉に、ルカはまたこちらを向く。
眉間にしわが寄っている。
彼は本当に嫌そうに、一言だけ言った。
「……『様』はやめろ」
すぐにそっぽを向くルカ。
シュナスとテティレイシアは顔を見合わせて、小さく笑った。
沈みゆく夕日が、三人の横顔を朱く照らしていた。
シュナスはルカを見る。
その頬に残る血が、やけに濃く見えた。




