第14章 ベルゼブブ
ブゥゥゥゥン
さっきから、店の中を大きな蝿が飛んでいる。
鬱陶しい、、、
黒い。
というか、少し青い。
照明の下を通るたび、背中が油のように光る。
近寄ってくるので、手で追い払う
また来る
蝿って人間をおちょくっているように思える時がある
めちゃくちゃ鬱陶しい
普通の蝿より二回りくらい大きい。
音もでかい。
ブゥゥゥゥン
耳元を横切った。
うわっ!
思わず頭を下げる。
今、蝿はカウンターを一周して、厨房へ向かった。
大五郎さんが魚を焼いている。
今日の日替わり弁当は、鮭の塩焼き。
「なんだべこのでっけえ蝿」
大五郎さんの手が止まる
でっかい蝿は厨房へ入った。
食べ物を扱っているところで、蝿はまずい
大五郎さんが壁に掛けてあった蝿叩きを取る。
私も立ち上がり、新聞紙を丸める
蝿が冷蔵庫の上へ止まった。
大五郎さんが、ゆっくり近づく。
腰を落とす。
蝿叩きを振り上げた。
「待ってぇぇぇぇぇ!!!」
銀髪を振り乱し、蝿叩きを持つ腕へエカテリーナが飛びついてしがみついている。
何?
どうした?エカテリーナ?
何か面白い予感がする
「絶対に叩かないで!」
「だども、弁当に止まったら大変だべ」
「ちょっと待って!!!
お願いだから! そのまま!
動かないで!」
あのエカテリーナが
もう一度言う
あのエカテリーナが
もう一回言っちゃおうかな
あのエカテリーナが血相を変えて懇願している
しかも蝿を助けるために。
大五郎さん蝿叩きを振り上げたまま固まっている。
蝿は逃げた、、
エカテリーナは顔面蒼白でキョロキョロしている
みんなで店の中を捜索する
ブゥゥゥン
音がした。
びんちゃんの頭の上。
花瓶のようにまとめあげた頭の上にある太いドレッドの一本に、蝿が止まっている。
前脚スリスリ
次に後ろ脚シャコシャコ
また前脚。
居心地が良さそう。
「あの……私の頭に、何かいるのでしょうか」
びんちゃんが小さな声で聞いた。
「キング蝿」
わらしちゃんが素晴らしいネーミングセンスを披露してる
びんちゃんは目だけを上へ向けた。
「そうですか」
受け入れた、多分いつものことなのだろう
「動かないで、、、、」
エカテリーナが、今度はびんちゃんにささやく。
自分を落ち着かせるかのように。
「はい」
蝿を頭へ乗せたまま、動かなくなる。
蝿はその場でぐるぐる回り始めた
青黒い身体の周りから、薄い煙が流れ出す。
煙がびんちゃんの頭を覆った。
「なんか臭いです、、、」
後ろでうたた寝していたチャラ男が起きる
こっちにも臭いが来た、、、
かぐわしい
わらしちゃんは窓を開けている
蝿の煙なのか。
びんちゃんのドレッドなのか。
多分混ざってるんだと思う
すると黒い煙の中から、小さな足が二本出てきた。
白い靴下。
黒い半ズボン。
黒い上着。
首元には、血みたいに赤いリボン。
またでたこの展開、、、、何今度は蝿の妖怪?
重さで傾くびんちゃんの頭の上に、五歳くらいの男の子が座っている。
片方のドレッドを肘掛けにして頬杖をついている。
生意気そうな顔してる
めんどくさそうな雰囲気だけど面白くなってきた
「出迎えがなっておらぬ」
男の子は、大五郎さんを見て
「余を叩こうとしたな」
「厨房に入ってきた蝿は叩くだよ」
大五郎さんは蝿叩きを下ろさない。
「無礼者」
「ベルゼブブ様……」
エカテリーナが膝をついた。
え?
このガキエカテリーナの知り合いなの?
ますます面白いことになってきた
「どうして、こんなところに」
「余が来てはならぬか」
「そういう意味では……」
エカテリーナが言葉に詰まっている。
珍しい。
私はもう一度、びんちゃんの頭を見る。
ドレッドに座ってる子供
これがベルゼブブ?
