第11話 飴玉と傭兵
「誰か——誰か! 助けて!!」
イオは必死に走っていた。その後を追いかけるエララとカルメ。
道行く人々が何事かと振り返る。イオは構わず走り続けた。
「あっ……!」
悲鳴のような声が背後から聞こえ、振り返る。エララが転んだカルメを助け起こしていた。イオは立ち止まり、すぐさま二人のもとへ駆け出す。
「どうっ……どうしよう、イオ——」
いつも気丈なエララの手が震えている。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙。カルメは擦りむいた膝を抑えながら、それでも立ち上がる。
「守備隊……はダメだ、シュナスとテティの身分がバレる……そしたらもう、あの二人は会えなくなっちゃうかもしれない」
「でもじゃあ、誰に……!!」
エララの眼から、堰を切ったように涙が溢れ出す。
イオは奥歯を思い切り噛み締めていた。
考えろ、考えろ——!
自分にそう言い聞かせる。
「坊主ども、どうした?」
そう声がかかって、イオはふと顔を上げた。心配そうに覗き込む男性の、その向こうを歩く人物が目に入る。
その腰には、剣。
「……そうだ」
イオは走り出した。慌てて二人が後を追う。
走って走って、ようやくイオは立ち止まった。
少し薄暗い店の中から、賑やかな声が聞こえる。ドアの上にはエールのジョッキが描かれた小さな看板。その隣にはもう一つ。剣を象った印の看板が並んでいた。
「ここって……」
少しだけ遅れてエララとカルメがイオに並ぶ。
イオが躊躇したのはほんの一瞬だった。勢いよく扉を開ける。三人を包む、むせ返るような酒の匂い。
店内にいた全員の視線が、一斉にこちらを向く。
「ちょっとちょっと、どうしたのアンタたち」
女の声だった。
視線に圧倒されるイオの前に、黒髪の女が立った。大きく肩口の開いた黒のローブに身を包む、妖艶な雰囲気の女だ。
「アンタたち、ここに来るのはまだ十年ばかり早いわよ」
腰に手を当ててイオの目線まで顔を近づける。酒の匂いにイオは思わず鼻を抑えた。
「酒くせぇってよ、姐さん」
「うっさいよ!」
背後からかけられた茶々に悪態をつきながら、女は三人を観察するように足先から頭まで視線を動かす。
「ここがどこか……知ってる?」
イオは恐る恐る頷いた。
「傭兵ギルド——だろ?」
女は「おや」と姿勢を戻す。
「それを知ってて、アンタ達みたいなお子様が何しに来たのよ」
「助けて欲しいんだ!」
ぎゅっと拳を握ったイオが、意を決して叫んだ。
女は一瞬呆気にとられたような顔をして、それから思い切り笑った。手に持っていたジョッキの中身を勢いよく飲み干し、背後のテーブルにドンッと叩きつける。衝撃で一瞬皿が浮き、ガチャンと音を立てた。
蛇のような目で、イオを見る。
「傭兵を雇いたい、ってこと——?」
その一言に、それまでニヤニヤとこちらを見ていた男たちの笑みが消えた。まるで飢えた獣の群れが獲物を見つけたかのように、鋭い眼光が三人を射抜く。
エララは怯えるカルメを守るように抱きしめた。
しん、と店内が静まり返る。
「……っそうだよ、攫われた! 大事な友だちだ! 二人を助けて欲しいんだ!」
女は三人を値踏みするようにじっと見つめる。
イオの手は震えている。目の奥から込み上げてくるものを、堪えた。
「おうおう、おめぇら」
ガタンと椅子の倒れる音がして、奥から一人の男が近付いてくる。
背の高い、痩せた男。男の背負う大剣に、イオはゴクリと唾を飲む。それでも後ろの二人を守るように、イオは男の前に立ちはだかった。
「大事な友だちだろうが何だろうが、俺らを雇いたいってんならカネだ。金は持ってるんだろうな」
イオは真一文字に強く唇を結んだ。
