一人、そして再出発
序章 第8話 旅立ちの朝と、届いた一撃
朝の陽が、まだ低く差し込む頃。クロスは、訓練場の片隅に立っていた。
手には、借り物の木剣。
地面には薄く砂が撒かれ、稽古には丁度よい滑り止めとなっている。
(基本は変わらない。構えも、踏み込みも)
クロス――いや、本名・黒須龍也は、日本にいた頃、剣術道場に通い、剣の理と精神を学んでいた。
実戦の経験こそなかったが、身体には染み付いた型と、幾度となく繰り返した稽古の記憶がある。
(ただ……これが“本当に命を懸けた場”で通じるのか)
異世界に来て以来、クロスは“現実”と向き合い続けていた。
魔物、魔法、そして、この世界で生きるという事実。
講習で学んだ知識、そして、目の前で訓練を積む冒険者たちの姿。
それらを見るたびに、彼は自身の力の“未熟さ”を、強く思い知らされていた。
「クロス、ここにいたか!」
振り返ると、マルコの護衛であるダナが、訓練場の門をくぐってくる。
その後ろには、商人マルコと、もう一人、村のギルド職員らしい中年の男の姿があった。
「そろそろ行く時間だ」
クロスは木剣を下ろし、無言で頷いた。
日本の道場では、別れの儀式など必要ないと考えていたが、この世界では、それが必要に思えた。
広場の一角、村の門の手前。
マルコの荷車には、食料と交易品が積まれ、既に出発の準備は整っていた。
「……本当に、一緒に来ないのかい? うちの街なら、クロス君みたいな若いの、引く手あまただと思うんだけどな」
マルコは笑みを浮かべつつも、どこか寂しそうに、クロスへと問いかけた。
「行きたい気持ちはあります。でも、まずは……この村で、一人で立てるようになりたいんです」
誰かの庇護の下で歩き続けるのではなく、まずは自分の足で、この世界に立つ。
それが、今の自分にとって、何よりも必要なことのように思えた。
クロスの言葉に、マルコは肩をすくめて笑った。
「そうかい。あの時、森でお前を見つけなかったら、今頃どうなってたか……」
そう言って、マルコは、革袋をクロスの手に押し付けた。
「これ、俺からの“投資”ってことでさ。手持ちがないんだろ? 講習の費用や、服や装備も必要だろうし……使える時に使え。返すのは、一人前になってからでいい」
「……ありがとうございます」
言葉が詰まる。
クロスは、礼を言うことしかできなかった。
だが、その目には、確かな決意の色が宿っていた。
「絶対に、一人前になって……返しに行きます」
「ふふ、楽しみにしてるよ。……じゃあな、クロス君!」
手を振って、馬車が進み出す。
荷車の後ろで、ダナが軽く手を上げた。
その姿が街道の向こうに消えるまで、クロスは、ずっと見送り続けていた。
それからの日々、クロスは訓練と講習に明け暮れた。
ギルドでの基礎訓練は厳しく、魔法理論から魔物の生態、さらには草木の見分け方や、緊急時の応急処置まで、その内容は多岐にわたっていた。
中でも、戦闘訓練は、クロスにとって、懐かしくも新しい世界だった。
「お前、構えが変わってるな。どこかの流派か?」
訓練教官の一人、筋肉質の女戦士が、首を傾げながら、クロスの型を見つめる。
「はい、故郷で“剣術”という武道を学んでいました。実戦経験は、ありませんが……」
「なるほどな。動きが無駄に洗練されてると思ったら……でもな、ここじゃ“実戦で使えなければ”意味がない」
そう言われた瞬間、女教官の剣が振り下ろされた。
木剣とはいえ、その速さと重さは、これまでの訓練とは明らかに一線を画していた。
クロスは直感的に足を引き、刃の軌道を外す。
「ほう、反応はいい。じゃあ――これならどうだ!」
教官の剣が、間髪入れずに連続して振るわれる。
クロスは紙一重でそれをかわし、木剣を正眼に構えた。
(振りを最小限に――斬らず、打ち込む)
クロスは、自分の戦い方を思い出していた。
剣術とは、相手を斬るための技術でありながら、相手を傷つけぬ道をも示していた。
師匠の言葉が、脳裏に蘇る。
――「力は、使い方を間違えれば暴力になる。だが、正しく使えば、それは“守る力”となる」
息を整え、クロスは踏み込んだ。
教官の剣をいなし、その隙に、胴へと一撃を加える。
「……っ!」
教官が、驚いたように一歩下がった。
「なかなかやるじゃねぇか……」
訓練場にいた他の冒険者たちも、息を呑んだ様子で、その光景を見守っていた。
クロスは木剣を下ろし、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。今のは、偶然です」
「謙虚だな。だが……その“偶然”を再現できるなら、それはもう偶然じゃない。訓練、期待してるぜ」
訓練後、クロスはギルドの宿舎に戻った。
夜の帳が降り、灯火の揺れる部屋で、一人、寝台に腰を下ろす。
(日本では、考えもしなかったな……こんな世界で、生きることになるなんて)
ふと窓の外に目をやると、満天の星空が広がっていた。
故郷で見た夜空とは、また違う輝きだった。
(剣を振るう理由も、力を持つ意味も……ここで、改めて知っていくんだ)
誰に語るでもなく、クロスはそう、静かに誓った。
明日も、訓練は続く。だがそれは、自分自身の“力”を見つけるための旅でもあった。
そして、クロスの成長は――まだ、始まったばかりだった。




