第12話 黒い少年
シュナスは後ろ手に手首を縛る縄を、どうにかして緩めようと必死になっていた。
引っ張り、捻じり、何度繰り返しても全く緩む気配は感じられない。
「くそっ……!」
隣では同じく手を縛られたまま、テティレイシアが震えている。その顔は真っ青だ。
「大丈夫だよテティ、絶対に助けるからね!」
テティレイシアは小さく頷いてくれた。
歯痒さに、それでもシュナスは拳を強く握りしめることしかできない。焦りが更に鼓動を早くする。
(早くしないと、あいつらが……!)
喧騒を離れ、たどり着いた静かな広場。
会話に夢中だった。だから、靴音がすぐ傍まで近付いてきたことに気付かなかった。
あっという間だった。
いきなり視界が暗くなった。頭から袋をかぶせられたと気付いた時にはもう手遅れで、袋の上からぐるぐると縛り上げられていた。
隣からテティレイシアの小さな悲鳴が聞こえたが、バタバタと暴れることしかできなかった。
遠くからイオの呼ぶ声がした気もするが、それきりだ。
その後すぐ馬車の荷台に放り込まれた——のだと思う。しばらく経って揺れが止まったと思ったら、この部屋に担ぎ込まれた。
ようやく袋から出され視界は開けたが、すぐさま手を縛られ剣も奪われてしまった。
(ここは——多分、アルカのどこか……だよね……?)
街を出てはいない。それほどの距離を移動したとは思えなかった。
石造りの壁と床の小さな部屋には家具一つない。窓は板が乱雑に打ち付けられ、薄暗かった。床には埃が溜まっている。それに少し、カビ臭い。
せめて窓の外が見られはしないかと、板の隙間から覗き込む。そこから見えるのは、朱く暮れ始めた空だけだった。
(『鳥』はもう使えない……)
朝から長時間精霊を飛ばして、シュナスの魔力は残り僅かだ。
もっと魔力量が多かったら、板の隙間から鳥を飛ばして助けを呼べたのに——!
扉はしっかりと施錠されていた。何度か蹴り、体当たりをしてみたがびくともしない。
音が鳴る度、テティレイシアがビクッと体を震わせていたことに気付く。
あまり騒いでいたら奴らが来てしまうだろう。シュナスはその場にへたり込んだ。
ここに来てからもう数時間が経っている。どうにかして、せめてテティレイシアだけでも逃がさなければ。
(どうしたら……!?)
狙いは自分か、テティレイシアか。
(あまりにもテティが美しすぎて、連れて帰ろうとしてる……とか——?)
でも、それなら自分も一緒に連れ去られる理由がない。
いっそ自分が第二王子だと身分を明かす?
——いや、奴らの目的が分からない。
もしかしたら王子だとわかって誘拐したのかもしれない。
下手に名乗れば、レグルスの立場を危ういものにしてしまう可能性もある。
(それは絶対に避けないと……)
最悪の事態を考え始めた時。
ゴツゴツと複数の人間が歩いてくる足音が聞こえる。それから、話し声。何を喋っているかはわからない。
「テティ!」
シュナスは慌ててテティレイシアを背中に庇うように扉を向いた。
ガチャガチャと鍵を乱雑に回す音が響く。ギイッと軋みながら、ドアが開いた。
後ろでテティレイシアが息を飲んだのがわかった。そこに立っていた男たちは、全員が布で顔を覆っていた。ぐるぐると巻き付けた布の隙間から、眼だけがぎょろりと覗いている。
「何者だ、お前たち」
シュナスが喉の震えを隠すように、低く唸る。
先頭の男の眼が細められた。笑っている。
男の目線が、ゆっくりとシュナスの後ろのテティレイシアに移る。シュナスはその舐めるような視線を遮り、テティレイシアを背中に隠した。
「巻き込まれた方は災難だったが——まぁ運が悪かったな」
男たちのうち、三人が部屋に入ってくる。その後ろにも一人——いや、二人。
全員腰や背に剣を帯びている。
飛び掛かり、隙を突いて逃げるには危険すぎる。
それにきっと、今のテティレイシアは走れない。
(どうする……どうすればいい——!?)
シュナスは奥歯を噛み締めた。
せめて剣があれば。両手が自由なら。
「思ったより時間がかかった。守備隊に嗅ぎつけられても厄介だ、さっさと運ぼう」
二番目に入ってきた大柄な男が静かな声で言う。
シュナスは覚悟を決め、先頭の男に飛び掛かろうとほんの少し身を屈めた。
その瞬間。
部屋の外、一番後ろにいた男の姿が、音もなくふっと消えた。
(え……!?)
何度も目を瞬かせてみるも、やはり一人消えている。
そしてもう一人。
今度はシュナスの目に、しっかりと映った。
男が、横から何かに勢いよく引っ張られたかのように消えたのだ。音もなく。
部屋中の男たちは誰一人気付いていない。
部屋の外で、何が起きている——?
シュナスはただ目を丸くしていた。
「……何だ?」
シュナスの目が、自分たちを映していないことに気付いたようだった。
二人に向けて伸ばした手を止め、先頭の男が振り返る。
その刹那。
部屋の入口に立っていた男が、後ろから引かれるようにして視界から消えた。
小さく、悲鳴にもならない「うぇっ」という呻き声のようなものが漏れ聞こえる。だがそれだけだ。
何かが数滴、廊下に飛んだ。
ぱたたっ、とほんの僅かな音を立てながら床に落ちたそれは、薄暗い室内で赤黒く見える。
——しん、と静まり返った。
シュナスも、そして残る二人の男たちも、それが血だということに理解が及ぶ前。
それが現れた。
真っ黒な塊——いや、人の形をしている。
服も、髪も。漆黒。
部屋の入口に、音もなく立っていた。
小柄な——少年?