当然だ。傭兵は金で動く。戒律を重んじ、主君への忠誠と栄誉のために戦う騎士とは違う。
「——ない。今はないけど、後で絶対! 働いてっ、返すから……!」
男は大袈裟な素振りで額に手を当てた。
「話になんねぇな」
溜息をついてから、後ろを振り返る。
「おいおめぇら、誰かこいつらに雇われてやろうって馬鹿はいるか!?」
途端にわっと男たちが笑い出す。
「いるわきゃねぇだろ!」
「おめぇがやってやれよ、コディ!」
「あぁん!? やるわきゃねぇだろうが、何年傭兵で飯食ってると思ってんだボケ!」
背後から飛ぶ野次にやれやれ、と両手を広げ、痩せた男——コディはイオに向き直った。
「残念だけどなぁ、諦め……」
「諦められるか!」
コディが言い終わる前にイオは一歩前に出る。背後から聞こえたのは自分の名を呼ぶエララの声。それでもイオは下がらなかった。
「絶対に払う! 何年かかるかわかんないけど――本当だ、逃げたりなんか……」
「傭兵ってぇのはなァ」
今度はコディの番だった。頭をぼりぼりと掻きながら続ける。
「傭兵ってのは、命張って依頼をこなすんだ。いつ死ぬかなんざわかりゃしねぇ。『いつか』じゃダメなんだよ、『今』払えねぇならそれで終わりだ」
イオには何も言い返せなかった。俯いて、ただ床を見る。視界が少しずつ滲み、爪が掌に食い込んだ。
「そんな不確かな約束で依頼なん……痛ァ!」
コディの脛を、隣で聞いていた女が容赦なく蹴り上げた。たまらずコディが痛みに叫ぶ。
「痛ぇよ姐さん、何すんだよ!」
「黙りな!」
脛を抱えて抗議するコディを勢いよく怒鳴りつけ、女は腰に手を当ててイオを見る。そして、最後にニッと口角を上げた。
「あたしはノーラ。アンタは?」
「……イオ。それと……エララと、カルメ」
一瞬迷ってから、イオは答えた。
「イオ、エララ、カルメ……ね」
ノーラは一人ずつ名と一致させるように、順に顔を見る。
「……アンタ達。友だちが攫われた、って言ったわね」
イオが大きく頷く。エララとカルメを身体で隠すようにしてノーラを見た。
「一応聞くけど、守備隊の騎士様を頼ることはできないの? こんなやつらよりよっぽど信頼できるでしょ」
親指で背後を指す。
イオは俯いて――首を左右に振った。頼れるものなら、どれだけ良かったか。
ノーラは眉尻を下げ、腕を組んだ。
「困ったねぇ、ウチの人はまだ帰ってこないし……」
頬に手を当てて、何やら悩む素振りで店内を見渡す。
「どいつもダメね」
ノーラの溜息に「いや言い方ァ!」「そりゃねぇぜ姐さん!」と次々に抗議の声が上がる。それを全く意にも介さず、ノーラはバーカウンターの奥の男に声をかけた。
「ねぇマスター、誰かいない?」
「そうさねぇ……」
皿を磨きながら答えるマスターに、イオ達三人の視線が集まったその瞬間だった。
キィ、と静かに扉が開く音で、三人は振り返った。中に入ってきた人物に、三人は無意識に進路を空ける。
薄汚れた黒い外套。闇に溶けるような、少し癖のある漆黒の髪。
歩くたび、木張りの床が軋む。その背に、見慣れない形の剣。
——その、身長に似合わぬ長さ。
少年だった。
「おや、早かったね」
マスターが静かに微笑む。
少年はカウンターの片隅に、くたびれた紙を出す。マスターはそれに素早く目を通し、「確かに」と頷いた。呆けた三人が見守る前で、マスターがカウンターの下から布袋を取り出した。どさりと袋が置かれ、じゃらっと重みのある金属の音が鳴る。
「な? あれぐらいカネが必要なんだよ、傭兵を雇うってぇのはな」
コディが腰を屈め、イオの肩を抱くように頬を寄せる。イオはそれに驚きながらも、目の前の少年から何故か目が離せなかった。
「今日も景気いいなぁ、おい!」
