第二部 ネオン街
十一月中旬。
東京も、やっと冬の訪れを感じる日が多くなってきた。
昼間は日に当たればコートを脱ぐくらいだが、夜になればしっかりと冷え込む。
仕事終わり。
レイはコンビニの駐車場で缶コーヒーを開けた。
車のボンネットへ少し寄りかかりながら、スマホを見る。
通知が一件。
『今日ひま?』
『です』
『じゃ、この前の場所で』
リツと初めて会った日から二か月が経とうとしている。
あの日から、兄を迎えに行く時はだいたいリツはいた。店の前だったり、コンビニの外だったり、助手席だったり。会う度にどうでもいい話をした。
それがいつの間にか、兄抜きの連絡になった。
二人で会うときは繫華街ではなく、リツの家から歩いて行ける距離のネオン街で遊ぶことが多い。このコンビニからでも、ネオンの光が見える。
繁華街よりは少し暗く、ディープな雰囲気が強い街だった。
ここにいる人達は、見た目こそ派手だがしっとりと夜に溶け込んでいる。
むこうよりは、このネオン街の方が息がしやすい気がした。
リツがいうには、ここは自分の縄張りらしい。
それを思い出して少し口元が緩んだ。
車をリツのマンションの駐車場に停め、そこから歩く。
コンビニの裏を通り、二つ目のカーブミラーを曲がる。曲がってすぐの長い階段を降り、突き当たりの細い路地を抜けるとネオン街の端っこに入れた。
そこで通知が鳴る。
『右』
顔をあげると、右手の郵便受けに寄りかかっているリツがいた。白のボアジャケットがネオンの青とピンクに染まっている。
「おつかれ」
「お疲れ様です。映画じゃないんですから」
リツは楽しそうに笑う。
「もう迷わないみたいだね」
「もう覚えましたよ」
ここまでは。と小声で付け加える。
「最初は人んちの敷地とかに入ってたのに、立派になって」
イジワルな顔のまま、リツは歩き出した。
「あのときはリツさんが走って置いてくからでしょ……」
その横に並んで歩く。
「でっかい犬が居たんだっけ?」
「しかも二匹ですよ。マジで食われるかと思ったんですから」
楽しそうにリツは声を挙げる。
「はー。てか、寒いね今日」
「寒いですね。温かいのでも食べます?」
「いいね。鍋食べたい」
「この辺にあるんですか?」
「あるよ。内装がビカビカの和食屋さんがね」
「中までネオン……?」
「ははっ。でも味は間違いないから」
だべりながらネオン街を歩く。
前より、少しだけ景色が見える。
前は、光と音の圧しか感じなかった。
でも今は。
深夜営業の服屋。
路地裏のバー。
眠そうな店員。
酔っ払い。
夜の終わりへ向かう人たち。
街にも、生活があるんだと少し思う。
鍋の店は、雑居ビルの一階にあった。
暖簾。
ガラス戸。
湯気。
中から笑い声が漏れている。
「ここよく来るんですか」
「たまに」
リツが戸を開ける。
大将が、慣れた感じで軽く手を上げた。
「おー、リツちゃん珍しい」
「お腹空いた」
「それはいつも。奥、空いてるから座っていいよ」
「ありがと」
レイは店内を見る。
入って右側のカウンターは、一枚板の木のカウンターテーブル。席は大将をL字型に囲っており、ほとんど埋まっている。
その上には壁に掛けられた、年季の入った木のメニュー。
入口横には水槽もあり、泡を出してる貝の上をフグがのんびりと泳いでいる。
左手には仕切られた座敷。
そして一番目を引くのが、入って正面の天井から下がっているビカビカのネオンだった。
「こっち」
奥の座敷へ入る。
コートを脱ぐ。店の暖房が少し暑い。
「レイ何鍋好き?」
「鍋ならなんでも好きです。おすすめは?」
「うーん。ここ、なんでもあるからなぁ」
そういうとメニュー表をこっちに向けてくれた。