名前は聞いたことがある。
多分、すごい悪魔。
「蝿の王だよ格が違う」
死神ちゃんが教えてくれた。
伝説級の悪魔らしい
この蝿が、この生意気そうなガキが、、、
「それで、蝿の王様がうちに何の用?」
「口の利き方を知らぬ人間だ」
傾いたびんちゃんの頭の上から私を見下ろしている
伝説級の悪魔なのに全然怖くない。
「あのう〜私の頭から降りていただけませんか、、首が限界です」
びんちゃんが申し訳なさそうに言った。
「黙れ。貴様の頭は悪くない」
「ありがとうございます」
蝿に褒められて喜んでる
ベルゼブブは店の中を見回し顎をスッと上げた
「ここには、人ならざる者が集まると聞いた」
「集めてるわけでは無いけど」
「余の民も受け入れよ」
民?
嫌な予感がする。
「近頃、人の世は生きづらくなった」
ベルゼブブは、遠くを見るような目をした。
窓の外には、隣のビルの壁しか見えない。
視線を私に向けて穏やかな口調になった
「昔は良かった」
「道には馬が行き交い、荷を運び、人と獣が同じ土の上で暮らしていた」
子供にしか見えないのに店の空気が変わった
さすが格が違う
「市場の裏には魚の腑が積まれ、肉屋の軒下には血が流れた。家々の裏には捨て場があり、我らの民は、そこから命を繋いだ」
演説が始まった
エカテリーナは黙って聞いている。
死神ちゃんは笑いを堪えている
びんちゃんは首が真横になっている
「だが、人は地を石で覆った」
「塵は袋へ入れ、蓋をし、決められた日に運び去る。食べ残しは冷たい箱へ閉じ込め、腐る前に捨てる」
確かに、今の日本じゃ蝿には住みにくそう
「厠からは水が流れ、すべてを地下へ奪っていく」
ハイハイ
「人は毒を撒く。窓には網を張る。灯りで誘い、電気で焼く」
業務用の青く光るバチバチするやつね
「汗の匂いを恐れ、身体の匂いを消し、部屋からは暮らしの匂いまで追い出す」
私はジャージの襟を引っ張り中の匂いを嗅ぐ。
多分大丈夫、、
エカテリーナが、そっと一歩離れた。
失礼な奴だ
ベルゼブブは、肘掛けにしていたドレッドを撫でた。
「貴様はよい」
「何がでしょう」
「生き物の匂いを隠しておらぬ」
「ありがとうございます」
びんちゃんは少し嬉しそうだった。
降りてやれよ、、、
「人間よ。貴様らは、いつから生き物であることを恥じるようになったのだ」
言われてみればそうなんだけど蝿に言われても、、
「我らの民は、飢えている」
ベルゼブブが、小さな手を握り自分の言葉に陶酔してる
ちょっと可愛い
しかしその横顔は、本当に国を失った王様みたいだった。
「卵を産む場所もない。幼き者を育てる場所もない。かつて空を黒く覆った我が眷属は、今や一匹ずつ追われ、叩き潰されている」
ちょっとかわいそうになってきた。
騙されるな私!コイツは蝿だ!!
「おいたわしや、、」
すっかり騙されたエカテリーナが小さくつぶやいた。
「昔は良かった」
ベルゼブブが、もう一度言った。
懐かしそうに
「道にも」
「家の裏にも」
「あちらこちらに、
うんこがあった……」
「そんなこと知るかっ!!!」
全員の声が揃った。
ベルゼブブが目を開けてびんちゃんの頭から飛び降りる。
床へ着く前に、身体が黒い煙へ変わった。
煙の中から、大きな蝿が飛び出す。
ブゥゥゥゥン
「ベルゼブブ様! 今回はお引き取りください!」
エカテリーナがドアを開けた。
さっきまで守っていたのにうんこと聞いて目が覚めた様だ
大五郎さんが蝿叩きを振る。
死神ちゃんが新聞を丸める。
わらしちゃんはタオルを振り回している。
びんちゃんまで、自分の帽子で追い払っていた。
「無礼者ども! この借りは忘れぬぞ!」
蝿が店の中を一周して
カウンターを抜ける。
エカテリーナの頭の上を通り開いたドアから外へ飛び出した。
ブゥゥゥゥン
階段の下へ音が消えていった。
翌日。
KGBの厨房に、青く光る業務用の電撃殺虫器が届いた。
注文したのは
エカテリーナだった。




