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初恋  作者: 浅見カフカ


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4/10

鳳翔月

私の初恋は、人に語るべきではないらしい。

サークルの飲みの席で、初恋の話になった。

保育所の保育士という奴や、幼なじみという奴。アイドル、従姉妹のお姉さんなんてのも居た。私の順番が来て、満を持して言うと空気が一変した。

「ああ、佐々木そっち」みたいな、よそよそしい雰囲気。結局そのまま浮き始めて、サークルは辞めてしまった。

社会人になって出来た恋人に、この時の話をした。

彼女は憤慨しながら話を聞いていたが、最後まで話すと苦笑いを浮かべて「佐々木くんはそうなんだ」と言った。

これが原因かどうかは分からないが、それからしばらくして別れ話を切り出された。

恋人もサークルも友人も失くした初恋の相手。

私はこの過去に決別しようと決心をした。

彼女を葬る——

そうして私の中からも、彼女の痕跡を消し去るのだ。

ホームセンターでスコップを買った。

数件回って、どの店舗にも置いてあるスコップを一本だけ選んで買った。

これは犯罪だ。

証拠となるものは、どこの量販店でも手に入る物が必要だった。

大量生産品は、捜査を撹乱する必須アイテムだった。

一時は焼いてしまうことも考えたのだが、煙も臭いも出るだろう。灰の始末もしなくてはならない。

やはり愛した者への敬意として、棺に収めて埋めるのが誠だろう。

私は休日の度に、人目のつかない山や林を探して歩いた。

秋黴雨あきついり——

濡れた落ち葉を踏みながら山へと入った。白いモヤが低く立ち込める中、不自然に大きな背嚢はいのうに幾度もバランスを崩した。その度に蹴り上げた土や落ち葉が、濃い森の香りを周囲に広げた。

汗と雨粒に前髪が張り付いて気持ちが悪い。

もう随分歩いたようだった。

振り返っても停めた車は見えなかった。

「この辺で......」

私は誰に言うでもなくそう呟くと、背嚢を下ろしてスコップを突き立てた。

掘りやすいふかふかの腐葉土の層は、それほど深くはなかった。

すぐに石混じりの土が現れ、やがて固い粘土の層に剣先が刺さった。

まだ三十センチも掘っていない。

そもそもスコップなんて、公園の砂遊びのシャベル以来使ってはいなかった。

コツの分からない状態で、妙な力が入った。手のひら、指の付け根辺りに豆ができ始めた。足を乗せて剣先を地面に突き刺す。

やがて雨足が強くなり始めた。

ポツポツと合羽を叩く音が、ザーと変わった。雨はせっかく掘った穴に茶色く溜まっていった。

「うそだろ」思わずそう呟いていた。

粘土層にかさを増していく雨をスコップで掻き出すけれども、無情にも溜まる速度の方が早かった。

「そこで何をしている!」

背中に鋭い声を浴びた。

振り向くと、声の主とは思えない老人が細い腕でくわを抱えて立っていた。

「見慣れん車が停まってるから見に来たが、この松茸泥棒が!!」問答無用とばかりに振りかざしてきた。

驚いて足を滑らせた私は、そのまま泥の水溜まりに尻もちをついてはまってしまった。私は瀕死の昆虫のように倒れて、老人に腹を晒した。

鍬を構え直してじりじりとにじり寄った老人は、ピタリと動きを止めると私の横にあった棺を見た。

「泥棒——ではなさそうだな」

「違いまふ」顔を叩きつける雨に、上手く喋れなかった。

「そん箱はなんじゃ」老人の手が棺に伸びた。

「あぁ、あぁああ」私はなんとかして棺を守ろうと手足をバタバタと動かしたが、仰向けの昆虫は起き上がることは叶わなかった。

老人の手が蓋を開けると、手が見えた。あれは曲がった腕のまま棺に納めることが難しくて、何度も折ろうと試みたが腕だった。だが、もの言わぬ彼女の腕を私はついに折ることが出来ずにそのまま無理矢理に蓋をしたのだ。