「へー。鍋専門店って感じですね」
「そうなんだよ。安定して美味い寄せか、海鮮か。」
リツはお酒の小さいメニュー表を見ながら続ける。
「あのかわいいフグに免じて、海鮮じゃなくてジビエとかどう?」
「へー!ジビエまであるんですか」
「好き?」
「実家でよくじいちゃんが獲ってきてくれてたんです」
「あー!そっか。レイ、旭川だもんね」
じゃ、それでいいね。と、呼び出しのボタンを押す。
「はーい!ちょっと待ってねー」
さっきの愛想の良い大将の、明るい声が響く。
「結構長いんですか?ここ通うの」
「長い……かも?大学一年の頃からだから、三年前くらいだね」
「え?リツさん今大学生?」
「違うよ。一年で中退したから、今はちゃんと社会人」
「ふーん、あ!出汁巻きありますよ」
「興味ゼロか!」
「はい、お待たせー」
と、大将が注文を取りに来た。
「久しぶりだねーリツちゃん。寒い時にしか来ないんだもん」
「暑いときに熱いもの食べないでしょー」
「暑いときに食べるからいいんだよ! で、こっちのお嬢さんは後輩ちゃん?」
「あ、レイって言います」
「レイちゃんね!覚えた」
「後輩じゃなくて友達」
レイはリツの方を見る。リツはメニューで顔が隠れていた。
「おじさんには眩しすぎるなぁ!」
「注文!!」
「はーいはい、どれ?」
「これとこれと……」
なんだか自分も顔を隠したい気分だった。
注文を終え、大将が去る。
少しだけ静かになった。
「明るい人ですね」
「でしょ?大将、いい人なんだよ」
リツは水の入ったコップを口元に当てながら話す。
「あと、おだてるとたまにビールくれるよ」
「ふ、そうなんですか。今度やってみます」
二人で小さく笑いながら鍋を待った。
鍋が来る。
鍋には春菊。白菜。エノキ。椎茸。豆腐。他。そして半分を、きれいな鹿肉が占めていた。
蓋を閉じ、火を付ける。
小さく鍋が鳴り始める。
店内の暖かさ。
深夜。
外から少しだけ聞こえる笑い声。
レイはふと、不思議な感覚になる。
ネオン街の真ん中にいるはずなのに。
ここだけ、少し外れている。
十分後、日本で最強の動物議論が白熱したころに鍋が煮えあがった。
レイが蓋を開ける。
「うわ」
二人同時に声が出た。
湯気が立ち上る。
まずは醤油の香りが広がり、食欲をそそる。
透き通っていた醤油のスープは旨味が溶け込んで白濁としており、金色の脂が浮かぶ。
その中でクタクタになった野菜たちと、しっとりと艶のある鹿肉がぐつぐつと踊っていた。
「うまそー!」
「やばいっしょ!」
方言出ちゃってるよ。と笑いながら、湯気の向こうのリツが取り分けてくれる。
「じゃ、いただきまーす!」
チラッと仕切りの隙間から、カウンターの大将のグッドサインが見えた。
店に入ってから二時間ほど。
鍋も締めに入っていた。
「レイってさ」
リツは九杯目のハイボールに口をつける。
「はい?」
「なんか、一人でも平気そう」
レイは少し黙る。
「……まあ、楽ではあります」
「だよね」
リツは否定しなかった。
「私、昔ずっと人いる方が楽だった」
鍋を見ながら言う。
「でも最近、静かな方が落ち着く」
レイはリツを見る。
ネオンが似合う人。
でも、今この人が見てるのは、湯気だった。
「年ですかね」
「ぶっ飛ばす」
レイが笑う。
リツも笑う。
最近は二人でも、楽だった。
リツは手を振り、レイは会釈してから店を出る。
夜風が冷たかった。でも、鍋の後だからちょうどいい。
「いやー美味しかったー!」
「ホントに美味しいですここ。また来たいです」
「ね!あと今度はさ、痛風鍋食べようよ。ここの食べたら他の食べれないよ」
「痛風鍋!?次来るときは車やめます」
「ははっ!そうしなー」
てか、レイお酒強いの?
