第17章 送り狼は帰れない
「私、ストーカーに遭ってるんです」
相談者の女の人は
膝の上で鞄を抱きしめたまま
何度も入り口のドアを振り返っている
薄い化粧
目の下の隈
どこかで見たことがある
あっ
この人
数日前にノアルが入院している警察病院へ面会に行った時
対応してくれた看護師さんだ
ノアルは今
面会できる状態ではない
そもそも弁護士の許可を取らなければ
面会はできないらしい
なんでも数週間前
宮内庁を名乗る男が面会に来て
ノアルがだいぶ取り乱して暴れたのだと言う
「あいつだ」
「あいつだわね」
「イツキ
あいつに頼まれていた洋服
MサイズじゃなくてSサイズにしなさい」
「じゃあもう
普通のパチモン専門店で
すぐ色落ちして
すぐ型崩れするやつでも届けてやろうか」
チャマへの嫌がらせが決まり、看護師さんに名刺を渡して
病院を後にした
その名刺を見て
ここへ相談に来たということは
まぁ
やっぱりそういうことなのだろう
「そういう類いの相談なら警察に行きなさい
ここよりもずっと的確に処理してくれるはずよ」
エカテリーナが
憔悴した女の人に正論をぶつける
もう少し言い方を考えなさいよ
と
心の中でツッコミを入れておく
「警察にも相談しました
でも人間につけられている事実は確認できない
このままだと狂言として扱うことになると言われてしまって」
「で
何にストーキングされてるの?」
女の人は少し迷ってから
入り口をもう一度振り返った
「狼です」
声が小さい
「もう一回お願いします」
「狼なんです」
最近
夜勤を終えて駅から自宅へ歩いて帰ると
必ず後ろから足音がついてくる
カツ
カツ
立ち止まると止まる
歩き出すと
またついてくる
振り返っても誰もいない
最初は疲れているだけだと思っていた
ある雨の夜
濡れた路面で足を滑らせた
転ぶ
そう思った瞬間、背中を何か大きなものに押された
歩道に手をついて
振り返る
街灯の下に
大きな狼がいた
毛から雨水を垂らしながら
じっと自分を見ていた
女の人は
転がるように走って逃げた
それから狼は
姿を隠さなくなったらしい
話を聞いた死神ちゃんが
「送り狼かもしれないね」
夜道を歩く人間の後ろについてくる怪異
転んだら襲うという話もあれば
危険から守り
家まで送り届けてくれるという話もあるらしい
さすが死神ちゃん
妖怪大辞典の称号でもあげちゃいたいくらい!
ちょっと今回の相談
KGBらしくなってきた
いけない
いけない
深刻な相談者を前に
不謹慎なことを考えてしまった
反省
「でも話を聞くと
悪いやつじゃなさそう
転びそうになった時
助けてくれたんでしょう?」
女の人は頷かなかった
「だったら
どうして家に着いても帰ってくれないんですか?」
マンションへ入ったあとも
狼は入り口の前に座っている
朝
カーテンの隙間から外を見ると
まだ同じ場所にいる
「気にしないで寝た方がいいわよ
寝不足はスキンケアの大敵よ!」
またエカテリーナは
このかわいそうな女の人に正論をぶつける
「とりあえず
本当に送り狼なのか確認してみよう」
死神ちゃんが
ド正論でこの場を収めてくれた
次の夜勤明け
私とエカテリーナ
死神ちゃんの三人で尾行する
「尾行ってさ
順番を入れ替えたり
電柱に隠れたりするんじゃないの?」
「そんな面倒くさいことしたくないわよ」
「でも尾行してるのバレたら」
「さっきあんた
依頼人に手を振ってたじゃない」
女の人が
遠くから小さく頭を下げた
もうバレていた
しばらく歩くと
女の人の後ろに黒い影が現れた
街灯の下を通る
灰色の毛
女の人の腰より高い背中
でかい
「ねえ死神ちゃん
あれ送り狼?」
「そうみたいだね」
相手が女の人だとやる気を出す死神ちゃん
今日はノリノリだ
女の人が止まる
狼も止まる
歩き出す
狼も歩き出す
一定の距離から
近づかない
でも
離れない
横道から
酔っぱらいの乗った自転車が飛び出してきた
ふらふらしながら
女の人へ向かっていく
危ないわね〜
最近じゃあ自転車だって
酒酔い運転で捕まるんだから
警察何やってんのよ!!
送り狼が低く唸った
自転車の男が驚いてハンドルを切る
植え込みに突っ込んだ
やっぱり
いいやつじゃん
女の人がマンションへ入る
オートロックの扉が閉まった
それでも狼は帰らない
入り口の前に座る
何か寂しそう
餌が欲しいのかな?