老人は彼女の脇に入れた写真をつまむように取り出した。

「お前さん」

写真を見た老人は、言葉を詰まらせるように私を見た。あの写真は私が気に入っている、彼女が一番輝いて見えた写真だった。

「最近とうと見なくなったが......」

老人は憐れむように私を見下ろすと「埋めに来たのか」と、怒りを孕んだ声で訊いた。

いや、訊かれたと思ったのは私の思い込みだった。それは単に断定の言葉で、私に弁解の余地を与えるものでは無かった。

「警察を呼ぶか」

その言葉に全身から血の気が引いていくのを感じた。

ふるふるとかぶりを振る私に 「山ならバレんと思ったか」と言った。

「昔、孫にせがまれて買ったもんだが——これはお前さんの物か」

「はい」

「孫の人形は動いたと思ったんだが」老人が腕を伸ばそうと指先に力を込めた。

「それはフィギュアです。人形ではないんです」

「わからんが、プラモデルみたいなものから」

私はなんとかして上体を起こすと、それでもまだ穴にはまったまま老人を見上げた。

「それにしてもこれは何て言ったかな」

「マジョカル魔女ルナの鳳翔月ほうしょうるなです」

「おうおう、それだ。それにしても、これは子供向けのマンガだろ」老人は、呆れたように眉根を寄せていた。

「アニメです。放映当時は私も小六でした」

「そんな昔だったか。で、どうしてお前さんはそんないい歳になってもこれを集めて、そして捨てるんだ?」

老人は不思議そうに尋ねた。

「よりによって人の山に」と付け加えて。


不登校だった小六の頃——

最終回の彼女は魔法を使わなかった。

「魔法よりも、人の心の力の方がずっと強いんだ」

この言葉に背中を押された。


私がことの経緯を全てありのままに話すと「じゃぁ、これがお前さんの初恋の相手なのか」と、目を見開いて眉を上げた。

ああ、やはり私はおかしいのだ。

そういう友人とばかり居たことで、それをおかしいと思わずにいたのだ。

「マトモになりたくて捨てに来たんです。でも、人様の土地に捨てるなんて間違っていました」

私はその場で土下座をして泥の中に額を埋めた。

老人は「ついてこい」と言うと踵を返した。


清水と名乗った老人の案内で、ふもとの屋敷までは私の車で向かった。

勝手口から通されて、そのまま風呂に入れられた。

既に離農したそうだが、かつてはここでツナギを脱いでそのまま風呂に入っていたそうだ。

風呂から上がると新品のブリーフとジャージが用意されていた。私の服は出迎えてくれた清水さんの奥さんが、洗濯をしてくれていた。

「乾くまで着てなさい」

私は恐縮しながらも、初めて履くブリーフに居心地の悪さを感じていた。


居間の和卓の前で正座をした。

現れた清水さんは一冊の本を卓の上に置いた。日焼けして古びた文庫本で、小口側は膨らむように広がっていた。

手に取って見ると【三四郎】と表題が見えた。夏目漱石の小説だ。

「読んだことはあるか?」

「いいえ」

「この小説に出てくる美禰子という女性が、私の初恋だ」清水さんは出会ってから初めて、歯を見せて笑った。

「佐々木くん、物語の女性に憧れるのは恥ずかしいことではない」

「はい」私は身を固くして返事をした。

「ただ、今日の君がしたことは十分に恥ずべきことだ」清水さんの声はとても穏やかで、怒鳴られるよりも身に染みるものだった。

「好きな気持ちを他人に否定されて、何故自分までもが今までの気持ち否定するんだ?」

「自分が異常なのかと思いました」

「佐々木くんが、それを好きなことで犯罪を犯したり迷惑をかけるなら仕方がない」

「そんなことしていないです!......今日のこと以外は」最後は気まずくてブツブツと口ごもってしまった。

「いつか、その初恋の君から離れる時が来たなら自然に君は手放すだろうよ」

清水さんは立ち上がると、私の肩に優しく手を置いた。

玄関先で何度も頭を下げた。

清水さんは、奥さんから手渡された紙袋を私に差し出した。すっかり乾いた服が丁寧に畳まれて入っていた。

そして清水さんは小声で「私はまだ美禰子から卒業出来んくて、あの本を持っている」と言って、また歯を見せた。


玄関を出ると、もう雨は上がっていた。

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