それなりには。という会話をしながらリツは自販機で小さい水を二本買う。
「はい」
「ありがとうございます」
ネオン街を歩く。
時間はもう零時を回っていた。
酔って騒ぐ集団。
タクシー待ち。
腕を組んだ男女。
どこからか聞こえるジャズ。
みんなネオン色だ。
「こっち」
リツが細い道へ曲がる。
「どこ行くんですか」
「いや、なんとなく」
「適当だ」
「今さら?」
また笑う。
少し路地へ入るだけで、急に静かになる。
路地裏。
シャッター。
落書き。
室外機の音。
ネオンは濡れた地面に伸びているだけだ。
レイは少しだけ周りを見る。
前だったら、こういう道は避けていた気がする。
でも今は、そこまで落ち着かなさはなかった。
「レイってさ」
「はい」
「昔から真面目?」
「なんですかその質問」
「いやなんか、学生時代とか」
少し考える。
「……まあ、多分」
「部活ちゃんと行くタイプ」
「行ってましたね」
「うわ〜」
「何その反応」
「青春してる」
「普通では」
リツが笑う。
「リツさんは?」
「私?」
少し間。
「帰宅部」
「意外」
「でもちゃんと学校行ってたよ」
「ちゃんと、が怪しい」
「あはは」
通りへ戻る。
また光と音が増える。
ネオン。
呼び込み。
深夜営業の店。
でも、最初ほど圧を感じない。
レイはふと、少し先のショーウィンドウを見る。
服屋。
マネキン。
暗い店内。
まだ営業していた。
「うわ、まだやってる」
リツが足を止める。
「行く?」
「こんな時間に?」
「夜の街だからね」
当然みたいに言う。
店へ入る。
「らっしゃーい」
レジの中で、スマホをいじってるアフロの店員の覇気の無い声が鳴る。
「愛想悪いとお客さん来なくなっちゃうよ」
店員は顔をあげる。
「おっ!リツじゃん」
そう言って立ち上がると、二メートルはありそうな細身の男性だった。アフロのせいでもっと大きく見える。
かなりの圧だが表情は優しい。
アイツら、最近リツ釣れねぇって言ってたぞ?特にピンクの子とか。
まぁね。と話してるのを横目に店内を見渡す。
店内はセレクトショップのようだった。
入口からまっすぐの正面にレジ。その両脇は本棚になっており、難しそうな本。洋画のフィギュア。観葉植物。ステッカー。ネオン表記のデジタル時計が飾ってある。
入口からレジまでの通りを境に、右側はストリート系の服が並び、左側にはキレイめなモード系の服が多い印象だ。どちらも雰囲気は統一されており、リツが着てそうな服がたくさんあった。
「で、この娘は?新しい後輩?」
リツと話してた店員は思い出したようにこっちに振る。
「レイっていいます」
「リツの後輩なら歓迎だよ!キミもウチの服似合いそうだしね」
リツは明後日の方向を向きながら、割り込み気味に。
「後輩じゃなくて友達」
耳が赤い。
「知ってます」
ふ、と笑みがこぼれる。
「よく分かんないけど色々見てってよ!」
なんかあったら言ってね。と言いながらレジに戻って行った。
「じゃ、ぐるっと見て回ろっか」
「はい」
最初に見始めたのはストリート系のエリアだ。
「どれいいかな~」
「この辺の結構ヤンチャすぎません?」
「そう?レイ似合うと思うけど」
「え、私の選んでるんですか」
「当たり前じゃん。私、ここの服けっこう持ってるもん」
そういいながら手にとったのは金色が入った白ベースのスタジャンだ。
「おー!これかっこいい」
「絶対いやです。極道の一人娘じゃないですか」
リツが笑う。
「ドラマ化しそう」
平成すぎる。と話しながら隣に移る。
次に取ったのは、
オーバーサイズのナイロンブルゾンだ。黒ベースにくすんだ青の切り替えが入っている。
「やば。……当たり、引いたんじゃない?」
「これ…は、いいですね」
レイがタグだけ裏返す。
「高!」
「そう?アウターならこれくらいじゃない?」
「一旦、保留で……」
「買う気じゃん?」
あーだこーだ言いながら、次へ、次へとラックを移っていく。
ストリート系は一通り見終え、今度はモード系のエリアに移る。
「リツさん仕事終わりだとこういう系ですよね」
「デキる女ですから」
エア眼鏡をクイっと上げる。
手に取ったのは、黒のチェスターコート。
「レイ絶対似合うでしょ」
「こういうの着たことないです」
「まじ?レイ髪ロングだから、かなりかっこいいよ」
「まぁ、着てみたさはありますけど」
「パンテーンのCM出てそう」
「それ言いたかっただけですね?」
次はシンプルな白シャツと黒スラックス。
「これだけで完結できる」
「いや、これまんまリツさんじゃないですか」
「これはレイの方が似合う。絶対」
「私服ではハードル高いような」
「これで腕まくりしてるレイ先輩見た過ぎる……」
「ダメだ。へんなスイッチ入ってる」
最後に店の隅に小さいゴシックエリアが隠れていた。
「ねぇ!レイ!!」
「ぜっっったい着ませんよ」
「見るだけだよー」
「今リツさん悪い顔してるから、近寄らないです」
「ちぇ」
そしてレジの前に戻る。
「あー。楽しかった」
「ですね」
「買いたいのあった?」
「思ってたよりありましたね。どうしようかな」
そこで、のそっとアフロ店員が顔をあげる。
