朝の痛みと、冒険者への道
陽が昇りきる前の、まだ薄明かりが村の屋根をなぞる時間。
クロスは、まるで大木の下敷きにでもなったかのような、全身の痛みで目を覚ました。
「……っ、ぅぉ……」
呻き声が漏れる。
腕を上げようとして、すぐに諦めた。筋肉という筋肉が、一斉に抗議の声を上げていた。
(これが……筋肉痛か? もはや“全身が壊れた”って感じだ)
昨日の緊張と疲労が、一晩を経て、一気に襲いかかってきたのだろう。
特に酷いのは、足と腰だった。
森で逃げ回り、崖を滑り落ち、川沿いを何キロも歩いた代償だ。
日本にいた頃とは違い、藁を敷き詰めてシーツを載せただけの寝台だが、土や草の上で眠るよりは、遥かにマシだった。
(……生きてるだけ、ありがたいと思わないとな)
壁に手をつきながら、なんとか体を起こす。
窓の外からは、鳥の声と、かすかに住民の声が聞こえてくる。
村が、少しずつ目覚め始めていた。
簡素な木造の部屋。
隅には、洗面用の桶と布が置かれている。
顔を洗い、水を飲むと、頭が、僅かにすっきりとした。
扉を開けると、廊下の先に、食堂が見えた。
すでに誰かが食事を始めているようで、パンをかじる音が、耳に届いてくる。
「おお、起きたか、クロス君!」
豪快な声が響いた。
食堂の奥、長いテーブルの中央に座っていたのは、昨日出会った商人――マルコだった。
「おはようございます……マルコさん」
「随分と苦しそうな顔をしているな。はは、筋肉痛だろう? 若者らしくてよいよい」
そう言ってマルコは、手招きした。
隣の席には、あの護衛の一人――無精髭を生やした、中年の男が座っている。
名前は確か……ダナ、だったか。
「まぁ、座れ。腹が減っているだろう」
「……ありがとうございます」
クロスはゆっくりと、椅子に腰を下ろした。
木製の椅子の硬さが、筋肉痛の背中に、じわじわと染み込んでくる。
目の前には、皿が置かれていた。
焼いたパンと、スープ。
焼き芋のような芋類と、香草らしき緑の葉が、数枚添えられている。
(……質素だな)
クロスは慎重にパンをちぎり、スープにつけて口に運ぶ。
柔らかいが、味がしない。
塩気も出汁もなく、温度だけが、“スープらしさ”を保っていた。
「……あれ? これって、スープですよね?」
「ははっ、気づいたか。そう、こちらの村じゃ“調味料”ってやつは贅沢品でな。とくに塩は高い。都市部ならもう少しマシだが、ここは山の村だからな」
マルコが苦笑しながら、パンをかじる。
「それでも、朝からこれだけ食えるのはありがたいことだ。大方の村では、粥だけで済ませるところもあるからな」
クロスは、少し驚いた。
現代日本では考えられない貧しさだが、それでも皆、当たり前のようにそれを受け入れている。
(……俺、本当に異世界に来たんだな)
改めて、その事実が、胃の奥にずしりと重くのしかかった。
ダナが、くちゃくちゃと芋を噛みながら、口を開いた。
「それよりもお前さん、今日はどうするんだ? まさか、このまま村にいるってわけじゃあるまい」
「えっと……お金を持ってないので、仕事があればと思ってるのですが」
「それなら冒険者ギルドだな。こんな小さい村だが、支部があるんだ」
マルコが、笑いながら補足した。
「普通は、ベルダ村のような小さな村にはギルドの支部はないんだが……なぜか、村の近くに小型の魔物が多く生息するようになってな。その為、十年ほど前に作られたそうだ。まぁ、討伐依頼も、スライムや小動物ばかりで、初心者には丁度いい。登録して、基礎を学ぶには最適な場所だよ」
「……よかった」
安堵の息が、思わず漏れる。
「だが、いくつか条件がある」
ダナが手を挙げて、指を一本立てた。
「まず、ギルド登録には“身分証”が必要だ。持ってるか?」
「……いえ、持っていません」
「なら、ギルドで“仮登録”という形になる。仮登録でも依頼は受けられるが、報酬が制限される。信用ってやつだな」
「なるほど……」
「身分証がない奴は、珍しくない。孤児や、他国からの出稼ぎなど、いろんな奴がいる。だが、そういうのを全部受け入れるために、ギルドって仕組みがあるんだ」
マルコが腕を組み、頷いた。
「ギルドは、国とは別の中立機関だからな。人種も出自も関係なく、働けば食える。それが、ギルドの理念だ」
「……すごいですね」
「だが、自由には責任が伴う。依頼を途中で放棄したり、問題を起こせば、すぐに登録抹消。下手すりゃ、賞金首扱いだ」
ダナが、にやりと笑う。
その笑みが、冗談ではないことを、静かに物語っていた。
クロスは小さく息を呑み、真剣に頷いた。
「わかりました。……ちゃんとやります」
「うむ、それでいい。仕事で結果を出せば、仮登録から正規登録になる。あと、必要なのは……装備か」
マルコの視線が、クロスの腰へと向いた。
そこには、昨日使った、ただの木の棒がぶら下がっている。
「……それ、まさか武器じゃないよな?」
「……はい。魔法が使えると思ったんですが、発動しなくて……仕方なく、拾いました」
「なんだお前、魔物を攻撃出来るほどの魔法が使えるのか!?」
ダナが、驚いた声を上げた。
彼が驚くのも、無理はなかった。
この世界では、魔力は誰しもが持っているものだ。
だが、魔物を討伐できるほどの威力で魔法を発動できるのは、十人に一人程度に過ぎない。
仲間にそうした人材を加えられるかどうかが、冒険者としての成功を大きく左右するのだ。
だが、クロスはすぐに首を振った。
「いえ、使えると思ってただけです。まだ、まったく発動できなくて……」
「なーんだ。期待させやがって。まぁ、魔法ってのは、しっかりと指導されないと、正しく発動しないからな。知識がない奴には無理だ」
「そうだな。冒険者ギルドでも、基礎魔法訓練がある。そっちも受けてみるといい」
マルコが椅子から立ち上がり、テーブルを軽く叩いた。
「よし、それなら、朝食が済んだら、ギルドまで案内しよう。わしも今日は荷を降ろしたばかりで、時間がある。ついでに、ギルド長の所にも顔を出しておきたいしな」
「本当ですか!?」
「当然だ。ここまで来たのだから、面倒見てやらんとな」
クロスは、感謝の気持ちを抑えきれず、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます……!」
「礼は要らんよ」
朝の光が、食堂の窓から差し込んでくる。
異世界の生活は、まだ、始まったばかりだった。




