第三部 乗り納め
十二月初め。コンビニに入る。冷えて張った肌に暖かい空気が馴染む。
店内のBGMは鈴がなり、ポップアップはすっかり赤と緑だけになっている。期間限定品は見るだけで買った試しがなかった。
いつものブラックコーヒーを買い、流れるように店を出る。
「はー。さむ」
両手でコーヒーを握り、暖を取りながら周りを見渡す。
レイは、このネオン街の外れにあるコンビニになんとなく立ち寄ることが増えていた。
時刻は二十三時。夜の優しい風は、撫でてくるたびチクチクと肌を刺してくる。
それでもレイは外でコーヒーを開けた。
片手を厚手のパーカーに入れながら、しばらく携帯を触りコーヒーに口をつけてると通知が鳴った。
『暇?』
顔を上げ周囲を確認する。目立つ金髪は見あたらない。
『見てます?』
『何を?』
焦った……。と呟きながら、また返信する。
『なんでもないです。暇ですよ』
『うちの駐車場来てよ。車で』
『了解です』
冷えきったコーヒーの残りを一口で飲みきり、車に乗り込んだ。
駐車場に着くとリツは外で待っていた。小さく振っている手の、反対の手には大きい紙袋を持っている。
駐車して車を降りる。
「お疲れ様です」
「おつかれー」
こっちに歩いてくるリツに言う。
「なんですかそれ」
リツはニヤっと笑い膨らんだ紙袋を開けて見せてきた。
中に入っていたのは、白のフルフェイスヘルメット、皮手袋、皮のブーツだった。汚れてはいないが、長く手入れされた光沢があった。
「これあげる」
「え?」
またリツの顔を見るとニヤニヤが収まっていなかった。
「私、バイクは乗らないですよ」
「知ってる」
「じゃあ……」
「今年の乗り納め」
「?」
「ちょっと付き合ってよ」
そういうとリツはレイの手に紙袋を引っ掛け、居住者用のガレージへ歩いていった。
まさか、と思いながらリツの後に着いていく。
リツがガレージのシャッターを開ける。
「うわ」
声が漏れた。
ガレージ内は内装が天井までコルクの壁。そこにストリートを感じるステッカーが何枚も貼ってあり、左側に装備品がかけられている。右側に木製の棚が三段。真ん中はメンテナンス用であろう工具と消耗品。上の段には小さいヘルメットを被らされた動物のぬいぐるみが四体、下の段には小さい鉢にサボテンが植えられていた。
そして堂々とガレージを占拠している黒いバイク。タンクからテールにかけて、一本金色のラインが入っている。暖色の照明に照らされて、刃物の様な光沢を放っていた。
「かっこいいっすね……」
「でしょ」
私の秘密基地。と言いながらガレージに入り、バイクを外に出す。
「コイツは相棒。もう三年目くらいかな」
「……かっこいいですね」
素人目だが、よく可愛がられてるのが分かるバイクだった。
「どこ行きたい?」
「え」
リツはバイクのスタンドを立てると、ガレージの中に戻る。
「どこ行っても、いつもと景色違うよ」
リツは装備品を身につけ始める。
「あ、でも私、こういうのしたことないから、ちゃんと乗れるか、どうか」
だんだん声が小さくなるレイを見て、またリツが笑う。
「最初はなんだってそう」
「あ」
少し間が空く。
「……ですね」
リツはもうヘルメット以外は身につけ終わったようだ。
「ほら、さっきの着けて」
「あ、はい」
ブーツのインソールは新品にしたから安心して。と言いながら、履き方を教えてくれる。
「よし!」
全て装備し終わったレイを見ながら、リツは満足そうに頷く。
「なんでも似合うねレイは」
「そうですか?」
「それあげて正解だったよ」
リツは新品の黒いヘルメット一式を身につけていた。
「とりあえず、行こっか」
「はい」
もう心臓がバクバクとなっていたが、リツが締めるシャッターの隙間から、英字のステッカーが目に入る。
Don't Think.Feel
なんとなく笑った。
リツがまたがり、エンジンをかける。
ビリビリと乾いた空気に乾いた音が走り抜ける。
バイクに乗っているリツは、なんというか、ちゃんと乗ってる人だった。
「レイ!後ろ」
リツが親指を立てて後ろ指でテールを指す。
「……はい」
ゆっくりとリツの後ろに乗る。
肩に手を置き、右足を回し、左足がギリギリ地面に着く。
