新見翔子(後編)
「全快祝い、歌うわよ!」理沙さんの大きな声で、スピーカーがキーンと鳴った。
テーブルの上には大量のバドワイザーとおつまみ。
「理沙さん、俺高校生っすよ」
「知ってる」そう言って悪戯っぽく笑うと、見たことの無いバドワイザーに似た缶をテーブルに置いた。
「バービカン?」
「そう、ノンアルコールビールだって」
「へぇ」俺は受け取るとプルタブを引いた。
プシュっと小気味よい音と一緒に炭酸が抜けた。タブを引き抜いて喉に流し込んだ。
「まっず」そう言ってテーブルに置くと「ええ?」と言いながら、理沙さんが一口飲んだ。
「まっず」理沙さんもそう言って笑いながら翔子さんに渡した。
(間接キスじゃん)
俺は理沙さんの唇から目が離せなかった。
「うわっ、苦い」翔子さんが右目を瞑って口に手を当てた。
「失敗だわ。将吾くん、コーラでも買っておいでよ。それと翔子、悪いけど一緒に行ってバージニアスリム買ってきてもらえる?」
理沙さんは全快と言いながら、未だ包帯巻の足をプラプラさせた。
そして俺だけに見えるようにウィンクをした。
カラオケボックスから出た俺たちは近くの酒屋へ歩いた。
街灯の明かりに二羽の蛾が、何度もぶつかるように飛んでいた。
「明日は満月ですね」
俺は僅かに欠けた月を見上げて言った。
「そうね」銀色の光に憂うような瞳を向けて、翔子さんも見上げた。
「——昨日。昨日、ビーチに居ましたね」
昨日と同じ白いワンピースの翔子さんにそう言った。
「そっか、あれは将吾君だったか」
「ええ、最後の最後でコケました」
「ナイトサーフィンするの?」
「地元の決まりで十八歳以上なんですよ」
「そうなんだ」
翔子さんはそう言うと足を止めた。
タバコの自動販売機の前だ。
「バージニアスリム......」そう呟きながら指でなぞった。
カタン。
取り出し口からタバコを取り出した俺は「理沙さんってタバコ吸うんですね」と翔子さんに聞いた。
「見たこと無いんだよなぁ」
翔子さんは首を傾げながら歩き始めた。
そこで俺はようやく意図に気付いた。
「あ、あの」
急に緊張して発音がおかしい。
「なぁに」
「俺、翔子さんが好きっす」
失敗した。好きですって言おうとして、いつものクセが出た。
「ありがとう」
それだけだった。
それからは無言で、月の光が溢れる夜を二人で歩いた。
「明日——」
沈黙を破ったのは翔子さんだった。
「明日、午後の一時に昨日のビーチに来てくれる?」
「はっ、はい」
俺の鼓動が強く早く鳴り始めた。
聞こえてしまうのではと思うくらいに。
約束の時間に行くと、翔子さんは既に居た。特に待ち合わせという素振りも無く、黙って海を見つめていた。
沖には数人のサーファーが波間に顔を出して、テイクオフの瞬間を待っていた。
俺は黙って翔子さんの隣に立って言葉を待った。
ここが想い出の場所——
「ここで恋人を失ったの」
「川村光一さん」
「大将から聞いたの?」
「はい」
「そっかぁ。気付いていたのね」
翔子さんは後ろで指を組むと、数歩進んで海を背に振り返った。
「彼にはお別れを言いに来たの」
その表情は泣き出しそうな感情を、無理に笑顔で固めたような、そんな顔だった。
「私ね、春には結婚するの。だからもう、ここには来ないから——今夜、約束だった花火を見てさよならするの」
そう言うと、彼女は再び海の方を向いて俺に背を向けた。
瞬間煌めいた雫は、波の飛沫か彼女の涙か......
大きな音に振り向くと、コンビニの大きな窓の向こうに、花火が上がるのが見えた。
(そうか、今日だったな)
俺は懐かしい気持ちで、バドワイザーを数本買うと店を後にした。
玄関を開けると出迎えた妻が「バドワイザー?懐かしいわね」と、コンビニ袋に透けたラベルを見て言った。
「苦い青春の想い出だ」
俺は理沙にそう言って袋を手渡した。
花火の音がひとつ、大きく響いた。