「試着していいよ。全身コーデしてみたら?」
「え」
「しよ!!!」
リツの方がテンション高かった。
「まじすか」
すごく嫌な予感がする。
「俺も提案だしていい?」
「よっしゃ!最強のレイを作ろう!」
ものすごく、する。
五分後。
更衣室の向こうから聞こえる。
「どうー?着替えた?」
「着替えましたけど」
「開けてよ」
「えー。笑いますよね」
「笑わないって」
「レイちゃん元々ストリート系だから大丈夫だよ」
「まぁ……」
鏡の自分を見る。まぁ……。
もう見せないと帰れないと腹を括った。
カーテンが開く。
「おっ!」
「おー!」
「……なんですか」
一セット目。
青と黒のナイロンブルゾンを主役に、シンプルなスポーティインナー、黒いカーゴパンツを合わせている。
キャップを被り、腰にチェーンまで足されていて、普段なら絶対着ない服だった。
「レイ!かなり決まってるよ!?」
「青似合うねレイちゃん!」
女の子らしさを出すならレザーのショーパンもありだな。
なるほど、その手があったか。などすごい盛り上がっている。
実際、悪い気はしない。が、かなり恥ずかしい。
「次!」
ニセット目。
「……リツさん」
「ん、なに、」
その声がもう震えていた。
黒だ。レース。ベルト。スカート。やるとは思っていた。
「いやです!これ戻してください!」
カーテンから服を出す。それをリツは押し込んでくる。
「大丈夫!!似合うから!」
「こんなの着れないっすよ!」
「レイなら絶対似合うって知ってるから!」
「知ってるわけないっしょ!!」
「ね、お願ーい」
「……」
「一回だけ。ね?」
「…本気すか……」
押し合う力が抜けると、楽しそうなリツの手が服を置いてった。
……まじ?と、声というか音が口から出た。
カーテンを開く。
「え……」
「うお」
「なんだ!その反応!!」
二セット目。
黒を基調とした、袖の広がったレースブラウス。その上に、くびれまでしかない短いジャケット。
プリーツスカートから見えるニーハイに厚底ブーツを合わせている。
両手にシルバーリングをつけ、十字架風イヤリングを通し、首にリボンのチョーカーを巻いている。
「可愛すぎんだろ」
「な。こんなに似合うとは」
「……」
「待って、まじ可愛くない?」
「普通に完成してるな」
「……せめて笑ってください……」
シャッとカーテンを閉めるとリツが騒ぎ出す。
「レイ!写真撮らせて!!」
「ぜっっったい無理!!!!」
「保存用!!」
「なにする気ですか!!!」
ラスト、三セット目。
「これ、本命だから」
「レイちゃん幼顔だから、たぶんギャップエグいぞ」
カーテンの向こうが妙に静かだ。
カーテンを開く。
「……」
「……」
「……なに」
三セット目。
黒のチェスターコート。白いシャツ。細身の黒スラックス。
そしてアクセントに時計だけ加えた、かなりシンプルなコーデだ。
「……」
「……」
「何か言ってくださいよ」
「やばくね?」
「やばい」
二人の視線が下まで行き、上に戻ってくる。
「……やばくね!?」
「やばい!!」
「うるさ」
「ねぇ!!レイめっちゃかっこいいよ!」
「マジで似合ってるよレイちゃん!これは買った方がいい!!」
「えー?そうですか?」
実は、まんざらでもなかった。
「買おう!これ着て遊び行こう!!」
「まぁ……いいですけど?」
「よし!これ全部でいくら!!?」
「二十万」
「は?」
「え?」
「正確には合計で二十二万、八千九百円」
テンションが、足元まで一気に冷めていく。
リツに至っては、ニジュ。ニジュ?と変な音を出している。
「買ってくれるんだよね?」
元々デカかったアフロの店員が、その倍になったように感じた。
「脱げー!!!」
「か、返しますっ!!」
勢いよく引っ張ったカーテンのレールが外れる。
「なにやってんの!レイ!早く!」
「あっ、あっ!」
「ちなみに破れたら買取ね」
「そんなもん試着させんな!!!」
二人の声が綺麗に重なった。
「また来てねー」
アフロ店員は手を振りながら見送ってくれた。
リツと一緒に手を振り返す。
「似合ってんじゃん、それ」
「ありがとうございます」
レイはコートを手に掛け、青いブルゾンを羽織っていた。
「でも寒くないの」
「もう限界です」
二人で吹き出す。
時刻は二時前。人が行き交っていた通りも歩きやすくなっていた。
くあ。とリツがあくびをしながらポツリポツリと会話を続ける。大将の店も、もう暗くなっていた。
ネオン街の端っこに近づくにつれ、白色の防犯灯だけがブルゾンを照らしている。
郵便ポストを左手に見ながら、細い路地に入る。路地を抜けると、見上げるほど続く長い階段を登った。
私がエラい人だったら、まずここをエスカレーターにする。と、リツがヒーヒー言いながら肩を揺らしている。
登りきってすぐのカーブミラーを曲がり、しばらく歩くとコンビニが見えてきた。
「あ、タバコ買ってっていい?」
「いいですよ。私も温かいの飲みたいですし」
「コート着れば?」
「今日はいいんです」
横目でリツを見るとニヤリとしてから、そ。とだけ言った。
なんとなく目線を逸らすと、少し下に広がるネオン街の光がここまで届いていた。