「足、両方乗せて」
「まじすか」
リツの肩に乗ってる手に力が入る。
リツに全て委ねる気持ちで足を離す。自然に重心を垂直にしていた。
「よし、じゃ行くよ」
太ももでリツを強く挟む。
「お願いします…!」
ゆっくりとバイクが動き出す。
「うお…」
滑るようにバイクは走り出した。マンションの敷地を一周する。
「うん、行けそうだね」
「これくらいなら……」
「はは!すぐ慣れるよ」
そういうとリツはマンションの出口を出る。
「ここからちょっとスピードあげるよ」
「オーケーです!」
じわーっと。スピードが上がる。住宅街を抜け、コンビニの横に出る。
いつも自分が帰る方とは逆へ、リツは曲がった。
少し走り、国道へ出る信号で止まる。
「で、どこ行く?」
「どこでもいいですよ」
考える余裕はなかった。
「はは、レイ。もっと力抜きな」
「え、あ、はい」
言われて気づいた。かなり手と足に力が入っていた。
「そんなんじゃ、もたないよ」
「いや、だって」
「分かった!じゃあ全部吹っ飛ぶとこ行こう」
「え、どこですか」
リツの答えが出る前に信号が青になる。
ギアを引っ張る音に加えて、さっきまでよりもスピードが上がる。国道へ合流した。
メーターの速度計が30…40……と上がる。
また信号で止まる。
「はー。やっぱり寒いね!」
「首がめちゃめちゃ寒いです!」
「ははは!分かる」
でも四方を囲んでいる車の熱気で、止まってる間はそこまで寒さはない。
「早く国道抜けたいな」
「高速乗るんですか?」
「あっちも楽しいけど、今日は月出てるから違うとこ」
そういうとまた走り出す。
車とは全然違う感覚だった。まず、地面が近い。普段はそこまで意識していないスピードを肌で感じてるようだ。
そして風。体感したことのない風が服をバタつかせる。
追い抜いて行く車からの風は、廃棄ガスの匂いと暖かい空気をぶつけてきた。
視線が上がる。前傾だからか、普段よりもよく街の光が一つ一つ目に止まった。
何個も交差点を通るたびに、ふと気づくと、風が気持ちよくなってきた。
オレンジの街灯が流れ、ビルや店舗の白い光。遠くの信号、足元の近い地面。
寒さを忘れて見入っていた。
リツもそれを感じたらしく、話しかけてこなかった。
無言のまま、しばらく走ると看板に海上公園の文字が見えた。ウインカーを上げる。
「ここ曲がるよ!」
リツがそう言うと、グイっ!と思ってるよりずっと角度をつけてカーブに入る。
重心の取り方が分かってきたのか、自分でも自然にコーナリングに入れた。
かなり地面が近い。風も音も近い。でも怖くない。
早く海沿いに出て欲しかった。
看板を見ると残り六キロ。それを見送ってすぐ、半透明のトンネルに入り、その先で暗い口を開いてるコンクリのトンネルに差し掛かる。
一気に気温が下がる。等間隔の照明が、映画で見るような銃弾の軌跡に見えた。
じわじわとスピードが上がっていく。
「レーーイ!!!」
「はーい!!」
「左見てなー!!!」
「はい!!!」
緩いカーブを抜けるとトンネルの出口が見える。
数秒後、トンネルを抜けた。
「――わ」
湾がシルエットで分かる。
弓なりに街の光がしなり地平線まで続いていた。
オレンジ、白、青、赤、紫。街を形作っている光はまだらのように散っているが、それが逆にまとまっている。
海の黒が余計にそれを引き立たせていた。
星みたいだ。
と、視界が全面コンクリートに変わる。
またトンネルに入ったようだ。
ただ、さっきの十秒が、頭から離れなかった。
数分後、海上公園に到着する。
駐車場の中に自販機がありその近くに停めた。
「さっっっむ!!」
「し、しばれる…!」
と言いながら降りた途端、足がビリビリと変な感覚になっていた。
「あはははは!!レイ、がっくんがっくんしてる!」
「わらわないで……!」
寒さと疲れで足に力が入ってなかった。
「まー。わかる。さいしょはそうだもんね」
てか。はやく、あったかいの。と二人と震えながら自販機で飲み物を買う。
「あ゙ぁー。あったけ」
「おじさんきた」
二人で笑う。
自販機の裏には長いベンチが二つ並んでおり、そこに座りながら飲み物を飲む。
ヘルメットを脱ぐと冷たい風が顔を冷ましてくれる。
はー。と白い息を吐く。
