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第六章:『天使の盾と、最初の嘘』

けたたましい起床ラッパの音が部屋を震わせる中、私は跳ね起きるようにして寝台(ベッド)の上へと視線を走らせた。

そこには、昨日のあの不敵で妖艶なスパイの仮面を完全に脱ぎ捨て、泥のように深く眠るアニヤ・アマソワ中佐の姿があった。ハルビンの柔らかな朝の光を浴びた彼女の横顔は、まるで無垢な天使のようで、その清廉な美しさを前に、私の胸の奥は生まれて初めて経験するような温かい安堵感で満たされた。私は、この天使の命を何があっても守り抜くのだと、改めて心の中で静かに誓った。

余韻に浸る時間はなかった。私は急いで自らの洗面を終え、軍服の襟を正して身支度を整えた。その直後、廊下から部下の焦った声が響き、司令部の上官から「例の女スパイはまだ口を割らんのか、一刻も早く報告の書類を回せ」という激しい督促がきていることを知らされた。私は冷徹な憲兵の顔を取り戻し、部下を突き放して時間を稼いだ。

私は少しでも周囲の目を欺くため、一度彼女を班長室から出す決断を下した。私の部屋にいつまでも匿(かくま)い続けるのは、かえって部下たちの不審を招く。私は部下に冷徹な声を装って命じ、これからの尋問の合間の措置として、彼女を地下の牢屋へと入れ、厳重に監視するよう申し付けた。

部下たちが彼女を連れていった後、私は重い足取りで司令部へと向かった。冷たい春の風が吹く廊下を歩きながら、私の心は鉛のように気が重かった。

司令官室に入ると、私はいつもの機械のような正確さを取り戻し、軍の規定通りに淡々と報告書を読み上げた。アジトから押収した、あの外蒙古の人に対するオルグ(思想誘導)の極秘マニュアルの細部を、余すことなく理路整然と報告していく。しかし、彼女の真の身分がソ連軍の「中佐」であり、本名がアニヤ・アマソワであること、それから日ソ中立条約が間もなく破棄されて満州へ総攻撃が仕掛けられるという恐るべき真実だけは、私の爪の先ほども表には出さなかった。彼女はあくまで、ただの一介のソ連の密偵である――その一点を死守する偽装だった。

だが、私の命がけの知能戦を前にして、日本軍司令部の上官たちが下した決定は、あまりにも冷淡だった。

「ご苦労、岡田軍曹。その書類は我が軍で引き取る。――で、残ったその女の密偵だが……。男どもと同じく、平房へ送って『丸太』にしておくれ」

「――ッ!」

その冷酷な一言が、私の鼓動を激しく打ち鳴らした。組織の狂気は、私の緻密な計算などどこ吹く風で、彼女を生きながらにして七三一部隊の人体実験の機材にするという、最悪の手続きを平然と選んだのだ。私は必死に感情を押し殺そうとしたが、あまりの恐ろしさと絶望に、どうしても動揺を隠しきれなかった。どうしたらいい。一体どうすれば、彼女をこの狂った檻から救い出せるのか。

私は重い足取りで司令部から戻ると、通路に控えていた部下に向かって、低い声を意識して言い放った。

「これより、あの女の最終尋問に入る。本官の許可があるまで誰も室内に入れるな」

「はっ!」と部下が敬礼し、分厚い木製のドアを閉めて再び内側から鍵をかける。地下の張り詰めた空気の中、私とアマソワ中佐は再び一対一で向き合った。

私の絶望に染まった表情を見た瞬間、椅子に縛られた中佐はすべてを察したように、しかし落胆するどころか優しく微笑んだ。

「落ち込むことはないわ、岡田軍曹。――あなたの最大の武器は何? ここでしょう?」

彼女は拘束された手元を僅かに動かし、私の頭部を指し示した。そのグレーの瞳には、帝国の狂気に決して屈しない剥き出しの知性が輝いていた。

「……しかし、どうやって彼女を守ればいい。司令部からの命令は絶対だ。君を平房へ送り、マルタにしろという決定が下ってしまったんだぞ」

私が激しい動揺を隠せず、声を震わせて問い返すと、アマソワ中佐は再び唇の端を吊り上げ、いつものあの不敵な笑みをニヤニヤと浮かべて言い放った。

「軍医たちを完全に混乱させましょう。――いい? 今から、私は『コレラ患者』よ」

「――ッ!?」

私はその言葉に、文字通り戦慄した。

コレラ。ひとたび軍の施設内で発生すれば、部隊全体が壊滅しかねない最悪の猛烈な伝染病だ。もし彼女がコレラに感染している疑いがあるとなれば、いかに人体実験を行う七三一部隊といえども、部隊内への病原菌の侵入を恐れて移送の手続きを即座に全面凍結せざるを得ない。さらに、あの野蛮な部下たちも感染を恐れて彼女の牢屋へ近づくことすらできなくなる。

彼女は、自らの存在そのものを「触れてはならない猛毒」へと偽装し、日本軍の厳格な防衛規定を逆手に取って時間を稼ぐという、最も危険で最も完璧な嘘の防壁を思いついたのだ。私は彼女の恐るべき知略の前に、ただただ圧倒されていた。

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