コディが少年にからかうような声をかける。少年は鬱陶しいといった目線をコディに向けた。
「働け」
コディが身体を起こし、「あぁん!?」と食ってかかる。
「俺らぁ働いてんの! 労働の後の『お疲れさん』ってやつなんだよこれはよぉ!」
「毎日飲んでるだけだろうが」
「おめぇが働き過ぎなんだよ! まだガキのくせに仕事しかやる事ねぇのか!」
少年はコディに詰め寄られても顔色一つ変えない。まるで興味がなさそうに、ふいと目を逸らす。
その時、ぱん、とノーラが手を叩いた。
「いいところに来たじゃない!」
つかつかと少年に歩み寄ると、驚く彼の肩を掴んだ。
「アンタやりなさい」
「……は?」
呆気にとられたのはイオ達だけではなかった。
少年も、目を丸くしている。
ノーラはそのまま少年の肩をぐるりと回し、イオ達の方へと向き合わせた。
少年のまん丸に開かれた瞳が、イオを捉える。
銀色の、満月。
真っ暗な空に浮かぶそれを、イオは真っ先に思い浮かべた。
美しく、どこか冷たい。
だがそれも一瞬だった。少年の表情はみるみる歪む。苦虫を嚙み潰したような顔とはこのことだ。
「……何の話だ」
「この子たちの友達が攫われて、助けて欲しいんだってさ」
にこにこと答えるノーラの声に、少年の表情はますます険しくなっていく。
「金は」
「あ。その話もう終わったから。いいからやりなさい」
「は?」
少年は心底嫌そうな顔をして、ノーラに向き直った。
「タダ働きはしない主義だ」
「いいじゃないの一回ぐらい。アンタお金に困ってないでしょ。こんな子供が必死に頼みに来てるんだから。やってあげなさいよ」
「……なんで俺なんだ」
「他にいないのよ、みんな酔っぱらってるし」
「いつものことだろうが」
傭兵たちが「うえーい」とジョッキを掲げる。ガチャガチャとジョッキを合わせ、エールが飛び散る様に笑い声が巻き起こった。
その様子に少年がうんざりした顔をしている間に、ノーラは三人に近付いて手を差し出す。
「何でもいいんだけど、持ってるものない? アンタ達」
顔を見合わせた三人が、ポケットの中をごそごそと探る。イオのズボンのポケットから、おやつの時間にもらった飴玉が一つ。イオの掌に乗ったその飴を、じっと三人が見つめた。
「……はい」
「いるか!」
イオが恐る恐る差し出した飴を、少年はすぐさま突き返した。
ノーラは悪だくみでも思いついたのか、ニヤッと笑う。エララとカルメの耳元で、こそこそと何やら囁いた。一瞬きょとんとしてから、二人はじっと少年を見つめる。
少年の不快そうな顔に、わずかに困惑が走った。
「大事な友だちなんです、助けてください!!」
「お願い……!!」
涙交じりの子どもたちに、少年は額を手で覆って項垂れた。
「……~~~~~ッ!」
本当に嫌そうな顔に見えた。駄目か——そうイオが思った時。
ちっ、と少年が舌打ちして、イオの手から飴玉をひったくった。
「——どこだ」
「……え?」
ぽかんと口を開けたイオに向かって、少年がそれはもう不機嫌そうに言う。
「……どこで攫われたかを聞いてる」
ノーラがにこりと笑った。その笑顔を見て、三人は目を見合わせる。
「あ……ありがとう!」
イオは涙を溜めた目で少年の手を取ると、ぶんぶんと振った。
うんざりした様子の少年の背中を、ノーラがばしんと思い切り叩く。少年の口から「うっ」と短い呻き声が聞こえたが、ノーラには届かなかったようだ。
「この子たちはイオ、エララ、それからカルメ」
ノーラが順に三人を紹介する。
そして、背後から少年の両肩に手を乗せた。
「この子、ルカ。ルカ・シーヴィス。……傭兵よ」
ノーラは満面の笑み。
少年——ルカは、むすっとしたままそっぽを向いていた。