ベンチからはトンネルから見えた景色が良く見えた。
しかもこっちの方が海がぐるりと見えるパノラマだ。
昼間に見るならこっちの方がいいんだろう。
でもレイには、さっきの十秒の方がよっぽどキレイに感じた。
少しの間二人は景色だけ見ていた。
「どうだった?」
「……」
レイは景色を眺めながら答える。
「リツさんの見てたものを見ましたね」
「作文ヘタか」
小さく吹き出す。
「…いいでしょ?たまには、運転しないのも」
「まぁ……」
チビっとコーヒーに口だけつける。
「良いときのまぁだ」
「いや、かなり良かった。のまぁです」
「分かんないよ」
ふ、と笑う。
「たまに、また乗せてくださいよ」
リツがこっちを向く。
「レイから言うの珍しいね。」
「え」
「そんなに気に入った?バイク」
「んー。…………まぁ」
「ふ、それなんのまぁ?」
「…私も初めて言う、まぁ」
「はは、今日は初めて多いね」
「まぁ」
「もうええわ」
二人でまた吹き出した。
だらだらと喋っていると、だいぶ月の位置が変わってきていた。
「はー。てか、さむ」
「ですね」
「そろそろ帰ろっか」
「まっすぐ帰ります?」
「遠回りするに決まってんじゃん」
「ですね」
二人でニヤリと顔を見合わせる。
「このまま走ればオススメもう1箇所あるんだ」
「付き合いますよ」
缶をゴミ箱に捨て、バイクの方へ歩く。
バイクが走り出す。
公園を左に出ると、防風林がしばらくの間続く。
リツがそっちを向きながら、何かがこっち覗いてそうだよね。と、言う。マジでやめて。と言い返すと、肩が揺れていた。
長い防風林がパッとなくなり、海からの風がぶわっとぶつかり、波の音もよく聞こえた。見晴らしの良いまっすぐな道が続いている。リツはスピードを上げた、かなり海に近い。
海は真っ黒だった。しかし月の光が反射して、波に合わせてヌラリと光る。石油みたいだ。
潮の匂いが強い。思えば海なんて小学生以来かもしれない。
ずっとここを走っていたかった。
リツが海を見ながら言う。
「ここさ!地元帰るときの道なんだよね!!」
「そうなんですね!!」
「いいでしょ!!」
「はは!いいです!」
リツもこの道がかなり好きなことが分かる。
リツの背中越しに、大きい光が見えてきた。
「あそこ!!オススメ!!」
「へー!!」
かなり大きい建物だ。道を囲むように光が続いている。
近づくにつれ、シルエットが浮かんでくる。
煙突、クレーン、パイプ。工業地帯だ。
潮に混ざり、少し油の匂いもしてくる。でも全然不快な匂いじゃなかった。
工業地帯に入ると、景色がいっぺんした。
全体的なシルエットはゴチャゴチャしているものの、規則的に剥き出しの鉄骨が形を作っている。
工場内の照明が、階段や足場をすり抜けタンクを照らしており、煙突から出る煙は、形を変えて光と混ざっていた。
眩しいスポットライトがバイクが進む度に瞬く。まるでゲームの世界だ。
「かっこいいですねー!!!」
「だよねー!!!ゲームみたい!!」
「分かります!!」
一際高いタンクを見ながら。
「あそこボス居そうですね!!」
「結構強かったよ!!」
「なんでもう戦ってんすか!!」
「あはははは!!!」
工業地帯に赤いテールランプが伸びていった。
コンビニに着くころにはすっかり月が傾いていた。
「あー。さむかったー」
「でも、気持ちよかったです」
「だね」
リツはガードレールに腰を預け、レイはしゃがんで背中を預ける。
リツがめずらしくタバコに火をつける。
「今日は吸う日なんですね」
「ん?うん。いい空気吸うと吸いたくなるんだよね」
最近はめっきり吸わなくなったけど。と、フー。と煙を吐く。
「そういうもんですか」
「大人になれば分かるよ」
「二個違いじゃないですか」
くくく、とリツは笑う。
ふと、レイは顔をあげバイクを見る。
なかなか、いい顔をしている。
浴びた風のバリバリした感触。ビリビリと乾いたエンジン音。潮の匂い。
このバイクを見ただけで、今も走っている感覚になれた。
「フー。帰ろっか」
リツが灰皿に短くなったタバコを押し当てる。
「はい」
リツがバイクにまたがり、エンジンをかける。
後ろに乗る。
体が自然に楽な乗り方を覚えていた。




