第9章 楽天地ビルのバブル
エレベーターの扉が静かに開いた瞬間、私の鼻を突いたのは、濃厚な安物の香水とヤニの、どこか酸っぱい匂いだった。
「うわ……何これ、まぶしっ……」
思わず目を細める。
そこは、バブル期にタイムスリップしたかのような、ギラギラとした大箱のキャバレーだった。
天井で狂ったように光を放っているのは、巨大なガラス細工のシャンデリアだ。
これでもかと吊り下げられたクリスタルが、
紫やピンクの怪しげなネオンを反射して、
フロア全体に毒々しいモザイク模様の光をぶちまけている。
床から壁、ボックス席のソファに至るまで、
空間のすべてが重々しい深紅のベルベットで埋め尽くされていた。
指で触れたら指紋がそのまま残りそうなほど毛足の長い絨毯は、
歩くたびに 足元をぐにゃりと沈み込ませる。
ステージの上では、金のラメドレスを着たお姉様方のバンドが、EGO-WRAPPIN'の色彩のブルースを奏でている
客席を埋めるのは、肩パッドの入ったダブルのスーツを着た男たちと、
夜の蝶たち。
私たちは鬼のお弁当を持ってこの魔窟に潜入したのだ
イツキと言う娘は変わった思考の持ち主の様だ
この緊迫した状況の中
「あたしこの曲大好きなの」
などと言ってバンドに聴き入っている
店内を見回すと何人か知った顔もいる
直接の知り合いでは無いが資料で見た要注意人物や調査対象候補など各省庁の役人だった
「なんであんたがここに居るのよ〜!!」
真横で大きな声でイツキが誰かに叫んでいた
まずい、目立ちすぎだ、、
イツキの視線の先にはジャージ姿のドレッドヘヤーの男
ニヤニヤしてこちらに曲に合わせて歩いてくる
「知り合いなのか?」
「うん貧乏神のビンちゃん」
この娘
貧乏神まで従えていると言うのか?
そんなもの従えて、この娘は何がしたいのだろう
私は自分の常識の中での理解力を遥かに超えたこの存在に、ただただ驚きを覚えるのであった
「イツキちゃんこそ何してるの?
君が来るようなところじゃないと思うけど」
「僕はここのステージで週一回歌っているんだよ」
そんな話をしていると鬼が配達を終わらせて事務所の方から歩いてきた
その後には不穏な空気を含んだ人相の悪い男たちが数人
ゆっくりと距離を開けて近づいてくるのが見えた
囲まれた!!!!
なぜばれたんだろう?
何か私たちはしくじったのだろうか?
緊張が走る
貧乏神は、既に姿はない
逃げ足は早いようだ
男たちは、式神を放ったのはこいつだ
などと言っている
私のミスで彼らを危険に巻き込んでしまった
懐の呪符を握り締める
イツキは空手の型を作ってファイティングポーズをとっている
やばい
この子はやる気だ
通用するかわからないが
私も呪詛の札を懐から取り出した
一触触発の中
どこからか間の抜けた女性の声が
「おぼこよ!おぼこよ!」
イツキのポーチの中から声が聞こえてくる
「おぼこよ何をしているのじゃ変なものに囲まれておるのぉ?」
「ワラワを頭につけてとっとと冥府に送るが良い」
「ワラワは
とっぷすのちよこれいとけいきとやらが所望じゃ!!
はようせい♡」
「ケーキ食べたくて、早く帰ってきたの姫様ぁ〜!!!」
「でもナイスタイミング!!」
私は、あの伝説の、、神話の中のクシナダヒメの声を朦朧とした頭の中で、ただただ多幸感に包まれながら
このくだらないやり取りに感動していた
イツキがおもむろにポーチから古びた櫛を出す
不敵に笑いながら髪につけた途端
彼女は光に包まれた
悪魔達が眩しそうに悲鳴を上げながら目を覆う
陰陽道の常識ではあり得ない光景だった。
怨霊を祓うには、複雑な呪文を唱え、緻密に描かれた呪符の結界でじわじわと霊子を分解していくのが鉄則だ。
だが、イツキという娘のやっていることは――ただの「物理」だった。
「せいっ!!」
裸足になった彼女が凄まじい踏み込みを見せる。
その拳が空気を切り裂いた瞬間、
私の式神を全滅させたはずの悪魔が闇に消えてゆく
何という無駄のない拳の軌道なのだ
体幹が一切ブレていない!
私は懐の呪符を握りしめたまま、
ただただ呆然と解説者のように心の中で叫んでいる
「ぎゃああああああっ!?」
イツキの突きが男の胸にめり込む
悪魔たちは抵抗する間もなく次々とズボリ、ズボリと闇に吸い込まれていく。
結界も呪文もなしに、ただの正拳突き一発で冥府の門を物理的に開いただと!
ただの力技じゃないか!
これでは、私の陰陽道など入社1年目の新人研修レベルではないか。
私は自分の平安から続く血筋のプライドが彼女の拳の風圧だけで木っ端微塵に吹き飛んでいくのをリアルに感じていた。
皆呆然としている
私もその一人だ
ここは楽天地ビルの屋上
あの煌びやかな空間は消えていた
「おぼこよ!はよう!はよう!
ワラワはまた鉄の扉の中で封印されとうない」
「ちよこれいとけいきがはよ食したい
すぐに出雲に帰らんとスサノオに怒られる」
どこからともなく現れた貧乏神が
「逃げますよこっちです」
嗚呼ああ
今私は神の声を聞いている。あの神話に出てくる神の声を
私は伝統ある陰陽師の家系で生まれ育った
私が追い求めていたものを
それをこの娘は、、、
羨ましい、、、
私の常識を返してくれ




