ギルド登録と訓練のはじまり
「こっちだ。見えてきたぞ」
マルコの指差す先に、木造二階建ての建物が現れた。
村の中では大きな方で、表には剣と盾の看板が掲げられている。
「……これが、ギルド……」
冒険者ギルド。
昨日までその存在すら実感できなかった施設が、今目の前にある。
クロスの胸の中に、妙な高揚感と、緊張が混ざった何とも言えない鼓動が走っていた。
「気負うな、クロス君。ここは誰でも来られる場所だ。君のような流れ者も、孤児も、貴族のボンボンもな」
そう言って、マルコは軽く背中を押した。
扉を開けると、中は木の香りに満ちていた。
奥にはカウンターがあり、左手の掲示板には紙が何枚も貼られている。右側には椅子とテーブルが並ぶ休憩スペース、奥の階段は訓練室や事務室へと続いているようだった。
中には数人の若い冒険者風の男女が座って談笑していた。皆、武器を背負っており、クロスが入ると一斉に視線が向いた。
「登録希望だ」
マルコがカウンターに声をかけると、奥から女性の職員が現れた。
年の頃は二十代前半、落ち着いた目元の優しげな女性だ。淡い緑色のベストと白いブラウスが清潔感を与えている。
「ようこそ、ベルダ村冒険者ギルドへ。新規登録ですね?」
「彼が希望者だ」
「承知しました。それでは、こちらへどうぞ」
カウンターの一角、仕切られた小部屋に案内される。
机の上には、数枚の用紙と羽ペン、インク壺が置かれていた。
「まず、あなたの名前を教えてください」
「クロス、と言います」
「出身地は?」
「……少し離れた辺境の村で、今は身寄りもなく放浪しています」
クロスはできる限り自然に答えた。転移者がこの世界でどのような存在なのかわからない以上、決して口にしないと決めていた。
女性は少しの間だけ沈黙し、何かを測るような目をしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「わかりました。それでは“仮登録”という形で進めます。仮登録の間は、報酬が制限され、依頼も限定されますが、訓練や講習は正式登録者と同じく受けられます」
「はい、問題ありません」
「ではこちらに名前を書いてください」
羽ペンを取り、慣れない手つきで自分の名前を書いた。
文字の読み書きは神のお陰で問題なさそうだった。
少し震えた字だったが、女性は微笑みながら受け取った。
「仮登録完了です。登録証はこちら」
差し出されたのは、金属製の小さなプレートだった。
紐を通せば首にかけられるようになっており、表には『ギルド仮登録証・ベルダ支部』の刻印があった。
「この登録証は身分証明としても使えます。なくさないように気をつけてください」
クロスはそれを手に取り、深くうなずいた。
「続けて、基礎講習と訓練にご案内します。初日は無料です。明日以降は一部費用が発生しますが、覚えることが多いので、ぜひ受講してください」
「お願いします」
女性に続き、ギルドの奥へ進んで行く。
奥は訓練室と呼ばれる空間で、木剣や盾、防具が並び、床には魔法陣が描かれていた。そこにはすでに講師らしき男性が立っていた。
「お、新人か。ようこそ、俺は訓練担当のギルド職員、グレイだ」
筋骨隆々の体に、くすんだ革の胴着をまとった男。髪もヒゲもボサボサだが、目だけは獣のように鋭い。
「お前の武器は?」
「……今は、木の棒だけです」
「悪くない。最初は皆そんなもんだ。まずは、冒険者として覚えるべき三つの心得からだ」
グレイは指を三本立てた。
「一つ、依頼主との契約は絶対。途中放棄は厳罰」
「二つ、仲間を裏切るな。信頼は命より重い」
「三つ、魔物は命を奪う存在。侮れば死ぬ」
その語り口には迫力があった。クロスは背筋を正して聞いた。
「ギルドは国に属さないが、規律は厳しい。依頼をこなせば報酬が出るが、失敗すれば責任を問われる。村や町を荒らせば、即座に登録抹消だ」
クロスは自然と手のひらに汗が滲んだ。
「次に、魔物について教える。初級者が相手にするのは“10級スライム”、“9級ゴブリン”、“9級ウォルフ”などだ。
詳しくは講習で改めて教える。」
「例えば、スライムは粘性の塊だが、核を壊せば死ぬ。だが、踏んだり切ったりしても倒せるわけじゃない。核を意識しろ」
「……昨日、戦いました。苦戦しましたけど、最後は殴って倒しました」
「生き残ってここに来たなら上出来だ。だが油断するな」
その後は、基礎訓練へと移った。木剣の握り方、足の運び、基本の構え、避け方。
グレイの指導は厳しかったが、的確だった。
一時間もすれば、クロスの額には汗が浮かび、肩や腰の筋が張っていた。
「最後に、魔法の話だが……魔法は“イメージ”だ」
グレイはそう言って、手をかざした。次の瞬間、小さな火球が浮かび上がる。
「火は“燃やす”イメージ、水は“流す”、土は“固める”、風は“切る”、障壁は“拒絶”などだ。珍しいところだと、氷や雷だな。氷は“凍らせる”らしいし、雷は……何をイメージすればいいかわからん。」
クロスは無意識に、胸元に手を当てた。
(俺に与えられたのは……氷と雷、それに障壁)
「でも、まだ何も発動できません」
「焦るな。魔法は慣れと精神力だ。まずは基礎魔力を感じるところから始めろ」
そう言って、簡単な魔力循環の呼吸法と、掌に魔力を集中する訓練が始まった。
何度も繰り返し、集中して、ようやく掌の中心がじんわりと熱くなった気がした。だが、火も風も出てこない。
「それでいい。今日はそこまでだ。お前は初心者の中では感覚が早い方だ」
クロスは息を吐き、深く礼をした。
こうして、クロスの冒険者としての第一歩が始まった。
まだ魔法は使えず、スライム相手にも苦戦する。
だが彼の中で、確かに何かが動き始めていた。
それが、“成長”という名の旅のはじまりだった