その体格に不釣り合いなものが、右手に握られていた。
赤く染まった短剣。刃から、血が滴り落ちる。
「なん……」
二人の男は言葉を——恐らく、思考さえも失っていた。
まるで最初からそこにいたかのような、錯覚を覚える。
気配がないからだ、そう気付いた時には少年が動いていた。
瞬きする間もなく、大柄な男の体が宙に舞っていた。
辛うじてシュナスの眼に捉えられたのは、少年がほんの少し身を屈めたところまで。
男の足を払ったと同時に腕を引き、倒しながら肘の一撃を男の首に叩き込んだ——のだと、思う。
首から落ちた男は、仰向けに倒れたまま動かなくなった。
呆気にとられる最後の男とシュナスたちの前で、少年が顔を上げる。
「……『シュナス』?」
少年が一言。
こちらを真っ直ぐに見据える、銀色の瞳。冷たく鋭い、まるで刃のような。
シュナスはぽかんと口を開けたまま、無意識に何度も頷く。
「なんっ……だ! 貴様は!」
最後の男が、腰の剣を抜いた。
驚きの余りか恐怖故か、手が震えている。
「そっちは……『テティ』」
少年は意にも介さない。男の方を見ることすらなく、シュナスの後ろに隠されていたテティレイシアを覗くように、視線だけを僅かにずらした。
その先で、テティレイシアは戸惑いながらも小さく頷く。
無視されたことに苛立ったのか、男が舌打ちした。
「やってくれたな、貴様……!」
男が剣を構える。
ようやく少年が男を見るが、向きは変えなかった。
視線だけ寄越したのが、男の神経をさらに逆なでした。
「舐めるな!!」
男が斬りかかる。
シュナスが声を上げるよりも速く、少年が床を蹴った。
大振りの一撃をするりとかわし、体勢を低くして男の懐に滑り込む。
少年の肘が、男のみぞおちに吸い込まれていった。
ぐう、という呻き声と共に痛みで身体を捻る男。
その首の後ろに、ナイフの柄で容赦ない一撃。
男の身体は、一瞬で床に沈んでいた。
男の右手首を、少年の靴が踏みつける。
その手から、剣が落ちた。
小柄な身体を最大限に生かした、鮮やかな手際。
一切の無駄がない動きだった。
呆けるようにその様子を見ていたシュナスは、少年が自分をじっと見つめているのに気付いてハッと我に返った。
息ひとつ乱さず、少年が口を開く。
「殺すか、生け捕るか。選べ」
何の温度も感じられない声だった。
言われていることの意味がわからずに、シュナスは「え?」と間の抜けた声を返す。
少年は、それでもシュナスをじっと見つめていた。
「あ……あぁぁ! 待って、殺さない! 生け捕る! 情報が欲しい!」
シュナスはようやく状況を理解する。
……まだ、わからないことだらけだったけれど。
男が口から唾液を垂れ流し、えづく。それを全く構うことなく、少年は男を後ろ手に縛り上げた。
縄なんてどこから持ってきたんだろうかとか、どうでもいいことをシュナスは考えた。
改めて部屋を見渡す。
縛られた男は苦しそうに呻いているが、もう何もできないだろう。
仰向けで転がされた大柄な男は、泡を吹いたままピクリとも動かない。生きているのかすらシュナスにはわからなかった。
少年が短剣に付いた血糊を男の服で拭った。そのままシュナスの背後に回ると、縄を切る。
「あ、あの……ありがとう」
赤い縄の跡がついた手首を擦りながらシュナスが言う。
少年はテティレイシアの縄を切りながら、顔も上げずに答えた。
「礼なら雇い主に言え。俺はただの雇われだ」
シュナスが「雇い主?」と首を傾げる。状況が全く読めない。
「あんたらの友達。三人組の。二人を助けろと、飴玉だけ持って傭兵ギルドに突っ込んできた」
「イオ達が!?」
シュナスは彼らの顔を思い浮かべて、テティレイシアを見た。
まだ彼女の顔色は真っ青だったが、それでも友人の名に少しだけほっとしたような表情を見せる。
「……飴玉って?」
少年はシュナスの言葉に少しだけ考えてから「……何でもない」と答えた。
「シュナス様、血が!」
テティレイシアがハッとしてシュナスの手を取る。
力尽くで解こうとしたからだろう、縄に擦れて手首から血が滲んでいた。
テティレイシアがスカートのポケットからハンカチを取り出し、傷を抑える。
震える指先で、それでも自分を気遣ってくれるテティレイシアがいじらしくて。
だけど、同時に——
「だ、大丈夫だよテティ。稽古してたら怪我なんて……いつものことだから……」
シュナスは目を伏せる。奥歯を噛み締め、彼女の手をぎゅっと握った。
「——『シュナス様』だと……?」
男の口から声が漏れる。
三人は同時に男を見た。
「そうか、そういうことか! ははは、アッハッハッハ……!」
男が吠えるように叫んだ。
うつ伏せのまま顔を仰け反らせ、狂ったように笑い出す。
「あの男、最初から我らを——!」
その表情は、不自然なほど歪んでいた。
——いや、歪み始めていた。
驚くシュナスの視線の先、男の頭がぼこりと盛り上がった。
「な……に!?」
咄嗟にテティレイシアを背中に庇う。
その横で、少年は自分の外套を掴んだ。
——ばんっ!!
音が響く。
何かが弾け飛んだ。
……多分。
その瞬間を、シュナスとテティレイシアが目にすることはなかった。
少年が、外套を勢いよく二人に被せたからだ。
真っ暗になった視界。外套を手繰り寄せるようにして顔を出す。
床一面が真っ赤に染まっていた。
その中で、首から上を失った男の遺骸が横たわっていた。