それとも撫でて欲しいのかな?
死神ちゃんが狼の前にしゃがんだ
しばらく話をしている
狼は困っているらしい
自分は女の人を襲うつもりなどない
ただ
「まだ送り届けていない」
はい!
めんどくさいやつ
私は張り込み用に用意した
パンと牛乳を持って狼の前に座った
「とりあえず食べて」
狼はパンの匂いを嗅いでから
大きな口で食べた
「美味しかった?」
「腹は減ることはないが
たまに食べるのもいいな」
「満足した?」
「まあな」
「じゃあ帰ろうか」
勢いで押し切る
「まだ送り届けていない」
ダメだった
じゃあ理屈で論破か!
私はマンションを指差した
「これは何?」
「たくさんの人間が住む場所だ」
「住んでるってことは家だよね?」
「ここは
この人の家ではない」
「ダメだ、、、、、」
エカテリーナは大笑いしている
「あんたたち
コンビ組んでM1に出なさい」
翌日
夜勤明けの女の人に
もう一度KGBへ来てもらった
エカテリーナが淹れた紅茶を
両手で包んでいる
「少し前まで
別の町で夫と暮らしていました」
「何で別れたの?」
「大きな理由はないんです
少しずつ生活がずれていって」
女の人は
カップの中を見たまま話した
自分は夜勤
夫は朝から仕事
顔を合わせる時間が減り
話すことも減った
喧嘩をしたわけでもない
嫌いになったわけでもない
それでも二人で話し合って別れた
「一人の方が楽だと思ったんです
あの人の世話までしている余裕がなかったから」
今のマンションにあるものを聞いた
寝るための布団
通勤に着る服
最低限の食器
冷蔵庫には
水とコンビニの食べ物
引っ越した時の段ボールは
まだほとんど開けていない
「帰っても
寝るだけなんですよ」
女の人は
冷めた紅茶を一口飲んだ
帰る時
足元を見たまま
ゆっくり廊下を歩いていった
どうすればいいんだろう
狼は悪いやつじゃない
狼だって仕事を終えて帰りたい
送り届ける仕事が終わらない
胃袋を満たしても帰らない
どこまで行けば
送り届けたことになるのか?
閃いた!!
「離婚して今のマンションへ来てから
狼がついてくるようになったんだったら
元の家に戻れば帰るんじゃないの?」
「それよ!
パンと牛乳なんかより
ずっとましなアイデアね」
死神ちゃんは考え込んでいる
「なんか違う気もするんだけど」
「一つずつ確認していくのが合理的よ
イツキ
電話して」
渋る女の人に
以前住んでいた家まで案内してもらった
送り狼は?
ついてくる
駅から少し歩いた住宅街
女の人は
迷わず細い道を曲がっていく
考えなくても
足が覚えているみたいだった
二階建ての家の前で止まる
玄関の表札
もう自分の苗字ではない
窓は暗く
人の気配もしない
女の人は
家を見上げようともしなかった
送り狼が首を振る
「ここは
この人の家ではない」
またそれだ、、、、
「だから言ったでしょう
ここはもう私の家じゃないのよ」
女の人が
やっと家を見た
「私の家だった場所でも
ないのかもしれないわ」
ああああ
二人揃ってこれだ
どうしたらいいんだ?
こんなに気が合うんだったら
いっそのことペットにしてしまうのはどうだろう?
狼を見る
いやいや
ないない、、、、
完全に手詰まりだ
帰り道
女の人のお腹が鳴った
聞かなかったことにしようと思ったけど
もう一回鳴った
「お腹すいた?」
「朝から何も食べてないんです
あまり食欲もなくて」
「じゃあKGBに戻ろう
大五郎さんに何か作ってもらうから」
エカテリーナが横から耳打ちしてきた
「鯖風味の炭はダメよ」
肩パンしようとしたけど
避けられた
KGBへ戻ると
奥の厨房から出汁の匂いがしていた
わらしちゃんは
ソファでチロを抱いてテレビを見ている
チャラ男は厨房で
大五郎さん相手に新しいカクテルの説明をしていた
「だから大五郎さん
これに柚子を入れれば和風の」
「飯の邪魔だべ」
追い出された
びんちゃんは
一番音のいい席で発泡酒を飲みながら
音楽に合わせて体を揺らしている
招き猫は
私を見ると瞬きをした
いつものKGB
女の人をカウンターへ座らせる
「悪いんですけど
何か食べさせてあげて」
大五郎さんは
女の人の顔を見た
「今作ってるもんでよければ
一人分くらい増やせるべ」
鍋の蓋を開ける
白い湯気
鶏肉と大根の煮物
味噌汁
炊きたてのご飯
女の人は最初
申し訳なさそうに箸を持った
煮物を一口
味噌汁を一口
それから黙って食べ続けた
わらしちゃんが
自分の前にあった漬物の皿を女の人へ押す
女の人は小さく頭を下げて
一つ取った
びんちゃんもやってきた
空いている椅子へ座り
女の人の煮物を見ている
「びんちゃんの分は向こうにあるよ」
「見ているだけです」
箸を持っている
「それで?」
「一つだけ頂いてもよろしいでしょうか」
「ダメです」
大五郎さんが
びんちゃんの前にも煮物を置いた
「ありがとうございます」
女の人が笑った
自然な笑顔を
初めて見た気がする
入り口の外には
送り狼が座っている
「あいつも呼ぶ?」
死神ちゃんが聞きに行った
しばらくして
一人で戻ってきた
「ここで待つって」
「一緒に食べればいいのに」
食事を終えると
大五郎さんは残った煮物を容器に入れた
蓋が閉まらなくなりそうなほど
上まで詰めている
「明日食えばいい」
「でも」
「余っただけだべ」
帰りは
私と女の人
少し後ろに送り狼
三人で歩く
「ペットにしちゃえば?」
「あんなに大きいのに?」
「お腹減らないっていうし
餌代かからないよ」
「あなた
面白い人ね」
マンションへ着く
「お茶くらい飲んでいく?
何もないけど」
「行く」
本当に何もない部屋
というか
段ボールだらけ
倉庫みたい
カーテンの隙間から
マンションの前が見える
送り狼が座っている
毎朝
あれを見ていたのか
女の人は
大五郎さんからもらった容器を持ったまま
部屋の中を見回した
置く場所がない
段ボールを一つ横にして
その上へ置く
紙コップに
ペットボトルのお茶を注いでくれた
「ねえ
この段ボール
マジックでリビングって書いてあるけど」
「それが何か?」
「一個だけ開けない?」
「今日はもう遅いから」
「私も手伝うし」
「明日も仕事なんです」
「私も」
「あなたは今も仕事中でしょう」
確かに
女の人は面倒くさそうに
ガムテープを剥がした
マグカップ
本
写真立て
小さな観葉植物
その他
どうでもいい生活用品
マグカップを手に取る
少し考えてから
流しで洗った
「せっかくだから
こっち使いましょうか」
二箱目も開けた
時計
小さな皿
電気ケトル
読みかけの本
女の人は
観葉植物を窓辺に置いた
段ボールの隙間に
少しだけ緑が増えた
電気ケトルでお湯を沸かす
二人でマグカップを使ってお茶を飲んだ
「このカップ
久しぶりに使った」
「何か思い出でもあるの?」
「ううん
昔から使っているだけ」
女の人は
マグカップを両手で包んだ
さっきまで使っていた紙コップは
段ボールの端に置かれている
「お茶ごちそうさま
じゃあ帰るわ」
「今日はありがとうございました」
「まだ解決してないけどね
また別の方法を考えてくる」
マンションを出る
送り狼がいた
「あんた
もう少し小さかったら
犬としてペットにする方法もあるんだけどね〜」
「まだ帰らないよね」
送り狼は立ち上がった
マンションを一度振り返る
カーテンの隙間
窓辺に置いた小さな観葉植物が見える
「もう大丈夫だ」
送り狼は背中を向けると
路地の闇へ消えていった
もう
わけわかんない
数日後
依頼料を支払いに
女の人がKGBへ現れた
狼はもう来ない
段ボールは
一日一箱ずつ開けている
小さなテーブルも買った
昨日は自炊もした
「何作ったの?」
「味噌汁です」
「どうだった?」
「しょっぱくて飲めませんでした」
大五郎さんが
厨房から顔を出した
「味噌どれくらい入れた?」
「お玉に三杯」
「鍋の大きさから聞かねえとダメだな」
女の人は恥ずかしそうに笑っている
顔色も少し良くなった
大五郎さんが
簡単な料理を教えている
そしてまた
帰りにお弁当を持たせている
解決はしたけど
結局
送り狼が勝手に帰っていったので
依頼料は半額だけもらった
今日も一日終わった
やり切った
コンビニで買い物をして
アパートへ向かって歩く
後ろから
カツ
カツ
カツ
足音?
止まる
足音も止まる
振り返る
狼まだいるじゃん!
「何で私についてくるの?」
「お前もまだ帰っていない」
「いや
私んちあっちだけど?」
向かい合ったまま
二人ともそれ以上
何を言っていいのかわからない
遠くでクラクションの音が鳴っている
ハァ〜
一回戻ってみるか?
カランカラン
「何だ、イツキ。忘れ物か?」
「うん」




